16 少女は友達の作り方がわからない <ギフト:モノカキコさんから>
<16話 あらすじ>
深町七緒の母のアレルギーは強烈で、深町家の環境はネコにとって窮屈で頼りないものだとわかる。
小田由美子はネコのためにちゃんとできるところを見せて家族を説得しなければと意気込むが……。
綾川駅は乗ってきた伏木野臨海線の他にもJRのいくつかの線の中継地となっているため構内の人通りが多い。中学校最寄りの宮下駅前の庶民的な商店街とは違い、祐樹の通う南綾高校がある北口方面にはデパート、図書館や公民館などの公共施設の他、映画館やアパレルの入った商業ビルが立ち並んでいる。中学校の規則では禁止になっているが、友達同士で遊びに行く人も多い。俺や百瀬が行くのはもっぱら国道沿いにある宮下南のショッピングモールだが。
ひとごみの中、真っ直ぐ改札へ向かう深町の背中は、危なっかしいような、反対に手慣れていて頼もしいような不思議な印象を与えた。中学校という同じ制服を着た人々の間で彼女は浮いていたが、夕方の早い時間に、さまざまな制服を身にまとった学生を含む老若男女が利用する駅という空間では、どこにでもいる当たり前の一人にしか見えない。
「深町さん、待って」
小田が彼女の後を追い、手を取った。びっくりするくらい大袈裟に跳ね上がった深町は、改めて自分から小田の手を握りかえした。はぐれないためと解釈したのだろう。深町はこちらを振り返り、俺に向かって空いた方の手を差し出したが、俺は捻挫した手を顔の前で振って断った。女の子の小田と同じようにできるはずがないし、していいはずもない。怪我してるからと受け取ったのか、深町はそれ以上求めることなく先を急いだ。
改札を出ると、深町と小田は賑やかな北口に背を向け、比較的人通りの少ない南口へ続く階段を降りた。そちら側は中心街の広がる北口とは違って周囲も個人経営の本屋や老舗っぽい和菓子屋、コンビニに不動産屋の並ぶ生活感あふれる通りになっている。駅の一階は大きめのスーパーだ。南口付近に立ち並ぶマンションの住人はみんなここで買い物をするんだろうな、などと思いながら深町たちの後ろをついて歩く。
少し行くと児童公園があり、すぐに一軒家やアパートの立ち並ぶ住宅街になった。深町は公園に面した青い屋根の二階建ての家の門扉を開ける。
「げ。広いな。ここが深町の家?」
「うん。外で待ってて」
圧倒されている俺と小田を置いて、深町は家の鍵を開けて中に入り、小さな鍵を持って出てきた。母屋のすぐ横にあるガレージのシャッターに鍵を差し込む。
「車の後ろにネコのケージを置いてもらった。もともとウサギが使ってた古いやつだけど、昨日組み立ててもらったから。餌の準備もあるよ」
シャッターを持ち上げると車を避けて奥へ入るよう手招きした。置いてあるのが軽自動車だからかスペースにはだいぶ余裕がある。
「ケージに車の排気がかかるのはかわいそうだね」
「普段使ってないから大丈夫」
心配する小田に、深町は主語や目的語を抜いた頓珍漢な答えを返した。
「使ってないって、車をか?」
思わずため息が出る。使ってないものを置いておくなんて、なんて贅沢なんだろう。生まれた時からマンション暮らしの俺には、ガレージだけでも夢のような広さだ。うちがこんな家ならきっと、今みたいに祐樹と同じ部屋につめこまれなくてもすむのに。深町はガレージ内の明かりをつけ、車を使わない理由を並べた。
「父親は単身赴任でたまにしか帰ってこないし、母親の職場は駅の向こうの南綾高校だから、乗り物を使う必要がないんだ」
小田が驚きの声を上げる。
「深町さんのお母さん、高校の先生なんだ」
「うーん。昔はそうだったんだけど、今は正式のではなくて、非常勤講師? 授業がある時だけ行く。理科を教えているんだ」
確かに、ここから南綾高校なら徒歩で駅の北口に抜けるのが一番近い。車も自転車も却って遠回りだろう。もしかしたら祐樹や守さんの授業も担当しているのかもしれないのかと思うと不思議だ。
「じゃあ日中、いてくれる時間もあるんだ。安心だね」
小田のいう通り、日中フルで無人よりはずっといい。けれど深町は首を傾げた。
「どうだろう。あの人のネコアレルギーはひどいから。昨日動物病院に様子や届出とかのこと聞きに来た後も顔面が腫れてすぐ帰るハメになったからな。従兄弟なんかはもっと酷くて、呼吸困難で倒れるレベルだ。だからガレージには近寄れないと思うよ」
深町の話は、なぜか途中で俺たちの知らない従兄弟の話になったが、親のアレルギーが想像以上に大変なことはよくわかった。
「深町さん。ほんとにネコ連れてきてよかったのかな。お家の人に怒られなかった?」
小田がおずおずと尋ねた。今回は獣医さんのご好意で治療費はかからなかったけど、ネコは事故にあったばかりだ。この後調子を崩した時は家族が病院まで連れて行ったり、費用を負担したりしなくてはならないのだが。深町は目を丸くする。
「え。なんで怒られるの。別に悪いことしたわけでもないのに」
「怒られるっていうか、困っただろ。アレルギーなんだし」
「ずっとってわけじゃないから」
ケージを準備してくれたらしいし、連れてくる許可は得ているんだろうけど。相当の犠牲を払うことになるみたいなのに、ずいぶん心の広い親だ。
昔、祐樹と捨てられた仔ネコを数匹連れ帰ったことがあったが、台風が来るから一晩だけと頼んでもうちの親はいいとは言わなかった。すぐに元の場所に返してこいと追い出されたことを思い出す。あの時の仔ネコは百瀬んちが二つ返事で引き受けてくれたんだったが。俺はそれがすごく羨ましかった。きっと小田の家でも同じようなものじゃないだろうか。親の許可がなくては子どもには何もできない。
「深町さんちは自由でいいなあ。うちはしっかり世話できるところを見せて認めてもらわないと許可してもらえないと思う」
小田が唇を真一文字に結んで真剣な顔をする。小田自身きちんとした印象のある子だ。そこそこ厳しい家なんだろうと想像はつく。
「私はきちんと世話するよ」
深町が不本意そうに言うので小田があわてて肯定する。
「うん、そうだよね」
真面目にするに違いないけど、それでも不安が拭えないのはどうしてだろう。百瀬の家なら安心なのに。あの時の仔ネコたちも譲さんがちゃんと行く先を見つけてきて、家に残っているのはシマネコ一匹だけだ。困ってるのは百瀬の嫌いな深町じゃなくて可愛い黒ネコなんだ。窮状を知って考えを変えてくれたりしないだろうか。
「うちはとても過保護だよ。……とにかく、ネコをケージに入れてくれ」
まあ確かに深町が連れてくるネコのために、こんなに至れり尽くせりの対応は過保護でなければできまい。俺は言われるがまま肩にかけたバッグをケージのそばに下ろした。小田がエリザベスカーラーを掴みどこかに引っ掛けたりしないように注意しながら、ケージの中へネコを誘導する。ネコはおとなしくケージの中で丸くなった。疲れてしまったのだろうか。
「狭くて、ちょっとかわいそうね」
小田が声をかけるとネコはくにゃっと尻尾を揺らした。このネコがもしもあの時の図書館にいた自由奔放なヤツなのだとしたら、一日中身動きできない状態は耐え難いに違いない。元気になったら脱走してしまいそうだなと、ガレージの外を見やった。着いた時よりうす暗くなっている。ケージの奥に置かれた作業台の上にある木製の置き時計で時間を確認した。十八時十二分。
「深町、この時計の時間、あってる?」
「電波時計だから」
「あ。私そろそろ出なきゃ。……ごめん。深町さんトイレ借りていい?」
このあと習い事があってと言う小田を深町が母屋へ案内する。点耳薬も病院で済ませてあるし、今日やるべきことは何もない。小田が戻ってきたら俺も一緒に出よう。
ふと一人残されたガレージを見回すと、さっきの置き時計の横に一冊の黄色い表紙の新書が伏せられているのが目に飛び込んできた。『人と親しくなる方法 〜仲良くなりたいと思わせる人の12の特徴〜』こんなタイトルの本を、一体誰が読んでいるんだろう。
伏せてある箇所に指を挟み、本を手に取ってみた。ページの右端には大文字で『名前で呼びかけると距離が縮まる!』と章タイトルが書いてある。
——名前で呼びかけることには、相手に大多数の誰かではなく「あなたに関心がありますよ・受け入れていますよ」とサインを出す効果があります。それだけで相手の心のハードルを下げることができるのです。——
本文はそのように続いていた。確かに人の名前を覚えるということは友達になる第一歩なのかもしれないけれど、そんな単純なものでもないような気がする。例えば男の俺がいきなり小田や深町の下の名前を呼びつけたら、ふつーに警戒されると思うし。でも、もしかして、深町はこの本を読んで……。
「大葉くん、何読んでるの?」
戻ってきた小田に声をかけられて俺はさっと本を元の場所に伏せた。まずい。ビンゴだ。小田の背後にいる深町の顔色が見る見る間に真っ赤に染まる。
「どうして勝手に人のものを見るんだよ!」
深町は本を奪ってガレージの外へ駆け出した。深町に肘で押しのけられガレージの壁に肩をぶつけた小田が小さく悲鳴をあげる。
「きゃ。……深町さん、どこ行くの?」
小田の問いは深町に届かない。俺の顔と深町の出て行った先とを交互に見て「どうしよう」とつぶやく。
「ごめん。俺、深町に悪いことをした。話つけてくるけど、小田は習い事、急ぐだろ? 先に帰って」
「でも……」
「遅れると、家族にネコのこと交渉するのにも印象悪くなるし。そういうの、まずいんだろ?」
引き取るのが交通事故にあった成猫で、小田の家族にネコを飼った経験はない。ただでも条件は良くないのだ。
「そうだね。ごめん。ネコのためにがんばるから。深町さんによろしく伝えて」
小田はボストンバッグ型の通学バッグを肩にかけガレージを出て行った。




