奪わせるつもりなんてない(例えどれほど罪深くとも)
三国side
薄暗い部屋の中で青白い光を発する画面を眺めている俺は、傍から見たら随分と不気味に見えるだろうなと下らないことを思い付く。
いつも通りに俺に料理を作り、洗濯をし、掃除を終えた紗綾は元から体力が少ないのが原因なのか、これまたいつも通りに疲れ果てて隣の寝室でぐっすりと眠りに就いている。
俺の食べる量が常人より多いので三食ちゃんとした料理を作るのがきついのと、借りている部屋が結構大きいから全室を掃除するのが大変で疲れているのだろうと思う。
壁に仕切られているから音は聞こえないだろうが、念には念を入れて音を立てずに静かに行動する。
疲れた紗綾を起こしたくはない。
そんなことを考えながら自分の寝室に置きっ放しにされて普段は余り使うことのないパソコンの画面をスクロールして一番下まで読み終えると、見落とした内容は無いかともう一度読み込んで行く。
「……ラグナロク、か」
ラグナロク。
政界の重鎮であり、財界や警視庁にまでコネクションを持つ日本きっての大財閥の総代、南雲晴臣の子飼いの裏組織。
少数精鋭で一人一人の能力や資質が異様に高く、南雲晴臣の命令に絶対服従なため、巷ではアメリカで秘密裏に開発された機械人形ではないかという憶測も飛び交っている。
実態を知る者は存在しない。
そのラグナロクが、花苑直系の孫娘にして裏社会から狙われることのないようにひっそりと隠された秘姫である花苑紗綾、つまり俺が囲い込んでいる紗綾を探しているという情報が流れていた。
ほとんどの裏関係者は紗綾の存在すら知らなかったから何が何だが分からないようだが、紗綾を何が何でも手放したくない俺にとってはかなりの一大事である。
「まあ、紗綾が花苑秀一郎の孫娘だということは何と無く勘付いていたけどね…」
俺が紗綾を攫って来て梓に会わせた当初、職業柄、情報検索が大得意な梓は念の為にと紗綾の素性を探っていたのだ。
紗綾のこと疑っているわけではないが、何かあった時の為に情報は必要だろうと思っていた俺も梓に探ることをお願いしたが、そこで信じられないことが分かってしまった。
「まさか紗綾の情報が欠片も無いなんて思わなかったよ」
日本在住の日本人を含めて日本にやって来た外国人や、日本国内に居る人間と分類されるものの情報は例え数行であろうと存在する。
今や携帯電話で位置情報を探れたり自分の行動を発信できたりしてしまうし、裏社会に属する人間は上からの命令で厳密に登録されているので情報が無い事はあり得ない。
それなのに、紗綾の情報だけは何処にも無かったのだ。
紗綾という存在自体があたかも此の世に無いかのように。
そんな無駄に凄いことが出来るのは裏社会において絶大な権力を持つ人間の所業に他ならない。
そんな中で思い出したのが、紗綾が名乗った花苑という苗字だった。
花苑家は裏社会において絶対的支配者とも謳われる家系だ。
平安時代よりも古くから今現在の天皇にあたる大王や政権を握った藤原氏などの高位貴族に仕え、おどろおどろしい闇を引き受けては発展してきた純粋なまでの闇の一族。
その総代にあたる花苑秀一郎は基本的に厳格で他者にも自分にも厳しいと言われているが、身内、特に息子家族には甘いというのは裏社会において公然の秘密状態であった。
その中でも特殊な位置にいたのが紗綾であったようだ。
花苑家はその末端までもが何かしらの形で裏社会に属し、家の更なる発展の為に貢献している。
息子である花苑幸秀にその嫁である花苑峯子、孫娘である花苑更紗も裏社会では名の知れた存在であった。
しかし、どれほど裏を調べようとも花苑紗綾という少女の存在だけは出て来なかった。
これは俺の憶測だが、紗綾の父親にあたる花苑幸秀や母親の峯子、姉の更紗が妹である紗綾だけは裏社会に巻き込まれないように総代の花苑秀一郎に直訴したのではないかと考えている。
でなければ、花苑更紗が既に情報屋として活動していたあの年齢で裏に属していないのはおかしいし、情報が僅かでも出回っていないのも違和感がある。
もしも俺たちの情報が誤りで、紗綾が裏社会に属していたのだとすれば、息子家族を大切にしている花苑秀一郎や家族の三人が俺たちのことを教えていないのは不可思議だ。
俺や梓、弓弦は裏社会でも危険視されるほどの異常者であり、その三人が仲良くつるんでいるというのは危険極まりない。
普通なら顔写真や詳細な情報を与えて警戒させるようにしていた筈だ。
それを知らないということは、紗綾は裏社会に全く関わらず、全てから隠されるようにして守られていたということなのだろう。
紗綾の変な素直さはそこから来ているのかもしれない。
「それにしても、まさかラグナロクに家族を殺されていたとはな…」
某月某日。
花苑家総代である花苑秀一郎の息子夫婦、次期総代の花苑幸秀とその妻である花苑峯子、その娘にあたる花苑更紗が自宅でラグナロクの者たちらしき人影に殺害された。
直系の者が殺されたという醜聞について翌日に花苑秀一郎はそのことには特に触れず、代わりに息子夫婦には花苑更紗以外にも娘がおり、その娘である花苑紗綾という少女を見付けた者にはそれ相応の待遇を約束すると宣言している。
裏社会において公認であった花苑更紗以外に娘がいたということに対する驚愕は大きく、それが事実かも正確に分からない今、何の目的があるかは現段階では不明。
しかし、その後には顔写真まで貼り出されており、それは紛うことなく紗綾の顔だった。
濡れ羽色と言われる艶のある黒髪のショートボブに雪のように白い肌、花苑家にごく稀に生まれるという青灰色の瞳を持つ儚く美しい容貌の紗綾は、まさしく花苑家の秘姫と呼ばれるに相応しい神秘的な美しさ。
その記事を見た多くの情報屋や裏関係者が紗綾のことを探っているようだが、紗綾を部屋から出したことはあの事件以後無いし、攫ったヨルムンガンドに至っては皆殺しにしているので紗綾を囲っている俺に辿り着かれる心配は万が一にもない。
だが、やはり心配なのは心配で。
「梓にちょこっと情報操作してもらおうかな」
情報に関するプロフェッショナルと言っても過言ではない梓に頼めばそのくらいは余裕綽々だし、いざとなれば情報を捏造して流してもらって紗綾を隠すことも可能だ。
まあ、もしかしたらこの情報を既に読んだ紗綾が大好きな梓が自主的に色々とやっている可能性もあるが、明日か明後日辺り(梓も弓弦も紗綾が来て以来、かならのハイペースで俺の部屋にやって来る)に頼んでおいても損はない。
何気に人当たりが良くて裏社会の人間と関わりが多い弓弦にもこっそりと情報を流してもらおう。
ニヒルな笑みが口元に浮かんでいるのは分かっているが、直すつもりは少しもない。
紗綾を俺の手の内から奪われないためならば、きっと俺は何でもやる。
例え誰を殺そうと、裏社会の規律を破ろうと、果ては紗綾自身を壊す結果になろうとも。
俺は絶対に止めない。
歪んでいるのも異常なのも昔から自覚はあったが、この頃はそれに大分拍車がかかった気がする。
紗綾だけはなるべく傷付けたくはないが、もしも紗綾が俺から逃げようとするならば、薬を使っても、暴力を振るっても、精神を壊しても俺に繋ぎ止める。
「だから、俺から逃げようなんて愚かなことをしないでよね、紗綾」
そう呟いて思い出すのは、初めて見た時の家族を失った故に絶望した、歪な危うさを秘めた微笑み。
目を閉じればすぐに脳裏に描ける微笑みは、美しくも醜くも感じる。
壊れた所為で脆く儚いあの少女は、ふとを目を離したらいなくなってしまいそうで、時々ひどく怖くなる。
「俺の前から消えないで。紗綾が居なくなったら俺は、きっとどうしようもない程に狂ってしまうから」
これ以上、俺をおかしくしないでくれ。
俺の唯一にして絶対にして、俺にとっては何よりも尊い、神にも等しい存在を奪わないでくれ。
「俺が紗綾を此の世に繋ぎ止める為の楔に、鎖に、枷に、桎梏になるから、どうか_」
続く言葉を声にすることは叶わなかった。
救いのない罪人が神にでも縋るように囁いた言葉は、無垢な眠り姫には届かない。