奪還作戦 ゼロアワーマイナス1時間
跳躍艇にノワールがやってきた。
「今度は黒い猫さん?」
ジーンが目を丸くする。
コハクの奴め、ジーンを驚かせようと、さっきの通信のときにノワールの映像を切っていたな。
全身が艶やかな漆黒の被毛で覆われ、虹彩は鮮やかな琥珀色。
鼻先から尻尾の付け根まで約四十センチといったところか。
セレスでの術後、初めて救急救命室でノワールを見たときは、人工眼に不慣れなこともあり、スケール感が把握できなかった。
改めて見ると、やや小柄だ。
「やあやあ、初めましてジーン。ノワールと申します。以後お見知りおきを」
「こんにちは、ノワールさん。猫なのにしゃべるんだね」
「騙されるな、ジーン。こいつは通信塔の機械知性だ。猫じゃない」
「えっ、本当?」
「それは、正解であり間違いでもあります。私は機械知性ではなくノワール。通信塔の管理を任されております」
「何を言ってるのかよく分からないよ……」
「こいつはそういうやつだ。気にするな」
「ところで、スラスターを持ってきてくれたか?」
本題に入ろう。
「はい、どうぞどうぞ」
床に穴が開き、直径四センチほどのコイン状の物体がせり上がってくる。全部で六枚だ。
「これはどうやって装着するんだ?」
「あなたのボディは要人警護用ロボット『ウルフパック』の隊長機タイプですね。大変よい選択です」
ノワールはそう言うと、ぺちぺちと薄い円柱状の物体を叩いた。
その瞬間スラスターが浮かび上がり、俺の背中、腹、脇腹、胸、尻に装着される。脇腹は左右に一つずつだ。
「これで推力が得られるのか?」
「そうですそうです。『ストラクチャ』を足場にして推力を発生します。超小型なので慣性制御機能は全くありません。ご注意を」
「ふむ、どれほどの加速力がある?」
「機械狼の質量だと最大八Gといったところです。ボディは問題ないでしょうが生体脳にはきついでしょう」
「どうやって動かす?」
「そのボディには制御ソフトが元々入っているんですよ。ヒロの小粋なサプライズでしょうか」
「『豊穣の角』で作ったものには、ときどき元のモデルを超えた機能が付加されているが、そいつの仕業か」
「ええ、その通りです。ただし、危険なものは条件が揃わないと、機能が発現しないように制限がかけられていますが」
「いきなり本番は無理だな。少し試したい」
コハクに向かって言う。
「そこの穴から外に出な。跳躍艇から意識をそらすんじゃないよ。空間識失調に見舞われる」
コハクの言葉に反応するように壁に穴が開いた。
穴を抜け、淡い照明に照らされた通路を進むと壁に突き当たった。
後ろを振り返ると通って来た通路が塞がっている。
『それじゃ開けるよ』
ボディに内蔵されている通信機にコハクの声が届いた。
前を向くと突き当たりの壁が消え、宇宙の星々が目に入る。
トンと床を蹴って宇宙空間に飛び出す。
跳躍艇に目をやると、今まで通路と思っていたものの正体が分かった。
最初に乗り込むときに使った白い触手だ。今はトランスファー・トンネルのように、通路として機能している。ずいぶんと多機能な触手だな。
尻のスラスターに意識を集中すると前方へ進む。
同じ要領で胸、腹、背、脇腹も片方ずつ試す。六つのスラスターでは回転制御ができない?
「ノワール、これはどうやって回転すればいいんだ?」
『回転軸と回転方向を意識してください。あとは力加減をマスターすれば大丈夫です』
言われたとおり、胸から尻のラインを軸にして、ゆっくりとロールを試みる。
なるほど、思いどおりに動く。
曲技飛行のハンマーヘッドを模した機動に挑戦。
重力の無い宇宙空間では失速すらもできない。
全ての動きを能動的に制御する必要があるんだな。
ふと思いついて、並列思考でスラスターを制御してみる。
尻のスラスターで前進。胸のスラスターで徐々に速度を殺す。
速度がゼロになる瞬間にヨー軸を中心にして百八十度反転。
同時に胸のスラスターを切り、尻のスラスターで加速を開始。
不格好だが再現できたと思う。
『お見事。ハンマーヘッドと言われるマニューバですね』
「補助電子脳も使いようだな。並列思考で楽に制御できる」
『そこまで使いこなすとは……普段から活用されているのですね』
何かをしながら、いつも回想に耽っているとは言えないな。




