49 南朋のエッチ <ギフト:toriさんから>
<49話あらすじ>
家族に反対され自転車に乗るのを諦めようとした深町だったが、乗れるようになりたい気持ちに正直に練習を続けることに。
サドルの高さを調整しガレージに戻ってきた南朋が見たのは、学校から持ち帰った体操服に着替えている深町の姿だった。
無防備な態度に危機感を覚えた、南朋は……。
どうして、こんなことになってしまったんだろう。
浴槽の中で膝を抱え、肺の奥の空気を一気に吐き出す。
混乱で頭がぐちゃぐちゃになっているのをおくびにも出さず、いつも以上に明るく母や祐樹と軽口を交わしていた自分に信じられない思いがする。
深町が指摘した通り、俺は大嘘つきに違いない。
人を殺しても笑って飯をかきこめるタイプの人間なんじゃないか、本当は。
頭の中を太字のマジックで塗りつぶしたいような想いに駆られ、だるま浮きをするように頭まで湯に浸かってあぶくを吐いた。
閉じた瞼に浮かんできたのは、「しまった。ジャージの上を更衣室に忘れてきた」と叫ぶ深町の焦った顔だ。
ずりおちた白い肌着から覗く小さな肩と、そこに張り付くブラジャーの淡いブルーのストラップも同時に浮かぶ。
サドルを下げてガレージへ戻ると、深町はネコのケージの前で学校から持ち帰ってきた体操服に着替えているところだった。
深町の叫び声を聞くまで、俺は彼女がそこにいることにも気づいていなかった。
明るい場所から戻ったばかりで目が慣れなかったせいだ。
自室で着替えて出てくるものだと思ってたのに、なんでここに下着姿でいるのか。
動揺した俺は「なんでそんなとこで着替えてんだよ」と深町を怒鳴りつけ、それから……。
ブハッと水面から顔を出し、濡れた額を手で覆う。
体の垢を落とすように、記憶も水で洗い流せればいいのに。
みんな風呂の水に溶けて、排水溝へ吸い込まれていけばいいのに。
どんなに振り払おうとしても、五感に深く染み込んで剥がれない。
俺は再び水面に顔をつける。
*
ガレージで俺に怒鳴りつけられて憤慨した深町は、肌着姿を恥じることもなく腰に手を当て胸を張った。
「だって持ち帰った体操着があったんだ。裸になるわけじゃないんだから、いいじゃないか」
そのまま腰に当てた手でホックを外し、躊躇なくスカートをガレージの床に落とす。
下にはちゃんとジャージを履いていたけれど、あまりの無警戒にこっちがヒヤッとする。
「バカ、お前は女子なんだから、もっと気を遣えよ」
「えーっ。男子なんか土曜日、体育館でシャツまで脱いでたのに、どうして女子だけ? 自分ん家でまで気を張ってたら、生きていけない」
心底うんざりしたように肩を落とすと、ブラジャーのストラップがはらりと二の腕まで垂れ下がる。
それを摘んで元の位置に戻す深町に、羞恥の表情はまるでない。
こっちはこんなにもいたたまれない気持ちになっているというのに。
「どうしてもこうしてもないだろ。男子とは違うんだから。ちょっとは自分の身を守ることを考えないと」
「身を守る?」
深町は、はてと首を傾げる。
「ああっ、もう……なんでわかんないんだよ。お前が良くてもまわりは全然良くないの」
ピンときていない様子に苛立ち、頭をグシャグシャかきむしる。
深町は、保健室でもパンツが見えるのも構わず足を広げてしゃがむのを先生に注意されていた。
親や、先生や友達だってきっと同じような指摘をしてきたはずだ。
周囲の目に意識が向かなくて、本人が恥ずかしいと思わないからか、耳に入ってもいないようだったけれど。
深町は、何にもわかってない。
噂であんなに色々言われもしたのに、結局なにがどうしてそうなったのか意味が全然わかってない。
危機感がないんだ。
「お前の今の姿が俺に、男にどう映るか、意識しろってこと! つまり……」
深町の両腕を掴み、身体を壁へ押し付けた。
体育館裏でのように優しくしたんじゃ意味がない。
靴が当たったのかガシャンとネコのケージが音を立て、深町の口から小さくうっと呻き声が漏れる。
「び、びっくりしたあ。何? どうしたの」
未だ微笑みを浮かべている深町の顔を正面からまっすぐ見据える。
いつまでも安心しきった顔をして、本当に俺をなんだと思っているんだろう。
そのまま肩を押して、最初に来た日あの本が伏せてあった台の上に深町をゆっくりと押し倒す。
「わ。わ」
何かに引っ掛かってしまったらしく、引っ張られた肌着が肩から落ちてビッと音を立て小さく破れる。
肌着と一緒にずり落ちたブラジャーのストラップを掴んで見せると、呼吸に合わせて上下する胸元に目が釘付けになった。
「……お、怒ってる? 怖い顔」
震える声にハッと目が醒める。
怖がってるんだ。
こんなの、どう考えてもダメだろ。やりすぎだ。
「……だから、こういうことにならないように男から身を守るんだよ。バカ」
ストラップを肩に戻してやり、乱れた髪を台に広げて横たわる深町から目をそらした。
頬に深町の視線が刺さる。
詭弁だ。何の言い訳にもならない。
胸の前でかき合わせるように肌着をギュッと握り締めて身を起こす深町の痛々しい姿が、目の端に映る。
「なんで……え、ねぇ。なんで?」
深町は同じ言葉を繰り返した。
この場合のなんで? はやっぱり、どうしてこんなことをするの? だろうな。
俺は瞼を閉じて、ゆっくり息を吐いた。
「深町が思っている以上に、周りはお前のことを見てる。男は女の子が無防備な格好をしていたらこういうことを、したくなるんだよ」
「南朋でも?」
「……そうだよ」
深町はそれきり俯いて、黙り込んでしまった。
取り返しがつかないことをした。
きっと深町は俺を軽蔑するし、もう今までみたいに普通ではいてくれない。
嫌われたって、いや、訴えられ二度と会えなくなっても仕方がないくらいだ。
「…………怖がらせて、ごめん。俺は、誰かが深町にそういうことをするのを考えたくないんだ。だから……」
だから?
違う。深町のためなんかじゃない。
俺が、深町が無防備でいるのを許せないだけだ。
知らない誰かの前にそんな姿を晒してほしくない。
なのにこんな目に遭うのは女子に落ち度があったからだ。隙を見せるのが悪いと責めているも同然みたいな言い方で、責めて。
自分たちは上半身裸で歩き回ることもできるのに。
気を張っていないと誰かに力でねじ伏せられるかもしれないなんて、想像してみたこともないのに。
人の気も知らないでなどと苛立ち、わからせてやろうなんて。
何もわかってないのは俺の方だ。
百瀬の言うとおり、深町にとって一番危険なのは俺自身だったじゃないか。
俺と深町は全く対等じゃない。
「そうか。わかった」
深町は素直に受け止め、母屋へ入って行った。
*
最悪。
最も悪いと書いて最悪。
吐き出す息も真っ黒に感じるくらい重い気持ちで、ケージの前に腰を下ろした。
かつて、最悪、最悪と簡単に言うけど、最も悪いことが複数回あるわけがないだろう、とか屁理屈を言って人を励まそうとしたのは祐樹だったっけ。
ソイツの理屈では、それほどのことがあったならあとは大体それよりマシかいいことしかない確率が高いから、むしろ安心できるんではないかということだ。
ケージを開けてネコを抱き上げ、そんなどうでもいいことを思い浮かべていた。
ニャオと首を傾げていたネコは金色の目で俺の顔を見上げ、おとなしく膝の上で丸くなる。
柔らかくて生温かい。
抱きしめて顔を埋めるとネコは俺の鼻の頭をぺろりと舐めた。
想像していたより舌はざらざらしている。
手に頭をこすりつけるようにして甘えてくるので、それに応え鼻の頭から耳の先まで親指でこするようにして撫でてやる。
ここでネコと過ごすのもきっとこれで最後だ。
「河川敷まで、自転車を押してくれ」
いつものよく通る声がして顔を上げると、真新しい青い長袖のシャツを着た深町が立っていた。
下は身体のラインを拾わないカーキ色のカーゴパンツを履いている。
髪も不器用なりにまとめたらしく、後ろでひとつにひっつめてあった。
「え……」
あっけにとられて反応できないでいると、深町は俺の膝からネコを取り上げ「お前はお留守番だよ」とケージに放り込んでしまう。
それから俺の手を取り、全体重をかけて思い切り引っ張り上げる。
深町は力加減を知らない。
「ちょ、ちょっと待って。なんで?」
困惑しながら立ち上がると、深町が胸に飛び込んできた。
抱きつくようにぎゅうっと背中に手を回す。
新しい衣服の洗剤の匂いが鼻を掠める。
「南朋のエッチ」
深町は耳元で囁いて俺の胸を押し、さっと離れた。
「は?」
「いいから。早く行こう」
深町はガレージを飛び出すと、自転車のサドルに手を置き、急かすようにポンポン叩く。
言われるがまま自転車を出すと、深町はいつものように俺の隣に並んだ。
いったい何を思っているんだろう。
隙のない服にちゃんと着替えて降りてきた。だからもうあんなことしたくなんかならないでしょって、そういうことなんだろうか。
ちゃんと理解した、もう配慮できたから問題ないだろうって。
それでいいのか? 俺のせいで、深町は怖い思いをしたんじゃないの。
あんなふうに平気で飛びついたりするし、結局、深町はわかっているようで何もわかっちゃいない気がする。
でも、俺はそれを聞いてしまうことが怖くて、どうしても尋ねることができなかった。
なんで? って一言でよかったのかもしれないのに。




