残る者、去る者、そして(ノエル視点)
【ノエル視点】
ダンカンを処断した翌日、ノエルは厨房へ向かった。
マーガへの対応が、今日の最初の仕事だ。
グラントとの相談で、マーガへの話は自分が直接するということになった。
「グラントさんは同席されないんですか」
「あなたの方が話しやすいでしょう」グラントは静かに言った。「マーガはプライドが高い。上から言われるより、対等な立場で話した方が届きやすい」
(グラントさんの人物分析は鋭い)
ノエルはそう思いながら、厨房の扉をノックした。
「どうぞ」
バルトの声だった。
中に入ると、朝の仕込みが始まったばかりの厨房に、数人の料理人がいた。
マーガは奥の作業台で、黙々と野菜を刻んでいた。
「おはようございます」
「……おはようございます」
マーガの返事は短かった。
刃の動きは止まらなかった。
「少しお時間をいただけますか」
「今は仕込み中です」
「お時間をいただけますか」
刃が止まった。
マーガがゆっくりとノエルを振り返った。
その目には、昨日とは違う色がある。
反発ではなく、覚悟のような、何かだった。
(何かを知っている、あるいは何かを聞いたか)
ノエルは静かに続けた。
「閣下のご判断を、お伝えしたいと思っています」
マーガの顔が、わずかに強張った。
「……解雇ですか」
「いいえ」
マーガが、少し眉を動かした。
「新しいお役目をお願いしたいと思っています。厨房の隅で話せますか」
バルトがさりげなく若い料理人たちを別の作業へ誘導した。
この人は、空気が読める。
マーガとノエルは、厨房の隅に移動した。
「マーガさんの二十三年の経験を、若い料理人たちに伝えていただきたいと思っています」
マーガは黙っていた。
「仕入れの判断だけではありません。食材の目利き、季節ごとの仕入れの変動、取引先との関係、全部です。マーガさんの頭の中にあるものを、次の世代に引き継ぐ仕組みを作りたい」
「……それは」マーガがゆっくりと言った。「私を、お払い箱にするということですか」
「違います」ノエルははっきりと言った。「マーガさんにしかできない仕事があります。それが後進の育成です」
「若い子に教えたら、私の仕事がなくなる」
「なくなりません。むしろ増えます」
「……どういうことですか」
「今のマーガさんは、仕入れの判断を全部一人でこなしています。それを若い料理人と分担できるようになれば、マーガさんは今より難しい判断に集中できます。一人で全部抱えなくて済む」
マーガは黙っていた。
(ここが正念場だ)
ノエルは続けた。
「マーガさんが二十三年かけて積み上げてきたものは、本物です。それは私には作れないし、今すぐ他の誰かにも作れない。だからこそ、それを記録して、伝えて、残してほしいんです。マーガさんがいなくなったとき、この厨房が困らないように」
「……私がいなくなるとき、ですか」
「いつかは必ずあります。マーガさんも、私も」
沈黙があった。
マーガは視線を作業台に落とした。
しばらく、何も言わなかった。
ノエルも、何も言わずに待った。
そのとき、若い料理人の一人が、少し離れた作業台で野菜を刻みながら、こちらをちらりと見た。
目が合った。
その料理人が、小さく、しかしはっきりと笑った。
(仕入れのこと、ずっと教えてもらえなくて、と言っていた子だ)
マーガもその視線に気づいたのか、わずかに首を動かして、その若い料理人を見た。
少しの間があった。
「……その子は」マーガが静かに言った。「仕入れを覚えたいと思っているんですか」
「はい。あなたに教わりたいと言っていました」
「……私に」
「マーガさんから直接教わりたいと」
マーガの目が、少し揺れた。
長い沈黙があった。
「……紙に書き出す作業は、私にはできません」
「私がします。マーガさんが話してくれたことを、私が整理します」
「記録の形は」
「マーガさんが使いやすい形にします。最終的にマーガさんが確認して、これで合っているという形になるまで直します」
またしばらく黙っていた。
「……わかりました」
マーガの返事は短かった。
しかし今度は、覚悟ではなく、何か別のものが声に混じっていた気がした。
「ありがとうございます」
「……お礼を言われることではありません」マーガは視線を戻しながら言った。「ただ、一つだけ言わせてください」
「はい」
「あなたは、私のやり方を否定しなかった。それは……少し、意外でした」
「否定する理由がありません。二十三年間、支えてきたやり方ですから」
マーガは何も言わなかった。
しかし作業に戻る前に、若い料理人の方をもう一度見た。
その目が、少しだけ、柔らかくなっていた。
マーガとの話が終わったとき、バルトが厨房の入口でノエルを待っていた。
「……うまくやったな」
「バルトさんのおかげです。場を作っていただいて」
「俺は何もしてない」バルトは鼻を鳴らした。「ただ、マーガの目が変わったのは見た」
「よかったです」
「あの子に、ちゃんと仕込みを教えてやってくれと、マーガには前から言ってたんだがな」バルトは少し間を置いた。「なかなか動かなかった」
「今は動けると思います」
「……そうだな」
バルトはそれだけ言って、踵を返した。
厨房に戻りかけて、ふと立ち止まった。
しばらく間があった。
バルトはノエルの方を向かずに、ぽつりと言った。
「……ありがとよ」
声が、わずかに小さかった。
口の中で転がすように、しかし確かに言った。
そのままさっさと厨房に消えた。
(バルトさん……)
ノエルは背中を見送りながら、胸の奥が温かくなった。
(こういう人が推しの屋敷にいる。本当に良かった)
◇
問題は、次だった。
ヘルガへの対応は、グラントが同席することになっていた。
「ヘルガはマーガとは違います」グラントは事前にそう言っていた。「外面は柔らかいが、芯は頑固です。感情で動かそうとしてくる。一人では捌ききれない可能性があります」
しかしグラントが把握していなかったことが、一つあった。
ノエルは聞き取りの際に、ヘルガについてある種の確信を持っていた。
ヘルガは単に厳しい管理職ではない。
弱い立場の人間に無理難題を押し付け、困り戸惑う姿を見て、それを楽しむ人間だ。
若い使用人が困れば笑顔で見守り、ミスをすれば皆の前で指摘する。
シフトを意図的に操作して特定の部下を消耗させる。
それは指導でも管理でもない。
支配だ。
(グラントさんは気づいていない。気づかせないように外面を整えてきたんだろう)
ノエルは洗濯・縫製部門の一室に、ヘルガを呼んだ。
ヘルガは笑顔で来た。
「お呼びですか。何でしょう」
その笑顔が、最初から少し硬かった。
「閣下のご判断をお伝えしたいと思って」
「左様でございますか」
笑顔のまま、椅子に腰を下ろした。
余裕の体を装っていたが、目だけが、少しだけ探っていた。
「ヘルガさんには、縫製の実務に移っていただきたいと思っています。部門の取りまとめについては、別の方にお願いすることになります」
笑顔が、一瞬だけ固まった。
「……それはつまり、降格ですね」
「役割の変更です」
「同じことではないですか」笑顔が戻ってきた。しかしその笑顔の質が、少し変わっていた。「長年ここを仕切ってきた私に、ですね」
「ヘルガさんの縫製の腕は確かです。その腕を活かしていただきたいと思っています」
「まあ」ヘルガが少し首を傾けた。「管理の仕事を取り上げられて、縫製だけをしていろ、ということですね。それは……寂しい話です」
(この言い方が、このタイプだ)
ノエルは内心で思った。
直接反発するのではなく、感情に訴えて相手を動かそうとする。
「シフトの問題と、部下への指導の方法について、改善が必要だと判断しました」
「まあ、シフトに問題が」ヘルガは少し目を丸くした。「誰かがそんなことを言っていましたか。困りますね、告げ口なんて」
「複数の方から同様の話を伺いました」
「あの子たちは大げさで困ります」ヘルガは笑顔のまま首を振った。「私は懸命に指導をしてきたつもりなんですが、若い子には伝わらないこともあって。難しいですよね、指導というのは」
「体調が悪くても休みを申請しにくい職場になっていました」ノエルは静かに、しかしはっきりと言った。
「まさか」ヘルガの笑顔が、わずかに揺れた。「私がそんなことを……休みたければ申請すればいいだけです。止めたことはありません」
「ヘルガさんに嫌みを言われるから休めない、と言っていた方がいます」
「嫌み、ですか」ヘルガの笑顔が消えた。「それは誤解です。私は適切に指導をしていただけで、嫌みなんて……」
「誤解であれば、そう感じさせてしまった時点で、管理職としての課題があります」
ヘルガが黙った。
その沈黙の中で、何かが変わった気がした。
外面の柔らかさが、少しずつ剥がれていくような。
やがてヘルガが、ゆっくりと顔を上げた。
「グラントさん」
グラントを見た。
「こんな若い方に言われなければならないのでしょうか。私が長年ここでやってきたことを、否定されるということですか」
「否定ではありません」グラントは静かに言った。「役割の変更です」
「同じことです」ヘルガの声に、じわりと険が滲んだ。「それならば……」
一拍あった。
ヘルガは、少し間を置いてから、ゆっくりと言った。
「辞めてもいいんですよ、私」
その言い方が、引き留めを期待していた。
切り札として置いた言葉だとわかった。
「わかりました」ノエルは静かに言った。
ヘルガが、少し固まった。
「辞表はグラントさんにお渡しください。退職に際しての手続きはグラントさんが案内します」
「……え」
「ヘルガさんのご判断を尊重します」
ヘルガの顔に、初めて本物の動揺が走った。
「あの……引き留めていただけない、ということですか」
「辞めてもいい、とおっしゃいましたので」
「そ、それは……」
「ヘルガさんが辞めると判断されたなら、それはヘルガさんの意思です。尊重します」
ヘルガは口を開いたが、言葉が出てこなかった。
切り札が、切り札として機能しなかった。
その事実が、ヘルガの表情に静かに刻まれていった。
長い沈黙があった。
やがてヘルガが、ゆっくりと立ち上がった。
「……わかりました。辞めます」
声が、先ほどより低かった。
「手続きはグラントさんに伺います」
ヘルガはグラントに向かって深々と頭を下げた。ノエルには、最後まで視線を向けなかった。
「グラント様、長年お世話になりました」
そして踵を返しながら、吐き捨てるように言った。
「……私がいなくなれば、わかります。私がどれだけこの部門を支えてきたか。どれだけ大変な思いをしてきたか」
扉に手をかけながら続けた。
「誰も私をちゃんと見てくれなかった。評価もされなかった。これだけ尽くしてきたのに……あなたたちは、こうやって最後は人を使い捨てにする」
扉が閉まった。
部屋が静かになった。
グラントが、静かに息を吐いた。
「……長年、見誤っていました」
その言葉が、静かに落ちた。
「グラントさん……」
「外面が柔らかく、上の者には従順でした。私はそれを誠実さと見ていた。しかし実際は……」グラントは窓の外を見た。「弱い立場の者に何をしていたか、私は気づけなかった」
ノエルは何も言わなかった。
グラントは続けた。
「長年苦しんでいた使用人がいたということです。私が目を向けていれば……もっと早く動けたかもしれない。それが……悔やまれます」
「グラントさんが悪いのではありません」
「そうは言えません」グラントは静かに続けた。「管理する立場の人間が、見抜けなかった。それは私の問題でもあります」
ノエルは少し考えてから、言った。
「グラントさん。今後は、私が定期的に各部署の話を聞く機会を作ります。グラントさんには言いにくいことも、私なら言える場合があります。二人で補い合えれば」
グラントは長い沈黙の後、静かに頷いた。
「……お願いします」
その言葉は短かったが、重かった。
◇
夕方、ノエルは気晴らしに屋敷の外周を走ることにした。
今日は色々ありすぎた。
マーガの目が柔らかくなった瞬間、バルトの照れくさそうな「ありがとよ」、そしてヘルガの最後の捨て台詞。
走れば、頭が整理される。
夜の庭に出ると、空気が少し冷たかった。
それが心地よかった。
走り始めて十分ほど経った頃だった。
「お前のせいだ!」
声が飛んできたのと、気配が迫ったのが、ほぼ同時だった。
(ダンカン!?)
振り返る間もなく、腕を掴まれた。
ダンカンだった。
目が血走っていた。
二日以内に出て行けと命じられ、荷をまとめていたはずの男が、なぜかここにいた。
「お前が余計なことをしなければ! 全部お前のせいだ!」
「ダンカンさん、落ち着いて」
「うるさい!」
掴まれた腕を引き抜いた。
ダンカンが正面に回り込んでくる。
視線が地面を走った。
木の枝があった。
太めの、折れた枝だ。
(もらっていきます)
反射的に拾い上げた。
前世でやり込んだキャンプと、この世界のキャラクター補正か、短剣術の腕前がある体が、自然に構えを取った。
「っ……なんだ、その枝は」
「護身です」
「女のくせに! 偉そうに! お前みたいなのが来てから何もかもが狂った! 俺は何も悪くない!」
ダンカンが踏み込んできた。
枝で受けた。
力が強かった。
じりじりと押される。
(体格差がある。長くは持たない)
そう思ったとき。
「そこまでだ」
低い声が、夜の庭に響いた。
その声で、ノエルの体から力が抜けた。
(この声を、知っている)
ダンカンも反射的に動きを止めた。
音もなく現れた人影が、ダンカンに向かって一直線に踏み込んだ。
銀色の髪が、夜の光にわずかに輝いた。
(ライアス様だ)
ダンカンが何かを言う間もなかった。
片手でダンカンの腕を掴み、流れるような動作で足を払い、地面に組み伏せた。
ダンカンが地に叩きつけられる音が、夜の庭に響いた。
ライアスはダンカンの腕を押さえたまま、無表情でいた。
しかしその目の底に、ノエルが今まで見たことのない種類の色が宿っていた。
(あ、安心した)
ノエルの体から、一気に力が抜けた。
膝がくずおれた。
その場にへたり込んだ。
「離せ! 離せよ!」ダンカンが叫んだ。「なんだよこの屋敷は! 俺は何も悪くない! 俺が横領した? 笑わせるな! お前ら貴族が俺たちをこき使って、搾取して、それで文句を言うな! 何年尽くしたと思ってるんだ! 正当な報酬だろうが!」
ライアスは何も言わなかった。
「お前もだ!」ダンカンがライアスを見上げた。「あんたが領地を放り出して戦場ごっこをしてる間、俺たちがどれだけ苦労したか! 感謝もしない、見もしない、それで横領だ解雇だ! ふざけるな! あんたのせいだろうが! あんたが当主の仕事をしてれば、こんなことにはならなかった!」
ライアスの眉が、わずかに動いた。
「あの女も同じだ!」ダンカンがノエルを指差した。「お前みたいな小娘が来て、何でもかんでも引っかき回して! 俺の仕事を奪って! お前のせいで俺の人生が狂った! 絶対に許さない! 覚えておけ!」
夜の庭に、罵声が響き渡った。
ライアスは、最後まで黙って聞いていた。
しかし、その静けさの中に、ノエルは何かを感じた。
いつもとは違う、何かを。
ライアスが口を開いた。
「貴様の言い分は聞いた」
声が、いつもより、わずかに低かった。
「言い分の一部に正しいことがある。私が目を向けていなかったことは、事実だ」
「だったら……」
「しかし」ライアスは続けた。「その怒りを、女一人に向けて夜に襲いかかる理由にはならない」
ダンカンが黙った。
守衛が駆け寄ってきた。
庭の騒ぎに気づいたらしい。
「ダンカンを空き部屋に閉じ込めておけ」ライアスは静かに言った。「二日以内に出て行けと命じたにもかかわらず、屋敷内に留まり、使用人に危害を加えようとした。明朝、改めて処遇を決める」
「かしこまりました」
守衛がダンカンを引き立て始めた。
「離せ! 俺は悪くない! あの女が! あの公爵が! こんな屋敷、潰れちまえ! 覚えておけよ、絶対に!」
罵声が夜の庭に響きながら、遠ざかっていった。
静かになった。
ライアスが、ノエルに振り返った。
地面にへたり込んだノエルを見て、ライアスの眉がわずかに動いた。
「怪我は」
「……ありません。ただ、少し足に力が入らなくて」
「わかった」
ライアスがノエルの前に屈んだ。
手が差し伸べられた。
「掴まれ」
「あ、はい」
手を取った。引き上げられた。
しかし立ち上がったとき、まだ足元が定まらなかった。
ライアスが、ノエルの手を放さなかった。
もう片方の手が、ノエルの腰を支えた。
「大丈夫か」
その声が、至近距離で聞こえた。
ノエルは顔を上げた。
至近距離に、ライアスの顔があった。
眉がわずかに寄っていた。
心配の色が、いつもより濃く、その目に宿っていた。
腰に回った手の感触が、確かにあった。
自分の手を握る手の力が、確かにあった。
ノエルの脳内で、回路が一つひとつ順番に焼き切れていった。
(推しが)
(心配顔で)
(至近距離で)
(私の腰と手を)
(支えている)
(夜の庭で)
(二人きりで)
(ゲームのスチルにこんなシーンがあった気がする)
(いやこれはスチルではなく現実だ)
(現実にこれが起きている)
(でも待って、閣下のこの心配顔の解像度が)
(至近距離で浴びる破壊力が)
(腰に回った手の体温が)
(私の処理能力を完全に超えて)
(いる)
ぶっ、と音がした。
鼻血だった。
それも、勢いがよかった。
ライアスの目が、丸く見開かれた。
「っ……」
ノエルは鼻血が出ていることに気づきながら、しかし顔だけは必死に笑顔を作った。
「大丈夫です!!」
笑顔だった。鼻血を垂らしながら、満面の笑顔だった。
「走ってきたので体が熱くて、のぼせたみたいで、本当に大丈夫です、ご心配なく、ありがとうございました、失礼します!!」
一息で言い切った。
懐からハンカチを取り出して鼻を押さえながら、ライアスの手をそっと外して、ノエルは走り出した。
夜の庭を、全力で駆け抜けた。
背後で、ライアスが何かを言いかけた気がした。
聞こえなかった。
聞こえなかったことにした。
(速く! 速く走れ私の足! 今夜だけはヲタク活動よりも逃走を最優先とする!)
鼻にハンカチを当てながら、満面の笑みを浮かべながら、夜の庭を走り抜けるノエルの背中が、やがて闇の中に消えた。
庭に一人残ったライアスは、しばらく、ノエルが消えた方向を見ていた。
夜風が、静かに吹いた。
ライアスは、手を、ゆっくりと、下ろした。
(……なぜ鼻血が出るんだ、あの娘は)
答えは出なかった。
今夜も、出なかった。
◇
その夜の観察日誌の余白には、震える字でこう書いた。
「本日、マーガさんとヘルガさんへの対応完了。バルトさんが照れくさそうに礼を言った。尊い。グラントさんが静かに後悔していた。胸が痛かった。夜、ダンカンに襲われた。木の枝で応戦した。ライアス様がダンカンをねじ伏せてくださった。その場でヘナヘナと腰が抜けた。引き上げていただいた。腰と手を支えていただいた。至近距離で心配顔を向けていただいた。鼻血が出た。勢いよく。笑顔で誤魔化して逃げた。以上。詳細は記録する気力がない。ただ一点だけ記録する。ライアス様の心配顔の破壊力は、今夜で人生最大を更新した。なお腰に回っていた手の体温については、記録したいが記録すると今夜眠れなくなるので、明日以降の課題とする。おやすみなさい」




