11 女の子と歩くのはなんでこんなに落ち着かないんだろう <紹介:百瀬譲>
<11話 あらすじ>
駅で深町の落とし物を拾った南朋は、彼女が電車通学であることを知る。
南朋は彼女の他に町立中学校に電車通学をしている人を知らず、何故なのか興味を持つ。
怪我をした黒ネコの引き取り手を探している深町は、南朋に誰か声をかけてくれるよう頼むが……。
翌朝、通学中に学校最寄りの宮下駅で深町の姿を見つけた。反対方面のホームで踵をつけずにふわふわと歩き、人にぶつかって頭を下げたり、壁のポスターを眺めたりしながら、改札へ向かう集団にゆっくりと飲み込まれて行く。
うちは公立の中学校だ。校区の範囲が決まっているから生徒は皆、徒歩か自転車通学。今の俺は特例で、通常は電車から降りてくる中学生などいないはずだ。見間違いだろうか。確かめたくなって陸橋を駆け、彼女の抜けた改札へ急いだ。数メートル向こうにうちの制服を着た女子の後ろ姿がある。やっぱり深町七緒だ。
改札を通過し、上がった息を整える。目の前で深町のリュックのサイドポケットからオレンジ色をした四角い何かがこぼれ落ちた。Suicaだ。深町は落としたことに気づかず、ロータリーへと歩みを進める。
拾い上げて見ると、深町の氏名と駅名がふたつ印字してあった。定期だ。深町は電車通学なのか。
「おはよう、深町。これ、落とし物」
背後から声をかけると口をぽかんと開いて振り返った。それから目を見開いて「あっ」と大きな声をあげる。周囲の注目が集まって恥ずかしい。深町は俺の手からSuicaを抜き取ると深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あ、いや。どういたしまして」
なぜか敬語だったので、こちらも合わせて敬語でこたえた。深町はSuicaをリュックのサイドポケットに押し込むと、俺の顔を見つめ、首をかしげた。
「あれ、どうして?」
どうして。
おそらく深町が聞きたいのは、なぜ俺が駅から出てきたのかということだろう。昨日も俺は電車で帰ったのだが、病院前で別れたから知らないのだ。
「ああ。俺、怪我で自転車乗れないから。一時的に電車通学」
テーピングを巻いた左手を上げると、深町は「ほう」と満足そうに頷いた。納得がいったらしい。どうしてというなら、深町が定期を持っていることの方がよっぽど不思議なのだが。
「深町は、電車通なの?」
「そう。私も自転車に乗れないからな」
「???」
自転車に、乗れない? それが電車通学の理由になり得るのだろうか。しかもさっき見た深町のSuicaには学校最寄りの宮下駅の他に、祐樹が通う南綾高校最寄りの綾川駅の文字があった。綾川駅から乗るのだとすると深町の家はおそらく綾市。宮下町立であるうちの中学校の校区ではない可能性が高い。
「南朋は、いつもは自転車か。怪我をしていない時は」
突然下の名前で呼びつけられて、びっくりする。昨日まで名前と顔が一致していなかったくせに、いきなりそれはちょっとどうなんだろう。そういえば、昨日もそう呼ばれていたような気がする。クラスの連中が呼んでいるからだろうか。
「そうだよ。うちは宮下南小の近くだから」
深町が眉を寄せた難しい顔をする。どこなのか見当がつかないようだったので、駅名で言い換える。
「えっと、城東駅の方だよ。学校までは四キロくらいある」
宮下駅の次の次。駅名なら乗り場案内に書いてあるから見たことがあるはずだ。
「それは遠いな」
同じ町内だし、たった二駅だ。深町が乗っているのだろう綾川駅よりは近いと思うけど、まあ自転車がないとかなりの距離にはなる。
駅前のロータリーを抜けると学校までは商店街を通ってものの五分だ。今のところ周囲に知った顔はないが、同じ制服を着た徒歩通学の連中の後ろ姿がちらほら見える。このまま深町と学校まで一緒に歩くのはなんだか気恥ずかしい。
「じゃあ」
手で合図を出し先に行こうとすると、深町は俺の通学用のボストンバッグを引っ張った。
「誰か家でネコの面倒を見られる人を知らないか」
「えっ? ……と」
パッと頭に浮かんだのは百瀬の顔だった。あいつの家にはすでにネコが三匹もいるのだ。他にもよく人の言うことを聞くゴールデンレトリバーがいる。その前はポメラニアンを飼っていた。あの傍若無人な譲さんが動物に対してだけは別人のように甘々で、よく面倒を見るらしいのだ。三匹のネコはいずれも別々の機会に貰われてきた仔だ。困っていると言えばきっとあの黒ネコだって受け入れてくれるんじゃないか。いつもなら。問題は今、百瀬と俺が喧嘩中だということ。しかもその発端となった深町からの頼みだ。黙り込んでしまうと、深町はしょんぼりと目を落とした。
「ケガが治るまでは、うちのガレージにおいていいと家族は言ってくれてるけど、家にはウサギがいるし。そもそも母がひどいネコアレルギーだから居場所がないんだ」
「それは昨日も聞いた」
「それはそうだけど……」
ゴニョゴニョと言葉を濁す。飼い主を探そうにも、深町には声をかけられる相手が他に誰もいないのだ。
「一応、誰か当たってみようか」
思いを汲んでやると深町は安心したように大きく息を吐いた。それから一気にネコの状況について詳しく説明しはじめた。
「あれはメスのネコなんだ。もう大人で、あれ以上大きくならないんだって。病院が迷い猫の張り紙してくれたから、そっちから連絡が来るかもしれないけど、張り紙に効果があったことはほとんどないらしいし、ガレージでは暑くなった時まずいだろう」
ネコは事故で皮膚を少し擦っていて保護が必要だから、処置が要る間は自分が面倒見ようと思っていること、病院では結構おとなしい利口なネコだと言われていること。聞き終える頃には、商店街を抜けていた。
正門前の信号近くまで来て、クラスメイトの顔もちらほら確認できるようになると、心理的にどんどん余裕がなくなってきた。知り合いに見られるのは気まずい。ここから逃げ出したいような、自分が自分でないような、どうにも落ち着かない気持ちがせり上がってくる。
「わかった。じゃあ俺、もう行くから」
信号が変わるタイミングでダッシュしようと決め、深町から少し離れる。
「あ。あともうひとつ、南朋にお願いがあるんだけど」
深町は大声で下の名前を呼んだ。焦って、ついぶっきらぼうな返事になってしまう。
「なに?」
「今日、ネコが退院するんだ。放課後うちに来て傷の消毒を手伝ってほしい。ネコを押さえててくれれば、私でも上手くやれると思うんだ。南朋は……」
信号が変わりみんなが歩き出しても、深町は話に夢中で動こうとしない。信号の向こう側で虎之助が大きく手を振っているのが目に入る。歩行者用信号が点滅を始めた。ここでこれ以上名前を叫ばれてはたまらない。
「いいよ。じゃあ放課後な!」
俺は話を打ち切るために色よい返事をし、走り出した。
「あ、ありがとう!」
背後から弾んだ声が追いかけてくる。大きな声に何人か振り返ってそちらを見ているのがわかる。どうやら気恥ずかしいと思っているのは俺の方だけで、深町は人からどう見られても全く構わないようだ。
合流すると虎之介は信号の方を振り返った。
「おっす。あれ、深町七緒やんか。なんか話し中やった感じ?」
「別に。ちょっと落とし物を拾ってやっただけ。行こうぜ」
正門の方へ向かって虎之助の背中を押す。女の子といるのを見られるのは、なんでこんなに落ち着かないんだろう。俺は深町の声に振り返りもせず、足早に昇降口へ向かった。