3話 ホスピス市民運動
「傘の波が押し寄せるように向かって来ます」
息を切らしてとんで来た受付係の赤城看護婦が、興奮気味に叫んだ。
92年6月、第1回ホスピス横浜市民の会が公会堂で開催されたのだ。日本のホスピスの草分けである淀川キリスト教病院の柏木哲夫医師を講師に迎え、「病院で迎える温かな死」をテーマにした講演会だった。
昨秋に世話人会が設立されてから、中川井病院の赤城看護婦や田上医事課長は、診療の合間をぬってその準備に奔走した。世話人は各界の有力者ばかりなので、実際に準備する裏方は中川井病院の事務局スッタフが担ったのだ。
田上は興行を手掛ける知人に頼み込んで、催し物の進行手順をつぶさに学んだ。彼女たちは、当日の分刻みのスケジュール表から人員配置に至るまで、こと細かく準備をした。
読売新聞の横浜版に、講演会の案内記事が1週間前に載った。相鉄線の各駅構内にポスターが張り出された。
開催日近くになると、その問い合わせの電話が病院に殺到した。その応対に職員2人が専属となり、病院業務はほかの3人が担った。職員総出で準備したのだ。
「院長先生、反響はすごいですよ」
田上は瞳を輝かせて高井に報告した。
「医事課の電話が鳴り止みません。あの電話の音を聞いて下さい」
高井は催し物を幾度も開催してきたので、人を集めることの難しさを身をもって体験していた。公会堂は700名収容の会場だ。入場者があまりに少人数では、初回のことでもあり今後に支障を来すし、招いた講演者にも失礼に当たるのだ。
「どれぐらい入るだろうね」
「400名くらいは入ると思います」
「400名入れば成功だね」
高井はほっと胸を撫で下ろした。
「初回だけは、病院を上げてやろう」
高井は病院の診療を半ドンにして、会場の準備にあたった。田上や赤城は朝から会場に出向いた。午前の病院診療を終えると、留守番を残して、職員全員が公会堂に集結したのだ。埼玉賛善会病院からも、事務長の河合が20人ほどを引き連れて応援に駆けつけた。
それほどまでに力を注いだ第1回の講演会だった。
当日は朝から雨模様だった。それも午後になると雨脚はさらに強くなった。高井の経験からすると、こういった催し物は雨天では相当客足が減る。高井は雨空を見上げて、心の中で「雨よ、やんでくれ!」と叫んでいた。
高井が会場に着くと、すでに打ち合わせ通り各人が配置につき、準備を進めていた。公会堂の受付前に職員が集合した。総勢100人近かった。
高井は前に立つと檄を飛ばした。
「横浜にホスピス運動を起こそう!今日がその出発です」
「頑張ろう!」
職員に闘志がみなぎりそれぞれ配置についた。
正午ごろ、控室に講演者の柏木医師が到着した。さっそく用意してあった昼食を取りながら、進行手順の打ち合わせを簡単に行った。
会場ではすでに入場が始まっていた。舞台の袖から、高井は時々会場の入りをチェックした。開演30分前で4割くらいの入りだった。
会長の小金井が近寄って、
「この雨では入りはどうでしょうかね」
不安気にいった。
「厳しいでしょうね」
高井の不安も同じだった。
ところが開演間近になると参加者が殺到した。最寄りの駅から通じる道路を会場から見下ろすと、まさに「傘の波が押し寄せてくる」ように見えたのだ。
会場係りが、折りたたみ椅子を最後列に増設するよう頼みに来た。50席あまり増設したにもかかわらず、それでも入りきれずに通路に腰かける人も出てしまった。立錐の余地もないとはまさしくこのことだった。
公会堂の管理者が驚いて、
「芸能人以外でこんなに入ったのは初めてです。いったい今日は何をやるんですか」
入場者数が定員を大幅に上回ると、消防法に抵触するのだ。
会場は熱気に包まれた。これほどまでに終末期医療に市民の関心がたかまっていたのだ。
講演会が始まった。田上が総合司会をつとめた。舞台の左手に立ち800名の聴衆を前に、彼女は堂々と司会役をつとめた。
小金井会長の開会の挨拶があった後、開演を告げるブザーとともに、緞帳が上がり始めた。高井は司会役として、舞台の右手に長机を前にして腰掛けていた。
思いがけないことが起こった。机が幕に寄り過ぎていたため、上がっていく幕の下端が、机の片脚に引っかかってしまったのだ。机の左端が急に宙に浮き上がってしまった。机は大きく傾き、その上に置かれたマイクなどが床にすべり落ちた。
高井は開演を前に緊張していたので、目の前で何が起きているのか分からなかった。会場は驚きと笑いで騒然となった。
幕が1メートル程上がったところで、その引っかかりが外れて机がドスンと舞台上に落ちた。その一瞬、場内のざわめきが水を打ったように静まり返った。その時初めて高井は状況をつかんだ。
高井はとっさにマイクを握ると、
「失礼しました。このまま天国へのぼるのかと思いました」
場内に爆笑が起こり雰囲気が和らいだ。それは一瞬の出来事だった。
柏木哲夫医師の講演が始まった。
「この会の名前に市民ということばが入っていることは、すばらしいことです。市民がともにこういう問題を考えていくことは、大切なことなのです」
柏木医師はこう切り出した。
「世の中にはだまされやすいものが3つあるといわれます。1つめは、女性の涙。2つめは、新聞の記事。3つめは各種の統計数字です」
「サマセット・モームは『絶対間違いのない統計は、人間の死亡率が100%であること』といっています」
「哲学者のフーコーは『この世に人間が直視できないものが2つある。それは太陽と死である』と述べています」
スライドを交えてのユーモアあふれる講演は、聴衆に1時間半という時間を忘れさせ、あっという間に終わった。
ホスピス横浜市民の会は、こうしてその産声を上げ、毎年1回、公開講演会を開くことになった。
高井は、この会になるべく多くの人たちに参加してほしいと考え、第2回以降は、横浜市の教育委員会や医師会の後援を取り付けたのだった。
夏の暑さが残る9月に、医療法人賛善会の理事会が埼玉で開かれた。
賛善会は大臣認可の医療法人だった。開設する病院が同一県内にとどまれば、その所管は県にあるが、2県以上にまたがる場合は、厚生省の大臣認可が必要なのだ。賛善会は埼玉県と神奈川県に病院を開設していた。
医療法人は年一回以上理事会を開催しなければならない。高井は理事の一人だった。病院の院長は、医療法人の理事にならなければならないと法律で定められているからだ。
小さな診療所を自ら立ち上げ、それを拡充して病院となった医療法人の場合、オーナー理事長である場合が多い。オーナー理事長は絶対的な権限をもっている。一方、高井のような法人に雇われた院長の場合は、俗に雇われ院長と呼ばれ、実権は理事会ではほとんどないのだ。
賛善会は山梨静夫がオーナー理事長であった。
山梨理事長が挨拶に立った。
「今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。賛善会も日頃の皆さんの努力のお陰で、安定した経営状況を維持しております」
理事会では前年度の事業報告、決算、次年度の事業計画と予算が審議される。オーナー理事長の場合は、理事会はある種の儀礼的な色彩が濃く、用意された案件書類を各理事が目を通し、簡単な質疑応答をへて承認されることがほとんどだ。ものの30分もあれば終えてしまう。その後、慰労会をかねて懇親会が開かれるのが常なのだ。
「高井院長、中川井病院の件で追加することはありませんか」
山梨理事長が高井に話を振った。
「お陰さまでこの冬には黒字に転換出来ました。まだ全病棟を開いていませんので、それをどうするかは目下思案中です」
「高井院長はよくやってくれています」
山梨のことばに、理事たちもうなずいた。
会議を簡単に終えると、立食パーティーが開かれた。
「高井院長、横浜の講演会は盛況だったようですね」
山梨理事長がビール片手に、笑みを浮かべて話しかけてきた。河合事務長からその盛況ぶりを聞いていたのだ。
「ありがとうございます。本院からも応援をいただきました」
2人はビールで乾杯した。
「ホスピスとは、面白いところに目を付けましたね」
「理事長さんは、ホスピスをご存じですか」
「私が医療村を造ったのは、ホスピスがもとなんですよ」
山梨は語気を強めていった。
「そうでしたか、それは失礼しました」
「あなたはどうしてホスピスを」
「前から関心をもっていました。新婚旅行でイギリスに行ったときも、ホスピスを見学しました」
「外科医なのに珍しいですね」
「がんで治らない人たちは、外科病棟ではスタッフに疎まれていました。捨てられてしまった患者たちに、何かできることはないかを探しているところに、ホスピスを知ったのです」
ホスピスに対する思いのたけを語る高井の話を、山梨は興味深げに聞いていた。
「ところで理事長さん、僕は横浜の病院にホスピスを造ろうと思っています」
高井はアルコールが回ったいきおいで、出し抜けに相談を持ち掛けた。
「河合君から聞いていますよ。ただ厚生省の認可は受けられますかね」
山梨理事長は、横浜でのホスピス建設の動きを河合事務長から聞いていた。高井はそれまで、しばしば河合に相談していたのだ。
「病院の4階と5階を使えば認可されると思います。このまま5階を放置していて、みすみすベッドを削減されるのもしゃくですから」
「河合君、ちょっと」
山梨は少し離れたところで理事と談笑していた河合事務長を、手招きで呼び寄せた。
「あの古い建物で、ホスピスは大丈夫なの」
「法的には大丈夫と聞いていますが、内装などは相当修繕しないといけませんね」
家庭に居るような雰囲気を謳うホスピスにするには、大部屋の個室化や薄汚れた壁や床の張替えなどの修繕が必要とされた。
「2千万くらいは必要と思います」
河合は事務職らしいものいいで、きっぱりといった。
「1番の問題は、あの病院は基準看護が取れるかどうかです。ホスピスは基準看護が前提ですから」
たたみ込むように河合は問題点を指摘した。
「高井先生、その点はどうですか」
「すでに総婦長が、役所の指導を受けて対処しています。ただ問題は、病院全体のベッド数で看護婦が必要になリますので、しばらくは人件費増が避けられません」
3人は時々ビールを口にしながら、実務的な話をしばらく続けた。
「今は前向きに考えましょう。そちらの病院も先生のおかげで黒字になったんですから」
そういうと山梨理事長はその席を離れ、他の理事たちに声をかけて回った。
「河合事務長、お口添えどうも」
「理事長も、まんざらでもないという顔つきでしたね」
「そうでしたね」
「この法人も経営的には決して安泰でもないのに、どこもやってないホスピスを、前向きに考えましょうというんですからね」
理事長が退席した後に、高井と河合は友人同士のように話し合った。
「2千万円というのは本当ですか」
「2千万なんて安いものですよ。ホスピス病棟を本気で造るなら、数億円はかかります」
「数億円!?」
「新規に作る場合ですよ。あそこには古いけどもう設備はありますからね、その修繕だけで済みます」
河合のことばには、1年余り事務長を務めた中川井病院への愛着がこめられていた。
「今年の暮れに、関東大学の教授選があるんですよ」
おもむろに河合はいった。
中尾勇夫教授は、来年(93年)3月で定年退官するのだ。
「中尾教授は理事長の同級生で、医師の手配などいろいろうちの面倒を見てくださっているんです」
「知っていますよ。大学の後輩からも聞いています」
高井は、関東大学の後輩が病院の当直に来るたびに、その話を聞いていた。大学の医局内もその話で持ち切りで、関東大学出身の中尾派は形勢不利な模様なのだ。
「こちらの病院にとって、大事に至らなければいいんですが」
パーティーもお開きになり、高井はそういって河合と別れた。