幻想と冒険と青春 ~酒場編~
とある世界。大陸の一角を有するとある国の、田舎というには人が多く主要都市になるには人が少ない残念な街の、とある酒場。
「そもそも、猫派ってなんであんなに『猫かわいいよ猫』と主張をするのか?」
ドンと、机に空の器を置く。が、店内の喧騒にそれもあまり目立たない。
「いや、そんなことはない、それはアンタの思い込みだ」
「そうか?」
「そうだ」
そう言われ首をひねって男は顎をさする。
(あれ?なんでこんな話をしだしたんだ?)
そもそもの話の要因を考えたが酔い心地に任せて話していたせいで、話し始めが何だったかさえ覚えていない。
内心気まずい人間の男は、記憶の紐をたどってみて、早々に諦めた。
なにしろ要因すら思い出せないのだ。記憶の紐は途中でこんがらがってほどけないぐらい強固なものなのだろう。
やはり呑みすぎた、蒙昧な思考で反省する。
草臥れた木製椅子の背もたれに片肘をのせて相手を見据えてから、言葉を紡ぐ。
「でもな、“拗らせ”エルフ。実際問題として猫はかわいい」
話の終着点を見失った男は誤魔化すために、猫の話をすることに決めた。
「お前は犬派ではなかったか?“枯れ”人間」
「可愛けりゃなんだっていい。が、猫派のあの“この主張こそ正義”って感じがいけ好かない」
「それは偏見だ」
「いや、そんなことはねぇよ」
「それで、猫派か犬派の議論がどう恋愛相談につながるんだ?」
そうだった。恋愛相談のたとえ話に犬猫を例えにだした、とようやく思い出す。シミだらけの焦げ茶色した丸テーブルの端を指で軽く叩く。
「いやだからな、おまえ自身が異性をどう感じとっているかっていう…」
彼らのテーブルには空の器や皿が数枚重ねられていた。形の違う空の杯もある。エルフと呼ばれた男は話に興味なさそうに残ったソースを長い小指でからめ取って口に運ぶ。
店内には使い古された流行歌が魔導式拡声器でながれていたが、喧騒でかき消されている。
「ボケ人間よ、拗れてるコジレテルというが、どこが拗れている?」
「そこだよ、そこ。全然気がついてないところだよ。猫派でも犬派になれるんだよ」
「ふむ。よくわからん」
「あー、いい加減、諦めろよ」
「無理だな」
「運命とか言うなよ」
「…ッ、何故判った?」
「だー、もう。…犬は可愛いか?」
「うむ」
「じゃ、猫は?」
「ぅ、うむ」
「じゃ、犬じゃなくてもいいよね?」
「うむ」
「これを人に置き換えてみような」
「先ほどから言っているが、動物と人は違うぞ」
「あー、うっさいエルフ。あのコも可愛いけど、こっちのコも可愛い。なら、あのコじゃなくていいよね?ってなるだろうが!」
「なるか!」
「なれよ!つか、諦めろ!」
二人の議論の最中に割ってはいるこの店の看板娘は、鼻歌まじりだ。
「どっちも可愛いと思うよ。はい、季節のサラダに野猪のベーコン焼き。飲み物の追加注文ありますか?」
問われて二人の男は注文書すら見ずに注文をする。
白銀の長髪に透き通る白肌、髪からのぞく長耳に整った顔立ち、長耳人の男が気怠そうに手を挙げる。
「エール」
黒髪短髪、銀縁眼鏡、剃り残しの無精髭。人間の男は迷いなく酒の銘柄を告げた。
「俺、“ゴブリン殺し”」
二人の注文を聞きながら、他の客の呼びかけを逃さないように頭の上から出た犬耳は、忙しなく動き続けている。
「はぁい、エールと“ゴブリン殺し”ですね」
看板娘の去り際にスカートから伸びた茶色の尻尾が飲んだくれの片方、エルフの腕に当たる。
夕方の仕事帰りの時間帯、それも二十人も入れば満員になってしまうような酒場だ。狭い店内では他の客に当たるのは日常茶飯事。
「あ、ごめんなさぁい」
と、看板娘はどこ吹く風で仕事に戻って行く。が、当てられた本人は気が気ではなかった。
「尻尾が。尻尾が当たった」
「落ち着け、ムッツリピュアエルフ」
「誰がムッツリだ」
「いつものことだよ。気にすんな、そして毎回同じことを繰り返すな」
「いいや、あの動きはワザトダ。マチガイナイ、あれは誘ってる」
「勘違いするな。アレも一種のサービスだ」
「サービス?何を言っている?嫉妬か?」
ノボセているエルフの横でため息をつく人間は、獣人の文化を思い出しながら言葉を紡ぐ。
「確かに、獣人の文化、なかでも尻尾、耳の特徴がある種族の習慣の中に、その尻尾や耳に触るコトをゆるされるのは近親者や家族と認めたモノってのはあったが…」
「ほら、な」
「いや、この時代に、そんな都市伝説みたいなことはないぞ」
エルフは片手の人差し指を天井に向ける。
「聴け、この曲も奥ゆかしい女が男の誘いを待ってる恋愛歌だ。あの娘も待ってるんだ、このオレを」
男が頭痛に似た辛さに耐えきれず眼鏡の位置を直す。
店内に今流れているのは、数年前に流行った曲で歌い手は猫人の偶像の姫〈アイドル〉。エルフはまるで自分の為に書かれた曲だと言わんばかりのドヤ顔だ。
「歌は売れるための幻想だ。そして、曲に自分を投影させてるが、それはお前の妄想だ」
歌詞の中の獣人は恋い焦がれる男への想いを募らせる女で、想い人をいつまでも待っていると男がいかにも好みそうなコトを唄っていた。
「違うね、オレとあの子の為の曲。そしてオレへのメッセージだな」
どうやら恋するエルフは、選曲すらも自分の都合で屈曲出来るらしい。
「お前の頭は超次元か何かなのか?よく見ろ、忙しそうに働いているだろう。そんな暇があるように見えるか?」
「いいや、獣人は未だに奥ゆかしい種族だからね、マチガイナイね」
「をい、勘違いエルフ。自分の胸に手を当てて、自分をよく見ろ」
そう言われて、エルフは胸に手を当てて、自分を見てみた。《森の賢者》の眷属と呼ばれた長耳人は、かくありきといった風な姿だが数秒も待たずに人間の男は笑い出す。
何せ酒でヘベレケ気味なのだ。
「は?全エルフが聡明で必要なこと以外喋らないと思っているのか?森と共に生きてると思っているのか?バカか人間」
「判ってるなら、あのイヌミミ娘もそうだって」
「いいや、違うね。あの娘は田舎から出てきてこんな店で健気に働いてるんだ」
「とうとう頭沸いたか?んなわけあるか、お前とここで呑むようになって一年以上経つが、あのイヌミミ一年前から店員だったぞ。ウブな少女がこんな酒場で働き続けられるか?」
男が親指を突き立てた拳で後ろをさした。
ホールで注文をとり料理や酒を運ぶイヌミミ娘は笑顔を絶やさない。それに熱い視線を送るエルフ。
「苦労してるんだ、違いない」
「…この境遇を救うとか言い出すなよ」
エルフの男は、驚愕の表情でもう一人を見つめた。
「何故解った?」
「一度入院しろ、そして恋愛感情が芽生えないように処置してもらえ」
男は二度目のため息を吐いてから付け加える。
「毎回思うが、声をかけられだけで相手を好きになれるんだ?手が当たっただけで相手を好きになれるんだ?」
「運命だ」
「バカ。大バカ。俺が言ったのは物理現象だろうが、その後だ」
「後とは?」
「手が当たるのも、声をかけるのも必要だったまたは偶然だろうが。声かけられたもしくは手が当たった事実はおまえの中でどういう解釈なんだよ」
「解釈?」
エルフは酔って頭が働かないのか男の話を心底不思議そうに聞いている。
「あー、妄想だ。妄想。声をかけられたら、…今回なら尻尾が当たりました、これは物理的な事実だ。それがあって…」
「獣人は尻尾を当てるのは求愛の…」
「ちょっと待てコラ。今時の、それも町中に住んでる獣人にはそんな発想ないから、古き良き時代の貞操観念とかないから」
「だから、彼女は田舎生まれの田舎育ちなんだって。見ろ、あの健気な眼、健康そうなくびれ、さっき触れた尻尾」
エルフの視線はフロアで注文をさばくイヌミミ娘を追いかけ続けている。
「昨日までそんな風に観てなかったよね?あのイヌミミには一切気がなかったよね?むしろ、前回の依頼で一緒に行動したハーフエルフのミザリィ嬢が気になると病んでたよね?その相談と気晴らしに此処で飲んだくれてるんですよね、僕たち。もう半年ぐらいたちそうですけど?今さっきまで」
「ミザリィは運命ではなかった」
再びドヤ顔で言いきるエルフに人間の男は頭を抱えた。
「誰が運命なんですか?」
と、噂されていた本人イヌミミ娘の店員がエールとゴブリン殺しを持ってやって来て、二人の会話に水をさす。
「アナタ、名前は?」
エルフが自慢の顔でイヌミミ娘に尋ねるが、耳が真っ赤だ。男から見て、挙動不審だ。
「ご注文のエールと“ゴブリン殺し”です。えー、覚えてくれてないんですか?」
「そ、そそ、そんな事はない。アナタの口からもう一度聞きたいのだ」
イヌミミ娘の店員は、顔をしかめて悲しそうにしながら、尻尾をゆらゆらとさせた。
「タニアです。…あと、“ゴブリン殺し”少しサービスしときましたから」
イヌミミ娘タニアは男にウィンク一つして、業務に戻っていく。
男も軽く手を上げて応えると“ゴブリン殺し”を一口。辛さが喉を通り抜ける。男が酒を味わっていると、エルフがようやく思考停止状態から抜けだした。
壊れたカラクリ玩具の様にぎこちなく動いて、やってきたばかりのエールを一気飲みし始めた。みるみるうちに耳以外も赤くなっていく。
「一気に呑むな、倒れるぞ」
男がとめるが、杯の傾きは収まらない。とうとう最後まで飲み干し、杯を乱暴に置いた。
「今のはなんだ!今のは」
「挨拶だろ、ただの」
「明らかに違うだろ」
「そうかな?」
「しらばッくれるな、明らかにおかしいだろ。なんでお前だけにサービスするんだ!」
「いや、常連だし、一応」
「あれは何かある、絶対何かある」
「イヤないから。恐ろしい勢いで拗らすな」
「どんな手をつかってあの子を誑かしたんだ?」
「誑かしてねぇーよ」
「弱みか?何か弱みでも握ったのか?」
「悪逆非道な人物ですね僕。って馬鹿か?酔ったか?」
「オモテデロ、コノヤロウ」
困った男は「はいはい」とエルフを宥めた。
チクショウとブツクサ言いながら空の杯を逆さにして、最後の一滴を口に滴らせる。タニアとは違う店員にエールを乱暴に注文し、やってきたエールを瞬く間に飲み干すエルフ。
見かねて男はエルフにため息をつく。
「あのなぁ今時、獣人の売春婦もいるこの昨今だぞ。軽い獣人もいる」
「あの子は違う。きっと違う。絶対違う。間違っても違う。そうであっても違う。世界的規模で違う」
そう言いながら耳を塞ぐエルフ。
「お前のその恋愛妄想力のエネルギーを冒険者という不毛な職業に全部つぎ込んだなら、間違いなく今ごろ大英雄だろうな」
「聞かせてもらおうか?どういう関係なんですか、お願いします教えて下さい。本当に、どうか、教えろ下さい」
「なんでもないから、友達だよトモダチ」
エルフは耳をうなだらせたまま、机の上のつまみをヤケクソ気味に口に運ぶ。
「本当だな」
人質になった一切れのベーコンがフォークに刺されて、プルンと揺れる。
「俺の分のベーコン喰うなよ。本当だよ」
「友よ!呑もう!タニアちゃんは何が好きとか知ってる?」
「まぁ、二三度買い物付き合ったから大体好みは判るぞ」
「裏切り者!やっぱり表出ろ!」
「なんでだよ」
「で、デートだろそれ!ボケがぁあ!」
畜生と叫んでベーコンにかぶりつく。肉汁がエルフの苧麻製の服に滴り落ちたが、エルフは一気に食らいつくす。
「買い物付き合ったぐらいでデートか?…、つまみ全部喰ったな」
「天罰じゃ」
「どんな天罰だよ」
「女の子と2人っきりで買い物はデートだろ」
「お前の妄想力には脱帽する、二人きりじゃないぞ」
「友よ!もう一度友と呼ばしてくれ!」
「種族差別するわけじゃないが、本当にエルフか?つか、人としてどうなんだよ」
「お前のこと誤解してたんだ、軽薄とか抜け駆け野郎とか、裏切り者、爆発四散しろとか死ねとか思って悪かった」
「いつか友達なくすぞ」
「なくしてもいい、タニアさえいれば…」
「もう呼び捨てって、妄想の中で恋人にでもなったか」
男は盛大にため息をつくと、残りの酒を飲み干す。
「恋人…、コイビト」
エルフは単語を繰り返しながらニヤニヤとしはじめる。男の経験上、このエルフがこうなってしまったら、何を言っても何も受け付けないことを知っていた。
イヌミミ店員に「勘定」と声をかけると帰る支度をし始めた。
「ちょっと待て、もう帰るのか?」
エルフがまだ居座りたいのか抗議の声をあげた。
「付き合いきれん。それに、明日早いって言ってたろ?」
「まだ宵の口だろ?」
「俺は今やほぼ無職だから構わんが、お前、明日どこぞの迷宮に行くんだろ?」
「そうだが」
「なら帰るぞ」
「し、しかし…」
「まだ、呑むならいればいいだろ」
イヌミミ店員が伝票をもって机までやってくる。
「えぇ、もう帰っちゃうの?」
「あぁ、コイツが朝早いのよ。冒険者家業って辛いもんがあるらしくて」
店内の喧騒はまだ続いている。男が腰袋から代金をさぐって取り出した。
「いや、残ろうと思えば残れるよ」
「なら残れ、俺は帰るわ、はい代金」
「まいどありぃ。…、また連絡するね」
「はいはい、…常連なんだから来たときにでも、ね。はい、そこの妄想エルフも帰るなら準備しろ」
そう言うと男は一人で店の出入り口から出て行ってしまう。
外に出ると男の目の前は真っ白になる。身震いしながら、眼鏡を外して服のすそで拭いてかけなおした。
日が落ちても、街はまだ眠ろうとはしない。
幾つかの飲み屋や三軒の大きな娼館は、これからが稼ぎ時と客引きが声を張り合い始めたようだった。
この街は中途半端だと、男は思っている。
街に数件しかない混凝土の建築物と煉瓦造りの建物が悪目立つ。ドがつくような田舎ではないのだが、都会というには舗装されていない道があったり木造建築や石造りがまだまだあったりと、どこか垢抜けない野暮ったさがあるのだ。
「おい、さっきのはなんだ。なんなんだ、タニアとやっぱり何かあるのか?どうなんだ、教えて下さいお願いしますコノヤロウ」
振り向くとドタドタと千鳥足でエルフが絡んでくる。
「だから常連なんだっつぅうの、酔っ払って言葉も通じなくなったか?」
「酔ってねぇよ。オレを酔わせれるのはタニアだけださ」
「うぜぇな」
「うざくねぇよ。あれ此処どこだよ?」
「酔ってキレながら記憶障害起こすな」
「タニアは渡さない、有力情報があるなら教えて下さい、タニアのことは諦めろ」
「器用に面倒くさい状態になるな」
「タニアちゃん…、マルカジリ」
そう言ってエルフは座り込んでしまう。
ダメだ、コイツ。と、呟いてから古い友人の腕を掴んでどうにか立たせる。
「おい、起きろ。こんなとこで寝てたら尻の穴の毛まで毟られて、なぜか奴隷落ちとかしてるかもしれんぞ」
エルフはむにゃむにゃと何か言っているが、聞きとれない。男はため息をついてから、このエルフが宿泊している場所への道順をなんとか思い出しながら歩き始めた。
夜空の星は、こんな街の灯りでも見えなくなっていた。