20 みんながネコを気にかけている <ギフト:貴様二太郎さんから>
<20話 あらすじ>
兄・祐樹がテストを白紙で出したことで、重い空気に包まれた大葉家。
その夜、南朋は奇妙な夢を見る。
夢の中で家族会議の場にいたのは、自分ではなく、クラスで孤立する少女・深町七緒だった。
父の権威に物怖じせず、論理で立ち向かう彼女の姿に、南朋は自分がずっと心の奥底に押し殺してきた本当の願いを自覚する。
夢を見た。
家に帰りつき不穏な空気のリビングに飛び込む、今日の出来事そっくりな夢を。
違ってたのは、俺はただの傍観者だったことだ。
代わりに家族として帰ってきたのは深町七緒だった。
扉を開けた途端、父から「遅い」と咎められた深町は、真面目くさった顔で遅くなった理由を事細かに説明しはじめる。
ことの発端はネコが車に轢かれたのを見かけたことで……から始まる長い話だ。
イライラを募らせた父に「言い訳するな」と一喝されると、深町は頬を膨らませ「どうして。聞かなければ何もわからないのに」と反論する。
その反論をも「屁理屈を言うな」と押さえつけると、深町はいかにも納得できないといった様子で眉をしかめ「どの部分が屁理屈なのか指摘して」とくらいついた。
話が二人の間でどんどんヒートアップし、蚊帳の外となった祐樹はあくびをしながら席を立つ。
「んじゃ、話は終わりだな」
そのまま部屋を出ようとすると父は焦って呼び止めた。
「「話はまだ終わっていない」」
同時に深町が父に向かって同じ言葉を吐き、祐樹の前に立ちはだかった。
堂々と。保健室で先生に詰め寄っていた時みたいに一歩も引かずに。
うんざりしたのか、ついに父は「もういい、飯にするぞ」と家族会議の終了を宣言した。
急にお開きになって母がバタバタし始める。
父の隣に座っていた母に、夕食の準備などできようはずがない。
そんな中でも平気でテレビをつけようとする父に「自分が飯にするぞって言ったのに」と深町が文句をつけた。
怒鳴られる、と俺は心の中で身構える。
机を叩いて立ち上がる父の恐ろしい姿が瞼に浮かぶ。
俺は父に取りすがる。姿は透明で、誰にも見えていないのに。
——叱らないで!
深町がしているのは攻撃じゃない。
浮かんだ疑問を素直に口にしてるだけだ。理由を、解答を欲しがっている。ただそれだけ。
そうだ。俺はずっと知りたかった。
祐樹のことを、母のことを、父のことを。どうすればよかったのかを。
その度に相手の不機嫌な姿が浮かんで、ぐっと喉が重くなった。
結局、どんな言葉も口にすることはできなかったのだけれど。
砂嵐のようにさあっと深町の姿が、リビングのテレビが、台所に立つ母の姿が乱れて消えた。
感情を現実へはみ出させて夢が去り、目が覚める。
俺はそっと喉に手を当て、ぼんやりと祐樹の眠るベッドの床板を見上げた。
祐樹の健やかな寝息を聞きながら、昨日聞いた白紙提出の不可解な言い訳を思い浮かべ、ため息をついた。
*
二時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴ると、返ってきた英語の解答用紙をヒラヒラさせながら虎之助が俺の席に寄ってきた。
机に押し広げると、狭い通路で大袈裟に膝を降り、天を仰いで見せる。
「見てくれ、南朋。まじで神様はおるで。俺、確信したわ」
「トラ。邪魔だから、後ろでやって」
ため息とともに現れた百瀬に背中を押され、膝をついたまま虎之助は律儀に俺の席の後ろへ回る。
机の上の赤文字は三十二点。名前を書いただけと言っていた割には取れているが、良い点数とは言えない。
それでも虎之助は周りの誰より満足しきった顔をしていた。
「高校で赤点ゆうたら三十点やん? うちはそこが塾行くかどうか判断するラインなんや。もー選択問題さまさまやで」
「完全にまぐれじゃん。はー、むかつく。こっちは死ぬほど勉強したのに」
百瀬がいつもの仕返しとばかりに膝立ちの虎之助の髪を掻き回す。
「まぁ、神話の時代からやり直す必要がなくなってよかったってことで」
俺がとりなすと、勢いを得た虎之助は調子に乗って百瀬をからかった。
「そうやでっ。なんや、ももちゃん。そんなあかんかったんか。教えちゃろか」
「結構。俺、少なくともトラの倍はあるからね」
手を振り払い、百瀬は口を尖らせる。
虎之助は「倍?」と叫ぶと、わざとらしく品を作った。
「なんなん、この子、自慢なの?」
「俺は、勉強したのっ! それに高校の赤点が三十点とは限んないよ。うちの姉貴の学校は平均点の半分だって話だし。そしたらトラなんか確実に赤点なんだから」
公立の宮下中学校に進級できなくなるという意味での赤点は存在しない。
それでも三十点そこそこでここまで調子に乗れるのは、虎之助くらいのものだろう。
こき下ろす百瀬に虎之助があっけらかんと言い返す。
「なんでよ。逆にそっちの方が楽勝やないん」
「思い出してごらんトラ。今回の社会の平均、七十点」
「マジで?」
百瀬の反論にふと祐樹のことが心配になった。
昨日祐樹は、学年制だからたとえ期末で取り返せなくても即留年になるわけじゃない、大概は追試や課題提出などの救済措置があるもんだと説明してくれたけど。
「……高校って大変だな」
深い考えもなく呟いたのを百瀬が敏感に拾い上げる。
「南朋が思い悩むことないだろ」
「せやで。俺らの中で一番縁遠いやん」
「いや。昨日、祐樹が……」
話しかけて、兄のテストのことなど人に話していいはずがないと口ごもる。
「あ。最終日の化学のテスト、白紙で出したんだって? 守姉から聞いた。あの二人、昨日一緒に帰ってきたんだよね。部活も電車の方面も同じなんだから仕方なくなんて言い訳してたけど。守姉、気持ち悪いくらいご機嫌でさ」
百瀬があっさり暴露した。
「白紙? 南朋の兄ちゃん、やるなあ」
虎之助が妙なところで感心する。
守さんもお喋りだなと思うが、すでに知られているのならしょうがない。
これ以上広まらないよう、一応釘を刺しておく。
「ここだけの話にしてくれよ。なんか体の調子が悪かったみたいなんだ。……高校ってテスト後すぐ部活再開するんだな」
調子が悪かったのに部活には出たのか。なんというか、辻褄が合わない。
そもそも小さい頃からバスケしてるところしか見たことのなかった祐樹が、美術部で何をしているのかも想像できないのだが。
「部活どころか、三限から通常授業だよ。南綾は」
俺が知らないことを不思議がっているように百瀬は首を傾げる。
なるほど。昨日深町の親がいなかったのは仕事だったからだ。
「ああっ」
不意に窓から風が吹き込み虎之介の解答用紙が浮き上がった。
慌てて手を伸ばすも間に合わず、教室の後ろ扉の方へサッと飛ばされていく。
ちょうど廊下から入ってきた高橋が眼前に飛んできたそれを手で掴み、広げる。
「なにこれ……やば。三十二点」
眉を寄せた高橋が小声で呟く。
虎之助は慌てて飛んでいき、解答用紙を取り上げた。
「勝手に見んといてや」
「は? あのまま飛んでいったらあんたのその点数、クラスの外まで大公開するとこだったの。助けてあげたようなもんじゃない。感謝されてもいいくらいだと思うけど」
周囲の視線がさっと彼女に集まった。元々地声が大きいのだ。
点数をつぶやいたのが小声だったのは彼女なりの気遣いだったのかもしれない。
憤慨している虎之助には、そうは感じられないようだが。
高橋の後ろから顔を出した小田が、険悪な空気を変えようとしてか話題を転換する。
「そうだ。大葉くん、昨日、深町さんと仲直りできた?」
深町の名前に今度は百瀬が目を尖らせる。
「ああ、まあ。大丈夫」
「よかったぁ」
百瀬の顔色を伺いながらしどろもどろに答えるも、小田には彼が目に入っていないらしい。
心底安堵した様子でほっと息をつき、さらに話を続ける。
「今日は放課後、深町さんちに寄って帰るって話してきたんだ。ネコを動画に撮って家族に見せたくて。大葉くんも……」
「よかったね。猫の件はこれで一件落着だ。小田さんが行くんなら、もう南朋が世話に付き合う必要ないんじゃない」
よかったなんて言葉とは裏腹の冷たい声が小田の言葉をさえぎった。
発言者である百瀬はふいっと顔を逸らしたまま、俺とも小田とも目を合わせようとしない。
高橋が胸の前で腕を組み、小田へ思わせぶりな視線を送った。
「それがそうでもないのよ。ね、由美ちゃん」
うん、と頷き小田が事情を口にする。
「実は、もともと家族が欲しがってたのはイヌなんだ。こもりがちになってるおばあちゃんに、昔みたいに外で人と交流してもらいたかったみたい。ネコじゃますます家に居ついちゃうって反対されちゃった。でも、私も世話頑張るし、おばあちゃんはすごく面倒見のいい人だから、困ってるネコのためにきっと力になってくれると思うんだ。それでも、行き先が見つかるまでの間ってことにはなっちゃうんだけど」
それで小田は家族に動画を見せたいのか。話に聞くのとあの環境を見せるのとでは印象が違う。
これから暑くなっていくし、一時的にでも家で世話してもらえるのなら安心ではある。
元の飼い主か、新しい引き取り手を探しつづけなくてはならないのは変わらないとしても。
「由美ちゃんのおばあちゃんは春まで日本舞踊の師範やってた人なのよ。ほら、去年のバレンタインごろだよね。急に手足に痺れがきて、リハビリ通い出したの」
そこまで言って高橋はほんのり頬を赤らめた。つられて俺たちもなんとなく居心地が悪くなる。
去年、バスケ部員に対し高橋や小田たち数人からチョコレートをもらったことを思い出したのだ。
小学校の頃から毎年友達数人と集まって作っているもので、特別な意味はない。単なる”おまけ”なのだと強調されてだったけれど。
部員たちの間では、おそらく彼女たちのうちの誰かがエースの柳川先輩を好きなんじゃないかということで落ち着いている。
「ネコの件は一応あたしも友達にあたってみてるけど、この辺りはマンションの子が多いからね。前途多難」
「え。高橋さんも探してくれてるんや。深町さんとは関わりたくない〜みたいなことゆうてたのに」
高橋の意外な言葉に虎之助が反応すると、彼女は腰に手を当て開きなおる。
「だってこの暑い中ガレージにいるんでしょ。可哀想じゃない。ネコに罪はないんだし」
「まあ、そうやな」
一見キツそうに見える高橋だが、困っている人を見過ごせないというか、昔から情に厚いところがある。
そういうところは百瀬も高橋とよく似ていると思うのだが、彼はふいっと顔を背け、黙りこんだままだ。
どうして百瀬は深町のこととなると、そこまで強情になるんだろう。
突然、名案を閃いたとばかりに虎之助が目を輝かせた。
「そうや、クラスラインで募集したらわ? みんなよー知らんだけで、言えば関心持ってくれる人絶対おるやろ」
「そうだな。でも深町、クラスライン入ってないだろ」
なるほど、確かに良い案だが、当人を抜きにするわけには行くまい。
高橋もうーんと首を傾げる。
「ていうか、あの人、スマホ自体持ってんのかなぁ」
別に言い方に棘があったわけじゃないのに、高橋の表現に胸がずきりと傷んだ。
クラスの大多数の人にとって深町は「あの人」という距離感なのだ。
この中の誰もそこに違和感を持っていないことが伝わる。
深町の席に視線を送ると、中休み終わりを知らせるチャイムが鳴った。
友達の顔と名前の一致しない深町にはクラスラインでのやり取りはハードルが高いかもしれない。
でも誘ってみる価値はある。深町は友達を欲しがっているのだから。
俺は席に戻ろうとするメンバーに宣言した。
「俺、後で本人に聞いてみるよ。虎之助のアイデアも提案してみよう」
テストを手にした虎之助がOKと手で合図を送る。
百瀬はといえば最後まで硬い表情を崩さないままだった。