9 謝られた気がしない謝られ方 <ギフト:あっきコタロウさんから>
<9話 あらすじ>
保健室で見た深町の右肘の痣は、一晩経ってさらに腫れ上がっていた。
心配するも、「自分は痛みに鈍いから大丈夫なのだ」と返ってくる。
その上、「こんな鈍い自分だから怪我をさせて悪かったが気づくことはできそうにない、二度としないとは言えない」と宣言されてしまう。
彼女は決して注意する気がないわけではない。謝ったのに繰り返してしまうことを強く気にしていたのだ。
「さすがにこれで気付けないのはダメだって、親にも怒られた」
不満そうに頬を膨らませているが、まあ親が怒る気持ちもわかるっていうか、そんなに腫れたら心配するだろう。俺なんか病院へ行く車内で、母親にどれほど追及されたことか。先生に一人で怪我をしたと言ってしまった手前、うまく事情を説明できなかったせいもあるが、トラブルを隠しているんではないかと邪推されてウザいくらいだった。
「親は何があったか心配してるんだろ。こんなの普通は痛くてスルーできないから」
「だから。あの時はネコのことで頭がいっぱいだったんだ」
深町は唇を尖らせる。何度も言ってるじゃないかといわんばかりだ。そういえば深町は今朝も教室の扉にぶつかってふらふらしていた。平然と席まで歩いていたが、大丈夫だろうか。新たな痣ができていないといいが。
「病院には行かなかったのか」
「思いつきもしなかったな。ネコの方がよっぽど心配だ。私の腕は普通に動くし」
深町は元気を証明するように腕を伸ばして、ブンブン振り回した。
「おい、またぶつけるぞ」
ここはそれなりに人通りのある商店街だということを、いい加減学んでほしい。俺の言葉で初めてその可能性に気がついたのか、深町はああ、と素直に腕を振るのをやめた。自転車を押して深町の後ろを通ろうとしていたおじいさんがじっと睨むので、また頭を下げる。これで三度目。
「深町は、もう少し自分を大事にした方がいいぞ。腕だって痛いだろ」
「いや、別に。昔から私は鈍いからな」
「そういうことじゃなくてだな」
深町があんまり平気で自分を蔑ろにするもんだからムカムカしてきた。
「感じてなくても腕はだいぶ傷んでるから。湿布くらいしてやれよ。一生使う自分の身体だぞ」
深町が感じてなくても腕は痛いだなんて、自分と腕は別物か。我ながらよくわからないことを言ってるなあと恥ずかしくなってきた。少しの間真剣な顔をして考え込んでいた深町は、小さく頷いて同意した。
「それは、そうか」
こんなので伝わったのか? 深町は急に静かになって腕の痣に掌を当てて目を閉じる。まるで内側から自分の腕に「痛いですか?」と尋ねているみたいだ。しばらくすると深町はパッと目を開いた。
「確かに傷んでいるかも。湿布をもらおう。こういうことは昔もあった。小学生の時に膝を七針縫ったんだ。指摘されたから処置できたが、遅れると大変なことになっていたはずだ。私は夢中になるとまるでダメだ。ほらここ」
深町は、スカートをたくし上げて膝を伸ばし俺に見せようとする。
「いいよ。わざわざ見せなくて。……わかったから膝おろせって」
よく見えるよう足を上げてきたので、慌てて止める。こっちが恥ずかしい。ちらっと見えた膝の下には凸凹と縫った跡があった。
「この時は靴下が真っ赤になった。見たら膝に穴が空いていたんだ。でも言われるまで全然痛くなかった。見たら血の気が引いたけど。なるほど。ちゃんと気を向けてあげなきゃいけない」
痛みを感じるために? 自分の身体のことなのに他人事のようだ。そこまで気がつかないなんて信じがたい。大げさに言っているのだと思いたいが……指摘されても両手をヒラヒラさせて、どちらの腕に怪我があるのかもわからないでいた様子が思い出される。
深町は俺の顔を見て頭を下げた。
「理解が深まった。ありがとう」
「はぁ」
礼儀知らずではないのだ。納得すれば、謝ることもあっさり感謝の言葉を口にすることもできる。むしろこっちがとまどってしまうくらいに素直に。
「でも、ぶつかったことに気がつくことはこれからも、たぶんできないと思う」
「え?」
「約束できる自信がない。本当にぶつかったかどうかがわからないんだ。自分でも自分が迷惑だなって思うけど、気をつけるとかもうやらないとか言ったら嘘になってしまう」
自分が迷惑だと思う。何度も人に嫌な思いをさせてしまう自分自身にうんざりしているのだと察せられる言葉だ。
友達と喧嘩をしたり怪我をさせたりした時、俺も、祐樹も、親から「もう二度としないためにどうすればいいか反省し、許してもらえるまで誠意を持って謝りなさい」と教えられてきた。反省とは自分のしたことを悔いること以上に起こした出来事について検討し、行動を変えることが大事になる。そうでなければ信頼を失ってしまうからだ。迷惑かけて平気なんだと思われたら人は離れていく。それを防ぐために、実際思うように変えられるかどうかは別として、まず変えようとする姿勢を見せるために謝るんだ。
深町は違うのか。これまで大人から繰り返さないためにはどうすればいいか考えなさいと口すっぱく言われてきたんじゃないのか。それでどうしてそんな結論になってしまうんだろう。
「結果より、注意しようとしてるかどうかを人は見たいんじゃないの」
深町は大きく首を振った。
「それじゃダメだ。約束をしたのに嘘だったら、みんなもっと私を嫌いになる。うんざりされる。だからできないことは最初から約束しない方がいいんだ」
教室で深町の陰口を言っていたクラスメイトのことを思い出す。そうか。深町はこれまで約束したのに守ることができず、失望される経験を積んできたんだ。守りたいという気持ちだけじゃどうにもならない経験を。
さっき深町は、外の刺激を断つように目を閉じ、全集中して自分の怪我を感じようとしていた。ペットカートを押す人も、歩道を行く人々のことも、俺には無視しようとしてもできないものだが、深町には全く見えていなかった。俺には努力にも当たらないことが、彼女には全集中しないとわからなくて失敗してしまう。気をつけようとして常に周囲に全集中していては自分が蔑ろになる。というかそもそもそんなの不可能だろう。
でもそうでもしなければ、深町には約束が守れない。だから深町は「怪我をさせて悪かったが気づくことはできそうにない、二度としないとは言えない」と自分にも約束できることを正直に俺に伝えているのか。嫌われたくないから。
「そうかもしれないけど、それじゃ開き直ってると誤解される」
少なくとも百瀬は理解しないだろう。「今後も注意する気がないってことじゃん」って呆れ返る姿まではっきり浮かぶ。嫌われたくないと思ってしたことでも、結局嫌われてしまう。
深町は鉄仮面のような硬い顔をして頭を下げた。
「それでも約束したのに裏切られるよりマシだろう。がっかりされるのも辛い。だから私は嘘になる約束はしたくない。ごめんなさい」
私が悪かった。けれど気づくことができなくて、繰り返してしまうかもしれません。俺はこれまでこんな風に謝られたことはなかった。理解の覚束ない幼児でもなんでもない、どう見たって普通の、同級生の女の子に。
なんだかひどくモヤモヤした。嫌われたくないし失望されたくないのに、結局は嫌われる選択しか取れない深町の不器用さに。そして俺がここに来て既に三度も頭を下げて、内心うんざりしつつあったことにも。
「わかった。いいよ、もう」
深町から目をそらす。これ以上なんと言って返せばいいかわからなかったんだ。