41 どういう顔なんだ。これは。
<41話あらすじ>
百瀬が相談した結果、動物専門学校に通っている百瀬家の長姉・譲がネコの一時預かりを引き受け、伝手をあたって飼い主が見つからなかった場合の預かり手を探しにも協力すると言ってくれた。
ネコの件と合わせて土曜日に川で助けてくれた礼を述べる深町に、百瀬は彼女の人間性を否定する強烈な言葉を投げつける。
百瀬の言動に南朋も周囲も感情をかき乱されて……。
朝、マンションの自転車置き場から自転車を引き出すと、微かな振動と何かが擦れるような音がした。
昨日乗っていた時は気が付かなかったけど、泥除けかどこかが歪んでしまったらしい。乗るのに問題はない。
朝は急ぐ。 ひとまず原因究明は先送りにして道へ出ると、電信柱の下で百瀬が俯いているのが目に入った。
跨っている譲さんのお下がりらしい籐籠付きの自転車は、量産型の俺の自転車と違って頑丈そうだ。
おはようと声をかけると百瀬は顔をあげ、どこか物言いたげにこちらを見た。
かと思えば昨日の別れ際に泣いたことが気まずいのか、急に落ち着きなく瞬きをしてそっぽを向いてしまう。
「ネコの件。元の飼い主探しを続けることを条件に、うちで一時引き取りできるって譲姉が。新しい預かり手も伝手をあたってくれるから。深町さんに伝えておいて」
百瀬は髪で顔を隠し、俯いたまま一気に話した。
「人づてにせず直に話せばいいんじゃないか」
目を合わせるべく正面から覗き込むと、百瀬は拗ねたように口を窄め黙り込む。
「深町の方も改めて、土曜日助けてもらったお礼を言いたかったみたいだよ」
話しやすいよう橋渡ししてやったつもりだったのだが、百瀬の目が三角に吊り上がった。
「深町さんのこと、どこまで面倒見てやるつもりなの。怪我をさせられたのは南朋なのに、それをきっかけに接近して、世話とか色々押し付けて。あんなずうずうしい人に関わっても碌なことがないよ。なんか知らないけど自転車が急にボロボロになったの、それだってどうせ深町さんだろ」
タイミング悪く自転車がギイッと渋い音を立てる。
原因は前輪にあるらしい。
自転車の件に深町が絡んでいるという百瀬の勘は当たっている。
よそからだとどう見ても深町は面倒で、ずうずうしくて、俺は碌な目にあってない。
まったくその通りだ。彼女の振る舞いを思い返し、苦笑いを浮かべる。
「怪我はまあ痛手だったけど、深町のネコを助けたい気持ちには共感できたんだ。百瀬だって六年の時、仔ネコをほっとけないと思ったからさとしの家に行ってたんだろ。さとしのことは好きじゃなかったのかもしれないけど。それと同じじゃないの」
「……名前を聞くのも嫌だって言ったのに」
百瀬はさも嫌そうにため息を吐くと地面を蹴り、俺を避けるようにして自転車を出した。
俺もそのすぐ後を追う。
「でも、ネコのためなのはもちろんだけど、それだけじゃない。ネコのことをきっかけに勇気を出して行動していく深町のことが、俺は……」
そろりとスピードを上げかけていた百瀬がブレーキを踏んだ。
俺も慌てて足をつく。
百瀬は俺のいる場所までわざわざ後退りし、問いかけた。
「俺は、何?」
「何って」
「深町さんのことが、俺は、の続き。どうなの」
あれ。さっき俺は何を言おうとしていたんだ。
深町のことが、俺は——。
百瀬の全てを見透かそうとするような大きな目に射抜かれて、頬がわっと熱くなる。
「いや、深町のそういうのに賛同できたから、応援したいって思って。ほら、高橋も最初は毛嫌いしてたみたいだけど、きっと似たような気持ちになったから態度を変えたんだろうし、小田や吉永もさ。だから百瀬にも伝わればきっと……」
ハンドルを離した百瀬の左手が伸びてきて、早口で捲し立てる俺の頬を包み込んだ。
「南朋のは小田さんたちとは違うだろ。今、自分がどんな顔をしてるか、鏡で見られればいいのにね」
冷たい指先が顎の下をなぞって離れる。
百瀬はどこか憐れむような笑顔を作って視線を逸らし、ハンドルを握り直すと再び自転車を漕ぎ出した。
なんだ、今のは。
後ろから背中を追いながら言葉の意味を反芻し、百瀬は誤解してる、と思う。
そうだ、誤解だ。
たまたま深町が女の子だったってだけで、それで誤解されたと気づいたから急に恥ずかしくなっただけで。
百瀬が思ってるようなことなど考えてみたこともないのに。違うのに。
自転車を漕いでいるせいもあって熱がおさまる気配はなく、何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうことに途方にくれる。
信号待ちでブレーキをかけると、またひどい音がした。
隣に並んだ百瀬が話しかけてくる。
「さっき話したネコの件は、自分で深町さんに話すよ」
「そう」
さっきの人を暴き、試そうとするかのような態度は鳴りをひそめている。
こちらも一言そっけなく返し、あとは黙っていた。
俺、今どんな顔をしているんだろう。
熱は落ち着いてきただろうか。
あとからいくつも通学の自転車が止まり、信号が青になる。
それから、俺も、百瀬も、学校に着くまで静かに自転車を漕ぎ続けた。
*
チャイムが鳴り、二十分休みが始まる。
「悪いが、消しといてくれ」
集めたプリントを渡したついでに、先生からホワイトボードを消すように頼まれてしまった。
英語の先生はいつもそうだ。いい返事をしながらも、最後尾は損だよなと心の中で口を尖らせる。
消えにくい文字を擦っているとちょうど教卓前の深町の席へ百瀬が訪ねてきた。
「ネコの件で話があるんだけど。いい?」
話す内容はもう聞かされてわかっているのに、気になってつい聞き耳を立ててしまう。
深町の後ろの席の高橋と、そこに寄ってきていた小田もどうしたことかと言わんばかりに目を丸くしている。
「ちょっと、七緒。ももちゃ……百瀬に話しかけられてるよ」
「わ、私?」
高橋にせっつかれ、深町は目の前に立つ百瀬の顔を見上げた。
百瀬は片手を腰に当て深町の机に手をつくと、ふうっと大きく息を吐く。
「他に誰がいるの」
深町が頼るように後ろの二人を見ると、百瀬は苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。
「ネコを預かれる人を探しているのはあんただろ」
深町が頷くと、百瀬は今朝俺に話した内容をまるで原稿を読んでいるかのようにすらすら説明した。
「南朋が部活に復帰するまでに、環境を整えて迎えに行くから」
「そうか。助かる」
百瀬が話し終えると、神妙に話を聞いていた深町は言葉少なに感謝を伝える。
高橋が後ろから深町の肩を叩く。
「七緒、ほら、土曜のこと」
後ろを振り返る深町に、小田もウンウン頷いて目で訴えかけている。
仄めかしても何のことかあの深町には通じないのではないかと心配したが、昨日高橋からしつこく言われていたせいかピンとはきたようだ。
「ああ、あれだ。百瀬、土曜日は川で困っていたところを、助けてくれてありがとう」
深々と頭を下げる。
「あれだって、もう。それだけじゃないでしょ」
もどかしげに高橋が言葉で誘導する。
「えっと、ジャージも貸してくれて? あと靴もドロドロにしたな。あれはどうなった」
「どうって、別に洗ったし。あのジャージは俺も借り物で……ってそんなのいいよ。深町さんだって言われるまで気にしてなかったろ。俺は単に人として見過ごせなかっただけ。たとえ相手が自分のしたことを棚に上げる人間だとしてもね」
百瀬の言葉にひゅっと胸が詰まった。
深町に対する非難。それもかなり辛辣だ。
俺からは百瀬の顔が見えないが、見る人を凍らせるような冷たい目をしているだろうことは想像がつく。
深町は何を言われているのかわかっていないかのように、口をぽかんと開けていた。
百瀬はさらに追い打ちをかける。
「あんたの礼なんかいらない。吉永さんの靴を壊して怒らせた件も、南朋に怪我を負わせた件も、わからなかった。気づかなかった。だから私には責任はありませんって言うんだろ。そんな人、俺は信用してないし」
「ちょ、ちょっと百瀬くん」
あまりの言いように口を挟もうとする小田を無視して、百瀬は言葉を重ねた。
「ネコのことはちゃんとするから安心して。いつまでも今の時期にガレージなんて、最悪な環境で飼われてるネコを見過ごすわけにはいかないもんね」
今の環境が良くないのは事実だ。
でも他にどうしようもないから深町は……なのに。
「そうだな。ありがとう」
深町は嫌味たっぷりの言葉に言い訳ひとつせず、礼を言った。
「そうだなって……認めるんだ」
百瀬はハハッと乾いた笑いをこぼした。
確かに百瀬の言う通り、深町は言われるまで川に入った百瀬の負担に思い至らなかったし、ネコの環境には問題を感じていたのだろう。
けれど俺や吉永に対してはどうだ。
深町は俺の怪我を知ってからは気にかけていたと思うし、吉永の靴を捨てておくと言ったのはむしろ申し訳なく思っていたからこそではなかったか。
決して責任を感じていなかったわけじゃない。
割り込まないつもりだったのに、声が飛び出す。
「違う。深町は……」
「なんでも自分の尺度で決めつけてんじゃないわよ。七緒はねえ、常識が違うの。責任逃れする信用ならないやつっていうのは見当違い。発想が不思議なだけなんだって。あたしたちにとって非常識なだけなんだよ」
俺の声に被せ、大きな声で反論したのは高橋だった。
小田が慌ててフォローに入る。
「かなえちゃん、それじゃ悪口だよ」
「違う、違う。あたしだって七緒の発想にはびっくりしたけど、よく聞けば、まぁ変なやり方でも、七緒なりにどうにかしようとしてたんだってことはわかったし、信じられたって言ってんの」
元々深町を最も毛嫌いしていたのは高橋だった。
深町の態度を誤解し、よからぬ噂を信じて関わろうともしなかった。
随分な変わりようだ。
深町はなるほどと頷いた。
「私にとってもかなえの行動は謎だらけだ。でもたぶん百瀬も同じなんだな。かなえが杏を守りたかったのと同じ。百瀬は南朋のことを……」
「わかったようなこと言うなよ! よかったね、深町さん。信じて守ってくれる友達ができて。でも俺は信じない。あんたがなんとかしようとしてきたとも思わない。南朋の自転車が昨日から変な音させてる原因も、どうせ深町さんだろ」
突然、百瀬が感情を爆発させた。
百瀬の発言に女子三人の視線がホワイトボードの前の俺に集まる。
「自転車?」
目をぱちくりさせて深町が問いかける。
俺の自転車がどうなのかなんて深町は何も知らない。
昨日、虎之助に泥がついてると指摘されるまで、俺だって気付いてなかったんだ。
百瀬が困惑する深町に苛立ちをぶつけた。
「またか。気付かないから配慮されて当然なわけ? 重荷でも言えない人だっているのに、我慢させっぱなしで平気なんだ」
「そんな、俺は全然……」
顔の前で手を振ると、深町の顔が歪んだ。
「ごめんなさい」
「いや、俺も気付いてなかったんだし。ほんとに、我慢とかじゃなくて」
俺が首を振ると高橋が追求の手を伸ばす。
「七緒。昨日、大葉と何してたの」
深町はなぜか頬を染め、目を潤ませて黙り込んだ。
どういう顔なんだ。これは。
後悔? 罪悪感? 恥?
百瀬が振り返り、ちらっと俺の顔を伺い見る。
必死で深町の表情の意味を読み解こうとしていた俺の姿を。
「まあいいや。ネコの件は伝えたから」
百瀬はため息をついてその場を離れようとした。
唇を噛んで俯いていた深町が早口で訴える。
「百瀬。私は自分が配慮されて当然だとは思っていない。教えてもらえたらわかるし、私の方もできるだけ……」
「いいよ。別に、わかんなくて。面倒だし。説明するのも、聞くのも」
強引に深町の話を打ち切り、百瀬は教室を出て行った。
高橋が百瀬の背中を目で追う。
「真に受けないほうがいいよ。ももちゃんはいつも機嫌悪いとひどいから。アイツこそ気付いたほうがいいわ。あんたもあたしたちに配慮されてるってことに」




