21 俺はこんなに……考えてるのに。 <ギフト:孤独堂さんから>
結局、俺が深町に声をかけたのは放課後、ネコの世話へ出向く段になってからだった。
深町の方からも俺に話しかけて来ることはなかった。
顔を寄せるようにしてボールが取れた興奮を訴えてきた深町の姿が、今では嘘のようだ。
息遣いまでわかるくらい、近くにいたのに。
また明日なって手を振ってくれたのに。
俺はあの子がみんなと友達になりたくて必死なんだってもう知っている。
なのに、どうしてみんなといる時に声をかけてやれないんだろう。
深町は噂されているような、人を困らせて平気でいるような悪いやつじゃない、それどころか……。
「大葉くん? 駅、過ぎてるよ」
肩掛けボストンバッグを引かれて振り返ると、不思議そうに目を丸くした小田と深町の姿が目に飛び込んできた。
同時に目が覚めたように周囲の喧騒が耳に入ってくる。
「ごめん。考え事してて」
恥ずかしい。
「な……大葉にも、そういうことがあるのか。私だけかと思ってた」
南朋と言おうとして深町は言い直した。呆れているというよりは、親近感を滲ませた表情に見える。
小田がクスッと笑ってフォローする。
「私にもあるよ、深町さん。昨日も日本舞踊の先生に、ぼーっとして振りがおそろかになってるって怒られちゃった」
「へえ。そうなんだ。私、先生からちゃんとできないのはお前だけだってずっと怒られてきたんだよ。教室移動とか気づいたら誰もいなくて、一人で座っていたから」
俺や小田のぼーっとするとはレベルの違う話が飛び出して、返答に困った。
小田は少し踏み込んだ質問をする。
「教えてくれる人はいなかったの? 次、移動だよって」
「いや、声をかけてくれたらしいんだけど聞いてなかった。考え事してたから。気づいたら誰もいないなーって」
「もしかして、先生が迎えにくるまでずっと座ってたの? それは怒られるかも」
小田は驚いていたが、ネコの怪我で頭がいっぱいだと自分の身体の痛みにも意識がいかない深町のことだ、そういうこともあるだろうと想像はつく。
でも、誰もいない教室にどうして座ったままでいたんだろう。時間割を見ればおおよそ見当がつきそうなものなのに。
小田の言う通り、これでは先生が怒るのもわかる気がしてしまう。
周りの子は、本当に呼んでくれていたのだろうか。
やっぱり何か……良くない想像が頭をめぐる。
「じゃあ、これから深町が気づいてなさそうな時は、肩掴んで揺すってやるよ」
百瀬や虎之助にするようにふざけた調子で深町の肩を叩き、俺は先に改札をくぐった。
親しみと、そんなことはもう起こさせないという気持ちの表現だったのだが、女子相手に少し馴れ馴れしかっただろうか。
振り返ると、続いてSuicaをタッチして入ってきた深町は心底嫌そうに眉をしかめていた。
「そういうの、ほんとにやめて。心臓が止まる」
教室で深町がぶつかってきた衝撃より百倍優しいと思うけど。
思いもよらない反応に内心大袈裟だなと呆れながら、悪意はなかったのだと説明する。
「いや、ごめん。そしたら絶対気づけるだろうと思って」
「びっくりしすぎて叫びそうになった」
そんなに責める? 威張ったように腰に両手を当てて詰め寄ってくるのに閉口する。
「だからごめんって、許してよ」
後から構内へ入ってきた小田に目で助けを求めた。今日はSuicaを持参しているようだ。
「二人とも、すぐ電車来るよ」
困ってることを察知してくれたのか小田は案内表示を指差し、急ぎ階段を上るよう促した。
俺たちは慌てて階段を駆け上がった。
プラットホームの乗車整理位置に着くと、小田は俺たちをしみじみと眺めて言った。
「ふたりは、本当に仲良しだね」
「「どこが?」」
慌てて否定すると、深町の声と被ってしまった。昨日も同じことがあったなと苦笑してしまう。
小田はぷっと吹き出して口元を手のひらで覆い隠す。
「今日も揃ってる。よっぽど気が合うんだね。なんか……羨ましいな」
深町はいかにも心外だというように鼻息を荒くして一気に捲し立てた。
「気が合う? さっき喧嘩してたのに見てなかったの。どうしてそう思うかわからない。私は大葉よりも小田さんと仲良しになりたいっ」
ちょうど電車が入ってきたおかげ目立たないで済んだけど、かなりの声量だ。
この時間はまだ人が少ない。
俺は口を尖らせて怒る深町の横顔を見つめた。
俺よりも小田と仲良くなりたい。
「なんだそれ。ひどくない?」
俺はこんなに深町のことを考えてるのに。
ぼーっとして駅を通り過ぎてしまうくらい。
夢にだって見てしまうくらい。
今だって、どうすれば深町が教室で一人取り残されずに済むか危機感を持って真剣に考えてたんだ。
君が辛い思いをしないように。それなのに。
一瞬自分の思考にアレっとなって、どうしようと思った。
なんか変なことを口走らなかったかと、ひやっとする。
二人は何やら話しながら電車の奥の方へ乗り込んでいく。
よかった。俺の声は届かなかったみたいだ。
大きな音で扉が閉まると案内がかかっている。
車内に余裕はあるものの、座席は先客で埋まっていた。俺はひとり扉の前に立って外の景色を眺める。
友達の欲しい深町が、輪に入るきっかけとなりうる小田と仲良くなりたいと願うのは当然のことだ。
俺より。
深町は女子なんだから、当たり前じゃないか。
今日虎之助たちと教室で話し合った後も、小田は深町に声をかけてはいなかった。
女子だから俺より話しやすい立場にあるとは思うけど、やっぱり友達の目を気にしてしまうんだろうか。
高橋があからさまに嫌な顔をする姿を思い浮かべるのは、百瀬のそれと同じくらい簡単だ。
「降りるよ。どうしたの? 今日の大葉くん、なんか疲れてるみたい」
小田に背中を押され電車を降りる。
「大丈夫」ときっとひきつっているのだろう笑顔を作りながら、彼女の言う通り疲れているのかもしれないと思う。
昨日は本当にいろんなことがあった。
それで頭の中がキャパオーバーになっているのかもしれない。とはいえ、深町の件も、祐樹の件も、何ができたというわけでもないのだが。
というか、心で言い訳ばかりして、ただヘタれてただけじゃないか。
俺はひとつ大きなため息をついた。
改札を出てスーパーの前を歩きながら、小田が電車で深町と二人で話していたことを教えてくれた。
「さっき深町さんとうちでネコを引き取れない場合に備えようって話してたんだ。みんなにはこれから話してみるつもりなんだけど、明日、かなえちゃんが声をかけてくれてくれている凛花ちゃんと杏ちゃんを連れて、ネコのお世話に行けたらなって思ってる。大葉くんの予定はどうかな」
土曜日。うちの体育館で、清水中との合同練習がある日だ。
出なくていいから見にこいってコーチが言ってたんだっけ。
チームや選手のことを知る良い機会だから。
「ごめん。清水中との合同練習があって。コートには出られないんだけど、どんな選手がいるか見るのも大事だろ」
でも高橋が行くのか。
彼女が声をかけた遠山凛花と吉永杏は小田や高橋の幼馴染だ。中学で校区が分かれて、今は城東中学校に通っている。
一年の時、バレンタイン前の土曜日に私服で体育館まで練習を覗きに来てたのもそのメンバーだ。
遠目でしか見ていないけど、化粧して派手になってる印象だった。
性格も陽キャっていうのとはちょっと違うかもだけど……小田はもちろん高橋よりもテンションが高いくらいかもしれない。
深町は、大丈夫だろうか。
ちらりと隣を歩く深町の横顔を見る。どうすればそうなるんだと不思議になるような不揃いな髪。ポカンと空いたままの口。
オシャレに関心どころではない。
だめだ。どう見ても話が合うような気はしない。
「でも、午後からなら合流できるかも。朝からだし、場所もうちの体育館だから」
口にした瞬間、頭の中で「小田さんが行くんなら、もう南朋が世話に付き合う必要ないんじゃない」と百瀬の声が再生される。
男一人じゃ浮いてしまうから虎之助を誘ってみようか。
本当はネコをひきうけられるだろう百瀬を呼べれば一番いいんだけど。
明日、声をかければもしかしたら……。
「じゃあ、お昼ごろ学校で待ち合わせることにするね。深町さん、家に着いたらライン教えて。グループで繋がろう」
「え。いいよ」
小田の投げかけを深町はあっさり了承する。
深町、スマホを持ってたんだな。
虎之助の言っていたクラスラインでの預かり主募集は、一旦土曜日の集まりが終わってから考えることにした。