出立の朝(ライアス・ノエル視点)
【ライアス視点】
出陣の朝だった。
夜明けと共に、屋敷の外が動き始めた。
兵たちが整列し、馬が引き出され、荷が積まれた。
空は晴れていた。
風もなかった。
良い出陣日和だと、誰かが言っていた。
ライアスは外套を羽織りながら、玄関ホールに向かった。
グラント、ノエル、クラウスの三人が、既に揃って待っていた。
ライアスはグラントの前に立った。
「留守を頼む」
「かしこまりました」
グラントが一礼した。
「お任せください」
次に、ノエルを見た。
「ベルナード嬢」
「はい」
「グラントと共に、領地を頼む」
「かしこまりました」
ノエルが答えた。
「閣下がお戻りになるまで、しっかりと守ります」
ライアスは少し、ノエルを見た。
いつも通りの顔だった。
落ち着いていた。
それが、妙に、頼もしかった。
「クラウス」
「はい」
クラウスが前に出た。
「不在の間の屋敷の警護を頼む」
「かしこまりました」
クラウスが答えた。
「ノエルさんのことも含めて、しっかり守ります」
ライアスは頷いた。
玄関の外に出た。
馬が引き出されていた。
エリナが既に騎乗して待っていた。
戦場向けの装備に身を固めていた。
騎士としての所作が、馬上で完璧に様になっていた。
「閣下、準備が整っております」
「わかった」
ライアスは馬に乗った。
手綱を握りながら、振り返った。
グラント、ノエル、クラウスが並んで立っていた。
「皆、達者でいろ」
「閣下こそ、ご無事で」
グラントが一礼した。
「ご無事でお帰りください」
ノエルが言った。
「絶対帰ってきてくださいよ」
クラウスが言った。
「約束ですからね」
ライアスは少し、その三人を見た。
それから前を向いた。
そのとき。
視線を感じた。
ノエルを、見た。
ノエルがこちらを見ていた。
目が合った。
一瞬だった。
ライアスは前を向いた。
何も言わなかった。
しかし、その一瞬が、妙に、頭に残った。
◇
出立の号令がかかる前、エリナが馬をノエルの横に寄せた。
馬上から、ノエルを見下ろした。
笑顔だった。
しかし、いつもの上品な笑顔とは少し違った。
「ノエルさん」
「はい」
「ライアス様と私が帰る場所を」
エリナは静かに言った。
「しっかりと守ってくださいね」
ライアス様と私が帰る場所、という言葉だった。
(この人、公爵家を自分の帰る場所と言い切った)
(まだやる気だ)
(宣戦布告の続きだ)
「かしこまりました」
ノエルは答えた。
「フォルセア様もご無事で」
エリナが少し、目を細めた。
不敵な笑みを浮かべた。
馬をライアスの隣に並べながら、一瞬だけ振り返った。
その目が、ノエルをはっきりと見た。
ノエルはそれを、正面から受け取った。
エリナが前を向いた。
出陣が始まった。
公都の大通りを、軍が進んだ。
ライアスは馬を進めながら、大通りの両脇を見た。
領民が並んでいた。
手を振っている者もいた。
声をかけてくる者もいた。
その中に、見知った顔があった。
孤児院の子供たちだった。
カルロスとイルマに連れられて、大通りの端に並んでいた。
小さい子たちが、ライアスを見て、一斉に手を振った。
「いってらっしゃーい!」
「がんばれー!」
「かってきてー!」
ライアスは少し、手を上げた。
子供たちの方に向けて。
静かに、一度だけ、振った。
子供たちが、また歓声を上げた。
その中で、レイが一人、少し離れたところに立っていた。
手は振っていなかった。
しかしライアスと目が合った瞬間、レイはゆっくりと顎を引いた。
それだけだった。
しかし確かに、そこにあった。
ライアスは前を向いた。
横に、エリナが並んだ。
「領民に慕われているのですね、閣下」
エリナが言った。
驚きの色があった。
以前のライアスを知っているからこそ、の驚きだった。
「……そうか」
ライアスは曖昧に答えた。
しかし内心では、少し考えていた。
(この半年で、見える景色が変わった)
以前は、大通りを進むとき、領民の顔がここまで目に入らなかった。
入っていたかもしれないが、それがどういう表情をしているか、気にしていなかった。
今は違う。
一人ひとりの顔が、見えた。
手を振っている老人が見えた。
子供を抱きながら頭を下げる女性が見えた。
路地の端から静かに見送っている男が見えた。
(領民の生活の見え方も、変わった)
書類の上の数字だったものが、今は顔になっていた。
未亡人たちの顔があった。
孤児院の子供たちの顔があった。
カルロスとイルマとレントの顔があった。
(私は、少しは変わったのだろうか)
領民から見て、この半年で、公爵が変わったと見えているだろうか。
もしそうなら。
(それを、嬉しいと思う)
そう感じている自分に、ライアスは少し、驚いた。
以前は、そういうことを考えなかった。
嬉しい、という感情が、こういう場面で出てくることが、なかった。
ライアスは外套の胸のあたりに、片手をそっと当てた。
服の上から、小さな膨らみを感じた。
人形だった。
昨日、受け取った人形だった。
(ベルナード嬢が、作った)
胸の中が、少し、温かくなった。
前を向いたまま、ライアスはそのまま馬を進めた。
公都の大通りが、続いていた。
その先に、戦場がある。
行って、帰ってくる。
それだけだ。
◇
【ノエル視点】
軍が、大通りの向こうに消えていった。
最後にライアスの銀髪が見えて、それも消えた。
ノエルはしばらく、その方向を見ていた。
グラントも、クラウスも、黙っていた。
静かだった。
少し、しんみりとした。
(行ってしまった)
そう思った。
思ったら、少し、胸の中が静かになった。
しんみりした。
本当に、しんみりした。
(……閣下)
そう思った瞬間。
脳内の別回路が、全力で起動した。
(待って)
(馬上のライアス様、見た?)
(見た)
(戦場向けの装備に身を固めた馬上のライアス様を)
(見た!!!)
(ゲームのスチルにもあったが!!!)
(現実は次元が違う格好良さだった!!!)
(銀髪が朝の光を受けて輝いてた!!!)
(馬上でも姿勢が完璧!!!)
(なんなの!!! あの存在感は!!!!)
ノエルは出陣していくライアスを脳内で高速再生した。
完璧だった。
全部、完璧だった。
馬への乗り方も、手綱の握り方も、視線の向け方も、全部。
(そしてあのポンコツ発言だよ!!!)
(ノエル人形はないのか!!!)
(あの完璧な見た目の閣下が!!!)
(あんなことを言うから!!!)
(昨夜、枕に顔を埋めて悶えた!!!)
(我ながら気持ち悪い笑い声が止まらなかった!!!)
(今思い出してもまずい!!!)
(帰ってきたら、実物大ノエル人形を作ってプレゼントするべきだろうか!!!)
(いや、さすがにそれは!!!)
(でも、閣下がノエル人形と言ったのは事実で!!!)
(需要がある可能性が!!!)
(いや、絶対に需要はない!!!)
(でも!!!)
(しかし!!!)
(やはり!!!)
「あの……ノエルさん」
声がした。
クラウスだった。
「さっきから笑いが漏れてますけど、どうしたんですか?」
ノエルは、我に返った。
周囲を見た。
引きつった笑みでこちらを見るクラウス。
生暖かい眼差しで何も言わずにこちらを見るグラント。
若干引き気味にしつつ、温い温度感の笑顔でこちらを見る使用人たち。
(しまった!!!)
(また溢れ出た!!!)
「な、なんでもありません」
ノエルは答えた。
「風邪の引きはじめかもしれません」
「真夏ですよ」
クラウスが言った。
「……季節外れの風邪というものが」
「ないとは言い切れませんが」
クラウスが引き気味に言った。
「その笑いは風邪の症状じゃないと思います」
グラントが静かに前を向いた。
「参りましょうか、ベルナード嬢」
それだけ言って、歩き出した。
何も言わなかった。
しかし完全に、全部わかった上で、何も言わなかった。
ノエルは顔を両手で覆った。
(反省している)
(猛烈に反省している)
(しかし閣下の馬上姿は本当に格好よかった)
(反省と格好よさが、脳内で共存している)
(これは収拾がつかない)
「……ノエルさん、行きますよ」
クラウスが、呆れたような、しかし少し笑いをこらえたような声で言った。
「はい」
ノエルは顔を覆ったまま頷いた。
それから、顔を上げた。
仕事を、しなければならない。
グラントが先を歩いていた。
ノエルはその背中を追いながら、もう一度だけ、大通りの方向を見た。
もう、誰もいなかった。
(閣下)
静かに、心の中でそう思った。
(必ず帰ってきてください)
それだけだった。
それだけで、十分だった。
ノエルはグラントの後を追って、歩き出した。




