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階段 3 恐怖の階段

当時の僕と弟は家の階段を恐れていた。

一階から二階まで真っすぐに伸びた勾配のきつい階段は、いつも薄暗く張り詰めた空気が流れていた。

階段を上り下りする際は常に緊張を強いられた。

精神を乱したり心の中に疾しいものを持っていたりすると途端に何者かに見透かされ、突如振り下ろされた大鎌に首を刎ねられるか、さもなければ踏み板からニュッと現れた冷たい手に足首を掴まれそのままあの世に引きずり込まれてしまうか、そういった類のことが起きるのではないかと本気で思っていた。

それまでどんなに大騒ぎをしていても階段を上り下りする時だけは、敵兵が潜んでいる森を抜ける兵士の様に全神経を周囲に集中させた。


しかし、その日見上げた階段はいつも以上に気味の悪い場所に見えた。

一階の雨戸は全て締め切っていたので階段はいつも以上に暗く何となく様子が見える程度だった。

四角く切り取ったように見える二階の空間も淡く光って見えるだけで、却って気味の悪さを助長していた。

白い冷えた空気が階下に向かってゆっくりと流れてくる様な気配さえ感じた。


「兄ちゃん、早く行って!」


弟の興奮した様な怯えた様な声が僕の背中に突き刺さった。


「今から上がるよ!」


後に引けなくなった僕は生唾を飲み込むと階段の一段目に両手を突いた。

僕は悲鳴を上げそうになった。

冷えた墓石の様な感触がしたからだ。

しかし僕は二階を見上げると、ゆっくりと階段を上り始めた。


暗闇の中、僕は両手と両足で探る様にしながら階段を上り続けた。

僕は恐怖に押しつぶされそうになりながらも何とか冷静さを保つ様に努めた。


いつの間にか僕は俯きながら「お母さんごめんなさい」と念仏の様に唱え始めた。

あの出来事を思い出していたのだ。

――数日前の夕方、鼻歌を歌いながら楽しそうに台所で料理をしていた母の姿を見た僕は、仏壇に置いてあったマッチ箱を手に取り玄関へ行った。

そして僕はマッチ箱からマッチ棒を取り出して火を付けると、それを母の靴の中に投げ入れた。

それから僕は同じことを繰り返し、火の付いたマッチ棒を何本も何本も母の靴の中に投げ入れた……。

なぜそんなことをしたのか今でもよく分からない。母のことが嫌いなわけでもないのに。

幸せな情景に対して違和感とともに疎外感を感じたのだろうか?

「残念ながら僕はそちらの人間ではないのだ」と。

幸いマッチ棒の火はどれもすぐに消えてしまい大事には至らなかったが、それから僕は罪悪感に苛まれていた。


突然、「二階に誰かいる!」という弟の叫び声が階下から響いた。

僕はどきりとして視線を上に遣った。

僕の目の前に、二階の床に立つ二本の足が見えた。

僕は本能的に亡くなったおじさんだと感じ、思い切って顔を上げた。

しかしそこに立っていたのはおじさんではなかった。

見たこともない老婆だった。

腰を真っすぐに伸ばした皺だらけの老婆が僕の顔を見下ろしていた。

その顔には眼球がなかった。

ただ黒い大きな穴が開いているだけだった。

老婆は白い浴衣の様なものを纏っていたが汚く乱れ、胸元から垂れた乳房が覗いていた。


「お前の母さんの靴は燃えたろうね?」


老婆は僕に向かって尋ねた。

僕の全身に鳥肌が立った。

この老婆は僕の悪さを見ていたのだ。


「お前の母さんの靴は燃えたろうね?」


繰り返して訪ねてくる老婆に向かい、僕は震えながら首を振った。


「燃えていないよ」


すると老婆は猫が叫ぶような笑い声を上げた。


「燃えたさ。火をつけたのだからね!」


老婆は笑い続けた。

老婆が笑うのに合わせ、老婆の口角は裂け血が滴り落ちた。


僕は目に涙をためて首を振り続けた。

すると老婆はかがみこみ僕の両肩をむんずと掴んだ。

老婆の顔は僕のすぐ目の前だ。

生臭く湿った息が僕の顔に絡みつく。


「このろくでなしめ。生まれてこなければ良かったのさ」


老婆は苦々しい口調でそう言うと僕の体を突き飛ばした。

僕は階段を転げ落ちた。





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