46 知らず、胸に仕舞い込まれたものは <絵:一階に住む女性>
<46話あらすじ>
体育の後、虎之助は土曜日にさとしを連れて学校を出た後のことを話し出す。
さとしの言動に今一つ信用ならないものを感じると言う虎之助に、南朋自身もさとしについてこれまで不思議に思ってきたことがあることに気づき……。
「土曜日、さとしの家に行ったって、トラが?」
「せや。今度遊ぼうて約束した河川敷のバスケットコート、どこにあるか知らんて言うとったやろ。そんな遠くもないし、帰りに案内しちゃったんよ。そん時にな」
体育のあと男子だけの教室で、虎之助がジャージの上を脱ぎながらとんでもないことを口にした。
俺があれだけ行方を探していたさとしの家に、初対面の虎之助が足を踏み入れたと言うのだ。
頭の中が混乱し、シャツのボタンを留める手が止まる。
「さとしん家、宮下中から結構近いで。南朋も昨日深町さんとバスケットコート見てきたんやろ? あっこから一番近い河川敷への上り口。そこにアイツのアパートがあんねや」
さとしには俺や百瀬が宮下中にいることくらいわかっていたはず。
それなのに歩いて行ける距離にいて、一度も俺たちに顔を見せようとは思わなかったのか。
こっちはこんなにも長い間、気にかけてきたのに。
胸の中に黒い気持ちが湧き上がる。
虎之助はジャージを丸めて袋の中に突っ込むと、パンツのままぼーっとしている俺の顔の前で手を振った。
「どないした。はよ着替えんと、女子が戻ってくるで」
「やめろって」
虎之助の手を振り払うと、シャツのボタンを止め、椅子にかけてあったスラックスのベルトを掴んだ。
思いがけず声が尖る。
「怒っとるん? 別に隠しとったわけやないで。きっかけがなかっただけで」
「それは違うだろ。昨日の放課後、河川敷の話が出たのに。なんでその時に言ってくれなかったんだよ」
なっ、と百瀬に同意を求めようとして、見学中に鼻血を出し保健室へ向かったことを思い出す。
試合中だった俺が気づいたのは体育が終わってからだったのだが、まだ保健室から戻ってきていない。
「ちゃうわ。そっちこそ話す間もなく急に帰ったやんか。覚えてないん?」
虎之助が口を尖らすのを見て、話の途中で唐突に自転車を漕ぎ出した百瀬を追いかけたことを思い出した。
その後、百瀬からさとしに関わりたくない、俺や虎之助にも関わってほしくないと言われてしまったことも。
「……ごめん。八つ当たりだ」
額に手を当て、息を吐く。
怒っているというより、そう、悲しかったんだ。
さとしに蔑ろにされたようで。
俺は百瀬みたいに関わりたくないとは思っていないから。
「……素直やないかい。しゃあないな、許しちゃるわ」
虎之助はえへんとばかりに胸を逸らす。
「それにしても、さとしって不思議ちゃんよな。『ウチの近くにこんなイイとこあったんだ〜』とかわざとらしく言いよったけど。バスケやっといてあんな立派なコートを知らんはずないやん。目と鼻の先にあるんやで」
「トラ、口真似うまいな」
さとしの全く悪びれずにしらばっくれる様子がまざまざと浮かび、思わず頬が緩んでしまう。
「ほんま笑い事やないで。知らん言うから案内したったのに、実は家の近くでした〜ってなんなん。もしかして、俺と遊びたないから咄嗟に知らんふりしたんか思て、ちょっと凹んだし。マジ、なんのために嘘ついたん。よーわからんわ、アイツ」
「確かに。さとしは秘密主義っていうか……たまに変な嘘をつくんだよな。それこそ害も意味もない」
土曜日もそうだった。
個人的に親しかったらしい深町のことを無視してみたり、本当か、嘘か、スマホがないと言ってみたり。
どれも付き合っていけばいずれはわかってしまうことなのに。
「でも、初対面で家に入れるなんて、相当トラのこと気に入ったんじゃない」
「いや。そこは、なりゆきっちゅーか、声かけられたんよ。一階の玄関前でタバコ吸いよったおねーさんに。男の友達連れてくんの珍しなって。たぶん例の噂の……」
虎之助が途中で声を落とし、「さとしが部屋で服を脱いどったっちゅう、同性カップルの」耳打ちする。
……その現場には深町も居合わせていたんだよな。
バスケ部員やトラブルメーカーたちから漏れ聞いた断片的な情報が、ぼんやりとした像を結ぶ。
「さとしはあの人と話させたくなかったから部屋に入れたんや。声かけられんかったら通り過ぎとったやろな。そん時まだ俺、噂のことなんも知らんかったけど、今になって思たら、聞かれたないことがぎょうさんあったんやわ」
「なるほど」
俺のマンションではすれ違いざまに挨拶をする程度の付き合いしかないけれど、さとしのアパートの住人はなかなか詮索好きらしい。
家の前で声をかけられ、咄嗟に部屋へ逃げ込んだわけか。
「ほんで今日、あの噂聞いて繋がったんや。土曜日に深町さんがまた一緒にネコを世話しよ言うてさとしを誘いよったやろ。あれ、さとしんちのネコなんやな。下の階のねーさんが、最近、鈴の音もせんけどネコは元気かって聞きよった。アイツは首傾げとったけど」
笑顔を浮かべ無言で階段を上がっていくさとしの姿が目に浮かぶ。
日々深町がネコ見たさにさとしの部屋へ上がり込んでいたと考えれば、男の子を連れてくるのは珍しいと言う女性の話とも一致する。
むしろ女の子はよく尋ねてきてたってことだろうから。
そして、きっと成美さんはさとしといるんだ。
これなら深町が成美さんの名前を知っていた理由もわかる。
「部屋にネコはいなかったのか」
「おらんかったな。玄関のカラーボックスには餌や皿が置いてあったけど、どこにも」
さとしが自分には動物を世話する資格がないなんてこぼしたのは、祐樹や百瀬と世話してた死んだ仔ネコのことだけじゃない、飼っていたネコにも何かがあったからなのだろうか。
虎之助があっと呟き、ひらめきを口にする。
「今思たんやけど、もしかして深町さん家で南朋たちが世話しよるネコの飼い主、さとしってことはないん」
「いや、さすがにだったら深町が気づくだろ。一緒に世話してたネコなんだから」
「ああ、そっか。そやな」
ネコか。
そもそもさとしと深町が世話していたネコについて、深く考えてみたことがなかったのに気がつく。
「一緒に住んでいるおじいさんのネコなのかな。直前になんかあったのだとしたら、深町に誘われた時の反応もわかる気がするけど」
「なんや、大きい声でキレとったもんな」
突然、頭にプールのイメージが浮かんだ。
水泳の授業を見学していたさとしが、プールサイドで順番を待っている俺に向かって手を振っている顔が。
「あ」
「お? どしたん」
虎之助が目を丸くしてこちらを見る。
さとしがあの穏やかな姿へ至る前にあったことを、どうして忘れていたのだろう。
参加を強制されそうになったさとしが崩れ落ちた時のことを。
何度も首を振りながら泣き崩れ、先生に両手を掴まれても首を引っ込めた亀みたいに伏して、動かなくなってしまった時のことを。
「そうだ。何かあったんだよ。ネコに」
それはたった一度きりのことだ。
あの時のさとしは、誰の声も届かなくなってしまったようで、さっき体育館裏で暴れていた深町とどこか似ていた。
彼一人を教室に残し、俺たちがプールから戻ってきた時にはもういつものさとしだった。
以後、さとしは毎回当然のように見学し、先生は口を挟まなくなった。
父親を海で亡くしても全然いつも通りに振る舞えていたのは、単に仕舞い込んで見ないようにしていたからだ。
見ないように。触れないように。
それがさとしの防衛策なんだ。
さとしにとって深町も、河川敷のバスケのコートもプールと同じなのかもしれない。
触れられない何かと一緒に仕舞い込まれている。




