39 曖昧にしか見えない
<39話あらすじ>
南朋に自転車を借りて綾川河川敷で自転車の練習をする深町。
まっすぐ押して歩くことも難しい状態で、乗るには至らなかったが小さな進歩に満足する。
深町の家からの帰り道、正門前で百瀬らと合流した南朋は、ひょんなことから百瀬のさとしに対する感情の強さを再認識する。
ネコの世話を終えた後、俺は自転車のサドルを下げて綾川の河川敷まで深町と歩いて戻ることにした。
深町は道端で摘んだシロツメクサを指揮者のように振りながら、迷いのない足取りで俺の前を案内して歩く。
「河川敷に一本木って呼ばれてる大きな楠があるだろう。そこで昔、自転車の練習をしていたんだ。詩音はすぐに乗れるようになったんだが、私はてんでダメだった」
「詩音って?」
深町はまるで共通の友人であるかのように話すが、初めて聞く名前だ。
もちろん一本木と呼ばれる木も俺は知らない。
「同い年のいとこだ。小学校まで一緒で、小さい頃はここでよく遊んだ」
「ああ、前に言ってたネコアレルギーの」
「そうだ」
堤防を上り切ると深町は懐かしそうに目を細め、広々とした河川敷を遠く見晴るかした。
並んで見ると、他と離れて一際大きな楠が生えているのが飛び込んできて、すぐにわかった。あれが一本木だ。
楠より上流側にはサッカーのゴールや野球の得点板のようなものが設置してある。
ここからは見えないが、虎之助の言っていたバスケットコートもどこかにあるのだろうか。
深町がこんなところで人と一緒に遊ぶ姿はうまく想像できなかった。
「自転車の他には、何して遊んでたの」
「虫取りだな。人が採取したものを私が図鑑で調べる」
「へえ。いとこは虫好きなんだ」
なるほど。深町が図鑑を手に虫の解説をする姿はすんなりイメージできる。
「詩音は私と違って捕まえるのが上手なんだ。でも、違う遊びの方がたぶんもっと好きだった。ケイドロとかドッジとか」
「活発な子なんだな。深町もやったのか」
集団遊びなんて、深町からあまりにも遠く思える。
「やるわけがないだろう。人を押したり引っ張ったり危険極まる。ドッジなんて人めがけてボールをぶつけるんだぞ」
あはは、と声を出して笑うと深町は顔を顰めた。
「詩音は走るのも早いし、すごい勢いでボールを投げる。でも人に怪我をさせたりはしない」
深町はシロツメクサのタクトを下ろし、俺の押している自転車に目を落とした。
「自転車がなくても不便というほどではないが、みんなと同じことができないのはちょっとだけ面倒だ」
深町はノーコンだし、走る姿も危なっかしく、鈍臭くて自転車も乗れない。
力加減が下手で、知らぬうちに痣をつくり、悪気なく人に怪我を負わせたりもする。
活発ないとこと遊んでいたのは、ごく小さい頃のことだったのだろうと推測できた。
自転車で遊びに出るようになると、みんなやりたいことに合わせてころころ場所を移動する。
俺だってそうだった。
深町であっても一人取り残されるのは、きっと寂しかったんじゃないか。
「練習始めるか。日が落ちる前には出ないとだし、時間がないぞ」
俺は自転車を押して坂を駆け降りた。
*
練習は想像以上に難航した。
乗るとか漕ぐとか以前に、深町は自転車を真っ直ぐ押して歩くこと自体が困難だったのだ。
走る時すら首を振り、前を見ていなかったのを思えば予想のつくことではあった。
その上、深町は人を自転車の近くに寄せつけない。
危ないだの気が散るだのと怒り、数メートル離れるまで頑として動かないのだ。
結局、一人で自転車を支えきれず何度も倒れ込むことになるのだが、それを経ても気は変わらなかった。
念の為汚れてもいい服に着替えてもらっておいて、本当によかった。
玄関から小学校の体操着を着て出てきた時はびっくりしたが、足も腕も覆われていて安全面でもベストだったといえる。
「一本木のところまで押して終わりにしよう。危なくなったら手を離せよ。自転車ごと倒れると怪我するから」
「わかったから、ゴールにいて」
深町はハエを払うように手を振って、先に一本木で待つよう促した。
なんとも失礼な態度だ。
「ハンドルじゃなくてこっちを見て歩けよ」
俺が親指を自分の顔に向けて指してみせると、深町は黙って頷いた。
楠まで走り振り返ると、言われた通り深町は睨むようにこちらを見て自転車を押してきた。
変に力が入ってはいるものの、最初に比べるとずっと車体が安定している。
頑張れ、頑張れ、と胸の内で応援する。
「一度も倒れずに来られたじゃないか」
ゴールした深町に声をかけると、深町は自転車を楠に立てかけ無表情で頷いた。
「おそらく進行方向を見ていたのがよかったんだな。コツが掴めた」
「そうか。よかった」
冷静に分析する深町を前にすると、俺が一人で興奮しているみたいで恥ずかしい。
まだ押しているだけで跨ってもいないのだが、それでもできなかったことができるようになったことには違いない。
深町は一本木からさらに向こうを見やった。
つられて視線を送ると、サッカーゴールの向こうの木陰で数名バスケらしい動きをしているのが目に映る。
一人がシュートを打つ。あのあたりにリングがあるようだ。
「明日も、自転車の練習がしたい」
「来週からは部活に復帰するから、それまでならいつでも」
「じゃあ、火、水、木、金、多くてあと四回か」
深町は顔の前で指を立ててカウントする。
「自転車を買って貰えば? 練習したいって話せば親は反対しないだろ」
こんなに適した場所が近くにあるんだ。自転車さえあればいつでも練習できる。
深町は俺の視線に気づくと手を下ろし、再びきつく眉を寄せた真剣な顔をした。
「そうか。そうだな、話してみよう」
日が長くなったせいか、時間の割にはまだ明るい。
今日はガレージから鞄を持って出たのでここで深町と別れることもできた。
でも河川敷なんて場所に、女の子を一人にするのはよくないかもしれない。
送って行くべきなんじゃないかという考えが浮かぶ。
ひとまず何も決めずに堤防まで戻り街を見渡す。
綾川駅方面には行きに目印としたビルのほかにもいくつもの大きな建物が並んでいるが、俺の家のある城東駅方面は目立つ建物が三階建てのショッピングモールくらいしかない。
深町の家の青い屋根はすぐそこだ。
母親はもう帰宅しているだろうか。
鉢合わせるのも気まずい。
結局、堤防を下りて自転車で来た時に通った道まで戻ると、そこで別れることにした。
「気をつけて帰れよ」
「南朋も。迷わないように」
手を振って別れてから、ふと結局名前呼びが定着してしまったなと思い返す。
できれば場に応じて使い分けしてくれると助かるのだが。
名前を覚えるだけでも大変な深町には難しそうだ。
*
学校の正門前まで戻ってくると、部活帰りの百瀬たちが出てくるところだった。
虎之助がこちらに向かって大きく手を振る。
「遅くまでネコの世話お疲れさん」
スルーするわけにもいかず、スピードを落として合流する。
「ああ、うん。自転車で行くのは初めてだったから時間かかっちゃって」
「ほんま、どこ通ってきたんや。ハンドルに泥がついとるで」
虎之助が指で乾いた土を剥がすと制服のズボンに塊が落ちてきた。
深町が土まみれになった分、自転車も汚れていることに初めて思い至る。
「転んだ? 前カゴが歪んでる」
百瀬の指摘で結構激しくひしゃげているのに気がついて、慌てて指で押し戻す。
「あ。いや、綾川の河川敷に自転車止めた時、倒しちゃって。トラの言ってた綾川のバスケットコートを見てきたんだよ。近くに大きな楠があるとこよな」
咄嗟に言い訳が口をついて出た。
「綾川の? なにそれ」
首を傾げる百瀬に、虎之助が代わりに説明する。
「あん時ももちゃんおらんかったんやっけ。今度さとしと清水中の連中も誘って、そこでバスケやろうって話しとってん。河川敷にコートは一箇所しかないと思うけど、でも一本木よりはだいぶこっち寄りやで?」
「そ、そうそう。一本木まで行ったら遠くに見えた、かな」
実際はっきり確認したわけではない。つい返答があやふやになってしまう。
百瀬が訝しげな顔をする。
「適当だなあ。一人で行ったの? 土地勘もないのに」
「いや、深町に案内してもらって。深町は自転車乗れないから歩きで、それで遠くから」
言い訳に言い訳を重ねてしどろもどろになってしまった。
自分でもなんでこんなに弁解しているのかわからない。
「ふーん。暇だね。俺そろそろ行くけど南朋、一緒に帰るだろ。じゃあトラ、また明日」
「え? あ、うん。ほな、また明日」
百瀬は急に話をバッサリ切って自転車を漕ぎ出した。
俺は戸惑う虎之助に手を振り百瀬の後を追った。
振り向いても学校が見えなくなるあたりまで来ると、百瀬は声が届く距離まで車体を寄せてきた。
「この際だからはっきり言っておくけど、俺は今後一切さとしとは関わりたくないし、南朋にも関わって欲しくない」
どう返していいかわからなくて黙っていると、百瀬は一人で捲し立てる。
「守姉の写真のことで考えないわけにはいかなくなってるけど、本当はアイツの名前を聞くのも嫌だ。今後、外で会う約束があるんだとしても、トラや南朋にも行かないで欲しいと思ってるよ。それだけはわかっておいて」
目の前の信号が赤になり、横断歩道の前でブレーキを踏んだ。
隣に並んで自転車を止めた百瀬の顔を覗き込む。
俺は百瀬が今、どんな顔をしているのか見たかった。
友達にまでさとしとは仲良くしてほしくないって干渉するその顔を。
自分か相手かどっちか選べなどと迫って派閥を作り、人を縛るようなことを言って、それで人を孤立させるのが平気なのかどうかを。
「さとしは、百瀬のことを気にしてたよ。すごく」
俺や柳川先輩たちじゃなく百瀬のことばかりを、犬みたいに一途に目で追っていた。
「……わかってるよ。そんなこと」
百瀬は俺から顔を背けて呟いた。
「だったら、どうして」
こんなふうに巻き込むのならせめて理由を説明してくれないと、と問い詰めかけて言葉が途切れた。
百瀬の耳が真っ赤で、泣いてるんだとわかったからだ。
「ごめん。先帰る」
百瀬は鼻声でそれだけ言うと、信号を無視して自転車を出した。
右折で交差点に入った車がクラクションを鳴らす。
いったいどういう意味の、なんの涙なんだ。
一人取り残された俺の頭の中には、さとしと百瀬が二人で世話をしていたらしい、見たこともない二匹の子猫の姿が浮かんでいた。
不安げにネコに触れるさとしと、横から口を出す百瀬の凸凹ながらも仲睦まじいイメージが。
見たわけじゃない。ただのイメージ。
でもあの頃、確かに百瀬はさとしと毎日二人で会い、協力してネコを世話することを承諾していた。当たり前のことのように。
仲が良かったんだ。普通に。
信号が変わって自転車を漕ぎ出す頃には、もう百瀬の姿は見えなくなっていた。




