6話
『──レナ、エレナ』
夢の中で誰かがエレナの名を呼ぶ。
『……いつかエレナを攫いにくるから』
闇夜に馴染む漆黒の髪、全てを見通す漆黒の双眸、これはエレナの初恋の相手の『ハルト』である。そのハルトに寄り添うのは、五、六歳頃のエレナだ。二人は楽しそうにお喋りをしていた。
(ハルト……)
『ダメだよ、ハルト。だって私には婚約者がいるんだもん』
『そんなの知らない。エレナは俺のもの。だからエレナが大人になったら、かならず迎えに行くから』
五、六歳の見た目から想像できないような男前発言をするハルト。一方の幼いエレナは眉を下げて、困った顔をしている。
『……でも、ハルトはこれからどっかに行っちゃうんでしょう? 私、ハルトのことを忘れてしまうかもしれない。それにハルトも私のことを忘れてしまうかも……』
『それは嫌だ! 俺のことを忘れるなんて許さない……そうだ。俺が離れている間、これを俺の身代わりとして持っといて』
ハルトはそう言って、ズボンのポケットに手を突っ込み、細身の銀のチェーンのを取り出した。それを口に咥え、自分の頸に手を這わせる。
『何しているの、ハルト?』
エレナが不思議そうに首を傾げていると、ハルトは頸から何かを取り出した。それはハルトの瞳のように真っ黒で、ツヤツヤした綺麗な石で、それをチェーンと一緒に手で包み込んだ。
『……エレナは知らないかもしれないけど、古代からネックレスには“愛情”や“誓約”の意味があるんだ。同時に相手からの束縛の象徴とも考えられている』
そう言ってハルトは、そっと手を開いた。すると、ハルトの手のひらには一つの綺麗なネックレスがあった。
『……綺麗』
あまりにも綺麗なネックレスにエレナは思わず見惚れしまう。
『これをエレナにあげる。エレナは俺のものだと言う証……』
ハルトはそう言ってエレナの首にネックレスを取り付ける。ここでエレナはあることに気づく。
『ハルト……このネックレス、留め具がないわ』
『留め具に必要性を感じないから無くしたんだ。俺の魔法以外で、このネックレスをエレナから外すことはできないようにした』
幼いエレナの大きく見開かれた。ハルトの頬が僅かに赤く染まる。
『ふふ、そうね! ありがとうハルト』
これのおかげで、このネックレスだけは盗られずに済んだのだ。
それから、エレナとハルトは再び楽しそうにお喋りを始める。
それを見ていたエレナは、心がほっこりと温まる気がした。
「……ハルト……いつになったら私のことを迎えに来てくれるのよ……」
夢の中でエレナはそう呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夢から目を覚ますと、エレナは森奥深くで倒れていた。見渡す限り、木、木、木……。
(……ここ、どこ?)
見知らぬ土地の見知らぬ森の中で迷子になってしまったようだ。
これからどうしようかと思考を巡らせていると、誰かがエレナの肩をチョンチョンと叩いてくる。
(……こんな森深くに人がいるわけがない。もし振り返ってそこに熊さんがいたら、どうしましょう……)
エレナは意を決して振り返った。が、そこには誰もいない。
「え……ゆ、幽霊じゃないよね……」
前世のエレナは、幽霊が大嫌いだった。幽霊なんて理論上いるわけがないと分かっているのに、もしかしたらいるのでは考えてしまう。
『幽霊じゃないよー』
『精霊だよー』
頭上から可愛らしい声が聞こえ、見上げるとそこには背に羽を生やした小人達が浮遊していた。
(疲労でとうとう幻覚が見えるようになったのかしら……)
目の前の光景に頭が追いついていかず、エレナは目を擦った。
『夢じゃないよ?』
一匹の精霊がエレナの前で手をヒラヒラとさせる。
「そう、みたいね。伝承で何度か聞いたことはあったけれど、本当にいるなんて……」
『伝承?』
精霊が不思議そうに首を傾げた。
「古くからの言い伝えみたいなもの」
『『『なるー』』』
精霊達が「伝承、伝承」と連呼するのをエレナは生暖かい目で見つめる。
ふと、以前ローズ男爵令嬢がシュルツ王子に精霊の話をしていたことを思い出す。あまりにも「精霊さん、精霊さん」と浮れるローズ男爵令嬢にシュルツ王子が「ローズのために、精霊を捕まえてみせる!」と意気込んでいた。当時のエレナは「精霊なんているはずないのに、馬鹿馬鹿しい」と思っていたが、本当にいるとは思いにもよらなかった。
「……ねえ、もし良かったら森の外へと案内して貰えないかしら?」
『いいよー、でも夜道は危ないから安全なところに連れてってあげるー』
『あげるー』
「え、本当に? ありがとう!!」
精霊達に案内されること数十分。切り拓けたところにかなり大きな家が見えてくる。
『ここなら安全だよー』
『安全ー』
「え? どう見ても誰か住んでるわよね?」
『大丈夫、だってここに住んでいる人、優しいしー』
『強いし』
『魔物も逃げていくんだよー』
『だよー』
……優しいのはとても嬉しいんだけど、魔物も逃げいく強さって……素直に喜べない。
『扉に呪文がかかっているから、僕達が解いてあげるー』
迷うエレナをよそに精霊達は、扉の呪文を解きにかかる。間も無くしてガチャリという音ともに扉が開いた。
「まあ、どうにかなるでしょう!! し、失礼します」
『『『しますー』』』
恐る恐る中に入ると、外見からは予想がつかないほど広く、整えっていた。
不法侵入だと分かりながらも、どこか落ち着くに造りに安心したのか、どっと疲れが湧いてくる。
ふと、目についた扉を開けてみると、そこには大理石でつくられた立派なお風呂があった。
「わあ、お風呂だ!」
牢屋にいたときも何度かお風呂に入ったが、お湯がかなり汚くそれはもう萎えた。
それに比べて、目の前のお風呂は透き通るようなお湯が張ってあった。
エレナはつい条件反射で、ボロボロの麻服を脱ぎ捨て、そっとお湯に浸かる。擦り傷などで少しピリピリしたが、とても気持ち良い。
「うーん、気持ち良い。幸せー。それにしてもこんな森の中にこれほどの家を建てるなんて相当な変わり者よね」
エレナはこのときいくつか大別なことを忘れていた。お湯が張ってあるということは、つまりそのお湯に入る人がいるわけで、これだけの家に住んでいるということはそれに見合った人が住んでいるということを……。