4話 お家騒動-仮処分裁判
10年もの長き間院長を勤めていると、同志ともいえる仲間が当然のことながら生まれてくる。診療熱心な学者肌の金子院長に好感を持つ職員が、賛善会病院にはたくさんいたのだ。
彼らが声を上げた。
「金子院長を辞めさせるな!」
有志で「金子院長を守る会」を結成した。
守る会はたびたび集会を開いた。その噂は口づてに伝わり、金子院長が手術した患者たちにもその声は届いた。彼らもその声に呼応したのだ。
連日、金子院長支持者が大勢病院に押し掛け、山梨理事長に話し合いを申し入れてきた。
「なぜ金子院長を辞めさせるんですか。こんな名医はそうはいませんよ!」
守る会の有志が口々に叫んだ。
「そうだ、そうだ!」
患者たちも叫んだ。
「金子院長は、医局員たちとそりが合わないんですよ」
山梨理事長は声を荒らげた。
「じゃあ、医局員を辞めさせたらいいじゃないですか」
「そんな簡単な話ではない!医局員が全員引き上げてしまいますよ」
こんな押し問答が、毎日のように繰り返されたのだ。
院長交代は既に理事会で決議され、その届け出は県に受理されていた。簡単には変更できないのだ。仮に変更するにしても、大学の医局が猛反発するのは必至だ。賛善会病院は、院長支持派の職員と大学医局が相克するという難局に直面していた。
らちがあかないとみた守る会のメンバーは、法的手段に訴えた。
「金子院長の解任は不当なもので、受け入れられない」
院長の地位保全の仮処分を裁判所に申請したのだ。
金子院長側の弁護士は裁判上のシナリオを考えた。金子院長から解任決議は理事会でなされたと聞いていたので、地位保全の仮処分を勝ち取るためには、社員会決議の必要性を争点に取り上げればいいと踏んだのだ。
社員会とは、医療法人の所有権を持つオーナーの集まりだ。社員会で理事の選任が行われ、理事会が構成される。
原告が裁判所に提出した訴状は、「院長解任の決議は社員会で行うべきなのに、社員会では決議されていないから無効だ」という内容だった。
裁判の争点は、社員会での決議があったかどうかに絞られた。
「普通、院長の選任は、理事会で行われるものですが・・・」
関係者以外誰もいないひっそりと静まりかえった法廷で、裁判官は双方の弁護士に向かって語りかけた。金子院長は原告側に、山梨理事長は被告席に座っていた。
「そうです。理事会の決議で十分なんです」
病院側の弁護士は、言質を取ったように胸を張った。
「違います。賛善会の定款には、それはうたってありません。うたってない以上、所有権を持つ社員会で決議するのが妥当です」
院長側の弁護士は、想定したシナリオ通りの陳述をした。
裁判官は病院側の弁護士に、
「その点はどうなんですか」
「社員会も同時期に行われていますから、議事録を次回提出いたします」
淡々と答えた。
それを聞いた金子院長は、驚いて弁護士と顔を見合わせた。
「そんなはずはない。社員会は行われていないはずだ!」
金子はろうばいして怒声を上げた。
「それはあなたが知らないだけですよ」
山梨は金子を見すえると、困惑顔でいった。
小規模の医療法人の場合は、社員会と理事会はおおむねその構成員も同じで、同時期に並行して開催されることが多いのだ。
賛善会の場合も、社員会、理事会は同時期に行われていた。社員会で院長解任の決議がなされ、作成された議事録に出席した社員全員の署名があった。金子院長はそういった事務的事柄にはもともと疎く、その事実を記憶していなかったのだ。
しばらくして、
「それでは、次回の審理は2週間後とします」
裁判官のひと言で、その日の審理は終了した。
裁判の審理が数回行われると、社員会の議事録が決め手となって、院長解任決議は有効と判定された。裁判所から円満退職の和解勧告が出された。大騒ぎした割には、あっけなく和解が成立して、金子院長の退任は確定したのだ。
半年余り続いた内紛劇も、これを契機にほどなく収束するかに見えた。
ところが守る会のメンバーの中に、大手新聞記者と親しくする者がいた。その内紛劇を記者に持ち掛けたのだ。
折しも、中学校教師の権力闘争事件が世間をにぎわしていたこともあって、記者はそれを記事に取り上げた。普通この程度の出来事は、他に政界スキャンダルなどのトピックスがあれば、キャンセルされてしまうたぐいのものなのだ。しかしその時は、日本国中にトピックスといえるものは何一つなかった。大手新聞の全国版紙面4分の1をこの内紛劇が飾ったのだ。
不運にも、それを賛善会の取引き銀行が知るところとなった。
新聞記事の中に、賛善会の経営状況についての憶測記事が載っていた。金子院長が経営状況は厳しいと内情を語っていたのだ。
内紛劇による賛善会にとっての痛手は、銀行に対する信用失墜が何よりも大きかった。
裁判とは恐いもので、原告の誤解から生じた、被告には何も非のないものであっても、一度訴えられると、あたかも非があったかのように報じられてしまう。被告に非なしと判決が下っても、その後遺症は甚大かつ長期にわたるものとなってしまうのだ。
賛善会の取引銀行は、病院の経営実情を探りに入った。
賛善会は、必ずしも潤沢な資金のある経営状況ではなかった。埼玉と横浜に病院を開設する際、銀行から多額の借り入れをしていた。病院の経営は厳しい状態だったが、有料老人ホームなどの医療村全体で経営は持ちこたえていたのだ。
山梨理事長は、東京にある銀行の支店に出向いた。
「この新聞記事は何ですか!」
支店長は新聞記事を指差すと、普段はへつらい気味にぺこぺこしているのに、不満をあらわにした。
「記事の通り病院内で内部抗争が起きてしまったのです。ほとほと私も困りました」
「それは読めば分かります。記事の中に、病院の経営は思わしくないと書かれているでしょ。これは一体どういうことなんですか」
銀行側としては、内部抗争の問題より病院の経営状況の方が重要なのだ。
「事件が起きる前は収支はトントンだったんですが、このごたごたによる来院患者の減少で収入が減っているのです」
山梨は、減収はほんの一時的なもののように説明した。深く追及されたくなかったからだ。常連患者の中に、内紛を契機に賛善会病院を敬遠する患者が出ているのは事実だった。しかし経営が狂いだしたのは、内部抗争に火がついた93年夏ごろからで、1年も前のことだった。山梨理事長は銀行にはそれを内緒にしていた。
「いっこくも早く解決してくださいよ。さもないと、うちとしては運転資金を出せなくなります」
銀行は晴れの日に傘を貸して、雨になると取り上げると昔から揶揄されるように、リスクが出てくると手を引いてしまうのだ。
運転資金が止められると、ボーナス時期には職員の給料を払えなくなり、病院にとっては存亡の危機に立たされることになるのだ。
「もうすぐ和解になりますので、早々に立て直します」
山梨はそういうと、支店長に向かって深々とお辞儀をした。
山梨理事長は、10月に横浜の中川井病院を訪れ、応接室で高井院長と対座していた。
「あなたに良くないニュースがあります。この10月に裁判所が、中川井病院の競売を4億円で公告します」
中川井病院が競売にかけられることは前々から聞いていたが、ついにその時が来たかと思うと、高井の胸中は穏やかではなかった。
「私も落札相手を探していますが、古い赤字病院に4億円の公示価格は高過ぎて、だれも手を出そうとはしません」
「落札されないと病院はどうなるんですか」
「裁判所が再公告するまで、このまま賛善会が運営していくことになりますが、賛善会はあの騒動で経営が厳しくなっています。中川井病院の経営を続けるゆとりがありません」
埼玉の本院自体が窮地に立たされている中で、賛善会としてはいっこくも早く、中川井病院を他の医療法人に移譲したかったのだ。
「落札はいつ頃になるんですか」
「この数カ月の間でしょう」
「数カ月ですか・・・」
高井は眉をひそめた。
この秋、県の人事異動で医療整備課長は交代した。そのとたん幸運にも、基準看護の認可方針が大きく変更された。基準看護は、病院全体ではなく病棟単位で取れるようになったのだ。
中川井病院はやっとのことで念願の基準看護が取得でき、ホスピス認可が県の担当部署で俎上にのっていた。それがいよいよ佳境に入ってきているときだけに、横槍が入ってほしくなかったのだ。
落札者の人物いかんで、病院の有り様から人事に至るまですべてが変わってしまう。認可のないホスピスは、不採算部門として真っ先に削られることになるかも知れないのだ。
「私もなるべくいい人に落札してもらえるよう知り合いを当たっています」
山梨は一連の騒動で心労が重なり、やつれ切っていた。
高井は腹をくくった。ホスピスを造るという今まで通りの方針を貫き、それが成就しないときは院長を辞任しようと決意したのだ。