10 謝ってはいけない不思議な理屈と少女の説教 <紹介:百瀬守>
<10話 あらすじ>
教室内の険悪な雰囲気を収めるために南朋が放った「この話は終わりにしよう」という言葉を
「もうこの件には触れたくないのだ」と解釈していた深町は、「ちゃんと話せて良かった」と言う南朋に憤慨する。
どこでどうすれ違ったのか、確認し合った二人は……。
「じゃあ、また」
沈黙に耐えかね立ち去ろうとすると、急に深町が口元を押さえてあわあわしだした。
「しまった、謝ったらいけないんだった」
「え。なんで」
何を言っているのか、わけがわからない。疑問を口にすると、深町は俺の顔を覗き込んで目を見開いた。
「南朋が謝られたくないって言ったんじゃないか」
「俺が? いつ」
なんのことだかさっぱりわからなくて、こめかみを指で押さえ考え込んだ。そんなことを言った覚えはないのだが。
「教室でみんなに、この件について話すのは終わりにしようって、言ってただろう」
確かに朝、高橋や百瀬に向かってそんなことを言ったかも。でもそれは高橋の言葉に深町が怯えていたから、教室にみんなが戻ってきてて騒ぎになるのが嫌だったから、百瀬と深町のやりとりが平行線に終わる予感がしていたから……とにかくひとまずその場をおさめたくて提案したのにすぎない。当然、謝られるのが嫌という訳じゃないし、今みたいに怪我に至る状況について聞くのは大事なことだと思っている。
「それはなんていうか、あの場の空気をなんとかしたかっただけで。別に今、深町に謝ってもらっても悪い気はしない」
俺の返答に、深町はうんと眉を寄せる。
「つまり、もう終わりにしたいっていうのは嘘だったってこと? 本当は謝って欲しいのに謝って欲しくないって言ったってこと?」
「嘘ってほどでもないけど。例の件は締めておいたほうが、あの場はおさまりがよかっただろ」
「おさまり……」
めんどくさいな。こんなことに引っかかるヤツがいるなんて考えたことがないから、なんと説明していいのかわからない。どうしたら朝の不穏な状況を回避するために、もうこの話はよそうと言ったのを「謝られたくない」と解釈することができるんだ。深町の思考回路がわからない。今だって難しい顔をして何を考えているのか。というかなんか怒ってないか? なんで?
「えーと。深町だって、百瀬が不機嫌だったのは気づいたよな? そんな時は話を聞いてるってのを態度で示して、とりあえず謝っておいたほうがいいんだ。あんな失礼な態度を取らずに。荷物を片付ける手を止めて百瀬の言い分を聞いておけば、ここまで引きずることはなかったんだから」
深町はムキになって反発した。
「とりあえず? そっちのほうが失礼だろう。バカにされているみたいだ。なんのことかわからないまま謝られても不愉快じゃないのか」
グイグイ詰め寄られて閉口する。確かに彼女の言い分にも一理あると思う。
自分にもかつて、口先だけのごめんなさいに心底うんざりした覚えがあったからだ。その子はいつも抵抗しない相手を標的に乱暴を働いていた。大人に見つかって絞られるとあっさり謝り、また同じことを繰り返す。ごめんなさいの大安売りだった。
さとしなんかは早々に見切り、あれは確信犯だと決めつけていた。まともに取り合う必要がない相手だって。
本当のところ彼が何を思っていたのかはわからない。さとしの言うとおり、謝れば都合よくいくことに味をしめていた確信犯だったのかもしれない。俺には彼が他にどうしていいかわからなかったように見えた。振り返ってもらうために怒らせるしか方法がわからない。怒らせたら怖い相手は嫌だ。だから、怒れないもしくは怒っても怖くない相手を選んで反応をもらおうとする。構って欲しいから。それと深町は全然違うじゃないか。
「とりあえずって言うのは言い過ぎだけど、深町みたいにもうしないという自信がないから謝れなくなっているなんて、誰も分かってはくれない。意地を張って自分の非を認めない、嫌な奴だと思われるのが関の山だぞ」
きついことを言ったせいだろうか、深町は鼻をヒクヒクさせて唇を引き結んだ。興奮して目の端が真っ赤になっている。泣き出すんじゃないかと思って慌てて言い添える。
「深町は、いま俺に怪我させて悪いと思ったから謝ってくれたんだろ。じゃあ、できる限り気をつけるってことでいいじゃないか」
「でもやってもできないんだよ。たとえできてもずっとは無理で、絶対失敗する。またやった、嘘つきって言われるんだ。迷惑かけずにちゃんとやれって怒られる。嫌われてしまう。だったら最初から約束しない方がいい。私は嘘つきにはなりたくない。自分のために人を騙すのはよくない」
「騙してはないだろ。別にそんな、完璧にできなくても誰も嫌ったりしないよ」
深町は生真面目で不器用だけど、一所懸命ないいヤツだ。ぱっと見理解しにくい態度も、聞けばそれなりに筋が通っている。ちゃんと相手に迷惑かけまいと思ってもいるんだ。嫌われたくないのに、そのために進んでひとりぼっちでいるなんて、おかしなことになっちゃってるけど。
それに実は表情豊かだ。教室では本に顔を埋めていて、人と目も合わさないでいるからみんなに伝わってはいないが。今みたいにしていればいいのに。
深町は険しい顔でまっすぐ俺を見る。
「私は周りのために自分を騙すのも嘘つきだと思うよ」
「え?」
それが俺に対する非難だと気がつくのに、しばらくかかった。
「だって南朋は謝られたくなくなかったんだろう? ちゃんと話もしたかった。でも嘘をついていたら私にはわからない。嘘つきは信用されないぞ」
どうやら深町は俺に対して、俺のために怒っているのらしい。教室で高橋の話を止めたのは、深町のためだったのに、そのことで当の深町から嘘つきはいけないと叱られていることが、なんだか不思議だ。
なのに胸があったかくなるのはなぜだろう。場をおさめるために自分をないがしろにしてしまった俺のことを深町は思いやってくれている。すぐに空気を読み遠慮してしまいがちな俺のために、もっと自分を大事にすべきだと怒り、守られたような感じがしたんだ。
ふと百瀬の姿が思い浮かんだ。そうか。アイツが俺に怒っているのはつまりそういうことなんだ。
「……わかった。気をつけるよ」
「そうしてくれ。じゃないと私は混乱する」
深町七緒。変わってるけど、でもいいヤツだ。少なくともクラスでの評判より、ずっと。
*
それから深町と別れ、俺は電車で帰宅した。深町は動物病院の前で親と待ち合わせしているらしく、親の仕事が終わるまで商店街の本屋で時間をつぶすつもりだと言っていた。今後のネコのことも考えなくてはならない。
マンションの玄関扉を開くと、祐樹の靴がこのまま駆け上がったんだな、という形に脱ぎ散らかされていた。靴の片方は裏返り、玄関マットの上にまであがり込んでいる。見ておいて放置するのも気持ち悪いから、揃えて下駄箱に置いてやる。
「ただいま」
「おかえり、暇人。意外と遅かったな」
部屋に入ると二段ベッドの上から早速嫌味が降ってくる。部活が休みなのは怪我をしたからであって、別に好きで暇にしているわけじゃないのに。「祐樹こそ、ベッドでゴロゴロして。今日からテストだったんじゃないのかよ」と心の中で毒づく。俺は深町と違って、考えていることをそのまま口にしない裏表のある性格なのだ。
「この間、図書館で見たネコ。交通事故にあって今動物病院にいるんだ。今日はその見舞いみたいな感じ」
正確ではないが、深町が見舞ったんだから嘘にはならないはずだ。
「は? どゆことだよ」
「まぁ、いろいろあって」
かいつまんで事情を話すと祐樹はハッと鼻で笑った。
「アホか。ネコも、お前も、その女もつまんねーことで怪我しやがって。おかげで心配性のバカ女がうるさかったのなんの」
「守さんが?」
「『薫の自分責めがヤバすぎて心配。南朋くんの様子を教えて欲しい〜』だってよ。まったく。過保護がすぎんだよ、アイツは」
百瀬はすぐに態度に出る。素直で隠しごとのできないのは彼のいいところだけど、世話焼きな守さんは気を揉んだに違いない。きっと今日もイライラして帰ってくるだろうから、また祐樹は質問責め決定だ。でもたぶん、守さんにとって百瀬のことはきっかけにすぎず、目的は祐樹と話すことそのものなんじゃないかと思うけど。
「で、調子はどうだ」
「調子って、俺? 普通に元気だけど」
「バカ。お前の体調なんか知らねーよ。テーピング! 変えるなら俺が寝る前に言え」
「……今日は変えなくていいデス」
なんでいつもこう高圧的なんだ。二段ベッドの上にいるヤツが起きてるかどうかわかるもんか。テスト前くらい机使えよ……言いたいことがあっても、口に出すことを警戒する。それが俺の癖だ。相手の機嫌はどうか、言外の意味があるんじゃないか、どう返すとトラブルにならないのか、頭の中で考える。気分に任せて人を挑発するような危険を犯すべきではない。
——周りのために自分を騙すのも嘘つきだと思う——
ふと、頭に深町の言葉が思い浮かんだ。口を尖らせて真剣に怒る深町の姿は、まっすぐでキラキラして見えた。これまで人の逆鱗に触れないように行動しないと要領悪いと呆れられることはあっても、自分の気持ちに嘘をつくななんて言ってくれる人はいなかった。胸がぽっとあったかくなる。
「なにをニヤニヤしてんだよ。気持ち悪い。親切で聞いてやってんだろーが」
二段ベッドの上から降りてきた祐樹に丸めた教科書で頭をぽかっとやられる。ハッと頬に手をあてた。笑ってた? 俺が?
「別に、ニヤニヤしてねーし」
急に恥ずかしくなって、部屋を出て行こうとしていた祐樹の背中に悪態をついた。タイミング悪くパートから戻ってきた母親が、廊下からこちらを覗いて目を丸くする。
「なに。ケンカ? やめてよ。隣に響くんだから」
尋ねる母親を無視して祐樹はリビングの方へ出て行く。俺は黙って頭を振った。頬が熱くなっているのがわかる。
「なんかアイツにやついて気色悪ぃんだ。頭も打ったんじゃね?」
「ふーん。なんでもいいけどカステラ食べよ。長崎に行ってた職場の人からお土産にいただいたの。祐樹、牛乳注いで」
「へいへい」
珍しく祐樹が素直な返事をしている。カステラを前にしているからだろうか。
「南朋もおいで」
母の声に、俺はひとつため息をついてリビングに向かった。
引き続きお読みいただき、ありがとうございます。
自己紹介を兼ねてキャラバトンに答えてみました。
百瀬守(百瀬薫の二番目の姉・大葉祐樹の同級生)
キャラバトンより(本人が話している風に)
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1、自己紹介
南綾高校1年2組。百瀬守です。
美術部に入ってます。
2、好きなタイプ
真面目で誠実な人がいい。
間違っても人をバカ女とか言わない人!
3、自分の好きなところ
コツコツやれる自信はついたわ。
目の前にすごいのがいても卑屈にならずにね。
4、直したいところ
頑張りすぎって言われるのよくないよね。
力尽きたら元も子もないもの。
5、何フェチ?
えっと……やだ。この質問、セクハラですよね?
6、マイブーム
アロマにハマってる。
でも精油ってすんごい高いのよ。
7、好きな事
油絵かな。
っていうかあのバカ(祐樹のこと)美術部のくせに油絵具の匂いが無理とか言ってんの。
顔背けて色塗っちゃってさ。ありえなくない?
8、嫌いな事
ことっていうかもの?
虫全般嫌かも。特にG……
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