【サラ視点追加】私の真似ばかりする自称大親友に、最愛の人(笑)を盗られました
——これでようやく、彼と結ばれる。
いっそ目が痛くなるほど純白のドレスを見つめながら、私は達成感に浸っていた。
目の前で、10年来の幼馴染であるサラが何かを言っているが、たいして頭の中に入ってこない。
このコピペ女ともこれでお別れだと思うと、なんだか少し寂しくも——いや、嘘だ。清々する。
かつて私に求婚してきた男との子がいるのがそれほど誇らしいのか、サラはしたり顔で出てもいないお腹を撫でている。
その存在が幸福をもたらしてくれるのだと、信じて疑っていないらしい。
それが地獄への片道切符だとも知らずに。
◇◇◇
エリザベス・バートン、それが今世での私の名前だ。
伯爵家の長女として生を受け、多少の不自由はあれど、きちんと両親から愛されて幸せな暮らしを送っている。転生ガチャとしてはなかなかの当たりを引いたと思う。
——そう。転生、してしまったのだ。
物心つく前から、私には前世の記憶があった。
となると当然考えるのが、ここがどんな世界なのかということ。
天使のような顔立ちの私は順当に行けばヒロインだが、闇堕ちした悪役令嬢という可能性も捨てきれない。
だから私は、常に品行方正を心がけ、恨みを買わぬよう、誰からも愛されるよう振る舞ってきた。
……しかし、十六になっても、私に与えられた役割はさっぱり分からなかった。
破滅フラグらしきものも、攻略対象らしき複数のイケメンも、見事に見当たらない。
いるとすれば、私に並々ならぬ執着心を抱いているヤバめの幼馴染と、私が密かに想いを寄せる幼馴染くらいだ。
まあ、断罪や追放がないのであれば、なんでも良いか。というのが、私が出した結論だった。
「エリザベス! 見て、似合うかしら!?」
「……サラ。あなたまさか、社交界デビューまでお揃いのドレスにするつもりなの?」
「もちろん! だって私とエリザベスは、大親友なんだもの!」
なんでも良いというのは撤回しよう。この女はダメだ。
サラ・スペンサー。
私と同じ伯爵家の令嬢で、同じ歳、さらには家同士のつながりの関係で、幼い頃から多くの時間を共にしてきた幼馴染。
精神的には私の方が大人なので、我儘な彼女を色々と甘やかしてしまった結果。彼女は私に対して、ひどく歪んだ執着を持ってしまったらしい。
大前提として、彼女は私のことを好いてはいる。
しかし、それは純粋な好意なんて可愛らしいものではなく、どこか劣等感と憎しみをともなうもののようで。
彼女は私への愛を惜しまずに口にし、一挙手一投足を賞賛し、そして——私が選んだものを、寸分違わずなぞっていった。
ドレスや髪型という分かりやすいものから、趣味や好きな食べ物といった内面的なものまで、すべてを模倣する。もはやコピペだ。
サラは社交の場であろうとお構いなしにお揃いのドレスや髪型、アクセサリーを選ぶものだから、私たちは令嬢たちの間では、“大親友”ということになってしまっていた。
あまりにもしつこいコピペにうんざりした私は、まだ社交界デビューをしていない頃、あえてお茶会にクソダサドレスを着てみたことがある。
年若い乙女には到底着こなせないような毒々しい紫に、金の刺繍をこれでもかとほどこさせた、控えめに言って地獄のようなドレスだ。
これなら流石にお揃いを諦めるだろう、そう思ったのに——
サラは、着てみせた。それも、嬉々として。
「あなた……そのドレス……」
「いつもと違う色合いだけど、これも素敵ね! みんな同じようなドレスを着ているから、私たちが際立って見えるわ!」
ある意味、際立ってはいる。大事故を起こしているという意味で、だが。
しかしサラの瞳はキラキラと輝いていて、本気で私たちが特別な存在だと思い込んでいるようだ。
彼女の中では、私が選んだものがすべて正解で、そこに自分の好みなどは一切存在しないのだ。
そのことに気づいた時、背筋に冷たいものが走った。
「——ということがあったのよ」
「待て、待ってくれ……まさか本当に着たのか? いかにもうちのお祖母様が着てそうな、あの悪趣味極まりないドレスを?」
「そうよ。おかげで私まで良い笑い者だわ」
アラスター・マーシャル伯爵令息——アルは、当時、母親が我が家主催のサロンに出席するときに、よくお供としてついてきた。
そして、会話に花を咲かせるご夫人たちを尻目に、人目を忍んで私の愚痴に付き合ってくれたのだ。
ドレスで大事故を起こした翌日も、いつもと同じように、庭園の片隅でひっそりと会話をしていた。
私の話を聞いたアルは、数秒固まった後、周囲の鳥たちが驚いて飛んで逃げるほどの大爆笑をかましやがった。
「今ばかりは、自分が男に生まれたことを悔やむよ。その茶会には是非とも参加したかった」
「ちょっと、笑い事じゃないのよ! こっちは真剣に困ってるんだから!」
あまりに面白がるアルに怒ってみせたが、本当は、いつも茶化してくれることに感謝していた。
彼の前でだけは、品行方正に振る舞うことなく、素の自分でいられたから。
そんな安心感が、恋心へと変わるのに、大して時間はかからなかった。
この関係は、絶対に誰にも知られてはいけない。
どこからサラの耳に入るか分からないからだ。
彼女に知られたが最後、真似したがりの彼女は、私のアルに対する気持ちまで模倣するだろう。
だからこそ、私はアルへの気持ちをひっそりと胸に秘め、ひた隠しにしていた。
◇◇◇
そんな私たち三人の関係に大きな転機が訪れたのは、十七の誕生日を迎えてすぐのことだった。
「エリザベス嬢。どうか、私の妻になっていただきたい」
そう言って私に求婚したのは、デイビッド・ハワード公爵令息。次期公爵だった。
私の五つ上の彼は見目麗しく、文武に秀で、誰に対しても穏やかな笑みを絶やさない。一言で表すと、超優良物件。
どうやら、歳を重ねるごとにますます磨きがかかっていく私の美貌に、一目惚れしてしまったらしい。
周囲はなんて素敵なご縁だと沸いていたが、私は彼が醸し出す雰囲気に、ある確信を抱いてしまった。
——あ。こいつ、モラ男だ。
この手の男はよく知っている。率直に言って大嫌いなタイプだ。
名誉のために言っておくが、私が引っかかったわけではない。前世の親友がそういう男を引き寄せがちな、いわゆるモラ男ホイホイだったのだ。
親友に代わってありとあらゆるモラ男を撃退していくうちに、気が付けば私はモラハラに対して非常に鼻がきくようになっていた。
何気ない言葉の裏に潜む、ほんの少しの命令形。
初手でそれすら隠しきれないのだ。結婚したらどうなるのか、火を見るより明らかだった。
そもそも、アル以外との結婚なんて絶対にお断りだ。
しかし、相手は腐っても公爵家。家格が下の私が理由もなく断れる相手ではない。
まさか、前世で散々見てきたモラ男臭がするので嫌ですだなんて言えるわけもなく、自室で一人天を仰いだ、その時——天啓が降りてきた。
◇◇◇
私は数日後、いつものように我が家に押しかけてきたサラに、声をひそめて囁いた。
「ねえ、サラ。誰にも言わないで欲しいんだけど……私ね、デイビッド様に愛想を尽かされないか、少し心配なの」
「どういうこと? そんなことあり得るわけがないわ」
彼女は私の言葉に眉をひそめると、いっそ清々しいほど当然のような顔をして、私を肯定した。
私が求婚されたことに対してひどく憤っていたというのに、それとこれとは話が別らしい。
「だって、デイビッド様ってとっても素敵な方でしょう? 彼が好きだって言っていた、控えめで思いやりのある、謙虚な人間になろうと努力してるんだけど……いつか他の方に目移りされたらどうしようって、心配で」
サラにとってデイビッド様の存在は真似することも、社交相手の令嬢たちのように共有することもできない、いわば目の上のたんこぶのようなものだ。
そんな相手に私が夢中だと知り、彼女は不愉快そうに眉をしかめた。
私はあえてそんな彼女に気付かないふりをすると、目線を落としながら大きなため息をつく。
そして、ハッと何かに気づいたように目を見開くと、勢いよく顔を上げた。
「そうだ! これから舞踏会にデイビッド様がいらっしゃったら、私が踊れない時は代わりにサラが踊ってくれないかしら!?」
「えっ、私が?」
「そう! 同じ方と何度も踊るのはマナー違反だけれども、彼が他のご令嬢の手をとるだなんて、私耐えられないわ……その点、大親友のあなたなら、安心だもの」
“大親友”という言葉に、サラがぴくりと反応した。
私がこの言葉を使うのは初めてなので、大いに自尊心がくすぐられたらしい。
彼女はしばらく悩んでいるふりをしてから、ふっと息を吐いて口を開いた。
「仕方ないわね……大親友の頼みだもの。私に任せて!」
「ありがとう、サラ! 助かるわ!」
◇◇◇
それからというもの、サラは積極的にデイビッド様と接触を図るようになった。
彼女は私がデイビッド様に親しげに話しかけると、その後、まるでそれを上書きするかのように彼の肩や背中に触れる。
そして、それをデイビッド様も満更でもない様子で受け入れていた。
好意を隠そうともしない上に、私が言った通りの従順な女性をちゃっかり演じているサラは、さぞ魅力的に見えることだろう。計画通りだ。
幸か不幸か、顔は違えどサラは私のコピペなので、二人を放っておいても、パッと見は求婚された私が彼と親しくしているようにしか見えない。
そのため、未婚の令嬢がはしたないと、たしなめられることはなかった。
しかし、それをよく思っていない人物がいたらしい。
——アルだ。
ある日の夜会で、いつものようにサラを焚き付けてから、二人と距離を取るために庭園を歩いていた、その時。
そんな私を待っていたかのように、木陰からアルが現れた。
「……アル?」
私は少し大人びたアルの顔を久しぶりに正面から見て、涙が出そうになった。
歳を重ねるごとに、異性である彼と二人で会うことは難しくなっていった。
しかし今は、周囲に人気はなく、庭園に二人きり。
そのシチュエーションは、幼かったあの日々を思い出すには十分で。
「エリーっ」
私が扇で顔を隠そうとするよりも早く、アルは私を抱きしめた。
力強いその腕は、まるで私を必死に繋ぎ止めようとしているようだった。……そんなこと、あるはずがないのに。
「ア、アル! まずいわ、こんなところ誰かに見られたら——」
「最近ずいぶんデイビッド様と親しくしているな……求婚されたって聞いたけど、あの話はもう受けたのか?」
「えっ……?」
少し低くなったアルの声は、どこか拗ねているようにも聞こえる。
私は行き場の分からない両手を不恰好に彷徨わせながら、息も絶え絶えに答えた。
「まだよ。色々と理由をつけて、先延ばしにしているの」
「なんでだよ。いい話じゃないか、次期公爵夫人だなんて」
「……アルは私に、デイビッド様と婚約して欲しいの?」
思わず口にしてから、しまったと思った。
これでそうだと言われたら、私は立ち直れない。
しかしアルは、予想外の言葉を口にした。
「嫌だ。……絶対に、嫌だ。俺はどんなに避けられていても、エリーのことを諦めるなんてできない」
「えっ?」
さっきから熱かった頬が、もはや火を吹きそうなほど熱を持っている。
まさか、アルも同じ気持ちでいてくれてたなんて。
私は両手をアルの背に回すと、アルの肩に熱くなった顔を押し付けた。
「避けていたのは……ごめんなさい。どうしても、アルにはサラの視界に入って欲しくなくて」
「サラ嬢? あのお祖母様のドレスの?」
「ちょっと、雰囲気が台無しじゃない!」
あのクソダサドレスを思い出してしまい、顔の熱が一気に冷める。
思わずアルを睨みつけると、してやったりといった顔で笑われた。
大人びた顔に浮かぶ変わらない笑顔に、私も釣られて笑ってしまう。
「とにかく。あの子はなんでも真似したがるし……真似できないものは、自分が手に入れないと気が済まないの」
初めは、ほんの小さなものだった。
挿絵がキレイでお気に入りだった、外国の絵本。
同じものがどうしても手に入らないと知ったサラは、癇癪を起こした。
そして、あまりの五月蠅さに耐えかねた私は、つい彼女に絵本を譲ってしまったのだ。
今にして思えば、それが良くなかった。
それ以来、彼女はお揃いにできない私のお気に入りを知るたびに、なりふり構わず奪うようになっていった。
そしてそれは、物だけに限らない。
お気に入りの侍女、お気に入りの家庭教師、お気に入りのシェフ。
たちが悪いことに、彼女の両親はそんなわがままを止めるどころか、積極的に彼女の手助けをしていた。
誰からも愛されるように振る舞う私を模倣しているうちは、我が強いサラが扱いやすい子になるからだ。
腹が立たなかったと言えば嘘になるが、その代わりに彼女の家が色々と我が家に便宜を図ってくれるのだから、別に構わないと思っていたし、心配する両親にもそう伝えていた。
でももし、アルまで奪おうとされたら? 私は彼女に何をするか分からない。
最後はぼかしつつ、かいつまんでそう説明すると、アルの顔は先ほどまでの私のように真っ赤になった。
……よく考えたら、私たちは一体いつまで抱き合っているんだ。
慌ててアルから離れて、熱くなった頬を冷まそうと両手を当てている私に、アルは赤みの残る顔で尋ねた。
「じゃあ、なんでデイビッド様とあんなに親しげにしてるんだよ。サラ嬢に盗られてもいいのか?」
その口調は相変わらず拗ねているようではあったが、先ほどとは違い、なぜかむず痒くなるような甘さを含んでいる。
「うん。むしろそうして欲しくて、わざと親しげにしていたの」
「なんでわざわざそんなこと……」
「私は! 結婚するなら、絶対にアルがいいの! だからデイビッド様にサラをぶつけて、まとめて処分しようと——」
そこまで言いかけて、ハッとした。
もしかして今、私は盛大に告白してしまった?
恐る恐るアルの顔に視線を向けると、アルは片手で口元をおさえながら俯いていた。
肩が震えているのを見て、笑われている? という考えが頭をよぎったが、どうやら照れているらしい。
居た堪れなくなって、今のうちに走って逃げようかと考えていたら、アルが急に顔をあげた。
「エリー……いや、エリザベス。どうか俺と結婚してほしい。そのためなら、俺はなんだってする」
「……本当に、いいの? 私は見た目と違って純真無垢な天使では——」
「そこがいいんだよ。目的のために手段を選ばなすぎて、時々自爆するエリーのことが、昔から好きなんだ」
「アルっ!」
どうにも甘くなりきれないが、それが私たちらしくて。
私は怒りながらも、つい笑ってしまった。
◇◇◇
それからは、とんとん拍子に話が進んだ。
と言っても、私が積極的に何かをしたわけではない。
ただ、お膳立てをしてあげただけだ。
サラの前でデイビッド様の心変わりを心配するふりをし、結婚が待ち遠しいと彼女と会うたびに漏らし、夜会で二人きりになる機会を作った。
たったそれだけで、あっけなく彼らは道を踏み外したらしい。
「本当にごめんなさい、エリザベス!」
「……え?」
我が家の応接間で、絶賛繰り広げられている茶番。
主演はもちろんサラだ。
ハンカチを目元に押し当て、肩を震わせるその姿は、まさに女優そのものだ。
残念ながら、涙を流せていない時点で一流女優とは言えないが。
「どうしても、自分の気持ちを抑えられなかった。デイビッド様と私は、愛し合っていて……お腹には、彼との子どもがいるの」
「っ……嘘、でしょう……?」
ここまでは想定していなかった。流石サラ、仕事が早い。
子どもを産むのが女の一番大事な仕事と言われているこの世界で、サラの懐妊は効果絶大だ。
私とはまだ婚約もしていないのだ。デイビッド様は当然サラと結婚するだろう。
「ねえ、お願いエリザベス。デイビッド様を私に譲って?」
可愛らしく小首をかしげているが、その顔には隠しきれない優越感が浮かんでいる。
最高だ。まさかここまでうまくいくとは思っていなかった。
私は安堵から上がりそうになる口角を、俯くことで隠した。
「そう……分かった、わ。どうか、私の分まで……幸せに、なってね」
笑いを堪えているせいで、声が不自然に震えてしまう。
しかし、サラはそれを泣いているせいだと解釈したらしく、使用済みのハンカチを押し付けてきた。ばっちい!
「ありがとう、エリザベス……! 私、きっとあなたの分まで幸せになるわ!」
結婚式には必ず来てね、なんて図太いお願いをさりげなくしてから、サラは妊婦とは思えぬ軽やかさで応接間を出ていった。
ああ、アルに会いたいな。
◇◇◇
——そして、結婚式直前。
わざわざ控え室に私を呼んだサラは、一生懸命お腹を撫でながら、何かを喋り続けている。
「ねえ、サラ。実はあなたにずっと言っていなかったことがあるの」
私の唐突な語りかけに、それまで忙しなく動き続けていたサラの口が止まった。
「紹介するわ。アラスター・マーシャル——私の婚約者よ」
サラが何かを言うより先に控え室の扉が開き、外で待機していたアルが入ってきた。
結婚式に参列するために正装しているアルは、直視するのも難しいほど格好良い。
私はさりげなくアルの顔から視線を外しながら、彼の腕に見せつけるように自分の腕を絡めた。
「……はぁ? 何よ、それ……あなたが好きなのはデイビッド様でしょ!?」
「実はね、私はずっとアルのことが好きだったの。だから、デイビッド様からの求婚は不本意だった」
「どうしてっ……そんなの私、聞いてないっ!」
「だって言ったら、あなたはアルのことを奪おうとするでしょう?」
サラの顔は、今から結婚式に臨む花嫁とは到底思えない形相になっている。
未来の公爵夫人として衆目にさらして大丈夫なのか、ちょっとだけ心配になった。
まあ、私には関係ないけど。
「ありがとう、サラ。私が捨てたかったゴミを回収してくれて」
「いやっ……嘘よ、そんなの嘘よ! あなたが愛しているのはデイビッド様なのよ!?」
綺麗にセットされていた髪をかき乱して、サラが発狂し始めた。
そろそろ潮時だなと彼女を見つめていると、隣にいるアルがわざとらしく甘い声で囁いてきた。
「そろそろ行こうか、エリー」
「そうね、アルのご両親に挨拶に行かないと。おばさまはお元気かしら?」
「ようやくエリーが娘になるって大騒ぎしてたんだ、元気なんじゃないか?」
おばさま——もといお義母様は歓迎してくれているのか。
なんだかくすぐったい気持ちになる。
私とアルは喚き散らすサラを尻目に、晴れやかな気持ちで部屋を出ていった。
……その後の話?
私も詳しくは知らないが、デイビッド様は予想通りのモラ男だったらしい。
出産からしばらくして社交の場に現れたサラは、まるで死んだような目をしていた。
そんなサラを、人目につかない位置で、笑顔のデイビッドがつねっているのを目撃してしまった時は、流石に気分が悪かったけど。
きっと彼女のことだ。すぐに持ち前の我の強さを発揮して、デイビッド様のモラハラに対抗してくれることだろう。
まあ、そんなこと、もうどうだっていいんだけど。
だって私は、最愛の人と結ばれたんだから!
◆◆◆
私——サラ・スペンサーは、世界一不幸な女の子だ。
だって、そうでしょう?
大好きな大親友のエリザベスは、私に何ひとつ言わないまま、アラスターとかいう伯爵令息と結婚してしまった。
ひどい、あんまりだ。私たちはいつだって二人でひとつだったのに。
親友なら、良いものは分け合うのが当然なのに。
あの男が出てくるまで、エリザベスは私が欲しがったものはすべて譲ってくれた。
お気に入りの絵本も、侍女も、家庭教師も、デイビッド様も。
なのに、全部嘘だった。本当のお気に入りを、エリザベスは親友の私に隠していた。
しかも、それをようやく私に教えてくれたのは、よりにもよって私の結婚式の直前。
控え室に勝手に入ってきたあの男が、見せつけるようにエリザベスと腕を組んでいるのを目の当たりにして、私はようやく、まんまと騙されていたのだと気がついた。
あの時のエリザベスの「ありがとう、サラ。私が捨てたかったゴミを回収してくれて」という言葉は、思い出すだけで悔しくて、はらわたが捩れてしまいそうになる。
それでも、まだなんとか正気を保てたのは、私の結婚相手がデイビッド・ハワード公爵令息で、私のお腹の中には彼との子どもがいたからだ。
アラスターとかいう男は、所詮伯爵令息。逆立ちしたって次期公爵であるデイビッド様には敵わない。
だから、祭壇の前で優しく微笑んで私を待つデイビッド様の姿を目にした時、勝利を確信して怒りなんて吹き飛んでしまったというのに。
その微笑みがまがいものだったと気付くのに、そう時間はかからなかった。
◇◇◇
公爵家での暮らしは、控えめに言って最悪だった。
デイビッド様は、人がいるところではまさに完璧な夫だった。
穏やかに微笑んで、お腹の膨らんできた私を優しく労わって、誰もが羨むほど仲睦まじい夫婦に見えるよう振る舞ってくれる。
けれども、人目がなくなった途端に、その顔から温度が消えるのだ。
笑い方が下品で生まれが知れるだの、紅茶すら満足に淹れることができずに公爵夫人が務まるのかだの。
彼はいつもそうやって私を罵り、否定し、時に手をあげた。
それからデイビッド様は決まって、「君のために言っているんだよ」と告げて、最後に私を優しく抱きしめる。
私の存在はまったくの無価値で、そんな私に辛抱強く教育を施している。まるでそう言いたげなデイビッド様の態度は吐き気がするほど腹が立ったが、それでも私は我慢した。
だって、ここで彼を否定したら、エリザベスの言ったゴミの回収という言葉が本当になってしまう気がしたから。
そんな生活に転機が訪れたのは、私が息子を産んでしばらくが経った頃だった。
久しぶりに顔を出した社交界で、ご婦人方が口々に私を褒め称えてくれたのだ。
いわく、公爵家の跡取りを産んで、務めを果たした立派な貴婦人だと。
そして揃ってこういうのだ、さぞ大切にされていることだろう、羨ましい、と。
羨ましい。そう、私は羨ましがられる存在なんだ。
その事実が、私の中で確かな自信を呼び戻してくれた。
そうだ、世の中には娘ばかり産む女性だっているというのに、私は一人目にして、公爵家の跡取りを産んだのだ。
由緒正しい公爵家の血を次世代へと繋ぐという大仕事を、エリザベスでも他の誰でもない、この私が成し遂げた。
よく泣く赤子はあまり可愛いとも思えないけれど、あの小さな体は、公爵家の未来そのものなのだ。
ということは、それを産んだ私は、もっとデイビッド様に敬われるべき存在なのでは?
◇◇◇
この世の真理に気付いてから、私は変わった。
いや、本来の姿を取り戻したというべきか。
その夜、出産前から久しく寝室を分けていたデイビッド様のベッドに、私は当然のように入った。
露骨に大きなため息など聞こえないふりをして馬乗りになると、彼の眉間に面白いほどシワがよった。
「……サラ、どいてくれないか。私は君と違って明日も忙しいんだ」
まるで犬にでもやるように手を雑に振り、私を追い払おうとするデイビッド様。
いつもなら、すぐに謝って彼の言う通りにしていただろう。
でも残念。エリザベスが教えてくれた彼の好みの、“控えめで思いやりのある、謙虚な人間”のサラはもういないの。
「嫌です」
キッパリとそう告げると、デイビッド様は信じられないものを見るような目で、私を見上げた。
「正気か? 今すぐそこを退け。次期公爵夫人ともあろうものが、みっともない」
「みっともない? 妻が、夫と同じベッドにいることが?」
「おい、いい加減にしないと——」
「私ね、ずっと我慢していたの」
私は彼の胸に両手をつくと、ゆっくりと体重をかけて逃げられないようにしてから、耳元で囁いた。
「上から目線でごちゃごちゃお説教してくるあなたも、気に入らないことがあるたびに人目を盗んでつねってくるあなたも、本当は大嫌い」
「……お前、一体何様のつもりだ? 誰のおかげでこんなに良い暮らしができているのか、お前の小さな脳みそでは理解できないのか?」
予想通りの言葉に、私はなんだかおかしくなってしまった。
お義父様たちが寝静まっている今、あまり大きな声を出してはいけないと思えば思うほど、笑いが込み上げて止まらない。
「ふふっ……あははっ! あなたってば、いつもそればかり! 他に言うことはないわけ?」
「は? ……お前、ついに頭がおかしくなったのか?」
「私が良い暮らしができているのは、私が跡取り息子を産んだおかげ。——立場が分かっていないのはあなたの方よ、デイブ」
私の言葉に、デイブの顔が怒りでみるみる赤く染まっていく。
こめかみの血管が、今にも切れそうに動いているのが目に入ってしまい、再び笑いが口から漏れる。
すると、私の笑い声が癇に障ったのか、デイブが右手を握りしめたかと思ったら、私の頭を勢いよく殴りつけてきた。
「黙れ……黙れ黙れ黙れっ! このイカれ女!」
「痛っ!」
「俺を誰だと思ってる! 次期ハワード公爵だぞ!? それをお前はっ……」
デイブは倒れ込んだ私の髪の毛を掴むと、思い切り引っ張ってきた。
頭皮に鋭い痛みが走り、私もついに我慢の限界を迎えてしまった。
「放しなさいよっ! これ以上私にひどいことをしたら、今ここで死んでやるんだから!」
「はっ……そんなことできるわけ——」
デイブの手が緩んだ隙に、私はベッドサイドに置いてあったワインボトルを掴むと、勢いよくサイドテーブルに叩きつけた。
そして、割れて鋭く尖ったワインボトルを自分の首筋に当てながら彼の顔を見て、私は勝利を確信した。
「私があとほんの少しでも力を入れたら……あなたはどうなるかしら。跡取りを産んだ妻が、殴られた跡を残して寝室で血まみれで死んでいたら……夫であるあなたは、世間からどんな目を向けられるか——試してみましょうか?」
「……狂ってる」
彼の喉が、ゴクリと上下した。
ああ、なんて気分がいいんだろう。
いつも私を見下していたこの男が、今は私にこんなにも怯えている。
「私に優しいあなたのことは好きよ、デイブ。だからどうか、ずっとそのままでいてちょうだい」
そして“理想の夫婦”になりましょうね。
——エリザベスとあの男みたいに。
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