12 南朋のお人好し <ギフト:きのぱんさんから>
<12話 あらすじ>
「昨日はツンケンしすぎた」と謝罪をする百瀬。
一旦仲直りをするが、「深町が黒ネコの引き取り手を探しているから、ひきうけてくれないか」と南朋が百瀬に持ちかけたことから再び彼は不機嫌になってしまう。
「今後、百瀬の前では深町の話はしない」と約束する南朋だが……。
教室に入ると虎之助はカバンも下ろさず百瀬の席へ向かった。片手を振り上げ挨拶する。
「はよっす、ももちゃん。今日早いじゃん」
朝に弱く、いつも俺を待たせてばかりいる百瀬が一人で先に着いているなんて驚きだ。虎之介の後ろから俺も百瀬に声をかける。
「お、おはよ」
昨日の今日で気まずかったが、できるだけいつも通りを意識して声を張る。百瀬は寝癖を伸ばしていた手を離し、勢いよく席を立った。
「おはよ。南朋、昨日はごめん」
ぎゅっと目を閉じて頭を下げる。
「あ、いや。全然」
「なんか、一人で深町さんに怒っている自分がバカみたいで。気持ちの整理がつかなかった。大人気なかった」
百瀬はすごく素直だ。言葉や態度から、俺と仲良くいたい、許してもらいたい、という気持ちがまっすぐ伝わってくる。
「ももちゃん、部活でもぼーっとして怒られよったし。毎度、毎度、メンタルが外に出過ぎやねん」
虎之介のからかいに百瀬が頬を膨らませる。
「またトラは余計なことばっかり告げ口する」
いつも通りの二人を見てホッとすると同時に、頭に「なんのことかわからないまま謝られても不愉快じゃないのか」と眉を寄せる深町の顔が浮かんだ。
彼女は人に興味がなくて、自分勝手で、相手の気持ちなどお構いなしなように見られている。でも実際、深町に抜けているのは自分を大事にすることだ。体と同じように自分の気持ちも当たり前のように無視し、気づかないでいる。自分の怪我よりネコの怪我。相手を失望させたくないから謝らない。結果、百瀬みたいに素直な気持ちを伝えられない。
「南朋?」
黙ったままの俺の顔を、百瀬が不安げに覗き込んだ。反射的に笑みを浮かべる。
「俺も、ごめん。百瀬は俺のために怒ってくれてたのに、もういいなんて言うのは、良くなかった」
二人は一斉に文句を言う。
「そうだよ。南朋はもっと自分を大事にしろよな」
「怪我した時も平気なふりしとったやろ。バレてんで? 我慢しすぎは良くない!」
「……だから、ごめんって」
平気なふり。俺も深町と同じだ。身体の痛みも、感情も、無理やり抑え込もうとしたんだから。俺の場合は感じられないのではなく単なる事なかれ主義で、受け止めてくれる場があると思えないと、まっすぐ言葉も出せないからだけど。つまりビビりだ。
「いや。全然わかってないね。あーあ。どーせ、直んないんだろうな。南朋のそういうとこは」
呆れた声を出す百瀬が、なぜか嬉しそうに見える。その顔でもう俺は安心してしまう。二人にはまるっと理解されていると感じる。だからきっと今後も反射的に繰り返してしまうと分かっていても、平然と謝れるんだ。嘘になる罪悪感なんか持たない。この謝罪は深町のこだわる、もうしないと誓う嘘の約束なんかじゃなくて、百瀬が俺を心配してくれたことに対するお詫びの気持ちだ。深町の世界にはそういう場がない。
「気をつけるよ」
俺の答えに、百瀬は何度か瞬きし、視線を泳がせた。
「ま、南朋のそういうところが俺は……嫌いじゃないけどね」
「俺も、南朋の気ぃ使いなとこ、めんどくさいけど好っきゃで!」
「めんどくさいんかい!」
虎之介の率直すぎるもの言いに苦笑する。俺は周囲に恵まれていて、幸せだ。だから深町の世界にもどこかにこんな関係があってもいいんじゃないかと願ってしまった。
「昨日、帰りに深町と会って。ちゃんと謝ってもらったんだ」
「え?」
深町の名前が出たとたん、百瀬の表情が固くなった。虎之助が百瀬の薄い背中をバシッと叩く。
「こら。ももちゃん、そんな顔しなや。よかったやんか。これで一件落着やろ」
「そんな顔って別に、元々こうだよ。まあでも、俺には深町さんがどんな風に謝ったのか全く想像できないけど」
深町のあまりに無関心な態度を思い出したのか、百瀬は鼻に皺を寄せ、苦いものを吐き出すように舌を出した。いかにも、き・ら・いって書いてあるような顔だ。深町の与える印象の悪さと、それとは真逆な悪意の存在そのものが理解できないのではないかというくらいの、無防備な純粋さを思い、胸が痛む。
「普通に、ちゃんと謝ってくれたさ」
「あっそ。俺には一言もないけど」
もうほんの少しでも深町がうまく表現できたなら、百瀬だって、虎之助だって、クラスのみんなだって理解したかもしれないのに。今からじゃなかなか厳しい。
「もー。昨日、高橋さんも言うてたやん。ももちゃんはとりつく島がなさすぎやって。もうちょっとは優しく聞いたらな。あんな言い方されたら、俺かてビビるわ」
虎之介の言う通りだ。味方してもらえているうちにと俺は目下、最も重要なあの話を切り出した。
「それでさ、頼みがあるんだけど。昨日深町がネコを助けたって話しただろ? そのネコ、百瀬んちで預かれないかな」
百瀬の目に緊張が走る。視線の先を辿ると、ちょうどタイミング悪く深町が教室に入ってきたところだった。
「は? どういうことだか状況が全然わからないんだけど」
「えっと、言わなかったっけ。事故にあったネコを動物病院に連れてってたんだよ、深町は。だけど家族がアレルギーでネコを家に入れることができなくて、飼い主が見つかるまで世話できる家を探してる」
百瀬の口からふーんと冷たい声が漏れる。また何かスイッチが入っちゃったみたいだ。
「で。それをなんで南朋が俺に言うの」
「あ、いや。深町に探してくれって頼まれてさ。困ってるみたいだったし。百瀬ん家はこれまで何匹もネコを保護してきただろ?」
「困ってるからって、ふつー怪我させた相手にいきなりそんなお願いする? それに、なんで謝られてもない俺が深町さんを助けてやんなきゃなんないわけ」
俺に喋ってるはずなのに、百瀬の冷たい視線は教壇前の席に腰掛けた深町の背中に注がれている。虎之助が百瀬の視線を遮るようにパッパと顔の前で手を振った。
「あー! もう、やめやめ。謝られてないのにって、ももちゃんが怒鳴って話させんかったんやんか。それに南朋も。ちっと相談するタイミング考えや」
「でも。本当に深町は不器用で変わってるけど、百瀬が思ってるほどヤなヤツじゃないんだよ。話せばきっと……」
ああ、だめだ。百瀬の目が尖り、興奮にうるんできた。
「アイツは保健室で南朋に責められたって言い訳したんだよ? なんで庇うの。俺はさ、自分のやったことは棚に上げて、されたことばっかり恨んでんのが気に食わないんだ。最悪だよ」
「違うんだ。深町のあれは恨んでるとかじゃなくて、百瀬が俺から責められなかっただろうって言ったから、そんなことないって答えただけ」
深町の文脈や空気を読めず言葉通りに受け取ってしまう正直さ。ひとつのことに夢中になると周りが見えなくなってしまうところ。そのせいで痛みへの感度さえ鈍ってしまうこと。分かれば、きっと見方が変わる。
「南朋はお人よしにも程がある」
「いや。お人よしだとか、庇ってるとかじゃなくて。深町が正直すぎるだけっていうか、それも度を超えて嘘がつけないっていうか……」
百瀬はこれ見よがしに大きなため息を吐いた。
「はぁ。いまのそれが庇ってるんじゃなきゃなんなんだろ」
虎之助も今度は助け舟を出してはくれない。百瀬が特別なんじゃない。あの日のみんなも深町に対する態度は、こんな感じだった。これほどまでに人から誤解され嫌がられてきたなら、そしてその理由が何度も失敗を繰り返して呆れられてきたことにあると考えたのなら、深町が動けなくなってしまうのも当然だ。
許して欲しいくせに、なんで怒っているのかわからないままじゃ失礼だから謝ることはできない。謝っても嘘になるから謝れない。失敗を恐れ、わかりもしない相手の気持ちばっかり頭の中でぐるぐる思い巡らせて行動できない。そしてその態度をも責められる。悪循環に頭を抱えた。俺が何か言えば言うほど印象が悪くなる。
「わかった。もう百瀬には頼まない」
「オッケー。俺も南朋と喧嘩したくない。この件は忘れるから、二度と俺に深町さんの話はしないで。じゃないとイライラしてしょうがない」
百瀬は俺の肩を叩き、教室の外へ出て行ってしまった。