赤い瞳に映る世界―1―
無能力者と異能者が暮らすこの世界は、平和とは程遠いのが実体だった。
異能者が誕生する前は無能力者が国を動かし、中には権力を振り翳す輩も多数存在した。
異能者が生まれたのはいつからだろう。それを知っている者は居らず、研究者が地道に調べているということしか知らない。
異能者にも数多の種類が存在する。
自然に存在する物を利用する種族――精天種。空想上にしか存在しえない、自然を司る精霊達の力を借りていると科学者の持論から、世間一般ではそう称されている。だが、その能力の実態を知るのは精天種だけだ。
獣の能力を有する種族――獣人種。獣と人間のハーフだと言われているが、本当の所は不明。突然変異での誕生、そう世間では呼ばれている。見た目は人間とそう変わらないが、獣特有の能力と獣化出来る超越した異能者だ。
他にも存在するが、一番この世界を震わせている異能者が存在していた。
『紅血種』。体内の血液を操り、その忌々しき能力から無能力者からは異端者扱いを受けてきた。
『呪われた存在』。『化け物』。血液を操るというだけで、その存在を汚ならしく無能力者達は見ていた。
そして、紅血種の者達は四つに分裂した。
人間の味方、正義を掲げる軍『聖錬緋蘭』。
人間を狩る集団『風月ノ園』。
そして、中立組織『月影楽園』。
どこにも属さない紅血種も居れば、集団に属する紅血種も居た。
日本。ここは異能者には優しい地ではなかった。無能力者は異能者を狩り、自らの力を示そうと奮起する日々が続いている。
――それを、感情の籠らない瞳で見ている一人の青年が居た。
高いビルの上に一人の影。
黒いフードから銀色の髪が覗く。やる気なさげな漆黒の黒い瞳には、この場からだと米粒程度にしか見えないサラリーマン達を映している。
屋上に居る青年の外見は十代後半。高校生と言われれば当てはまる程度の若さだ。だが、平日だと言うのに制服を身に付けていないという格好をしている。
黒い衣服に包まれているというのに、頭は奇抜な色をしている。衣服が黒だから一層目立つが、青年の容姿には合致しているという不思議さを持っていた。
彼の顔立ちは、可もなく不可もない。そこそこいいだろうと言われるくらいなのだが、彼にはその銀髪が自棄に似合っていた。
彼――薙沢暁は、大口を開けて欠伸を一つ漏らした。
「……眠い。まず、腹減った」
暁の腹から間抜けな音が鳴った。どうやら暁は空腹なようで、腹の虫が鳴ってしょうがないらしい。
「……腹ごしらえ、するか」
彼は飛んだ。そして、普通のように着地し、人の目を気にするかのようにフードを目深に被り、飲食店へと向かっていった。
暁は大手ファーストフードチェーン店に足を踏み入れた。
女性店員が笑顔で暁に「いらっしゃいませ」と言った。暁は顔色を変えず、若干顔を下に傾けて、目だけで辺りを見渡した。
……人間ばかりだ。
暁は内心そう呟き、暖色の壁で囲まれた店内に対して嘆息した。
鼻孔を擽る油っぽいにおいやハンバーガーのにおい。暁は、すん、と鼻を鳴らし、においを嗅いだ。
身体に悪影響を及ぼす物と言えば、第一は食事。ジャンクフードも偏った食事だから、肥満の影響も多いにある。手軽だからつい行ってしまう若者や子連れの人間達がファーストフード店に足を運ぶのが、常だ。
暁はカウンターに行き、ダブルチーズバーガーとコーラを注文し、財布から五百円を出して、お釣りを受け取った。
渡されるまで、暁は左隣の受け取り口に立った。
暁の漆黒の瞳に映る、無能力者の店員達。無能力者の人間達は普通過ぎて、彼らは暁自身のことを気付かない。気付いてしまえば、嫌悪の眼差しを向けてくるに違いないのが現実だからだ。
暁は耳を澄ます。
煩い人間達の声は、暁の中ではとても不愉快で、だが、どこか心地よさだけは感じていた。
暁は店員からトレイを受け取り、空いている席へと向かった。
平日だというのに、客は入る物。奇抜な頭をした集団や、歳が二十代前半くらいだと思う社会人の男性、幼い子どもを連れてる母親らしき人物。脂身の乗った男性など、年齢層は幅広かった。
暁はダブルチーズバーガーの包みをあけ、一口かぶり付いた。
……美味い。
心中では美味いと思っている彼だが、元々表情筋が固いのか、顔に出すことはない。
暁は夢中にハンバーガーを貪った。
物足りなさがあるかないかと言われれば、よく分からない。ただ、今手に持っているのを食べるのに夢中で、少しでも腹を満たすことだけを暁は考えていた。
「『風月ノ園』の連中がよ……」
暁の耳は、ある男性の言葉を拾った。
……『風月ノ園』の連中は、今度は何をし出したんだ?
「まぁた無能力者を狩ってるんだと。ほーんと、やめてくれだよなー。化け物連中はとっとと消えろっての」
――化け物。
……何も知らない人間が……。
「……異能者の身にでもなればいいのにな、無能力者が」
暁の小さな呟きは、誰にも聞かれることはなかった。
軽い食事を終えた暁は、ファーストフード店を出た。
店を出れば、目の前に広がるのは歩道を歩く人々と車道を走る車だけ。今の車はコマーシャルで見た気がするな、と、暢気に思いながら、両手をポケットに突っ込み、左折して歩き始めた。
この時間帯は、素行の悪い学生以外なら、学生はそう簡単に見付からない。
今は四月の下旬。昔は咲いていたと言われていた桜は滅多にお見え出来ず、人工の桜が各地に存在するくらいだ。
暁は、もう時期の終わった人工の桜を思い出していた。
見た目だけは素敵な人工桜。だが、子ども騙し同然の仕組みで、触れることは出来ない映像。見て楽しむことしか出来ないのが人工桜だった。
暁は別に人工桜に思い入れがある訳じゃない。ただ、暁が今よりも幼い頃に見た桜と比べているだけに過ぎないだけ。桜のにおいをまた嗅ぎたくて、また桜が増えることを密かに祈っているだけに過ぎなかった。
「――桜。桜を、見たい」
暁はぼそりとそう呟いてから、一人その場から消えた。