第1話
「私はお腹が空きました」
不機嫌そうな不満げな顔をして、女は云う。歳は見たトコロ、16、7歳ほどであろうか。なんとも可愛げのある顔立ちに似合わず、その鋭い声が暫く宙に浮く。しかし、その言葉に応えようとする者は誰もいない様子である。
「何度云わせれば済むの、お腹が空いたと云っているの。もう頭にきました、何か食べ物を持ってくるまで私はここを動かない」
そういうと、彼女はハタと立ち止まりその場に座り込んでしまった。
こんな、街のドのド真ん中に座られてしまって、先ほどまで隣を歩いていた男は困った様子である。この男、どこも特徴はないのだが、まぁ中性的な顔立ちである。女装をしたら女に間違えられるのではないだろうか。その男が、ホトホト困り果てたような顔で、
「こりゃァ困ったな。ほんの先ほどメロンパンを食べたばかりだというのに、困った困った」
「先ほどだか昨日だか一昨日だか、そんなことは食事には関係がないの。そうでしょ?だって、それ以前にいつ何を食べたからって、今現在、何かを食べてはいけない理由なんてあるもんですか。いや、きっとそんな理由は、世界中、いや宇宙中のどこを探してもある訳無いのですよ」
そう云ったきり、彼女は目をヒシと瞑って何も云わなくなってしまった。誰が何を云おうと、ここから動かない気であることは、想像に難くないほどの、それ位の座りっぷりであった。
「わかったよ、買ってくる、買ってくればいいのだろ?なんだ、またメロンパンか?それとも、それはそれは甘い甘いチョコレートがフンダンにかかったドーナツが良いの?」
すると、彼女の周りをピンク色のオーラが包み始めた。しかし、未だ機嫌を損ねていますよとでも云いたげな表情で、
「・・・・・・カスタードクリームがタップリ詰まった、シュークリームが良い」
男はやれやれといった表情で、「少し待ってて、あ、絶対にここを動いちゃダメだよ」と云って、肩掛けのバッグから古びた財布を取り出し、今来た道とは反対側に歩き出す。
「そんなことはどうでもいいの。早く帰って来ないと、怒る」
「はいはい」
せっかく一人の女の子の大事を案じているというのに、この女、どこまでも自分勝手な様に見える、聞こえる。しかし、男は何の抵抗も見せずに、素直に、その命令を実行、つまり走り出した。
俺は走っていた。このままでは、三咲に怒られてしまう。怒られるのは苦手だから、どうにかして怒られたくないものだが、そうもいかないだろう。
左手に巻きつけた腕時計を見る。2067/9/29/20:25。もう、シュークリームを買って来る約束を取り付けてから、早くも30分近く経っている。三咲は兎に角待つことが苦手であるから(この前、近くのトイレに行っていただけなのに、それはまさに激しく怒るとかいて、激怒された)、25分なんて・・・・いや、考えただけで恐ろしい。あぁ、恐ろしい。
でも、こちら側にも言い分があるといえばある。寧ろ、シュークリームが食べたいと云われて、直ぐさまカスタードタップリのシュークリームを買って来られる奴など、いないだろう。それも、全く知らない町でのことだ、もしかしたら迷ってしまうかもしれないのに。いや、現にこの俺、迷子なのである。
「はぁ、俺が方向音痴なことは、あいつも百も承知なはずなのに」
それでも、彼女の命令を聞かないわけにはいかない。それ以外の選択肢なんて、それこそ世界中、宇宙中探してもどこにもない。何故なら―――――――
何故?そんなことは、甚だ愚問だ。愚問でしかない。
彼女が俺の手になる、その代わりに。
一生彼女を守ると決めた、ただそれだけの理由だ。
それだけの理由に縛られて、彼女の一生が終わるまで生きると決めたから。
ちなみに、この後三咲のところに戻ったら、張り手打ちをモロに食らった。
それにしても、この町はそのほかの町とは何か違う気がする。隣町からこの町に来た瞬間から、そんな気がしてならない。
「さて、どこかに夜ご飯でも食べに行こうよ」
俺のそんな気も知れず、三咲は笑顔でそう話しかけてきた。さっきシュークリームをタラフク頬張ったのに。でも、うん、この笑顔を見ると色々なことが忘れられる。癒される笑顔だ。
「なに、ニタニタと笑ってるの?気持ち悪いからやめたほうがいいと思う」
「ナ!?別にいいだろう、俺にも笑うくらいの事は許されているはずだ」
「そんなことは、どうでも良いの。さァ、夜の街に繰り出すとしましょ」
笑うなと云ったり、いやそんなことどうでも良いと云ったり。意見がコロコロ変わる奴だな。
しかし俺たち二人は今朝がたに隣町から出発したっきり、食事という食事にありつけていない。もう少し詳しく言うと、三咲はメロンパンやらなんやらをツマんでいる。しかし、この女、一旦食べ物の所有権を手にすると、それを譲渡するということを知らない。つまり、絶対的に『御裾分け』という概念が欠けている。
そして、その菓子パンを買ってきたのは俺であることは、無論、言うまでもない。needless to say . to say nothing of ~ .
「この町は、少し見たトコロによると、かなり栄えているようだね。久しぶりにちゃんとした夕食とシャレこめるかもしれないぞ」
「んふふ。今日は何を食べようかな、油タップリのラーメンが良いかな、いやいや、それよりもチーズがタップリ乗った、極上絶品エビグラタンでも良いなァ」
「あのさ、三咲は俺の懐具合の心配ってさ、したことある?」
「懐具合って何?あァ、侑汰もそんなに懐が心配なのね、つまり、そんなにもお腹が空いているっていうことでしょ、そうでしょ!?」
「そう、俺はお腹が空いたんだ。特に『愛』とか、そんなのが食べたい―――――――」
「さァ、ここでグチグチ詰まらない戯言なんか云ってても、食事には一生ありつけないの。知は現場にあるっていうでしょ?さァさァ、町に繰り出すわ!」
奇跡的に見付かった(俺が町中を奔走して探した)宿部屋にしっかりと鍵をして、受付のある1階に下りる。俺らの部屋は東向きに1つ窓が有るだけのシンプルな部屋で、風呂やトイレは共同のものが1つずつ、1回の南側に付いている。
それにしても、面白い話もあるものだ。今時宿屋にトイレが一つしか無いなんて。まァ、行き当たりバッタリでフカフカのベッドで寝られることを考えると、そんな些末な事は全くと言って良いほど気にならないのだが。
受付の前にある『リラックススペース』なるものには、まだ夜の9時を少し過ぎたトコロということもあって、ブラウン管の前に5人ほどがソファーに、みな思い思いの事を考えているのだろうか、それとも疲れているだけなのだろうか、随分と自由な感じでゴロゴロしていた。そのうち、一人の女性がこちらに気が付き、
「こんにちは、じゃなくて、こんばんはでしたね」
「こんばんは」
全然知らない人だったけど、取り敢えず挨拶は基本だから挨拶をされたら挨拶で応える。三咲はそれに気付いたのか、トタトタと俺の後ろに小走りで近付いて、隠れながらも時折俺の脇の隙間から相手の顔を覗っている。こいつは、それはそれは言葉では言い表せないほどの人見知りであるため、初対面の人とは絶対に話さないし、目を合わせようとしない。それでいて、物事に対する関心は尋常じゃないので、要するに、こういう事になる。
「あら、可愛い子ですね。お連れの方ですか」
「そうなんです。すみません人見知りなもので、こんな形になってしまうのです」
よく見てみると、物凄く美人じゃァないか。どこがと問われるとそれこそ明確には答えらえないのだが、どこか儚げで、それはまるで深窓の令嬢さながらの佇み方で、今にもどこかに行ってしまいそうな・・・・
「ねぇねぇ」
見惚れていると、後ろのちっこいのが服を引っ張ってきた。
「早く夕食を食べに行きたい」
よく見ると、ご立腹の表情。すると美人さんは、
「お二人は、いつこの町に?今日ですか」
「はい、今日この町に着いたところです。あの・・・」
「はい?」
「お話の途中で申し訳ないのですが、僕たち、まだ夕飯を戴いていないのです」
「あら、それは可哀想なことをしてしまいました。お腹が空いたことでしょう、後ろの可愛い子さんもね」
美人さんとの楽しい会話を中断するのはヤブサカだったが、こっちの美人さん(お世辞率95%)を蔑ろにすることは気が引けたので、「また明日にでもお話ししましょう、では」ということで、飯屋を探しに行くことにした。
或いは、この時に、もう少し、ほんの少しだけでいいから、この町について知っておけば、あんな事にはならなかったのかもしれない。