表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第二章 隣国との戦争

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/60

ライアスのいない公都(ノエル視点)

【ノエル視点】


 ライアスが出陣して、数日が経った。


 朝、執務室の机の上に、一通の手紙が置かれていた。

 グラントが届けてくれたものだった。


「閣下からでございます」


 ノエルは手紙を手に取った。

 封を開けた。


 中身は短かった。


「移動は順調だ。領地に変わりはないか。以上」


(以上って言ってる)

(戦場に向かう手紙が、以上、で終わっている)

(閣下らしいといえば、閣下らしい)

(閣下らしいが、もう少し何か書けないのか)


 ノエルは手紙を机の引き出しにそっとしまった。


 仕事を始めながら、ふと気づいた。

 しまった手紙を、また取り出していた。

 もう一度読んだ。


 内容は変わらなかった。


(わかってた)


 またしまった。



 それから数日後のことだった。

 グラントが新聞を持ってきた。


「王国軍が隣国と交戦に入ったとのことです」


 ノエルは新聞を受け取った。 


(始まった)


 ノエルは新聞を置いた。

 頭の中で、ゲームの知識を引き出した。


(ライアスもアルベルトも、この戦争では生き残る。ゲームの開始時期は、この戦争の後だ。それは確かだ)

(でも、ゲームと展開が変わっている)

(変わっているから、何が起きるかわからない)


 わかっている。

 それはわかっている。

 しかし、不安が消えなかった。


「ベルナード嬢」

 グラントが静かに言った。


「はい」


「閣下は必ずお帰りになります」


 ノエルはグラントを見た。

 グラントはいつも通りの顔をしていた。

 しかしその目が、珍しく、少しだけ、遠くを見ていた。


(グラントさんも、心配している)

(ただ、それを表に出さない)


「はい」

 ノエルは答えた。

「そうですね」


 二人とも、しばらく黙っていた。



 午後の仕事を一段落させた頃、バルトが厨房から顔を出した。


「ベルナード嬢、少し食べていけ」


「え、でも」


「戦が始まったと聞いた。腹が減っては仕事もできん」


 バルトが、テーブルに小皿を置いた。

 パンケーキだった。


「……ありがとうございます」


「閣下は強い。そう簡単にやられん」

 バルトが腕を組んだ。

「俺は長年あの方の飯を作ってきた。あの方がどれほどの人間か、ちゃんと知っている」


 ノエルはパンケーキを食べた。

 甘さとしょっぱさが、口の中で広がった。


 最初にバルトと一緒に作った、あの味だった。

 ライアスが伝言をくれた、あの朝の味だった。


(閣下)


 ノエルは静かにそう思いながら、パンケーキを食べた。


 ミルダも顔を出した。


「ベルナード嬢、お疲れが出ていませんか」


「大丈夫です」


「無理しないでくださいよ」

 ミルダが穏やかに言った。

「私たちも、ここで待っています。一緒に」


 その言葉が、静かに胸に落ちた。


(みんな、待っている)

(私だけじゃない)


 ノエルは深呼吸をした。

 仕事に戻った。



 翌日のことだった。


「孤児院の様子を見てきます」

 ノエルはグラントに言った。


「かしこまりました」

 グラントが答えた。

「クラウスに同行してもらってください」


「一人で大丈夫ですよ」


「ベルナード嬢」

 グラントが静かに言った。

「閣下がご不在の間は、外出の際は必ず護衛をつけてください。これは閣下のご指示でもあります」


「……かしこまりました」


 クラウスが準備をしながら、小声でノエルに言った。


「俺も同行した方がいいと思いますよ、ほんとに。ノエルさんに何かあったら、閣下、戦場にいても帰ってくるかもしれないですよ」


「まさか、そんなことないですって」


 ノエルはあっさりと受け流した。

 クラウスがグラントを見た。

 グラントがクラウスを見た。

 二人とも、微妙な表情でノエルを見つめた。


 ノエルは気づかなかった。


「……行きましょう、クラウス」


「……はい」



 孤児院に着くと、カルロスが入口に立っていた。


「来たか」


「様子を見に来ました。皆、どうですか」


「変わりない」

 カルロスが短く言った。

「子供たちは元気だ」


 少し、間があった。


「……戦が始まったと聞いた」

 カルロスが続けた。

「公爵はどうしている」


「出陣されました。今は戦場にいます」


 カルロスが、左の袖が折り畳まれた腕を見た。


「俺も、戦場にいたことがある」


 カルロスはそれ以上は言わなかった。

 しかしその顔が、少し、遠くを見ていた。


(カルロスさんも、心配している)

(言葉にはしないが、している)


 イルマが奥から顔を出した。


「ノエルさん、よかった。今日はゆっくりしていってください。ちょうど昼ごはんの準備をしていたところで」


「お邪魔でなければ」


「邪魔なわけないでしょう」

 イルマが笑った。

「子供たちも喜びます」


 レントが書類仕事をしながら、ノエルを見た。


「戦が始まったと聞いた」


「はい」


「公爵は以前から、王国内でも指折りの戦力と呼ばれていた」

 レントが静かに言った。

「騎士団にいた頃、そういう話が回ってきたことがある。そう簡単にやられる人間じゃない」


 それだけ言って、また書類に目を戻した。

 素っ気なかった。

 しかしその言葉が、妙に、胸に響いた。


(レントさんも、心配している)

(ただ、こういう形でしか言えない)


 子供たちが、ノエルを見つけて走ってきた。


「ノエルさんだー!」


「ごはん一緒に食べていって!」


「今日はイルマさんのスープだよ!」


 ノエルはしゃがんで、子供たちを受け止めた。



 昼食の後、ノエルは外の日向で、レイと並んで座っていた。

 レイは特に何も言わなかった。

 ノエルも、しばらく黙っていた。


 しばらくして、レイが言った。


「……あいつは」


「ん?」


「あいつは、無事に帰ってくるか」


 あいつ、という言葉だった。

 声のトーンが、いつもより、少し低かった。

 心配している声だった。


 クラウスが横から口を挟んだ。


「レイ、もう公爵様って知ってんだろ。あいつ呼びはさすがにまずいだろ」


「……うるさい」


「いやほんとに、さすがに」


「うるさいって言ってる」


 レイが顔を背けた。

 しかし耳が、少し赤かった。


(レイが、心配している)

(あいつ呼びのままだが、心配している)


 ノエルは少し、前を向いた。


「きっと帰ってきます」


 レイがノエルを見た。


「根拠は」


「約束してくれたから」

 ノエルは答えた。

「あの人は、一度した約束を守る人です。それは、私が一番よく知っています」


 レイが、少し黙った。


「……そうか」


 それだけ言って、また前を向いた。

 しかしその横顔が、少しだけ、柔らかくなっていた。


(レイも、信じている)

(言葉にはしないが、信じている)


 ノエルはそれを見ながら、静かに思った。


(私も、信じている)

(信じると決めた)

(だから、ここで待つ)



 屋敷に戻った夜。

 ノエルは机に向かった。


 引き出しから、白い紙を取り出して、羽ペンを手に取った。

 しばらく、紙を見た。

 それから、書き始めた。


「閣下へ」


 次の言葉を考えた。


 色々と浮かんだ。

 ライアスの馬上姿が格好よかったこと。

 ノエル人形という言葉がまだ頭から離れないこと。

 孤児院でレイが心配していたこと。

 レントが公爵の評判を話してくれたこと。

 バルトのパンケーキが、あの朝の味がしたこと。


 全部、書こうとした。

 しかし、書けなかった。

 一つひとつが、書こうとすると、うまく言葉にならなかった。


 ノエルは少し考えた後、書いた。


「領地は問題ありません。使用人たちも、孤児院の皆も、元気にしております。閣下のことを、皆が心配しております。私も、心配しております」


 少し、止まった。

 それから、もう一行書いた。


「必ずお帰りください。お待ちしております」


 ペンを置いた。

 紙を見た。

 少し、照れくさかった。


(これを閣下が読む)

(あの無口な閣下が)

(この手紙を)


 ノエルは顔を両手で覆った。


(送る)

(送るが)

(閣下の返事は、また短い一文かもしれない)


 それを思ったら、少し、笑えた。

 笑いながら、封をした。

 机の上に置いた。


 明日、グラントに渡して、郵送してもらおう。


 ノエルは観察日誌を開いた。

 いつものように、書き始めた。

 しかし今日は、書き出しが少し違った。


「本日の報告。戦争が始まった。閣下は今、戦場にいる」


 一行空けて、続けた。


「いつもなら、ここに尊い何々版と書くところだが、今日は少し違う気持ちで書いている。理由はわからない。ただ、はやく帰ってきてほしいと思っている。それだけだ」


 もう一行、書いた。


「ライアス人形を作ったのは正解だった。閣下が持っていってくれた。それだけで、少し、安心した。なぜ安心したのかは、よくわからない。よくわからないが、安心した」


 ペンを置いた。

 窓の外を見た。

 夜の公都が、静かだった。


(閣下)


 ただそれだけを、心の中で思った。

 返事はなかった。

 当たり前だ。

 しかしノエルは少し、笑った。


 その笑い方が、推し活の笑い方とは、だいぶ違うことに。

 本人は、まだ気づいていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ