プロローグ2
空が青い。無様に負けた俺を嘲笑っているかのような、どこまでも青く澄んだ空。そんな空を俺はスタジアムに仰向けになって眺めていた。普段なら曇りか雨かという調子なのだが、なぜか今日だけは気持ち悪いほどに晴れ渡っていた。俺は弱い。どのくらいかというと、この学園に入ってから一度も勝てていないくらい弱い。ここまで負け続けると普通なら諦めてしまうものだが、タチが悪いのは俺自身の諦めの悪さ。それはきっと幼い頃、才能の無さを思い知り泣いていたときに祖父から言われたあの言葉のせいだろう。
「 後悔しているのは、全力を尽くせなかった証拠だ。泣いているのは、お前がまだ諦めていない証拠だ」
祖父は二年前に亡くなってしまったが、その言葉だけは俺の心に力強く刻まれている。だから俺は勝利を知らないくせにそこにあるはずの勝利を手に入れるために足掻いている。でも、そこにあるのはいつも虚像でしかない。手に入れようともがいて、もがいて、もがき続けて、手中に収めようとした瞬間に目の前から跡形もなく消え失せる。勝利に裏切られ続けた俺は今も勝利を信じ続けている。全くもって無様だ。滑稽だ。でも、俺はどこかでそんな俺が眩しいのだろう。俺が通う東郷学園は全校生徒2000名を越える大規模な学校。年齢でいうと中学から大学までの生徒が通っており、年度末には学年の隔たりなく全ての生徒がランク付けされる。さて、今日は年度末の最終的な学内ランクを決めるランク戦。結果は先に言ったとおり一回戦で敗退。努力は裏切らないだの、結果はついてくるだの、綺麗事を抜かしたのはどこのどいつかは知らないが、そんな精神論が通用するほどこの世界は甘くないのだ。そんな考えを巡らすと、いつまでも寝転がっている訳にもいかないので、起き上がってスタジアムの外に出た。 俺が通う東郷学園は全校生徒2000名を越える大規模な学校。年齢でいうと小学校から大学までの生徒が通っており、年度末には学年の隔たりなく全ての生徒がランク付けされる。ちなみに俺、東郷暁斗はS~Dの5段階のうち最低のDランクに認定されている。さて、今日は年度末の最終的な学内ランクを決めるランク戦。結果は先に言ったとおり一回戦で敗退。もちろん結果なんて最初から分かりきっていた。俺の能力がサシでの勝負に向かないこともどんなに鍛えられた剣術や体術も能力を自由に使える相手にはほとんど意味をなさないことも最初から分かっていた。そのはずなのに───
「あーくそ!なんだってこんなモヤモヤすんだよ……」
諦めてしまった方がずっと楽なのに。
「なんで俺はこんなに……」
こんなに苛立っているんだ。
「 うふ、うふふふふ…… 」
「ん?」
聞こえてきた声に周りを見渡してみると、口に可愛らしく手を当ててニヤニヤしている女子生徒が一人。こういう場合はそっとしておくのが最善なのだが、その女子が先程の対戦相手だと気付いた俺は不意に声をかけていた。一年生の、名前は確か…天瀬莉愛。
「何笑ってるんだ、お前?」
「え?」
「いや、え?じゃなくて。 俺なんかに勝ったのがそんなに嬉しかったのか? 」
「 そうなんですよ!まさか上級生の方に勝てるなんて思わなかったので…… 」
後輩としては100点満点。顔も可愛いし、実力……は俺相手じゃ分からないが、何よりも対応の一つ一つが丁寧だ。後輩に可愛い子がいる、なんてクラスでは噂になっていたが、なるほど。それがこの天瀬のことならば合点がいく。でも、ならば一体何だろうか。敗北に対するもの以外のこのモヤモヤした感覚は。
「 いや、別に。気を遣わなくてもいいって。どうせ俺なんて親父の七光りでここにいられるんだし。能力だって、個人戦では全然役に立たないし 」
「 そ、そんな自分を卑下しないでください 」
不快感だ。俺の感じているのは不快感だ。今この瞬間、この少女と相対していることが、非常に不愉快なのだ。
「 それじゃあ失礼しますね?先輩、これからもがんばってください 」
「待った」
去ろうとする彼女の肩を反射的に掴む。
「え?」
そして再び俺の方を向いた彼女に向かって──
「見え透いた嘘ついてんじゃねーよ、このクソアマが」
気づいたら俺はそう言い放っていた。彼女が言ったことは自然だ。上級生相手に勝ったのが嬉しい。そう思うのは至極自然なことだ。だが、それは相手が俺じゃなかったらの話だ。目の前の少女は嘘を付いている…というのは大袈裟かもしれないが、何か感情を隠している。証拠はないが、彼女からは俺に似た匂いがした。いや、体臭的な意味ではないけど。そもそも体臭だったら天瀬の方がいい匂いが…じゃなくて。天瀬からは俺と同じような雰囲気を感じたのだ。内面が腐っていて外面を良く振る舞っているような。
(まあ、俺の場合は外面を取り繕う相手もほとんどいないけどな)
「え?あの、えっと………」
突然嘘つきだと言われたのだ。動揺するのも当然だろう。
「あの、何言って……?」
「あ?聞こえなかったか?お前は嘘つきのクズ女だって言ったんだよ」
この動揺の仕方からして、俺の推測は当たっているに違いない。そして、こういう野郎は他から否定されることに慣れていない。さらに畳み掛けてボロを出させるのがいいと判断し、俺は話を続けた。
「そもそも動かずに目を瞑っていたDランクの相手に勝ったくらいで、Aランクのお前が喜ぶ訳ないだろ。あ?」
「その、それは…。ランク戦は成績に繋がるし、勝利にはそれほど価値があると思いませんか?」
見苦しい。
「お前のランクは入学時からAのはずだ。最低のDランクの俺に勝ったところで周りの印象や評価もそこまで変わらないし、俺との試合に価値があったとは思えない」
「で、でもトーナメントですし。負けたら終わりなんですよ?だったら勝てた方が……」
ホントに全く───。
「お前が最初に言ったのは、上級生に勝てて嬉しいってことだったな。でも、今の話だとお前は相手が誰でも良かったってことになる。つーか、俺に勝つよりも、中等部の成績優秀者に勝った方がまだ嬉しいと思うけど、違うか?」
──全く、何でこんな奴が人気者なんだ。
「ふ、ふふふ……。先輩は鋭いですね」
「褒めても何も出ないぞ」
「褒めてませんよ。ただ…、少し厄介だと思っただけですから」
さっきまで取り繕っていたのが嘘のようにあっけらかんと言ってみせる。
「厄介って?」
「いえ、今まで作ってきた『私』が崩れるんじゃないかって心配で」
「俺が周りに、コイツは実はこんな奴だったー!なんて言いふらしても何のメリットもないし、第一、理事長の息子ってだけで周りから疎遠気味の俺がそんな根も葉もない噂流したところで信用なんてしてもらえないさ」
そもそも、最初からそんなの頭に浮かびすらしなかったけど。
「それを聞いて安心しました。では私はこれで」
「待てよ」
立ち去ろうとする天瀬をもう一度呼び止める。
「何ですか?まだ文句があるんですか?」
「いや。お前さ、なんでそこまで外面良く振る舞ってんだよ?」
すると天瀬はそんなことですか、とため息をついて答える。
「周りから良く思われていればそれなりに過ごしやすいんですよ。一人でも私のことを心から友達だって思ってくれる人がいればいざというときに頼れますし」
「あっそ。やっぱお前って嫌な奴だな」
「私ほど素晴らしい人間はいませんよ?」
「顔と世渡り上手ってことに関しては否定しない」
笑顔で言う天瀬に呆れ顔で返すも、天瀬はさらに笑顔で続ける。
「そうですか。でも、先輩も先輩で性格悪いですよね」
「自分でもそう思う。あ、一つ忠告な」
ここで俺は人差し指を立て思いっ切り嫌な笑顔で一言。
「クズはクズに敏感なんだよ」
すると、一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに笑顔に戻って──
「そうですか。じゃあ今度こそ私はこれで」
「おう。引き止めて悪かったな」
丁寧に礼をして去っていく天瀬を見送ると、俺も荷物を取りに教室に向かった。
「周りから良く見られたい、か……」
(俺のランク戦は終わったし、明日からは天瀬の試合でも観るか……。アイツのこと、もう少し分かるかもしれないしな。)
そう考えながら教室で荷物をまとめると、今日のところは疲れを癒すために家に帰った。
続く