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2話 思索の旅

 高井は大学に戻った。校舎の周りに生える深緑の木々は、夏らしくうっそうとしていた。夏休みのために学内は閑散としていたが、隣接する付属病院は、たくさんの患者で相変わらずにぎわっていた。


 医局には、本に埋もれたたくさんの机に混じって、高井が以前使っていた机が、手つかずのまま置かれていた。彼は、病院から持ち帰った医学書や文献を、一つ一つ手に取っては見返し、机の上に並べた。その中に、香織からもらった本も交じっていた。


 大学も夏休みなので、高井は思い切って1カ月の休暇を取ることにした。


 折しも、友人が企画したインドツアーがあることを知り、それに参加することにした。


 高井は、学生時代から途上国を歩き、その窮状を目の当たりにしていた。1980年には、カンボジア難民の救済のため、ボランティアでタイに渡り、国連の医療チームで診療活動をしたこともあった。


 今回のインドツアーは、その時の仲間が企画したものだった。




 大学に戻るとまもなく、高井は教授室に呼ばれた。主任教授の中尾勇夫だった。


「夏休みを取るそうだね」


 中尾教授はソファーに座るようにすすめた。


「はい。インドを旅行するつもりです」


「ほう、インドね。歴史ある異文化に触れてみるのも、いいことだ。君にとって今は大事な時だから、考えるにはいい機会かも知れないね」


「ゆっくりとこれからのことを考えてみたいと思っています」


 しばらく世間話が続いた。


 やがておもむろに、


「これから君はどうしたいのかね」


 中尾教授は、高井の心を探るように聞いた。


「私自身は、臨床の方にいきたいと思っているのですが」


 臨床にいくということは、大学を辞めて市中の病院に出ることを意味している。


「医局には、残らないということかね」


「できれば・・・」


「医局に残るなら、助手というポストも考えられるんだが」


 高井は、助手ということばに心が揺らいだ。助手になれば、大学のポストにつけるからだ。


 大学には、教授を頂点とした、給与をもらえるポストがあるが、それは1教室にせいぜい10人ほどで、あとの医師は教室に属しながら、関連病院に出向したり、アルバイトをしたりして生計を立てているのだ。


 高井も、卒業後、研修を終えると、博士号を取得するための研究のかたわら、関連病院への出向を繰り返していた。それが10余年続いた。


「少し、考えさせていただけませんか」


「いいだろう。考えてみなさい」


 中尾教授は、少し間を置いて、


「それにもうひとつ話があるんだが」


と、上質の白い封筒を高井の前に差し出した。中に、厚手の一通の手紙とパンフレットが入っていた。


「私の同級生が、病院をやっているんだが、今度、横浜の病院を買収したそうだ。そこに院長を派遣してくれないかといってきたんだよ」


 教授は、少しためらいがちに、病院案内のパンフレットを封筒から取り出した。


「何床の病院ですか」


 高井は、パンフレットをめくりながら、病院案内に目を通した。


「100床だそうだ」


「100床ですか……」


 100床の病院といえば小規模病院で、大学にいる医者にとっては、あまり魅力のある病院とはいえなかった。


「何でもね。わりと古い病院だが、今度新しくスタートするらしいんだ」


「建てかえるということでしょうか」


 新築するのになぜ院長がいないのか、高井には不思議に思えた。


「前の病院が倒産して今は休院中だが、また新しくオープンするようだ」


 教授の口調が急に歯切れ悪くなった。教授は、同級生のよしみで、むげに断ることもできないといいたげだった。


「君が院長になってくれるなら、医局も応援するつもりだよ。いっしょにこれも考えてみてくれないか」


 高井は戸惑いながらもうなずいたが、即答しなかった。いち勤務医ならともかく、院長ともなると責任が重い。初めての経験でもあり、自信がなかった。それに、教授の口調の歯切れ悪さに、何か不可解な事情がありそうに見えたからだ。


「少し時間を下さいませんか」


「もちろんいいとも。オ-プンまで半年ほどかかるらしいからね。ただ、返事だけは出来るだけ早目にしてやらないと。役所の手続きがあるのでね」


 教授は、先に見せた封筒一式を差し出した。


「分かりました」


 高井はそれを受け取ると、一礼して教授室を出た。


(助手のポストかあ。迷うなあ)


 帰り道、高井は歩きながら、何度もつぶやいた。




 インドツアーは、「インドの旅・アユルベーダ医学を学ぶ」と銘打たれていた。


 アユルベーダ医学は、インドで発祥した伝承医学で、中国の漢方と似たものだ。


 高井はアユルベーダ医学に特に関心があったわけではないが、ツアーのタイトルが、「思索の旅」のように、高井の心には響いたのだ。


 臨床医になりたいと中尾教授にはいったものの、これからの人生をどう進むべきか決めあぐねていた高井は、半生をふり返る絶好のチャンスと思い、インドの旅に参加することにした。


 インドツアーは10日間の旅だった。高井は、スーツケースに生活必需品を詰め込んだ。彼は、途上国には何度も渡航経験があったので、現地で何が必要かはだいたい察しがついた。


 手荷物用の手さげカバンには、パスポートや財布、ガイドブックなどといっしょに、中尾教授のくれた封筒をかたすみに差し込んだ。


 早朝4時の起床だった。羽田から大阪に飛び、大阪空港でツアー一行に合流した。


 ツアーの企画者・須波は、ほとんどが顔見知りのためか、


「ようこそ」


と気軽に1人1人と握手すると、名簿を読み上げて、参加者の紹介をはじめた。参加者は、総勢13人で、半数は医学生だった。


 須波は高井を見つけると近寄り、


「よく来てくださいました」


と、丁重にお礼をいった。


 高井は参加者の中では、年長者に入った。


「須波先生、お久しぶりです。インドは初めての経験なので、楽しみにしています」


 顔見せを終えると、須波は彼らのパスポートを集めて、搭乗の手続きを始めた。添乗員の随行はなく、須波がその代行を努めた。学生が多いため、なるべく旅費を安くするためにそうしたのだ。


 須波は、以前タイで活動した際、アジアの医師や医学生と連絡網を作っていた。今回のインドツアーも、その連絡網を活かしたものだった。


 一行を乗せた飛行機は、台湾、香港を経由し、インドのボンベイへ向かった。12時間余のフライトだった。


 インドシナ半島の上空にさしかかったころ、高井は10年ほど前にカンボジア難民救援のために、タイで活動したことをなつかしく思い出していた。国連チームに加わって救援活動をしたのだ。へたな英語を駆使しての活動は高井にとって楽しい経験だった。


 3カ月間の活動を終えて日本に帰国してから、高井は、国際協力の必要性を訴えて何度も研究会を開いた。須波も当時、難民の救援活動に参加していたため、その研究会にはよく顔を出していたのだ。


 インドと日本の時差は、3時間ほどあった。


 インド行きの飛行機は、現地時間の夜9時頃ボンベイに到着した。ボンベイで1泊したホテルは、たったの2部屋のみだった。そこに13人が泊まり、床の上にまさにざこ寝といったところだ。学生たちは、もちまえの若さと、途上国に興味を持つといった気質からか、疲れ知らずだった。


「先生は、どうぞベッドで休んでください」


 高井にそうすすめると、学生たちはおもむろに床の上に寝ころんだ。


 翌日は、まだ薄暗い早朝5時にホテルを出発するといった強行軍だった。国内線に乗り、インド西海岸にあるマンガロールに向かった。朝食は、機内で出されたビスケット2枚だけだった。


 国内線ともなると、70人乗りほどの小型ジェット機で、乗客の多くがインド人だった。いよいよインドに来たなという実感が湧いて来た。


 1時間半ほどのフライトを終え、深緑の木々がうっ蒼と茂る森林の中に、うす茶色の土が露出した小さな空港に飛行機は着陸した。


「ナマステー(こんにちわ)」


 あちこちでインド人達が合掌して挨拶を交わしていた。ターバンを頭に巻いたひげづらの男、額に赤い斑点をつけた婦人、腰布だけをまとった上半身裸の男など、日本では見られぬ異国の光景だった。


 空港には「歓迎」と英語で書かれた横断幕をひろげて、10人ほどのインド人が一行を出迎えてくれた。須波が彼らと親しげに挨拶し、予定表をひろげてスケジュールを確認していた。


 トイレに行くなど、つかぬまの休憩を取っていると、お世辞にも快適そうには見えない大型バスがやってきた。日本人専用のバスである。


 一行の乗ったク-ラ-のない大型バスは、舗装されていない山道を、砂煙をたてて6時間走った。がたがた道の6時間はきついドライブだった。強行軍に疲れ果て、さすがの若者もほとんどが爆睡していた。


 所々の町で休憩を取った。そこでやっと食事にありつけた。


 ボンベイを発ったのはまだ薄暗い早朝だったのに、目的地のカストゥルバに着いた頃には、日は傾きかけていた。


 カストゥルバに、1000床のベッドをもつ西洋医学の大学があった。そこで今回のアユルベーダ医学の研究会がもたれるのだ。


 大学の周囲はほとんど田畑で、患者は相当遠方からもやって来る。時には言葉が通じないこともあるという。インドには公用語が14もあるからだ。


 大学のほど近くに、田舎にしては気の利いた4階建てのホテルがあった。やや古びてはいるものの、部屋も広く、バスルームもついていた。高井は3階のツインルームに独り泊まることになった。


 高井の宿泊した部屋の窓からは、延々と続く田園と森林が一望できた。その光景はいかにも大陸的で、壮大だった。


 部屋には空調設備は無く、扇風機が置かれていただけだが、周りが森林のせいで、窓を開ければ風が通り、不快なほどの暑さではなかった。


 アユルベーダ医学の研究会は、大学の講堂で4日間にわたって開かれた。日本からの参加者に、カストゥルバ大学の関係者が加わり、50人ほどの集まりだった。研究会は、参加者がそれぞれ用意した英語の論文をスライドをまじえて発表し、その後、参加者で質疑応答するという形式で進行した。


 9時から研究会は始まった。


 高井は、アユルベーダ医学には余り関心がなかったので、自分の用意した「国際協力の必要性」をテーマにした論文を発表し、予定された施設見学を終えると、あとは自由行動をとった。インドの一般医療の現場を見ておきたかったからだ。


 研究会の会場で知りあった外科の助教授ラム医師が、高井の希望をかなえてくれた。


 高井は須波に、ラム医師を紹介し、彼が一般医療の現場を案内してくれることを話した。


「分かりました。夕方5時までには食堂に来てください」


 須波は自由行動を快諾してくれた。夕食は、食堂で全員いっしょにとる段取りになっているからだ。


 3日目の午後、ラム医師は、高井を大学の要所に連れて行ってくれた。カストゥルバ大学は、宗主国だったイギリス医学の影響が強く、解剖標本室、病理標本室には、日本の大学図書館ほどの建物に、数多くの標本が整然と並べられていた。それは高井の母校をしのぐほどの、驚くべき充実ぶりだった。


 行く先々で高井は歓迎された。外科病棟にも入り、入院患者と話した。


 ラム医師の外科学の講義も、インド人学生に混じって聴いた。


 タイには慣れていた高井だったが、インドはまさしく異文化の地だった。なのに、一目会っただけで親しい友人のように振る舞う彼らに、日本ではいつしか失われてしまった素朴さや人情味を強く感じた。


 高井は、プライマリーヘルスケア(初期医療)をになっている最前線の施設を見たいと、ラム医師に頼んだ。


 ラム医師は、大学のマイクロバスをチャーターしてくれた。バスは小雨の中を走った。30分くらいして、広々とした田園の中にある古びた小さな診療所に着いた。


 施設には4畳半ほどの部屋が3室あった。医療器具といえるものは、聴診器と血圧計くらいだった。以前タイの農村で見たヘルスセンター(保健所)に似ていた。初期医療は保健師が担い、応急手当だけをして、大学病院に送るという。


 帰路の途中、ラム医師は、高井を官舎の自宅に招いてくれた。彼の妻は解剖学の教授で、丸裸の赤ん坊をかたわらのハンモックで寝かせて、お茶を飲みながら3人でひととき談笑した。


 高井はお世話になったお礼にと、自分のしているネクタイをプレゼントしたいと申し出た。絹製の新品の高級ネクタイだった。


 ラム医師は目を細めて、


「オー!サンキュー」


といった。


 その時、寝ていた赤ん坊が目を覚ました。そのクリクリ目の愛くるしさに思わず高井が抱き上げると、驚いた赤ん坊が高井の胸めがけて放尿してしまった。ネクタイはびしょ濡れになった。


「あなたのお子さんのオシッコ付きです」


 ネクタイを手渡しながらみんなで大笑いした。


 高井はホテルに帰ると、窓際に置かれた小さめのソファ-に腰をかけ、延々と広がる田園を窓越しに眺めながら、紅茶で一息入れた。


 やがてスーツケースから一冊の本を取り出した。香織がくれた、ターミナル・ケアの本だった。


 「ターミナル・ケアという考え方は、ここ数年の間に大きく進歩している。死期が迫った末期患者のケアだけでなく、患者の家族や親戚に対するケアも同様である」


 本は、そういう書きだしで始まっていた。イギリスにおけるホスピスの問題点を討議した会議記録が、そこには載っていた。


 高井はしばらくその本を読むと、ベッドの上に横になった。脳裏に、昔、イギリスに行った時の情景が浮かんできた。


 ロンドンに2週間滞在して、ブリティッシュ カウンシル(英国委員会)の紹介してくれた医療施設の視察をして回ったのだ。その中に、イギリスでも最も古い歴史を持つトリニティー・ホスピスがあった。


 建物はコンクリート製の平屋建てで、ベッド数は18床だった。南側には広い庭園があり、病室から直接出られるようになっていた。敷きつめられたワインレッドの絨緞、日本より一回り広い病室、ピアノの置かれた病棟中央にあるホール。それら全てが落ち着いた家庭的な雰囲気をかもし出していた。


 高井が病室に案内されると、


「ハーイ」


と、ベッド脇に置かれた安楽椅子に腰掛けた老人が、声をかけて来た。その腕には点滴が入っていた。頬がこけているとはいえ、癌の末期といった暗さはみじんも感じられなかった。


 ホスピス医が高井を紹介すると、


「ナイス トゥー ミーチュウ(会えて嬉しいよ)」


と、笑顔で手を差し出した。


 高井の外科病棟で目にする末期癌患者は、見捨てられたも同然の扱いだったが、ホスピスでは違っていた。


「ホスピスか・・・」


 高井は本をかたわらに置くと、手枕をして窓の外を見やった。


 外では、いつしか夕立のような激しい雨が、生い茂る木々の緑を濡らしていた。 土ぼこりに色あせた緑は、雨に洗われ、その美しさを取り戻した。黄土色の地面は、たちまち、赤レンガ色と化し、木々の緑とかもし出すそのコントラストは、高井の初めて見る熱帯地方の光景だった。


 研究会を終えてカストゥルバからの帰路の途中、名所旧跡の観光が行なわれ、あわただしい10日間のインドの旅は終わりを告げた。


 12時間を越える帰りの機中で、高井はシートを倒して、ゆっくりと旅を回想した。様々な情景が走馬燈のように頭の中を巡った。


 インドシナ難民を救援した若い頃の思い出。イギリスのホスピスを視察したときの患者のあの笑顔。物質的には貧しくても人間らしさを失わないインドの人々の素朴さ。祖国を良くしようと、安い給料で働くインド人医師たちの目の輝き・・・・・・


 高井は、大学から市中の病院に出て、病床で患者とともに生きようという気持ちがさらに強くなっていた。


 カバンの中から中尾教授がくれた手紙を取り出し、もう一度、じっくりと読み返した。


 手紙には、こう記されていた。




中尾勇夫 教授殿


 いつも、あなたの医局から医師を派遣していただいてありがたく思っています。こちらは相変わらずの貧乏暇なしで、病院経営に明け暮れています。


 市中の病院は、厚生省の診療報酬の改定があるたびに、もろにその影響を受け、右往左往しているのが現状です。中小の病院などは、そのあおりを受けて、閉院に追い込まれる病院が後を絶ちません。


 ただ、こういったことはあまり表ざたになることは少なく、水面下で経営権の移譲などによって、再編されていることがほとんどです。


 そこで折り入ってあなたに相談するのですが、横浜に、経営難に陥った中川井病院という100床の病院があります。私は旧友の紹介で、その存在を知るに至りました。70年代にオープンしたその病院は、地元に根ざした地域病院で、外来は、時に500人を越える病院です。


 ところが、無理な過剰投資のうえ、院長ががんで急死するという不運に見舞われ、経営難に陥り、ついにこの5月休院となりました。


 職員と地元の住民は署名活動をして、2万名の署名を持って県に再開を嘆願しています。


 職員は休院している今も、病院に無給で出勤してきているのです。その様子を友人から聞き、私はその職員の行動に感動し、関心を持ちました。


 彼らはまさに、命を守る、医療戦士のように私には思えたのです。


 そこで私は、その病院の救済に、手を貸そうと考えました。


 あなたにお願いがあるのですが、院長をはじめとした医師たちは、大半が辞めてしまって、今のところそのめどが立ちません。100床という小規模病院で、しかもこのような状態にある病院に、医師を派遣してくれとはまことにいいにくいのですが、地域住民の命を守る病院を、決して見捨ててはならないという私の信条に免じて、どうかそういうことに理解のある、医師を派遣してくれませんか。


 突然のお願いでまことに恐縮ですが、ご配慮いただけましたら、大変幸甚に思います。


1990年7月20日


医療法人賛善会 理事長 山梨静夫 拝



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