音
「あぁ、うるせぇな…!」
聞こえるように呟くと、近くの席でパソコンのキーボードを叩いていた女性社員は苛立ちながら席を立った。
なんだアイツ。絶対あのまま給湯室にでも行き、他の女子社員と俺の悪口で盛り上がるんだろう。
うるさい奴にうるさいと言って何が悪い。
そんなに広くもないこの部屋で、あんなにキーボードを叩いたら耳障りに決まってるだろう。
――ああ、あの男性社員はさっきからシュレッダーがうるせぇな。まとめてシュレッダーかけてんじゃねぇよ。
掃除のおばちゃんはゴミ袋の回収にどうしてそんなに音をたてるんだ。
クソっ。どいつもこいつもうるせぇな。
せっかくクズ元ならぬ渦元が居なくなったのに。
俺はイライラを抑えるためにタバコをスーツのポッケに突っ込むと屋上へと向かった。
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「もう…無理です。辞めます。」
クズ元がそう言って俺の机に辞表を置いたのは半年程前のことだった。
「あ、辞めるの?あっそ。別にいいけどさ。君そんなんで他でやってけるの?」
俺の言葉に他の社員達が顔を顰めたがそんな事は関係ない。どうせこいつは居なくなるんだ。最後にストレス解消ぐらいしてもいいだろう。
君のこういう所がダメなんだよ、と机を叩きながら日々の苛立ちをクズ元に言いまくる。
「君みたいなクズ…失礼、あまり能力の無い人間はどこ行っても難しいと思うが、まぁ頑張りたまえ。」
もっといろいろ言いたかったが俺にも仕事がある。
最後に部長らしい労いのお言葉を言って俺は辞表を机にしまった。
クズ元は唇を噛み締めながらジッと突っ立っていた。
クズ元…新入社員で入ってきたその男は毎日俺を苛立たせた。
仕事も遅いうえに営業成績も悪かった。
俺を見る度にビクビクして、蚊の鳴くような声ですみません…と謝るクズ元に俺は毎日怒鳴っていた。
「せっかくアイツが居なくなったのによぉ。」
もちろん全てのストレスが消えたわけではないのはわかっている。
だけど俺の最大ストレスのクズ元が居なくなれば少しは気が楽になると思っていた。
だけど…
「クソっ!どいつもこいつも!」
屋上では烏の鳴き声がうるさい。近くの小学校からはガキの笑い声が響き不愉快極まりない。
俺ってこんなに音に敏感だったっけ?確かにうるさいのは嫌いだが、ここまで酷くはなかった筈だ。
「えー、じゃぁ私も合コン行こうかな…。」
屋上の扉が開き他の部署の女性達がやってきた。
「うそっ、マキ、この間彼氏出来たって言ってなかった!?」
「振られたの!だから合コン行く!」
うるせぇな。会社で下品な会話してんじゃねぇよ。
俺は吸殻をゴミ箱に突っ込むと女性達に聞こえるように舌打ちをして部署へと戻った。
「ではすみませんが部長、先に失礼します…。」
申し訳なさそうにそう言って帰る男性社員を無視して俺はキーボードを叩き続けた。
最後の一人のアイツも帰りやがって。申し訳なさそうにするならサービス残業ぐらいしろよ。
働き方改革か知らんが、残業をさせない風潮に俺の会社もなり、しかし仕事は終わらないので結果俺たち管理職だけが残業する羽目になったのだ。
「くそが!残業なんて下っ端がしろよ!」
俺は頭に来て机の引き出しを思いっきり閉めた。
*********
「おい!うるさい!テレビの音が聞こえないだろう!」
休みの日。俺は掃除機をかける妻に怒鳴り散らしていた。
「掃除機なんだからしょうがないでしょう。」
「俺が仕事行ってる時にかけろよ!ああ!隣の家の犬がうるさいな!このピアノの音は真向かいの家か!?」
うるさくて堪らない。俺は立ち上がると地団駄を踏んだ。
「…ねぇ、貴方最近どうしたんです?やけに音に敏感に…。」
「うるさい!俺がおかしいんじゃない!周りがうるさいんだろう!隣の家は子供までうるさいのか?足音が耳障りだ!」
文句を言いに行こうとしたがやめてくださいと妻が真剣に言うので我慢した。
「うるさいから外に行く!」
何度言っても掃除機をやめない妻に怒りがおさまらない俺は外に行くことにした。
近くのコンビニに行くか。コンビニでは若いカップルが買う物を相談していた。
うるせぇな。買い物ぐらい一人でしろよ。店員はなんで品出しでそんなに大きい音を出してるんだよ。
そもそもなんだ、この不愉快な店内BGMは。
うるさい、うるさい、うるさい!!
我慢が出来なくなった俺は慌ててコンビニから出た。
――公園で休もうにもガキ共の声がうるさい。スーパーなんて人が多すぎてもってのほかだ。
図書館なら静かだと思ったが、本を捲る音が気になり飛び出してきた。
なんでこんなに音が気になるんだ。
何故皆静かにしない?うるさくて頭がおかしくなりそうだ。
どこに行っても不快な音から逃げられない俺は、仕方なく家へ帰ることにした。
「帰ったぞ。…居ないのか。」
妻は出かけてるようだった。
良かった、やっと休める。苛立った気持ちを抑えるためにソファに寝転んだ時だった。
【ガチャーン】
食器が割れた音と母親の叱る声が聞こえてきた。
また隣の家か。俺はまた怒りが湧いてきた。
「もう!だから座って食べなさいと言ったでしょう!」
うるさい!
「もうお菓子は無しだからね!」
うるさい!!
「うぇぇお母さんごめんなさい!」
うるさい!うるさい!うるさい!
――あの時の行動は俺にも分からなかった。ただ、気付いたら包丁を持って、隣の家に怒鳴り込んでいたんだ。
***********
「…ねぇ、部長の話聞いた?」
「聞いた、ご近所トラブルでしょう?隣の家に怒鳴り込んで刃物で切りつけたって。」
「幸い被害者家族は怪我で済んだらしいけど…ねぇ、部長の最期の様子は聞いた?」
「えっ知らない。」
「絶対に秘密ね。上司が話してるの聞いたんだけど、最期、部長が自分の耳に刃物を突き刺したんだって。」
「えっ嘘でしょ!?」
「本当みたい。うるさい!って金切り声で怒鳴った後、自分の持っていた刃物で耳を突き刺したって。そんなの目の前で見たから被害者家族は怪我より精神面が大変らしいよ。」
「それはそうでしょう…。だけど確かに部長最近おかしかったよね。怒りっぽいのは前からだけど、ここ最近は音に対して凄く敏感で。」
「そうそう。精神を病んでたんじゃないかって今会社調べられてるらしいよ。」
「あー、残業とかしてたからね。でもさ、音で病むなんて自業自得じゃない?アイツ。」
「音?あぁ、もしかして渦元くんのこと?」
「うん、渦元くんさ、いつもあからさまに音でプレッシャーかけられてたじゃん。少しデータ入力遅れたぐらいで机を叩いて急かしたりさ。怒鳴られるよりあの責め立てる音の方が嫌だって言ってたもん。」
「やってた!渦元くんが発言すると乱暴に机の引き出しとか閉めてたよね。渦元くん、会社辞めて元気になったかと思ったのに自殺しちゃったからね。」
「えっそうなの!?」
「遺書も無かったから部長が責められる事もなかったみたい。突発的だったのかね?可哀想に…。」
「なんかさ…今回部長が死んだのって…渦元くんの祟りだったりして。」
「えー!まさかー!」
「だって音に追い込まれるなんて渦元くんと同じじゃない…なんてね…。」
「もう…やめてよ…!」
祟りなんてあるわけないじゃない…と女子社員は自分に言い聞かせるように呟くと、静かに自分達への部署へと戻って行ったのだった――。




