1 あの時突然姿を消した同級生は、どこでどうしているのだろう1 <絵:三人組>
<1話 あらすじ>
中学二年生の大葉南朋は、幼馴染の百瀬薫と宮下駅前図書館でテスト勉強をした帰り、自分の自転車のサドルで丸くなっている赤い首輪をした黒ネコを発見する。
どうしたものかとためらっていると、そこに駅から出てきた高校一年生の兄・祐樹が合流し、南朋らが小学六年生の時に突然姿を消した親友・高木さとしと、高校の最寄駅付近で偶然会ったと話し始める。
自動ドアが開くや否や、百瀬薫は鯨が息継ぎをするみたいに勢いよく図書館を飛び出した。そのまま煉瓦造りの階段を一段、二段と降りかけ、あっと叫んで振り返る。
「どうしよう、南朋。これじゃあ、帰れないよね?」
階下からの風に浮き上がる髪を押さえ自転車置き場を指す百瀬の表情は、言葉とはうらはらに浮き足だっている。俺は返事の代わりにため息をつき、足元に滑ってきた青い定規をつまみ上げた。
「ほら、またカバン開けっぱなし」
「え、嘘。……ごめん。ありがと」
百瀬は定規を受け取ると、中学校指定のリュックを下ろしてジッパーを締め直す。
「おかしいな。ちゃんと締めたはずなんだけど」
唇を尖らせる百瀬に、俺はちくりと嫌味を放った。
「いや。全開だったね。どうせ別のことで、頭がいっぱいだったんだろ。いつものことだよ」
俺と百瀬では片づけの概念がまるで違う。百瀬にとって片付けるとは、単に持ち物をみんなカバンにぶちこんでしまうことだ。机の上に広げた教科書やノート、文房具までも、ブルドーザーのようにかき集めて一気に流し込む。ペンを筆箱にしまうとか、ノートやプリントは揃えてカバンに入れるとか、手順を踏むよう長年忠告してきたが、未だ定着する様子はない。
百瀬は俺の嫌味を華麗にスルーして、階段の下を指差した。
「それより、見てってば。あれ、南朋の自転車だよね」
懲りないなと呆れながら言われるがままに視線を向ける。自転車置き場の車道に近いほうから二台目。青紫色をした量産型の自転車のサドルに黒いネコが丸まっている。そんなどこにでもある自転車の隣にあるのは、籐籠風の編み込みワイヤーバスケットがついたベージュの自転車。こちらは百瀬が一昨年、バイクを買った長姉から譲り受けたお古であまり見ない型だ。間違いようがない。
もらった当初「こんなの男の乗る自転車じゃない、学校になんか乗っていけない」と泣いて拒否したのらしいが「まだ新しいのにもったいない」「うちにはこれ以上自転車を置く場所はない」などと家族に圧をかけられ押し切れなかったという。人の目なんか気にするなと大人は言うが、浮いてしまうのは嫌なものだ。特に人目の気になる中学生にとっては。さすがにもう慣れたようだが。
答えなど待ってられないといった様子で百瀬が俺の腕を引く。
「早く行こうぜ」
「階段で引っ張っんなって。危ねーな」
突っぱねながら、表情のコロコロ変わる幼馴染の自分の気持ちに素直なところをいいなと思う。感情を表に出すのが苦手な自分とは、まるで真逆だ。
具合の悪いことに俺たちが階段を降り切るのと、城東駅の方から歩いてきた水色のプリーツスカートを履いた高校生の集団がネコを見つけたのとが同時だった。ひとりが「ネコ。可愛いんだけど!」と叫ぶと、あっという間に人だかりができる。
「人慣れしてるね」
「飼いネコだからじゃない? 首輪があるもん」
彼女たちの勢いに気圧されて立ち尽くす俺たちの前で、ネコはのんきに尻尾を揺らした。恨めしそうに眺めていた百瀬が、突然「あっ」と声を漏らす。視線の先を見ると人目も憚らず大あくびをしながら道を歩いている男が目に入った。隣の市にある名門南綾高校の校章が入った紺のブレザー。広いおでこ丸出しの短髪ツーブロックの高校生。兄の祐樹だ。姿を目で追いながら百瀬がつぶやく。
「そっか。今日から南綾もテストだっけ」
百瀬の二番目の姉、守も、祐樹と同じ高校に通っているのだ。クラスも一緒だと聞いている。
視線に気がついたのか祐樹が、手を挙げて寄ってきた。
「よお、中坊ども。図書勉か? 真面目だな」
親しげな顔をして近づいてくる男を前に女子高生らは顔を見合わせ、俺たちのほうを振り返った。祐樹は親指を立ててネコの乗った自転車を指す。
「なんだ。これ、お前の自転車か。ネコに乗っ取られてやがる」
さすが、ヤツは空気を読まない。いや、俺たちが困っているのに気づいてるからこその発言なのか。女子高校生が場所をあける。
「そうだったんだ。気づかなくて、ごめんね」
「つい、ネコの魅力に負けちゃって。行こ」
「あ、いえ」
ぺこりと頭を下げると、彼女たちは元の道へ戻っていった。信号で振り返り、ひらひらと手を振ってくれる。
「へー。真っ黒なのかと思ったら、首輪の下に白い毛があんだな。こいつ」
行ってしまった人のことなど気にもかけずに、祐樹はネコの脇に手を入れ、小さい子にタカイタカイをするように持ち上げた。見ると祐樹の言うとおり、真っ赤な首輪の下、金の鈴のかかったあたりに三日月型の白い毛がある。
「わあっ、なにすんですか。せっかくくつろいでたのに」
百瀬の抗議に驚いて、ネコはぱっと金色の目を見開いた。にゃあんと一声鳴くと祐樹の手から飛び降り、そのまま図書館の裏側へと早足で歩き去ってしまう。百瀬はガックリと肩を落とした。
「あーぁ」
「ちょうどよかっただろ。帰るところだったんだし」
祐樹が自己弁護をすると、百瀬は唇を尖らせてなぜか俺を睨みつけた。「なんとか言ってよ」というわけだ。
百瀬は頼る相手を間違っている。俺は事なかれ主義なのだ。対立して人から強い感情をぶつけられるのは嫌だし、自分がそういう感情に煩わされるのも面倒だ。巻き込まないでくれとアピールするように、俺は黙って自転車に鍵を刺す。
「学習室は満室か? 中坊のチャリだらけだな」
祐樹はぐるりと自転車置き場を見渡した。自転車の泥除けに貼られたステッカーでも確認したのだろうか。
「べつに。そうでも」
そっけなく返し自転車を出すと、さらに空気が重くなる。道に出たところで祐樹が沈黙を破った。
「そういやさ、駅であいつに会ったぞ。髙木さとし」
「は? 駅って、いま?」
意外な名前に思わず城東駅の方を振り返った。祐樹は、自転車のバランスを崩した俺を見て声を出して笑う。
「ちげーよ、高校の最寄り駅で会ったんだ。綾川駅」
「なんだよ」
わざと紛らわしい言い方をしてからかったな。嫌なヤツだ。
高木さとしとは小学校の頃、毎日校庭のバスケットゴール前で真っ暗になるまで遊んだ仲だ。百瀬、それから中学に上がるまでは祐樹も一緒だった。バスケのセンスがあって、走るのも早くて。秋の運動会では毎年リレーの選手に選ばれていた。勉強はダメで、発言にも変に抜けてるところがあったけど、綺麗な顔をしていて人気者だったんだ。
その彼が六年生の運動会直前に突然学校から姿を消した。前日までバトンの練習をしていたのに、なんの挨拶もなしに。あれからもう二年になろうとしている。