4話 救いの手
「7月一杯で期限切れですね。これ以上、延ばすことは出来ません。残念ですが廃院ですね」
医療整備課の担当官は、患者たちの署名を持って訪れた田上に向かってそういうと、いらだつようにテーブルを指でこづいた。
「あと3週間しかありません。もう少し待って下さい。お願いします。うちを必要としている患者さんが、こんなにたくさんいるんです。もう少し待って下さい」
病院再開にむけて、死にものぐるいで県に働きかけていた田上は、2万名の署名嘆願書を差し出し、哀願するような目付きで担当官に頼んだ。
担当官はタバコに火をつけると、深くいっぷく吸って、
「再開のめどなど全然ないんでしょ」
と、嘆願書を見やりながら冷たくいい放った。
「そんなことはありません。いくつか話がきています」
嘘と分かっても、こういうしか彼女にはすべがなかった。
県庁を出ると、それまでこらえていた涙があふれ出た。それを拭おうともせず、田上は黙々と馬車道を歩いた。
(素人の自分が何でこんなことをしているんだろう)
田上は心の中でそうつぶやいた。
(いや、再開を待ちわびる人たちがこんなにいるんだ。負けるな!)
置いてきた署名嘆願書を思い出し、くじけそうになる自分をけんめいに奮い立たせた。
病院に帰ると、田上は留守番をしていた仲間に何か変わったことがなかったか尋ねた。
「あ―あ、なんにもない」
疲れ切った仲間の声だった。
彼らは毎日、手弁当で病院に集まり、熱心に会議を開いた。再開めどの見通し、県との交渉の手立て、患者の対応の仕方などについて話し合った。
休院を知らずに患者が来れば、その都度応対した。夜には順番に1人が当直をした。夜間に急患が来ると、事情を話しては他院を紹介した。病院を守ろうという彼らの使命感がそうさせたのだ。
それも7月に入ると、無駄かもしれないといった虚無感が、仲間内に漂うようになった。
「もう駄目ね・・・」
あきらめの声が出始めた。
「まだ3週間あるわ。最後まであきらめないの。それで駄目なら運命だと思いましょう」
田上は残った気力を振りしぼって、仲間の士気を鼓舞した。
それから数日して、田上に山梨と名乗る医者から電話が入った。
「山梨といいますが田上さんですか」
「はいそうですが」
「私は埼玉にある病院の理事長をやっている者ですが、建設会社の友人から、そちらの病院の一件を聞いたんですが」
田上にはその声が、まるで天使の声のように聞こえた。
「病院に関心があるので、会いたいのですが」
山梨の真摯な口調から、その真剣さが伝わってきた。
「地域の皆様が、一日千秋の思いでお待ちしております」
田上は啓示にも似たひらめきで、とっさにそういった。このチャンスを逃したら、二度とめぐってこないと感じたからだ。
田上は翌日、全員が集まったところでこの件を伝えた。
「突然、山梨という人が、病院を見たいといってきたの」
「どうせそれも、冷やかしじゃないの」
彼らは、にわかには信じられなかった。そういうたぐいの話は、これまで幾度となく、出ては消えていったのだ。
「近日中に会うことになったわ。山梨先生、埼玉の病院の理事長さんらしいの」
田上のこの言葉に、職員の目の色が変わった。
「みんな急いで嘆願書を書いて。みんなのその気持ちを伝えるのよ。それを私は山梨先生に見せるわ」
3日後に横浜の中華街で、田上は山梨と落ち合った。
その途中、田上が病院に立ち寄ると、1人の老令職員が黙々と病院の掃除をしていた。
「ご苦労様。大変ね」
「な―に、この病院はわしの娘みたいなものさ。嫁入りするのに、きれいに化粧してやらんとな」
汚れた廊下を少しでもきれいにしようと、したたる汗を拭おうともせずに磨いていた。
田上は、職員や住民の切なる思いを背負い、落ち合う場所に向かった。
中華街には、山梨は1人でやってきた。
食事を取りながら山梨は、病院の様子を詳しく田上から聞いた。田上は出される料理には手もつけず、思いのたけをあつく語った。
しばらくして食事を終えると、
「じゃ、ちょっと見に行きましょうか」
と、山梨は車を拾った。
30分ほどで中川井病院に着いた。病院に集まっていた職員が出迎えた。彼らの目は輝いていた。山梨はそのあつい視線を体中で感じていた。
(彼らが病院を守った戦士たちか)
山梨は、1人1人の顔を見やりながら心の中で思った。
田上が病院内を案内した。病院は整然とはしていたが、いくら手入れしても、その古さはつくろうすべがなかった。田上はなるべく見栄えのいいところを選んで、山梨を案内した。少しでも好印象を持ってほしかったからだ。
病院を見終えると、地下のリハビリ室に職員が集まった。そこしか大勢が集まれる部屋がなかった。職員の気迫は、山梨が圧倒されそうになるほどだった。
「皆さん大変苦労しましたね」
山梨は切り出した。
「友人から、皆さんの奮闘ぶりを聞いています。病院や住民を守ろうというその熱意や努力は、きっと天に通じます。その苦労はきっと報われます」
ところどころで職員のすすり泣く声がした。
田上が1冊の小冊子を取り出し、
「これはみんなで書いた嘆願書です。お読みいただければ幸いです」
山梨はそれを受け取った。表紙には嘆願書《明日に向かって》と書いてあった。
山梨は1時間ほど病院に滞在すると、
「できる限りのことをしてみましょう」
といい残して、職員に見送られながらそこを後にした。
7月も終わりに近づいたころ、田上は山梨を案内して神奈川県庁を訪れた。前と同じ担当官が応対したが、相手が医者であるために、その応接態度は丁重だった。
「私がこの中川井病院を再開します」
山梨は鋭い目つきで担当官をにらみすえた。担当官はその気迫に押されて、
「埼玉の医療法人が、こちらの病院を開設するには大臣認可が必要ですが」
と、遠慮がちにいった。
「それは重々承知しています。それも私がすべてやります」
堂々たる山梨の態度に、田上は胸のすく思いがした。
「そのために、時間が少々いりますので、開院にはもう少し時間を下さい」
山梨はテーブルに手をついて頭を下げた。
「当方に、中川井病院が休院となって困っているという、住民からの電話がひっきりなしに来ています。貴院の再開に向けて県も協力しますので、ご尽力ください」
担当官は、田上の時とはうって変わって、協力するとまでいった。
県としても廃院となれば、住民の苦情処理に追われるので、それだけは避けたいというのが本音だった。
山梨は、その内情を知りつくしていたのだ。
高井はインドから帰国して、しばらくのんびりと休養をとった。夏休みがまだ残っていたからだ。
9月に入り夏休みが空けると、大学の教授室を訪ねた。
「おう、君か。日焼けしたなあ。インドに行ったんだから、当たり前だね」
中尾教授は高井を中に迎えると、笑いながらドアを閉めた。
「夏休みありがとうございました。おかげでのんびり休めました」
お礼をいうと、高井は教授にすすめられてソファーに座った。
「インドはどうだった?」
「ゆったりとした時間の流れや雄大な自然の中で、いろいろ考えさせられました」
「インドは、私も1度は行ってみたいね」
高井は、みやげに買ってきたインドの紅茶を差し出した。
「イギリスは昔、植民地のインドから、この紅茶を欧州で独占販売してたんだよ」
教授はそういうと、紅茶の箱を手にとって、しげしげと見つめた。
「ありがとう。家でゆっくり味わわせてもらうよ」
高井が話すインドでのいろいろな出来事を、教授は興味深げに聞き入っていた。
しばらくして、
「例の病院、どうなりましたか」
高井の方から切り出した。山梨理事長の手紙を読み返してその医療姿勢に共感を覚え、気になっていたからだ。
「県の担当者といろいろやっているが、難航しているようだ。詳しいことは私も分からないが、どうも病院を開設する県が異なると、手続きが難しいようだ」
医療法人には、県が所轄するものと、国が所轄するものとがある。2つ以上の県をまたがって病院を開設する場合は、国の認可する法人でなければできないのだ。埼玉県にある医療法人賛善会が、神奈川県の病院を開設するには、やっかいな手続きが必要なのだ。
「関心があるなら、1度、山梨理事長と会ってみてはどうかね。私が紹介するよ」
高井は、未知の世界に乗り出すようで一抹の不安を感じたが、
「1度お会いしてみたいと思います」
と二つ返事で答えた。
後日、教授からその日取りの連絡をもらうことにして、高井は教授室をあとにした。
明くる日、高井は中川井病院がどんな病院なのかふと見たくなって、夜の10時も回ったころ、横浜に車をとばした。夜のためか案外道はすいていた。地図を頼りに狭い路地を入っていくと、周辺には高い建物のない住宅街に、軍艦(薄暗い中なので、まさに高井にはそう見えた)のような巨大な建物が目に入った。
窓には灯りがなく、人の気配もなかった。玄関前の駐車場に車を止めると、高井は病院のまわりを歩いた。街灯にほんのり照らされた建物は、薄汚れたコンクリート造りの外壁で、ところどころひび割れしていた。
(古いなあ)
壁に手をやりながら、高井は思った。予想していたとはいえ、実際に見てみると倍加して古さを感じた。5月に閉鎖したという割りには、ごみなどが散乱した気配のないことが不思議に思えた。
一回りしてまた玄関に立つと、ガラス越しに中をのぞいてみた。ひとけのない待合室には、長椅子が整然と置かれていた。それはまるで昼には診療が行なわれていたような雰囲気で、廃屋などでよく見かける、家財道具が雑然と積み重ねられている光景とは違っていた。
しばらく中をのぞいていると、暗闇の中に一点の灯りが動いて見えた。
(こんな夜更けに何だろう)
不思議に思って中をのぞいていると、一人の白衣姿の看護婦が、懐中電灯を照らしながらやって来た。ドアの外に人がいるのに気付くと、ドアの鍵を開けようとした。
高井は、まさか人がいるとは思っていなかったので、うろたえた。
「どうかなさったんですか」
看護婦はドアを開けると、心配そうな面持ちで聞いてきた。
「この病院は今、休院中なので、ご病気でしたらほかの病院を当たって下さい。病院のリストをお持ちしますから、ちょっとお待ち下さい」
看護婦は丁寧な口調でそういうと、奥に入って行こうとした。
「待、待ってください。病気じゃないんです」
高井は慌てて看護婦に向かって叫んだ。
看護婦は、けげんな顔付きで振り向いた。高井は動転していて、しばらく言葉を失っていた。
「・・・いや、いいんです。こんなに遅くなったから、またにします」
そういうと、一礼して足早に高井は立ち去ろうとした。看護婦がドアをロックする音がした。
「あっ、ちょっとすいません」
高井は、振り向きざまにドアのノブに手をかけ、ノックした。看護婦はまたドアを開けた。
「妙なことをお聞きしますが、先ほど休院中といわれましたね」
「ええ」
「休院中なのに、看護婦さんはこの夜中に何をやっておられるんですか」
見知らぬ人の突飛な質問に、看護婦は戸惑いながら、
「当直してるんです」
「当直!?」
高井は驚いて、思わず声を上げてしまった。
「当院が休院中なのを知らない患者さんが夜中にも来ますから、私たち順番に当直してるんです」
突然に休院してしまったため、それを知らない急患は、夜もやってくるのだ。
「そうでしたか。それはどうも・・・」
そういい残すと、高井は駐車場に向かった。ドア越しに、看護婦がそれを見つめていた。
(へえ、当直ね。休院中なのに当直ね・・・)
帰りの道すがら、高井は興奮気味に何度もこの言葉をつぶやいた。
まもなく高井は、山梨理事長と大学にほど近いホテルで、会うことになった。日頃はめったに着ない背広姿で、彼はその場に臨んだ。
山梨理事長は、病院の事務長を従えていた。簡単に挨拶を済ませると、ビールで乾杯した。
「中尾教授から聞きましたがインドに行ってたんですって」
山梨理事長は、おもむろに話し出した。
「インドの田舎に行ってました。私は、昔から途上国によく行きます」
「ほう。欧米ばかりに目を向ける医者が多い中で、珍しいですね」
山梨は、高井の人間性に好感を持った。
「理事長さんの病院は、何床ですか」
「200床です。それに隣接する5000坪の敷地に、付属の有料老人ホームが100床あります。弟も関西で同じことをやっています」
「そこは、さながら医療村のようですね」
「それが私の理想なんです。これから高齢化社会になるから、医療と福祉が一体化していく必要があるんですよ」
山梨は気分を良くして、持論を熱い口調で語った。
山梨のいわば医療村には、病院の隣に、老人の健康度に応じた2種類のホームが併設されていた。自立している老人のための独立型ホームと、介護の必要な人のための介護付きホームの2種類だ。
当初は独立型ホームに入居しても、介護が必要になれば、介護付きホームに移ることができる仕組みになっていた。さらに医療が必要になれば、病院に入院もできる。それは80年代にしては画期的なものだった。
「つい話がそれてしまいましたが、私は、7月に中川井病院を見に行きました。古い病院だと見た瞬間思いましたね」
山梨は、病院を視察したときのことに話を戻した。
「実は僕も、先日見に行ってきたんです」
「え!見に行ったの」
意外な言葉に、山梨は思わず声を上げた。
「夜でしたので、薄暗くて建物はよく分かりませんでしたが、びっくりしたことがあったんです」
「びっくりした?」
「中に人がいたので、ちょっと尋ねてみたんです。何をされてるんですかと。そうしたら、その人は看護婦さんで当直してるというのです。休院中にですよ」
「それそれ。それなんですよ、私が感動したのは」
山梨はわが意を得たりといわんばかりに、満面に笑みを浮かべた。
「私が行ったときにはね、田上という40代の女性を中心に、みんな手弁当で病院再開運動をやってたんです。院長も事務長も逃げてしまったのにですよ」
山梨は、カバンの中から1冊の小冊子を取り出した。
「これを見てください。彼らが私にくれた嘆願書です。38人の署名が入っています。それに添えて、《明日に向かって》という彼らの思いのたけをつづった文集も。私はこれを読んで心を動かされたんです」
高井はそれを手に取った。文集は26ページにわたっていた。
ページをめくった。最初に、田上富美江の名前が目に飛び込んできた。
『 再建を願って - 田上富美江 』
「明日から病院を休診にします」
90年の5月、冷たく重い響きの業務命令が、無情にも下された。
今年に入って、何度かの給与の遅配、未払いがあって、医事課の職員は1名を残して全員辞めてしまった。
3月には、「頑張ってほしい」と激励していた事務長が出勤してこなくなった。その代行を素人に等しい私が勤め、毎日が戦争のような慌ただしさだった。
患者さんからの不満も大きくなり、窓口でも電話でも、同じような苦情と不安がる患者さんへの対応に、心と時間をとられる。なんとか若い同僚のバイタリティーと周りの励ましに支えられて2カ月を乗リ切った。
しかしそれもむなしく、まもなくして、院長不在という前代未聞の事態がやってきた。病院は休院になったのだ。それ以後、職員全員が無給となって働いた。
患者さんから「私たちにもできることはあリませんか」とありがたい申し出に勇気がわいた。
「そうだ、署名を集めよう」
休院中の病院へ、伝え聞いた患者さんが、署名に、差し入れに、励ましにと来て下さる。すぐに2万名の署名が集まった。それを持って県庁の医療整備課へ出向いた。
「おたくの病院はねえ」
と、担当者の顔がくもる。
「7月までにきちんとしたオーナーが決まらないと、今度ばかりは無理ですね」
その口調は穏やかではあるが冷淡で、強い響きをもっていた。
心細かった私達の気持ちを察したかのように、文句をいっていた患者さんが、「あんた、聞けば給料も出てないそうじゃないか。文句をいってすまんかった。がんばってくれよ」と、励ましてくれるようになった。
「そうだ!この人達のために、この地域から病院を無<してはならない。残された時間はわずかだが、やれるだけのことはやろう」と、心に決めた。
仲間も同じ気持ちで、『いのちの砦』を死守しようと誓い合った。いのちの砦を守る戦いが始まった。
高井は読み終えると、胸に熱いものがこみ上げてくるのを覚えた。山梨は、高井の表情の変化を見逃さなかった。
「どうでしょう。私を助けてもらえないでしょうか。いや、私じゃなくて、病院や地域住民といったほうがいいですね」
山梨は姿勢を正すと、丁重な言葉づかいでいった。
高井は、中尾教授から受け取った山梨の手紙を見せて、
「教授からお借りして、インドで何度も読み返しました。理事長さんの医療姿勢に共感しました」
山梨は、身を乗り出した。
「あなたの専門は外科でしたね」
「そうです」
「外科は昔からこういわれているんですよ。何も知らないけれど何でもできる」
山梨理事長は茶目っけぽく笑って、
「内科は何でも知っているが何もできない。病理は何でも知っていて何でもできるが、時が遅すぎるって」
医療界では有名なことばなので、高井も知っていた。
「だから外科医は、こういう小さな病院にはうってつけの医者なんです」
大病院では、診療科もたくさんあって、医師も大勢いる。その総合力によって診療が行われているが、小病院では、1人で何でも診られて対処できる、初期医療の能力が必要になるのだ。
「中尾教授とも相談してみます。僕としては前向きに考えています」
「お願いします。われわれにあなたの力を貸してください」
山梨は深々と頭を下げた。
このことばに、いのちがあった。
高井は、中川井病院や山梨との出会いに、何か運命的なものを感じ取っていた。
かくして、中川井病院は、廃院の憂き目から救われた。いのちの砦を守った医療戦士は、ついに勝利の栄冠を勝ち取ったのだ。
しかしこれは、戦いのほんの序章に過ぎなかった。幾多の苦難が待ち受けていようとは、そのとき、誰ひとり知る由もなかった。




