37 名前を呼んで <ギフト:あっきこたろうさんから>
<37話 あらすじ>
ネコを預かるどころか世話に出ることも難しくなってしまった小田。
預かり手探しは振り出しに戻るが、小田、高橋と深町の仲は深まり遂に名前で呼び合うように。
一方、百瀬は守姉のトラブルのことで頭がいっぱいで、心ここに在らずな状態が続いていた。
放課後、南朋が深町に自転車でネコの世話に向かうと話したところ思わぬ反応が返ってきて……。
小田は申し訳なさそうに顔の前で手を合わせた。
「大葉くん。今日もネコの世話があるのに、話すのが遅くなってごめん」
「いや、それは別にいいけど。でも、急だな。もしかして家でなんかあった?」
もともと小田の家族はネコを飼うことに乗り気じゃなかった。
世話を反対されたのは習い事のためだけじゃないんじゃないだろうか。
ネコが飼えることを証明するために、小田は、勉強、世話、習い事、全て手を抜かないで頑張っているようだった。
きちんとしていないと許してもらえないかのような厳しい感じが小田の家にはあるように思うのだ。
そこに土曜のトラブルだ。
ネコの世話に出かけると言って出たはずが、ずぶ濡れの深町と、折れた靴を持ち上履きを履いた吉永を連れて帰る羽目になってしまった。
コーチは学校から連絡を入れることになるとも言っていたし、家族は何事かと心配しただろう。
「うん……」
小田が口を開きかけた時、深町が割って入ってきた。
「そうだ。小田さんの舞台って何の話だ」
流れを無視して、少し前の話に話題を戻す。
小田は笑顔を作って向き直り、俺との話を切り上げてしまった。
「前に言ってた習い事だよ。小さい時からおばあちゃんに日本舞踊を教わってて、土曜日にその発表会があるの。場所は綾市駅前コミュニティセンターの小ホール。深町さんちから近いし、よかったらかなえちゃんと一緒に……」
「え。この人も出るのか」
話を遮る深町に、高橋がはあっとため息をつくのが聞こえる。
「早とちりしないで最後まで聞きな。あたしは観客。っていうか、この人って言い方は失礼だから。いい加減名前覚えなよ」
高橋の文句に深町はムキになって反抗した。
「私だって、あんたって言われてる」
「そうだっけ。ならあたしも名前で呼ぶわ。こっちは高橋でも、かなえでも好きなように呼べば」
かなえちゃんというワードに反応したのだから名前を覚えてはいるはずだが、いざ呼ぶとなると抵抗があるのだろうか。
黙り込む深町に、小田が助け舟を出した。
「私はかなえちゃんって呼んでるよ。そうだ。深町さんのこと七緒ちゃんって呼んでもいい?」
「い、いいです。問題ないです」
突然、深町の返事が敬語になる。
「うーん。ナナちゃんの方が呼びやすいかも。ナナちゃんも私たちのことを名前で呼んでね」
小田が深町の名前を呼ぶと深町もそれに応える。
「お、小田さん」
「私の名前は由美子だよ」
「あ、そう。由美子とかなえ。はい」
かしこまる深町に、高橋がぷっと吹き出した。
「なんて顔してんの、あんた……じゃなかった、七緒」
笑い合う女子三人の姿に、小田との話はまた今度かなと判断しそっと離れる。
階段を駆け上がりながら、深町の家のガレージで見た『人と親しくなる方法 〜仲良くなりたいと思わせる人の12の特徴〜』というタイトルの本を思い出した。
付箋を貼っていた『名前で呼びかけると距離が縮まる!』という章には太字でこう書いてあったはずだ。
——名前で呼びかけることには、相手に大多数の誰かではなく「あなたに関心がありますよ・受け入れていますよ」とサインを出す効果があります。それだけで相手の心のハードルを下げることができるのです。——
深町の頭にも今、それが浮かんでいるだろうか。
*
俺の少し後に教室へ入ってきた虎之助は、鞄をロッカーに片付けると席に座る俺の背中を突き小声で尋ねた。
「なんや。深町さんと高橋さん、ほんまに仲直りしたん」
「たぶん」
首を傾げて曖昧な返事をすると、虎之助は感心した様にはーっと息をついた。
「高橋さん、深町さんのことあんなに嫌っとったのに、さっき階段の手前で楽しげに漫才しよったで。吉永さんから解決したとは聞いとったけど、なんや女子って謎やわぁ」
「何があったか知らんけどな。っていうか、なんでトラが吉永と話ししてんの」
土曜日、吉永たちは小田の家へ向かい、虎之助はさとしと連れ立って帰ったはずだが。
「なんでって、フツーにラインでやで。あれからどうなったか気になるやろ。高橋さんとは話せんかったし」
「聞いたの? わざわざ」
小学校が同じだった俺でも吉永杏の連絡先など聞いてない。
いつの間にそんなやりとりをしていたのだろう。
虎之助は俺が何に驚いているのかピンと来ていないようだ。
俺にとってはお前の方がよっぽど謎だよと心の中で呟く。
「あれから深町さん、小田さんちでバトってたらしーで。なんで関係ない高橋さんが入ってきたのかとかなんとか揉めて」
「よく収拾がついたな」
「深町さんは、高橋さんのことを許すって吉永さんに約束しとったしな。高橋さんも、ももちゃんの誤解が解けたってわかって安心したみたいやで。吉永さんが言うには」
深町の靴を川に投げていじめたと思われて、百瀬から責められたんだ。
高橋はまだ百瀬と直接話せてはいないが、誤解が解けたと知ってほっとしただろう。
「トラって、ほんとにコミュ強だよな」
人の懐に入るのが上手いだけじゃない。
相手を気にかけてくれているのが伝わる。
俺もよく周囲の気持ちを気にするが、それは単に臆病だからだ。
虎之助のような思いやりからではない。
「そうか? ま、転勤族の処世術や。それにしても、あとはももちゃんやなあ。今日もピリピリしとる。さとしから自分たちは仲良しやったって聞いたけど、実は転校直前に喧嘩してそのままなんやってな。ももちゃんの態度、あんなやし。向こうも気にしとった」
初対面のさとしからそんな話まで聞き出したのか。
虎之助が窓際から二列目の百瀬の席に視線を送る。
百瀬は教室の喧騒から背を向けるように、だらしなく頬杖をつき窓の外を見ていた。
さとしのこと、守さんのこと、深町のネコや高橋とのこと。
気がかりなことがいっぱいで、もうどこからどうしていいかわからなくなっているのではないだろうか。
「あ。おはよう、笹森くん」
小田は俺の斜め前の自席につくなり鞄から三つ折りにしたチラシを三枚出してきた。
「大葉くんにはさっきも話したんだけど、私、今度日本舞踊の公演に出るの。入場無料だから、よかったら百瀬くんも誘って見にきてくれると嬉しい。土曜一緒に来てた城東中の杏ちゃんたちも来るんだ」
小田は深町を誘う時に出した高橋ではなく、吉永の名前を出した。
「公演? へー。小田さんすごいな。よっしゃ誘ってみるわ」
てっきり「吉永さんも来るんや」とか何とか話を膨らますものと思っていたが、虎之助はそのことには触れなかった。
*
高橋から助けてもらった礼をと言われていた深町だが、結局放課後まで百瀬に接触することはできなかったようだ。
虎之助でさえ絡むのをためらうくらい不機嫌オーラを撒き散らしていたのだから、無理もない。
普段なら物おじせず声をかけていただろう高橋も、話すきっかけが掴めずやきもきしていた。
ましてやトラブルの後だ。
誤解が解けたとわかっているとはいえ声をかけるには普段以上の勇気が必要だろう。
誤解した側の百瀬から声をかけてくれるといいのだが、今の彼にそんな余裕はないようだった。
俺が小田の家でネコを預かる件が白紙になったことを伝えた時も、百瀬の反応は鈍かった。
口にはしないが、守さんの写真を使ったXアカウントのことで頭がいっぱいなのだろうと察する。
登校時、Xの件で祐樹がさとしと会って話す約束を取り付けたと話した時も、いつもの曲がり角を通り過ぎてしまったくらい動揺していたし。
何も知らない周囲は百瀬の不機嫌を土曜のトラブルと関連づけているみたいだが、守さんのことを公言するわけにはいかない。
百瀬の不機嫌を多めに見てもらうために俺は、まだ百瀬は体調が回復していないみたいだとフォローしてまわった。
頼まれてもいないのに。
俺は、そういうことばっかり得意だなと自分に半ば呆れながら。
部活に向かう虎之助たちと別れた後、マイペースに帰り支度をしている深町の席へ向かった。
教室は既にがらんとしている。小田もチャイムと共に稽古へ急いでいた。
「俺、今日から自転車なんだ」
残金のないSuicaは家に置いてきたし、現金の持ち合わせもないから電車には乗れない。
深町の家までは、線路沿いを走ればどうにかなると考えていた。
「そうか。なら、今日は一緒に歩いて帰ろう」
深町は鞄を締めて立ち上がった。
「歩いてって、深町の家まで三駅はあるぞ。いいよ。俺に気を使わなくても。道はわかると思うし」
綾川駅までは車窓から見て道が並行して走っていた記憶がある。
深町は何故か不満そうに口を尖らせた。
「気を使ってはいない。定期を忘れたんだ。むしろ、ちょうどよかった。案内してやる」
「いや、さすがに遠すぎるだろ。切符代持ってないの?」
「行きの切符を買うのに小遣いは使い切った。土曜日にみんなで遊んだからな」
俺の家から学校までが約二駅。自転車を使って学校まで二十分はかかっている。
深町の家までは単純に考えてその一・五倍。しかも徒歩なら自転車の三倍はかかるとして一時間半はかかる計算になる。
着く頃には日が暮れてしまうではないか。
「心配するな。何とかなる。とにかく急がないと」
深町は教室を飛び出し、まるで俺の方が待たせていたかのように早くと急かした。
「え、マジで歩くの? いやいやいや」
首を傾げているうちに姿を消した深町を追いかける。
靴箱へ向かったに違いない。
「南朋、早く!」
階段の下から深町が俺の名前を叫ぶ声が響いた。




