うなぎの決起
「シラスウナギの漁獲量が著しく伸び悩み、ここ一ヶ月の採捕量は昨年の同時期と比べるとわずか0.04%と――」
「――ハイ。ニホンウナギの個体数が減少してきているのは間違いありませんが、しかし現時点ではその原因は特定されておらず、乱獲が原因であるとも限らないため消費者が購入を控えることにあまり意味はなくてですね――」
「――企業は『食べて応援』と、冷え込むうなぎ市場に復活の糸口を見出すべく――」
テレビではうなぎに関する、あまり明るくないニュースが流れる。
「ねえ父ちゃん。うなぎ、いなくなっちゃうの?」
食い入るようにテレビを見つめていた子供が、振り返って父親に尋ねる。父親は両手に広げた新聞から顔を覗かせると、にっこりと笑う。
「テレビではああ言うけどね、生き物っていうのはそう簡単にはいなくならないものなんだよ。現に今だって散々不漁だと言って、結局スーパーに行けば普通に買えるじゃないか」
「ふーん、なんだぁ、そうか。……父ちゃん、俺、今日うなぎ食べたい!」
「おっ、いいなあ。母さん、聞いたかい?今日はうなぎだって」
台所に立つ母親が、困ったような笑みを浮かべる。
「あら、そうは言っても今はお高いのよ?……もう、しょうがないわねえ」
家族が集うリビングには、なごやかな空気が漂う。日本は今日も平和だ。
「もう我慢ならん!人間どもに死を!!」
一方うなぎの国では、種の存続を賭けた血の滲むような議論が繰り返されていた。険しい顔をして会議に臨んでいるのは、各地から集まった名のあるうなぎたちである。
「決起だ!最早それ以外に道はない!!」
声を荒げるのは、うなぎの国でもタカ派として有名な"うなぎ将軍"だ。
うなぎ将軍は「怒髪天を衝く」の例えのままにひげを逆立て、抑えきれない怒りの剣幕をあらわにしている。それを穏健派として通っている"うなぎ大臣"が、横から「まあまあ」となだめる。
「確かに現状は由々しき事態ですが……だからといって人間相手に決起というのは……どう思われます?うなぎ参謀」
「無謀ですな。我らうなぎが人間相手に乱を起こしたところで……せいぜい取って食われるのが関の山でしょう」
大臣に話を振られ、毅然とした態度で答えるのは"うなぎ参謀"だ。知将と名高いうなぎ参謀にこうもあっさり断言されては、うなぎ将軍も口をつぐむ他にない。
「しかしだからと言ってこのままでは……!!」
前回の「土用の丑の日」で息子を亡くした"うなぎ長官"が、悔しそうに顔をしかめる。
「我々は年々、数を減らす一方なんですよ!!それなのに、人間たちのあの態度――『食べて応援』はどう考えても正気じゃない!このままじゃ我々は……絶滅するまで食い尽くされてしまいますよ!!」
亡き息子のことを思ってか、うなぎ長官の目には涙が浮かぶ。
「そもそも人間たちは、何故これほど我らに固執するんでしょう??――うなぎ博士、是非あなたの意見が聞きたい!」
長官に意見を求められたのは、うなぎ界でも随一の知識量を誇ると言われる科学者"うなぎ博士"だ。しかしうなぎ博士は難しい顔をして、歯切れが悪そうに口を開く。
「それは私にもわかりかねますねェ……。彼らには『野生生物保護の精神』があるはずですが……クロマグロやクジラもそうですが、何故か人間は――こと日本人は、海産物に対しては異常な執着心を見せています。絶滅が危惧されていようとお構いなしに、とにかく食べようとするのです。ハッキリ言って異常ですよ。理解に苦しむばかりです」
「むう」と、会議卓を囲む一同は揃って鼻を鳴らす。問題解決には原因の究明が先決だが、人間が何を考えているかは、どうもわかりそうにもない。
「しかしぃ……将軍の言う決起というのは、やはり最後の手段に思われますな。……対案は思い浮かびませんが」
うなぎ参謀が自身の無力さを噛み締めながらも、しかし決起には反対の意を示す
「いや、事ここに至っては決起もやむなしですよ……我々はもうそこまで追い詰められている!」
うなぎ長官が涙を拭いながら、歯を食いしばって抗議する。
「やはり決起だ!それ以外には無い!」
長官の後押しを受け、うなぎ将軍が再び怒りの声をあげる。
「いやいや、ですからそれは――」
大臣がそれを、横からなだめる。議論は既にこの堂々巡りを何度も繰り返しており、「決起」「反対」の平行線を、泥沼に辿るばかりであった。
「いっそですよ。人間と共に生きる道を模索するというのはどうでしょう」
不意に柔らかな声でそう提案したのは"うなぎ教主"だった。うなぎ教会の長で、その道では人徳の人と崇められているうなぎだ。
「人間たちは未だに我々の繁殖の秘密を知らないようですし……彼らにそれを明かして、養殖技術さえ確立してもらえれば――少なくとも絶滅の道は避けられるのでは?」
「バカな!」「ありえない!」「極論だ、極論すぎる!!」
会議卓を囲むうなぎたちから、続々と反対の声があがる。中でも一際声を荒げたのは、怒りに血相を変えたうなぎ将軍だった。
「き、貴様、何ということを言うのだ!!種そのものを人間に差し出して、家畜に成り下がってまで生き延びようというのか!?」
「いや、私は――「それでも聖職者か、この鬼畜が!!ただ食われるためだけに生まれてくる子孫たちに残す種など、そんなものはいっそ絶えてしまった方が、よほどマシではないか!!!!」
すっかり頭に血が上りきったうなぎ将軍がうなぎ教主に詰め寄り、顔面をバチンと殴りつける。これはいかんとうなぎ大臣が止めにかかるが、もはや後の祭りだった。不安と絶望が渦巻く会議卓には暴力の連鎖がいとも簡単に飛び火し、あっという間に堰を切ったような大乱闘が勃発したのだ。
「私はよかれと思って」「この畜生!」「そもそもアンタがそんな弱腰だから」「民のことを思えばこそだな」「息子は帰ってこない!!」「お前なんかインチキだ!!」「やったな、このヌメヌメ野郎!」
「皆さん落ち着いて!仲間同士で争っている場合では――」
騒ぎを止めんとうなぎ大臣が奔走するが、すっかり熱くなってしまった場の空気はもはや手に負えたものではない。
そこに、まるで枯木から樹液を絞り出すかのような、かすかな……かすかな声がこだました。
「もう、しかたなかろ」
その声に、一同は静まり返った。今まで静観に徹していた"うなぎ長老"が重い腰を上げ、その口を開いたのだ。厳粛な、極めて厳かな声でうなぎ長老は続けた。
「このままでは……このままでは、わしらは滅びてしまう。それも人間たちの腹の中に入って、だ……。教主の言うような道を辿るわけにもいかん。さりとて、このまま人間たちの魔の手から逃れる術もない。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのにも、限度がある。わしらは……わしらはそこまで追い詰められてしまった。もう、やるしかないんじゃよ――――うなぎの、決起を!」
その言葉を遮る者は、誰一人としていなかった。それはうなぎに生まれ、うなぎに生き、数百年もの間うなぎたちの趨勢を見守ってきたうなぎ長老の、鶴の一声だった。
長老は俯き、最後にポツリとひとことだけ、こう言った。
「――わしらはいったい、どこで間違えてしまったんじゃろうな」
寂しそうな背中を見せ、うなぎ長老はその場を後にする。
残ったうなぎたちもこれ以上議論する気にはならず、口を開こうというものはひとりもいない。
彼らは、ただ一様にうなぎ長老の言葉に打ち震え、そして涙するばかりなのである。
哀愁――それが今、この場に漂っているものの正体だった。
「決起!決起だ!!」
それから少しの時が経ち、運命の日はやってきた。この日のために世界中から、全てのうなぎたちが集いにも集った。その数、数十万……いや、数百万か。
オス、メス、若い者、年老いた者、血気盛んな者、今まで隠れてやり過ごしていた者、親を奪われた者、友を食われた者、恋人を殺された者……様々なうなぎたちが一堂に会すが、皆一様に決意の炎を瞳にたぎらせている。
「よし、最初の目標はあの憎き漁船だ!続けぇ!!」
先陣に立つうなぎ将軍の勇ましい声に、者共は雄叫びをあげて続く。うなぎたちの最後の望み――決死の突撃作戦が今、敢行されたのだ。
一方その頃、海上では漁師たちが長年続くうなぎの不漁に喘いでいた。船の上でため息をつき、「どうせ今日も捕れねえだよ」と不満を口にする。
「なあんで捕れねぇんだろうなあ……」
漁師たちが消沈していると、不意に「ガッチャン」と大きな音を立て、衝撃が船体を揺らした。何事かと慌てふためく漁師たち。いそいそと船体を確認して回るが、どうやら網に何かが掛かったようだった。
全員で恐る恐るにそれを引き上げてみると――なんと見るも見事な、大量のうなぎが掛かっているではないか。絶句する漁師たち。ピチピチ!と跳ね飛ぶしぶきを受けながら、次の瞬間には歓喜に沸き躍った。
「な、なんだあこれは……!?こりゃ、こりゃすげえ!!昨日までの不漁が嘘みてえだ!!」
「やった!!これで妻子たちに飯を食わせられるぞ!!」
漁師たちはてんやわんやと騒いだのち、大喜びで港へ帰っていった。
それからというもの、うなぎ市場は大いに賑わった。話を聞きつけた他の漁師たちは我先にとうなぎを捕りまくり、マスコミも「うなぎの漁獲高回復」と大々的に報道する。水産庁は「うなぎの復活は我々の努力の賜物」と喧伝し、企業も便乗して「復活うなぎ祭り」と銘打ったうなぎ大セールを開催する。日本人はうなぎの復活を喜び「なんだ、やっぱりいなくならないじゃないか。う~ん美味い。やっぱこれだね」と、うなぎに心から舌鼓を打った。
一方うなぎは絶滅した。
完
うなぎうめぇ!!