3 思いがけないことで大きな怪我をするハメになる <紹介:百瀬薫>
<3話 あらすじ>
テストのあまりの手応えの無さに凹んでいるクラスメイトの笹森虎之助を、百瀬と二人で宥めていると、突然扉を出ていった誰かにすごい勢いで押しのけられてしまう。
もつれた結果下敷きになった南朋は左手首を酷く痛めてしまう。
教室内の誰かが、「押したのは深町七緒に違いない」と言い出して……。
中間テストの終わりを告げるチャイムと共に、教室の緊張が緩む。昨日、特別時間をかけて取り組んだ英語は落ち込むほど手応えがなかった。ガックリと肩を落とし席を立つと、制服のシャツを後ろに引かれた。見ると、同じバスケ部の笹森虎之助がでかい図体を折り曲げて、お菓子コーナーで駄々をこねる幼児みたいにしがみついている。虎之助はぐずぐずと鼻をすすり泣き言をこぼした。
「南朋ぉ、聞いてや。もう俺、人生終わったわ……」
「はぁ、人生か。それまたおおごとだな」
適当に流すと急にスイッチが入ったように立ち上がり、大声で喚いた。
「お前、俺の答案見たら、おおごとやなんて笑ってられへんぞ。本気で、ほんっきで、ほぼ真っ白なんやからな!」
なぜか自信満々に胸を張る。虎之助は各地を転々としている転勤族の子で、中学入学のタイミングで関西から引っ越してきた。方言は西の方の言葉がちゃんぽんになっているのらしい。俊敏に動く質の良い筋肉に恵まれた身体に、ネコっぽい吊り目。笑うと八重歯で上唇が持ち上がる野生味あふれる顔立ちまで、いかにも名前どおりだが、その目も、口も今は不満げにとんがっている。
虎之助の口を、後ろから百瀬の手が塞いだ。上から顔を覗き込み、叱りつける。
「うるさいよ。なにを威張ってんだ。図書勉誘ったのに来なかったトラの自業自得だろ」
虎之助は俺からパッと手を離すと、説教する百瀬の手を上から押さえた。その口でなにやらモゴモゴ言ったかと思うと、百瀬がひっと跳ね上がる。
「うわ。きっしょ。なにすんだよっ」
慌てて手を引っこ抜いて、虎之介を詰る。
「んなことして、舐められても知らんでって言っただけやんか?」
「信じられん、こいつ」
百瀬は吐きそうな顔で虎之助の背中に手をなすりつけた。舐めたのか……。虎之助はニヤリと笑って立ち上がり、百瀬の肩を抱き寄せた。
「そんなに嫌がらんでもええやん。俺とももちゃんの仲やろ」
「だれが、ももちゃんだ。お前のことなんかもう二度と心配してやるもんか」
百瀬が肘を食らわせると、虎之助は大袈裟に身を引いた。
「おっと、イタイイタイ。もー。そんな怒らんでや」
虎之助は、小さな子供をあやすように百瀬の頭をポンポン撫でた。その人を下に見るような態度が火に油を注ぐのだとわかってるだろうに。百瀬は鼻に皺を寄せ、虎之助の手を振り払った。
「面白がってるのはトラだけだから。いい加減学習しろ」
全く百瀬の言う通りだ。
入学した頃、百瀬の身長は俺と同じく平均的だった。しかし一年が経ち周囲の体格が変化していく中で、彼ひとりが小学生の時と変わらず華奢なままでいる。恵まれた身体を持つ連中が集まるバスケ部で百瀬の存在は浮いていた。試合に使ってもらえることもほとんどなかった。
姉妹に囲まれて育ったからなのか百瀬の仕草や言い回しはどこか柔らかい。可愛らしい顔立ちや、薫という名前の影響もあってか、小さい頃はよく女の子とまちがわれていた。そのせいで「ももちゃん」とあだ名されてきた百瀬は、男らしくありたい気持ちが人一倍強いのだ。
興醒めしたのか、反省したのかわからないが、虎之助は絡むのをやめ、再び呪いの言葉を吐いた。
「もー英語なんかなかったらええのに。言語の壁なんて無駄なものがあるのはなんでなん? バベルの塔のせい? もう神話の時代からやり直させてやぁ」
俺だって心からそう思う。でもその方向でいくら考えても英語ができるようにはならないし、世界から英語がなくなることもない。ただの逃避だ。割り切って勉強するしかない。そんな正論など聞きたくないんだろうが。
「ほら、次はバスケの地区大会だろ。テスト終わったら早速、清水中との合同練習があるって楽しみにしてたじゃん。」
話を変えて、スタメン確定の虎之介にやる気が出る呪文をかけてやる。試合にちょっとでも出られるか、俺はたぶん微妙なところ。百瀬はおそらく望み薄だ。活躍できる場のある虎之助が羨ましい。
「んだってダメや。ひどい点やったら部活辞めさせられて塾にぶち込まれてまうわ」
今更どうにもならないことを喚き続ける虎之助を、百瀬が容赦なく詰める。
「こんなことにならないように図書館で勉強しようって誘ったのに。トラがサボるからだろ」
「だって図書館は俺の家と反対方向やもん」
「だから? 結局自業自得だね。一回ガチでやられた方がいいわ。トラなんか」
百瀬が冷たく突き放すと虎之助は力任せに百瀬の頬を左右に引っ張った。
「ももちゃんのいけず。薄情もの!」
「いひゃい、いひゃいっへ」
結局再び騒ぎ出す。やってることが小学生と変わらない。相手は違うけれど。あの頃、百瀬をからかっていたのはさとしだった。
野獣と呼ばれる虎之助に対し、さとしはのあだ名は王子だった。野生味あふれる虎之介とスマートなさとしの印象は似ても似つかない。「ももちゃん」と最初に呼び出したのはさとしだ。百瀬の反応を面白がってしつこく呼び続けた、俺自身は「ももちゃん」と呼んだことは一度もない。でも本気で庇ってやったこともなかった気がする。
「頑張れば期末で取り返せるって。今度こそ一緒に勉強しようぜ」
「……ほんま、南朋は真面目やなぁ。めっちゃええヤツ」
そう返す虎之助は少し鼻白んだ顔をしていた。真面目。いいヤツ。優しい。いい子。俺は人からよくそう評価される。実際はちょくちょく手を抜くし、優しいどころか割と利己的なのも自覚している。なのになぜそんなふうに思われるんだろう。どう反応していいかわからなくて、困ってしまう。
「言うほど、真面目でもいいヤツでもないけどな。俺は」
口にしてすぐにしまったと思う。否定しても気を使わせるだけなのに。虎之助はなぜかふふんと得意げに胸を張った。
「一緒に勉強しようぜなんてセリフ、真面目じゃないと絶対言わん。少なくとも俺は一生言わん!」
「そこ威張るとこじゃないから」
百瀬がさくっと釘を刺す。
頭に「お前は真面目じゃなくて、単にヘタレなんだ」と祐樹の声が浮かんだ。楽しんでやってんじゃなくて、義務みたいなものだと思ってる。やりたいからじゃなくて、失敗が怖いからやっておく。困った事態にならないための努力をする。つまり究極のヘタレ。事なかれ主義。原動力は恐怖。怖いから頑張るんだ。
言われた時は、悪いことしてるわけじゃないのになんでそこまで腐されないといけないんだと憤慨したが、思い返してみるとまったくの図星だった。
祐樹はちがう。興味のないことはやらない。楽しくないことはあからさまに手を抜く。俺の時間がもったいないなんて言ってサボる。純粋な動機で動く祐樹が、俺は羨ましい。
虎之助もそのタイプで、だから今のような事態になっているんだが。良くも悪くも自分の感覚に従って動く祐樹や虎之助、なりたい自分になるため目標を持って努力する百瀬や守さんと違い、自分には何かが足りない。情熱のようなものが。
百瀬が威張ったように胸の前で腕を組む。
「あとね、トラ。いつも呼びかけてるのは俺だからね? 親切にも毎回諦めずに」
そうだ。そもそも家がうるさくて集中できないからと学習室に誘いはじめたのは百瀬だった。
「あはは。ももちゃんも、真面目でいいヤツやでっ」
虎之助が百瀬に抱きつこうと手を広げた。絶対怒られるってわかるだろうに、懲りないやつだ。案の定、百瀬が拳を振り上げる。
「まったく、いい加減にしろよ。さっきは薄情ものって言ってたくせに。今更なーにが…………わっ」
突然百瀬がバランスを崩した。水泳の飛び込みみたいに勢いよく、虎之助……ではなくなぜか隣の俺の方へ飛び込んでくる。
「え?」
悲鳴が上がったかと思えば、俺は、背中側の机と椅子をいくつも薙ぎ倒し、尻餅をついていた。大きな音にクラス中の人が振り返る。
「ちょ、南朋。マジで、大丈夫か?」
虎之助のネコのように丸い目が気遣わしげにこちらを見下ろしている。教室がしんと静まり返り、俺の体の上に拳を振り上げた格好のまま倒れていた百瀬が、慌てて飛び退いた。
「ご、ごめん。何でこんなことに」
「ああ。大丈夫。平気、平……いっ」
身を起こそうと左手をついた瞬間、激痛が走った。思わず呻き声が漏れる。左腕全体にドクンドクンと脈打つように痛みが広がっていく。どうしよう。こんなの初めてだ。百瀬が心配そうに潤んだ目でこちらを見つめた。
「南朋、痛いんだろ。どうしよう、俺のせいだ」
「いや、大したことないよ」
俺の返答に被せるように、シンとなった教室の中央から、声が上がった。
「百瀬のせいじゃないぞ。深町だよな。深町七緒七緒」
同意を求める声に教室がざわめいた。声に応え、窓際にいた女子数人が顔を見合わせ、頷きあう。
「う、うん。たぶん。さっきまで窓の外を見ていたのに、なんかつぶやきながら、急に出ていったし」
「ももちゃ……あ、百瀬くんを突き飛ばしといて、気づいてないはずないよね」
「おい、アイツはどこだ?」
「すげぇ音がしたんだ。放り出していくとか、ありえないだろ」
百瀬も、俺も見ていない。確認し合うように話すみんなだって、はっきりと目撃したわけじゃないようだ。ちょうど教室を飛び出していったヤツがいて、そのとびら近くで倒れて怪我したヤツがいる。だから怪しい。
「深町、あいつ前もさぁ……」
「私も、一年の時、深町さんに……」
波紋のように教室中で不満の声が広がっていく。本人が不在なのをいいことに過去まで遡って非難する声に内心焦った。
「誰もはっきり見てないんだろ? 憶測ものを言わないほうがいい」
強く言い切ると気まずくなったのか表だった悪口はおさまった。しかし一旦共有された評価はきっと陰で燻り続ける。
立ち上がると雷が走るようにびりっと痛みが走り、思わず顔を歪めてしまった。どうなっているんだろう、俺の左手。いまや肩から腕全体が痺れて、グローブみたいに膨らんで感じる。たぶん、これは、かなりまずい。額から脂汗が吹き出る。
白い顔をした百瀬が俺の顔を覗き込む。
「痩せ我慢してるだろ」
「大丈夫だって。大したことない」
「無理せんほうがええって。とりあえず保健室行ってこようや。ついていこうか? なんかあったら先生たちには俺が伝えにいくし。な?」
支えようとした虎之助の手が腕に触れ、痛みにぎゅっと目を閉じる。
「俺も一緒に行くよ」
そう言う百瀬の方が倒れそうな顔をしている。
「いいって。一人で行く。それよりホームルームでなんかあったら聞いといて」
「真面目か!」
虎之助が笑ってくれる。
「あと悪いけど、机も戻しといて」
「そんなんやっとくし。ほんまについて行かんでええの」
うんうんと頷き返し、教室を出る。
深町七緒が戻ってきた時、教室はどんな雰囲気になっているだろう。彼女とはほとんど、いやたぶん直接話した事は一度もないが、ちょっと変わっていて、クラスで浮いていることはわかりすぎるほど知っている。
深町を責める空気が消えていてくれたら嬉しいが、おそらくそうはならないだろう。いっそこのままみんなが下校するまで彼女が教室に戻ってこなければいいのに、と願った。
引き続きお読みいただき、ありがとうございます。
自己紹介を兼ねてキャラバトンに答えてみました。
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1、自己紹介
宮下中学校2年3組。百瀬薫。
部活? バスケ部だけど。
2、好きなタイプ
きたよ、そう言うの。あんまり答えたくない。
え? 困る?
じゃあ、優しい人ってことにしといてよ。
3、自分の好きなところ
え〜なにこの答えにくい質問……。
食べ物の好き嫌いがないところでどう?
4、直したいところ
全部。
例えば? 筋肉がないところとか、男らしくないところとか。
とにかく全部なの。
5、何フェチ?
なんでそんなの答えなきゃなんないの。いい加減帰るよ。
困るって、こっちが困るよ。
じゃあ肩……とか。
どういうって、もう答えたからいいでしょ?
6、マイブーム
よくやるのが遠くにいる相手をじっと見て相手が気がつくかどうかっていうの。
だいたい気がつかないよ。鈍感だからね。
……別に誰ってわけじゃないけど。
7、好きな事
バスケでいいよ。
下手なくせにって……余計なお世話!
8、嫌いな事
質問攻め!
もうこういうの絶対答えないからね。
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