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志木町シリーズ

夢みるノースの真夜中

え? ハロウィンって幽霊が蘇る日じゃないの? っていう話。

城也しろや、ちょっと城也」


 オレンジ色と藍色が空に絶妙なグラデーションを彩る時刻。

 特に部活動には所属しておらず、高校から直帰してきた俺に母さんはそう声をかけた。まだ制服のままカバンも下ろしていない俺は、自室へと通じる階段を上がる足を止め振り向く。

 夕食を作る途中だったのか、視線の先にいた母さんはエプロン姿だ。


「なに?」

「あのね、昨日大雨だったでしょ」


 突如として始まった昨日の天気の話に、俺は少し違和感を感じたが「お、おう……」と何とか振り絞ったような声で返事をする。

 確かに昨日はすごい……いや、すさまじい大雨だった。もうすぐ厳しい冬だとはいえ、まだ厚めの毛布を出していなかった俺は、暖かな毛布を求め押し入れを捜索したのを覚えている。


「それがなにか?」

「うちは新築だから大丈夫だと思ったんだけど今日、城也の部屋掃除してたら見つけたの」


 部屋掃除、という単語を聞いて脳に電流が走った。偶然、掃除を始めた母親が思春期真っ盛りの息子の部屋で発見するものといえば、もうあれしかない。ゴクリと唾を飲み込んだ俺の前で、深刻そうな表情を見せる母さんを眺めて確信する。

 間違いない……内緒で買ったギャルゲーがバレたんだ。

 その考えが浮かぶと同時に、とてつもない悔しさが込み上げてくる。畜生、やっぱりベッドの下なんてオーソドックスすぎる場所に隠すんじゃなかった。

 だがしかし、ネクタイを外しながらすでに涙目で諦めたような顔をする俺の悪い予感は、当たっているようで当たっていなかった。


「本当に……新築だからって油断したわ、雨漏り」

「……は?」


 雨漏り? 母さんが俺の部屋で見つけたのって雨漏り? え? じゃあ、俺のギャルゲーは見つかってない……。

 心が晴れ渡るとはまさにこのことをいうのだろうと、身を持って知ったのは今日が初めてである。さっきとは一転して希望の光が見える俺だが、ふと母さんの言葉を思い出して恐る恐る問いかけた。


「……母さん」

「ん?」

「その雨漏りって、誰の部屋にあるの」

「誰って……」


 俺の質問に母さんは少し困ったような顔つきと声色で「だから城也の部屋って言ったでしょ」と言葉をこぼす。

 あまりにもアッサリと告げられた真実に、俺の心は絶望で満ち溢れ、思わず目眩めまいがした。



 窓の外が真っ暗になった夜十時頃。

 昨日の寒い雨の空気が末だ残っているため、長袖のパジャマに着替えた俺は自分のベッドを前に溜め息を吐く。母さんの話によると、雨漏りが発見されたのは俺のベッドがある場所(いつも頭を乗せている辺り)の天井で、そのときにはもう俺の枕がそれは見事な水玉模様になっていたらしい。

 雨漏りがしているならベッドを動かすのが最善策だろうが、残念なことに俺のベッドは大工だったじいちゃんお手製のため、通常より大きめに作られているのだ。当然、俺と母さんで持てるようなものではなく、動かすにはかなりの力を必要とする。いつもなら父さんが手伝ってくれるところだが、今日は残業で遅くなるとの連絡があった。

 結果、俺はいつも足を向けている方向に頭を向けて寝なければならなくなった。

 雨漏りといってもほんの少しだし、適当にバケツ的な何かを足元に置いておけば大丈夫だろう。要は顔さえ濡れなければいいのだ、顔さえ。


「ソファで寝ると体痛いしなぁ……まぁ、今日だけだし」


 寒さが充満する自室の中、それから逃げるように俺はいつもと逆方向へと頭を乗せ、布団をかぶった。風呂に入ったばかりのはずなのに、すっかり冷たくなってしまった体をさすって、なるべく早く暖まるよう意識する。

 少しずつ、だが確実に高まりつつある温もりを感じていると急に睡魔が襲ってきた。慣れない位置のため眠れるか心配だったのだが、これなら大丈夫そうだと微睡まどろみ、重い瞼を閉じる。

 規則的に落ちる雨音が響く部屋に、静かな寝息が加わり始めた。


 ◇◆◇


「ーー。ーー」


 シンとしていたはずの部屋の中、俺の耳に微かな音が届いた。

 反応して閉じていた目を薄っすらと開けるが何もなく、そこには暗闇ばかりが鎮座していた。寝ぼけた頭でも分かる、多分今の時刻は真夜中だろう。

 せっかく、ぐっすり眠っていたところを邪魔された煩わしさに、俺は反逆のように寝返りを打つ。


「ーー、い……!」


 それでもなお聞こえる、人の声のようなもの。もしかしたら、隣の部屋にいる中学生の妹の声だろうか。なぜか最近、俺が男友達を家に連れてくると目を輝かせながら「眼鏡攻めきた……!! 次のコミケネタはこれで決ま……あ、こんにちは!」とか、訳の分からないことを口走るようになってきた。仲は良い方だが、こんな真夜中に訪問されるほどの仲でもない。

 とにかく、妹だろうと何だろうとこれ以上何もするな、という意志も込めて、とうとう布団を頭までかぶる。


「……おい! ……きろ……い!」


 しかし、聞こえなくなるどころか逆効果だった。なぜだ。

 ますます大きくなる声に耐えきれず、俺はすっかり目の冴えてしまった体で布団を剥ぎ、小さく舌を鳴らしながら天井を仰いだ。

 もう本当に。


「んだよ……マジでうる」

「起きろと言っているだろう、このたわけがァァァ!!」

「せェェェ!?」


 目を開いた途端に響いた怒鳴り声。そして右耳辺りで聞こえた、布を引き裂くようなサウンド。

 数秒固まってから、恐る恐るそちらに顔を動かすと、不思議なことに俺の顔が映っていた。高校に入ってから染めはじめた茶髪に、まだ微妙な黒髪が残っている、そんな見慣れた自分の頭と呆けた表情。

 寝起きでいきなり大声を出したせいか、若干ボーッとする脳内のまま自分の顔を眺めると、突然その映像がギラリと反射した。銀色に光り輝くそれは細長く、歴史の教科書や漫画でしか見たことのないモノの名前を連想させる。


「…………刀?」


 掠れた声でその名前を呟くと、頭上からは「ふん」という鼻から抜けたような言葉が降ってきた。同時に、俺の耳元スレスレに刺さっていた銀の刃が抜かれる。

 抜いた瞬間、現れる尖った先端部分を見て、心臓を冷たい手で鷲掴みされたような感覚に襲われた俺はそのまま飛び起きた。一気に喉がカラカラに渇き、口すら動かせない。

 ふいに背後から若い男の声が聞こえた。


「まったく……やっと起きたか、このたわけ。私の手を使わせるとは偉そうなやつだ、ありえない」


 やけに古い言葉遣いと現代の言葉が混じった、何とも奇妙な話しぶりに少し緊張がほぐれ……る訳がない。むしろ驚く、臓器飛び出る。そんなこと起きるはずないけど。

 その驚きのあまり「う、うわあァァァッ!?」と叫びながら、ベッドの端へと這いつくばった。壁に寄りかかり改めて、さっきまで自分が寝ていた場所へ視線を向ける。

 そこで俺は目を疑う。


「うるさい! 男児たる者がデカイ声を出すな、情けないにもほどがあるぞ!」


 いや、アンタも十分声デカイよ。

 こんな状況に置かれているはずなのに、俺が心中で冷静なツッコミをできたのは、この男の見た目のおかげかもしれない。薄暗い部屋の中、ソイツの容姿はやけにハッキリと目にすることが可能だった。

 男にしては少し長めの、艶やかな黒髪。

 身に纏う袴の上に着込んでいるのは羽織り。

 そして、右手に持つ光り輝く銀色の刀。

 明らかにその容姿は現代とはかけ離れすぎていて、思わず俺は軽い目眩を起こす。

 そしてやっとのことで振り絞った声でぼやいた。


「…………ふ」

「ん? なんだ」

「ふ……不審者」

「なに!? 不審者だと! どこだ!? この私が成敗して」

「アンタのこと言ってんだよ!」


 俺の叫んだ言葉に、しまった刀を再度出しそうになっていた男は怪訝な表情をする。


「なんだと? 私は断じて不審者などではないぞ」


 理解に苦しむようなことを平然と言いのけ、男は完璧に刀をしまうと溜め息を吐きながら呟いた。何かに落胆したかのような、ガッカリしたような口ぶりで。


「やれやれ……どこまでも失礼なやつだな、我が子孫とは思えぬ」

「ど、どう見ても不審者にしか見えな……え?」


 会話の一部に違和感を感じ、そのまま固まった。俺のこぼした疑問形の一文字が空気に溶ける。沈黙が下りた部屋の中で男は特に何かを言う訳でもなく、不思議そうに首をかしげるばかり。何だよその仕草、女子か。てかそれより、


 今、コイツ何て……?


 しばらく見つめ合っていると、ふいに男が「おい」と話しかけてくる。ハッと我に返り意識を戻したら、男が俺のことを見据えていた。


「大丈夫か? さっきからボーッとしてなにを」

「ち、ちょっと待って!」


 急に大声を出され驚いたのか、男はビクリと肩を上下させる。だがそれも一瞬で、次見たときにはどことなく真剣そうな顔つきになっていた。また怒られることを覚悟していた俺は安心して口を開く。


「俺の聞き間違いかもしれないんだけど、さっき何て言った?」

「…………」


 俺の問いには答えず、男は黙ってベッドに上がると俺の真正面に胡座あぐらをかいて座った。さほど距離は近くないが、離れていても感じる雰囲気が男にはあった。

 強い芯のある人間が醸し出す。そんな、勇ましい雰囲気が。

 男は一つ息を吸うと、真っ直ぐに俺を見つめてきた。


「……自己紹介が遅れてすまない、我が名は小峰こみね凛之助りんのすけ


 名字を聞いて鼓動が高鳴る。それは自分と同じだった。

 信じられない、という表情を露わにする俺へ力強く言い放つ。到底、信じ難いような言葉を。


「お前の、先祖にあたる者だ」


 ◇◆◇


 先祖? 今コイツ、先祖って言ったのか? いやいやいや、そんなまさか。だって……だって、先祖だったらなんでこんなところに。

 パニック状態に陥る俺へ、凛之助は憐れむような視線を送りつつ「まぁ、信じられないのも無理はないな」と言う。そうだよ、信じられねぇよ。とっくに死んでるはずの先祖が今、俺の目の前にいるなんてそんな夢みたいなことーー。そこまで考えて俺は悟った。

 そうか、これは夢なんだ。

 寝ている間に見る夢、これならすべて納得がいく。武士みたいな格好した先祖がいるのも、このご時世にはないはずの帯刀をしているのも。全部夢なんだ。

 少々悪夢のような夢ではあるが、そういった結論に至ることでだいぶ心が安らぐ。一人で頷いていると不審そうな顔をする凛之助と目が合った。


「その動揺した様子、やはり……信じてはもらえぬか」

「え? い、いや、信じますよ?」


 どうせ夢だし、そう胸の中で呟きながら肯定の言葉を口にする。だが俺の真意とは裏腹に凛之助は瞳を見開き、すぐに表情をほころばせ「そ、そうかそうか!」と言いながら俺の両手を握った。


「さすがは我が子孫! その器の大きさ、感服いたした!」

「は、はぁ」


 さっきと言ってること違うじゃねぇか……。

 しかし、嬉しそうに笑う先祖を前に、そんなことを言い放つ勇気は俺にはない。愛想笑いを返しながら、振り回される両手をされるがままにしていたら、突然思い出したかのように問われた。「……あ」


「そうだ。お前、名はなんという? 私の自己紹介だけでは、フェアじゃない。お前も自己紹介せい!」


 フェア、という単語を聞いて違和感を覚える。最初にも感じたが、どうも変だ。見た目からしてかなり昔の人のはずなのに、どうして現代の言葉を知っているのだろう。

 ……夢だから、なのかな。一応あとで聞いてみよう。

 とりあえず自己紹介はしなければと、すっかり上機嫌らしい凛之助に「城也です」と名前を告げる。


「小峰、城也。こういう漢字で書きます」


 夢だと分かっていても、先祖と聞くだけでなぜか敬語になってしまう。なんか服装も偉い武士みたいだし。

 カーテンの隙間から覗いた月明かりを頼りに、俺がシーツの上に字をすべらせる。ジッとそれを眺めていた凛之助は書き終えると同時に、一人で頷きながら手を顎辺りに添えた。


「城也……うん、良い名前ではないか。縁起の良さそうな響きだ。誰がつけてくれたのだ?」

「じいちゃんです、親父の父さん。城みたいな立派な男になるようにって」

「ほほう、順一じゅんいちがつけたのか。実に良い名だ」

「ありがとうございます。ちなみに、妹は真城ましろっていうんですよ。真実の城って書いて、まし……え?」

「ん?」

「……なんで、今、じいちゃんの名前知って」


 唖然としながら問われた俺の疑問に、凛之助は至極真っ当だと言わんばかりの表情で「当たり前だろう」と言う。


「先祖なんだから、自分の子孫の名前くらい知っている。だが、城也のような若いやつは今日初めて見たからな。知らなかったのだ」


 今度はその妹にも会ってみたいものだ、という凛之助の言葉はもう俺の頭には届いていなかった。巡る思考の中、俺は一つの疑念を抱く。

 もしかしたら、この人は本当に先祖なのか。

 考えれば考えるほど分からなくなる。夢にしては会話や意識がリアルすぎるし……だいたい、祖父の名前なんてそうそう知っているものではない。悶々と思考を巡らせていると目眩がしてくる。

 そんな俺に気づいていないのか、凛之助は両手で膝を叩き「さて!」と、まるで気合いを入れるかのように言うと、俺に視線を向けた。


「ここからは城也が私に質問する番だ」

「え?」

「私ばかり質問していては意味がない。先祖に質問できるなんて、滅多にないぞ?」


 滅多にないどころか、これが最初で最後だろ。

 そう言いたいのを堪えて、別の言葉を投げかける。


「あの、意味がないってどういう」

「ん? あぁいや、こっちの話だ。さ、遠慮せずにどんどん質問してくれ!」


 うまく濁されたような気もするが、先祖にだって聞かれたくないことくらいあるのだろうと思い直し、改めて疑問を脳内で整理する。

 聞きたいことなら、こっちにだってたくさんあるのだ。


「えっと、じゃあ……先祖って言ってますけど、具体的にはどのあたりの時代に?」

「…………」


 ……あれ、おかしいな、返事がない。

 さっきまで笑顔だった凛之助は、俺が質問を言い終えると同時に表情を引きつらせ「あ、うん……そうだ、なぁ」と視線を右往左往させ始めた。腕を組み、低い唸り声を上げる様子に俺は質問を付け足す。


「もしかして、覚えてない……とか?」

「……すまんな、何千年とこの世にとどまっていたせいで、記憶が曖昧なのだ」

「何千年!? そ、そんな長い間もなんで」

「いやぁ、恥ずかしい話ではあるが、なかなかうまく成仏できなくて。まぁ別に構わないがな!」


 構うよ! 絶対良くないよそれ!!

 アッハッハ!! と豪快に笑う凛之助を前に、とてつもない脱力感を覚える。意外とアバウトな性格をしてるのかもしれない。

 そこで俺はハッとした。


「あの」

「ん?」

「昔みたいな話し方に現代の言葉が混ざってるのって、その何千年もこの世にいたせいですか?」

「うむ……そうかもしれんな。時代が移り変わるにつれて、様々な言葉や文化を学んだ。あ、あと髪もだいぶ伸びたな」

「髪!? 先祖って髪伸びるんですか!?」


 こう言っちゃ失礼だけど、アンタ死人なんじゃないの!?


「なにを言うか、先祖だろうと髪は伸びるものだぞ。そんなことも知らないのか」


 別に知りたくないよ……!!

 わざわざ俺の目の前で、自分の髪の毛を指に絡ませながらそう告白する。やる行動がまるで女子みたい先祖だ。

 どうしよう、話せば話すほどこの人のキャラが掴めない。なぜか焦りを感じる俺には構わず、凛之助は絡ませていた指をほどくと、ポツリとこぼした。


「確かに……この長い年月の中、多くの言葉を学んだな」


 それに反応して「例えば、どんな?」と俺が聞き、凛之助は「そうだなぁ……」と、しばらく考え込んだあと言い放った。


「例えば……ギャルゲー、とか」

「すみません先祖を疑うのってバチ当たりそうで怖いんですけど一つだけ言わせてください、あなた俺のベッドの下見ましたよね?」


 早口でまくし立てた俺の言葉に、ギクリと体を硬直させた

 凛之助。答えはその反応だけで十分だった。

 まさか先祖(自称)にベッドの下を見られる日がくるとは……ッ!!


「なんで……なんで見たんですか! つーか、いつ見たんですか!?」

「城也、これだけは言っておくぞ。あんなことやこんなことを女とやるゲームなんて、あまり教育には良くないと私は思う」

「誤解を招くような変な言い方すんなよ!! そんでもってプレイしたのかアンタは!!」

「ま……まぁ、少しだけ」

「頬赤くしないで! 完全に下心丸見えだから!!」


 嘘だろ……いくら(自称)の先祖だからって、親にも内緒にしてたギャルゲー見られるなんて……俺は死んだら他の先祖たちにどういう顔見せりゃあいいんだ。

 生きることにではなく、死ぬことに対して絶望を感じる俺に、凛之助は質問を投げかけてきた。


「そういえば城也、イマイチ意味がよく分からない言葉があるのだが、教えてはくれないか」

「……なんですか」

「死亡フラグとはなんだ?」

「まさに今の俺ですよド畜生!!」


 死んでも死にきれませんけどね!

 サラリと傷口をえぐられる。痛い、心が痛いよ。もう治療するのが不可能なくらい傷は深いよ。

 涙混じりで叫んだ回答に一人で納得しながら、さらなる問いかけを凛之助はしてくる。


「なるほど……では、ネトゲ廃人とはどんな人種なのだ?」

「どうでもいいことばっかし覚えてるんですね!! どこで覚えたんですかまったくもう!」


 もはや呆れて涙の一粒もこぼれない俺を、不思議そうに眺めていた凛之助はふいに部屋の時計を見て「む、いかん!」と叫んだ。

 突然の大声に俺はビクリと体を跳ね上がらせる。


「な、なんですか?」

「もう真夜中ではないか!」


 そう言いながら急に慌て始める凛之助を横目に、俺は時計を見上げる。久しぶりに見た時計の針は零時の少し前を指していた。思わず顔をしかめる。明日は普通に学校があるのだ。ただでさえ低血圧なのに寝坊なんてしたくない。

 オロオロする凛之助に声をかけてから、ベッドへと潜り込む。


「凛之助さん、俺朝早いからもう寝ますね。おやすみなさい」

「あ、あぁ……こんな真夜中に起こしてすまなかった」

「いいですよ、結構楽しかったし」


 すんなりと口から出た言葉に俺自身も驚く。こんな真夜中に起こされて、挙句ベッドの下の秘密まで知られたのに。

 俺は、楽しかった。

 お世辞なんかじゃなくて、わりと本気で。最近いろいろ疲れていたから、ちょっとした息抜きになったのかもしれない。

 もう一度、俺が「楽しかったです、ありがとう」と告げると凛之助は一瞬静止したあと、優しく微笑んだ。

 優しくて、温かくて、どこか凛とした心強い安心さを感じさせる笑みだった。


 ◇◆◇


 ベッドの上で規則正しい寝息を立てる少年を眺めながら、凛之助はホッと胸を撫で下ろした。

 良かった、ちゃんと寝ている。

 小さいがとても大切な、その事実に大きな安心を得た。それと同時にここ数日の間の、少年の様子が脳裏に浮かぶ。

 食欲がないのかあまり食事を摂らず、ときおり目眩を起こす姿。

 眠っているときも寝苦しいのか何度も寝返りを打ち、怯えるように体を強張らせる姿。

 苦しい、辛い、ということを決して表には出さない姿。

 そんな様子が不安になって、思わず自分から現れてしまったのだが、逆にストレスになってしまっただろうかと心配になる。


『楽しかったです、ありがとう』


 ふと、さっき少年に言われた一言が頭をよぎった。その純粋な感想に、少なくともストレスにはならなかったことを信じる。ふと背後を振り向くと、時計の針が少しずつ頂上で重なりそうになっていた。凛之助の足元がゆっくり空気と化していく。

 ぐっすり眠っている少年の額に手を当てながら、凛之助は小さな声を口から漏らした。


「……城也、あまり無理はするな」


 もし倒れてしまったら、みんなが心配するだろう。


「辛くなったら、周りを見渡してみろ」


 きっと、そこにはたくさんの人がいるだろう。

 みんな、お前を支えてくれる一人で、お前を大切に思っている一人だ。


「お前は、独りなんかじゃない」


 だから塞ぎ込まないで。

 無理に笑ったりしないで。


「私を含めたみんなが、お前を見守っていることを、忘れるな」


 そのことを忘れてはならぬ。

 微笑んだままそう言い終えると、凛之助の体はカーテンの隙間から射し込んだ月明かりと共に消えた。

 少年の心や部屋に充満していた冷たく、重苦しい空気を月明かりが洗い流しているようで、澄み渡ったそよ風がカーテンを小さく揺らしていた。


 ◇◆◇


 翌朝、いつもよりスッキリとした気持ちで目が覚めた俺は、体を起こして違和感を感じる。変だな、いつもと見る景色が違うような……。

 そこで反対側のベッドの端に置いてあるバケツが目に入り、すべてを思い出す。雨漏りのことも、昨晩見た夢のことも。

 ゆっくりと部屋を見回してみるが、昨日の先祖を名乗る男、凛之助の姿はどこにも見当たらない。やっぱり夢だったのだと再認識する。

 それにしても、変な夢だったな。

 心中で感想を呟きながら部屋の扉を開けると、すぐそばの廊下には妹の真城が歩いていた。危うく開けた扉をぶつけてしまいそうだったため、俺は「おっと」と無意識に言う。

 だがそんな一言に真城は体を激しく上下させ、驚愕に包まれた表情を見せた。


「……あ、兄貴?」

「おはよう真城。ごめんな、ドアびっくりしただろ。怪我ないか?」


 俺の問いに真城は口を開いたままコクリと頷く。そしてそのまま、引きつった笑みを浮かべた。


「ど……どうしたの、低血圧じゃ近所で有名な兄貴が、時間ピッタリに起きるなんて」

「別に有名じゃねぇよ。まぁ、なんか変な夢見たから早く起きただけ」


 欠伸をしながらそう答えると、真城は「夢? 夢見たの?」と、目を輝かせて食いつく。

 一階へ通じる階段を二人で下りている間も、耐えず同じ質問を繰り返してくるので、観念した俺は喋ることに決めた。


「ねぇねぇ、どんな夢?」

「あー、なんか……うちの先祖を名乗る男が出てきて。いろいろ話した」


 変な夢だよなー、と笑う俺の隣で真城はポカンとする。そして、少し真面目な顔つきになると勝手に語り始めた。


「兄貴、それ本当に夢?」

「はぁ? なに言ってんだよ、夢に決まってるだろ。先祖なんて」

「昨日の枕の位置は?」

「えぇー……いきなりなんだよ。えっと、確か北側かな」

「昨日何の日だったか覚えてる?」

「次々と一体なんの回答なんだ……? ハロウィンだろ、昨日クラスのやつからお菓子もらったし」


 そこまで答えると満足したのか、真城はニンマリとした笑いを見せると、俺の目の前に立ちながら告げた。


「友達が言ってたんだけどね、ハロウィンには成仏できてない幽霊とかが蘇るんだって」

「はぁー? それはないね、嘘だろ、嘘」

「あとね、北側に枕を置くことを北枕っていうんだけど、それ死んだ人にすることだから日本では縁起悪いらしいよ」

「へぇー、そうなんだ」

「だからそのご先祖様も、夢じゃないかもね!」


 よく分からない理由で証明を披露される。やっぱり真城はちょっと変わっているところがあるみたいだ。

 ドヤ顔でこちらを見上げる真城の頭を「はいはい、そうかもね」と言いながらクシャクシャ撫でる。そのままリビングへと向かう俺の背に向かって、真城は膨れっ面で「それ絶対夢じゃないよ! 祟られても知らないんだからね!」と叫んだ。

 祟られるほどの悪いことはしてないし、きっとあれは夢だったんだ。だから大丈夫、大丈夫。


 この日、ベッドのシーツを洗うため俺の部屋に入った母さんが、何か刃物のようなもので刺したような穴を俺のシーツで発見するのだがーーそれはまだ少し先の話である。


「夢みるノースの真夜中」読んでくださってありがとうございました、作者の真野と申します。

昔の人が来てる和服って、すごくかっこいいなぁと思いながら書いていました。羽織り万歳。

長くなりましたが、ここまでの閲覧ありがとうございました!

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