18 ヘタレ。ビビリ。事なかれ主義。 <ギフト:貴様二太郎さんから>
スーパーボールをもとの場所へ律儀に返して、深町はくるりとこちらに向き直った。
えへんとばかりに腰に手を当て、鼻を膨らませ宣言する。
「今回だけは特別に、勝手に本を読んだことを許してやる」
はぁ……とため息が漏れそうになるが、相手はおそらく大真面目だ。戸惑いを見せてはいけない。
「あ、うん。ありがとう……ございます?」
軽々しい返事だと怒られるような気がして、丁寧語にしてみる。
すると深町は俺の顔を見てブハッと噴き出した。
「なんだそれ。大袈裟な返事」
ケタケタ声を上げ、腹を抱えてうずくまる。なんだよ。妙にかしこまった態度をとったのは深町の方なのに。
呆れるが、許される側の俺は文句を言える立場ではない。
日の落ちた公園にはもう俺と深町の他には誰もいなかった。
ふと気になって、彼女の家に目をやる。まだ明かりはついていない。
「暗くなったし、俺もそろそろ帰るわ」
今日、南陵高校はテストのはずだけど、深町の母親は学校だろうか。彼女の話だと授業がある時だけ出勤しているらしいが。
「そうか」
深町は急にすんとした顔をして歩き出した。さっさと公園を出て家へと向かう。
俺は深町の後ろに続き、ガレージに置いたバッグを取りに入った。
人の気配に気づいた猫がケージを揺らし金属音を立てるのにびくりとする。
いないとは思うけど、もしも家族と鉢合わせたりしたらなんて想像していたせいだ。
別に悪いことをしていた訳じゃないけど、会うのは単純に気まずい。
俺はバッグ掴み、逃げるように道へと走り出た。
「じゃあな、深町」
背中から大きな声が追ってくる。
「南朋!」
気が緩んでいるせいか、呼びかけが下の名前に戻っている。
「……なに」
困惑し、静かにしろという意味を込めてほとんど口パクで返事するが、深町は意図することを読み取ってはくれない。
人感センサーでつくのらしいガレージ入り口の灯りのせいで、こっちの顔は見えていないのかもしれない。
深町はでへっとだらしなく頬を緩め、手を振った。
「ボール。案外楽しかった。また明日」
「お。明日な」
俺は短く返すと踵を返し、駅に向かって走った。
変なヤツ、変なヤツと心の中で呟きながら。
*
マンションに着くと七時を過ぎていた。
部活もないのに遅くなりすぎている。
小言くらいは言われるかもと覚悟して、玄関の扉を開く。
「ただい……ま」
珍しく祐樹の靴の踵が綺麗に揃えてある。
脱ぎ散らかしてあると不愉快だけど、こう祐樹らしくない状態を見ると警戒してしまう。
入って右手にある子ども部屋の扉は全開で、灯りはついていない。
鞄を机に置き、ベッドの上を覗いて見るも祐樹の姿はなかった。
廊下へ出ると磨りガラスになっているリビングの扉から、ダイニングテーブルの椅子に腰掛ける人影がうっすら見えた。
影は全部で三つ。父さんが帰ってるんだ。
几帳面な父は脱いだ靴をすぐに片付けてしまう。祐樹の靴を揃えたのも父だろう。
中はシンと静まり返っていて、なんだか穏やかじゃない。
俺は着替える前に一応ひと声かけておこうと、リビングの扉を引いた。
「ただいま」
「遅い!」
父の怒号が矢のように飛んでくる。マックスに機嫌が悪いらしい。
「ごめんなさい」
咄嗟に謝罪の言葉が口に上った。
確かに今日の俺は寄り道をした。でも普段だってバスケの練習でこれくらいの時間にはなっている。
よく考えると理不尽だが、事なかれ主義の俺はそんなことおくびにも出さない。
相手の気持ちを宥めるためにさっさと謝っておくに限るのだ。
父は俺をしっかり睨め付けた後、本来怒りを向けていた相手に向き直った。
彼の正面では祐樹がテーブルに片肘をつき、斜めに足を出して腰掛けている。
絵に描いたような反抗的態度だ。まるでわざと火に油を注いでいるかのよう。
こいつのとばっちりか。一体何をやらかしたんだ。
恨みがましい目で祐樹を見やった。
いつもは父をなだめる側にまわる母も今日は父と並んで、ため息をついている。
「今日のテスト、白紙で出したんだって。化学の先生から電話があったの。考えられない」
俺に対しわざわざ状況を説明する。高校入って初めての定期テストで白紙……。
なんと返せばいいかわからず、扉を背にし突っ立ったまま祐樹の表情をちらっと伺う。
視線に気がついていると思うけれど、無視を決め込んでいるのかこちらを見ようともしない。
人前で恥をさらされて気まずいのはわかるけど。
思い返せば俺がテストの間、祐樹は二段ベッドの上の段で寝っ転がってばかりいた。
机に向かっている姿なんかほとんど見なかったかもしれない。俺と入れ違いでテスト期間になったはずだが。
でもそれもいつも通りと言えば、そうかもしれない。
もともと祐樹はやる気にムラがある。こつこつ積み上げていくタイプじゃないのだ。
部屋に俺が帰ってきても気が付かないくらい集中してたかと思うと、次の瞬間にはもうベッドで爆睡しているというのがデフォルト。
テストってなるとそわそわして眠れず、教科書開けて机に齧り付くしかできない俺より、オンオフくっきりで効率良さそうだと思ってたけど。
すでに散々説教を済ませた後なのか、両親は腕組みをしたまま黙りこくった。
この不穏な空気を、どうしたらいいのだろう。さっさと部屋に戻りたい。
母がため息で沈黙を破る。
「なんでこんなこと。先生も早く手を打ってくれたら良かったのに」
父が目を向いて、母を叱りつけた。
「何を甘えたこと言っているんだ。もう高校生だぞ。自己責任だろう。お前がそうやって過保護にするから……」
祐樹がこうなったのは母のせいだと言いたげだ。
母は言葉を飲み込むように目を瞑ると、再び鼻から大きく息を吐いた。
最悪の空気だ。
「南朋。お前いつまで突っ立ってる。早く座らんか」
「え?」
父は俺に祐樹の隣に腰掛けるよう目配せした。
「家族なんだから、話に入るのは当然だろう」
俺が祐樹の学校の話に?
聞いたところでどうすればいいというのか。まったく意味がわからないが、言われるがまま彼の隣の椅子を引いた。
「んなの、当然でもなんでもない。関係ねーだろ、こいつには」
祐樹が顎で俺を指す。
正論だ。正論だけど、うちではこれは通らない。
昔からなぜか叱られる時は兄弟セットと決まっている。
家族に起きた問題は家族で話し合う、というのが父のモットーなのだ。
案の定、「黙れ」と父の怒号が飛んだ。
諦めて席に着き、余計なことを言うなという意志を込め肘で祐樹の脇を小突く。
祐樹は鼻で笑って無視をした。
「はん。なんだよ、家族って。気っ色悪い」
俺の言わんとすることが通じてないわけじゃない。聞くつもりがないんだ。
どうして祐樹はこうもわざわざ人の地雷を踏むのだろう。
「祐樹。いい加減にしなさい」
母が祐樹を嗜め、重い沈黙が流れる。
俺は争いごとが嫌いだ。見てるだけでそわそわする。
自分がこの場をなんとかしなければいけないような気がして、落ち着かなくなるのだ。
祐樹に対しても、父や母に対しても。俺にできることなんかなにもないのに。
何かできそうな気がする分、学校の方がまだマシだ。
再び沈黙。
もう言うことがないのなら、解放してくれればいいのに。
俺はそっぽを向いている祐樹の頬を呆れた目で見た。
白紙でなんか出したら先生も、親も、ほっとけないに決まってる。
人の気も知らないで、いったい何をやってるんだ。
昔っから物を壊したり人を泣かせたり。なにかやらかしてもやらかしっぱなしで、謝ることも言い訳のひとつもしようとしなかった。
開きなおるか、相手があきあらめるまで、ただただむすっと黙り込むか。
人のことをヘタレとか、ビビリとか、事なかれ主義とか散々に言うけど、大ごとを起こすのが偉いわけじゃないだろ。
バカなのは白紙でテストを出したりする祐樹の方じゃないか。
心の中でならこんなふうにいくらでも悪態がつけた。喉から先には出てこない。
小さい頃からそうだ。口にするのは場の空気を柔らかくするための言葉だけ。
宥めたり、迎合したり、気を逸らそうとしたり。
家じゃそれもほとんど成功しなくて。決裂してばっかりで。
なのに黙ってるとそれはそれで何かないのか、無関心だなと詰られる。
人の気持ちの渦に巻き込まれるのには、本当にうんざりだ。
祐樹がテーブルを叩いて席を立つ。
「もういいだろ。調子が悪かったって言ってんだ。化学一科目くらいなんとでもできる。話は終わりだ」
「何を言ってるんだ、待ちなさい」
引き留める両親の顔を、祐樹は目を見開いて正面から見据えた。
「なんのために」
真顔で見下ろされ、両親は口をあんぐり開けて絶句する。
「なんっ……。お前、そんな舐めた態度でこの先通用すると思うなよ」
「あー? 通用するって何にだよ。まじで疑問なんだが、期末で取り戻す以外にどんな解決策がある。ねーだろ」
イライラと短い髪をかき混ぜるように掻いて、祐樹は俺の腕を引いた。
「行くぞ」
「え?」
呼びかけられて戸惑う俺に、祐樹はチッと舌打ちをする。
「巻き込まれてんじゃねーよ、このヘタレが」
唖然とした。なんで巻き込んだ張本人に怒りをぶつけられなきゃいけないんだ。
それでも咄嗟に反応できず、引かれるがままついていくことしかできない自分が情けない。
ヘタレ。ビビリ。事なかれ主義。
心の声が騒ぎだす。
「南朋、ご飯は」
追ってくる母の声に「やらんでいい」と父の怒声がかぶさり、扉の向こうに消える。
決裂。
叱られたのは俺じゃないのに、悲しくなってしまうのは何故だろう。
自分が失敗したような気持ちになってしまうのは。