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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第二章 隣国との戦争

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悪役令嬢(ノエル視点)

【ノエル視点】


 出陣の準備が始まって、一週間が経った。


 屋敷の空気が、少しずつ変わっていた。


 騎士団への連絡、兵站の確認、不在期間中の領地管理の引き継ぎ。

 やることは山ほどあって、ノエルは毎日書類と格闘していた。


 そんな日の午後のことだった。


 廊下を歩いていたノエルは、グラントとすれ違った。


「グラントさん、本日はどなたか来られたのですか?」


「ああ、ベルナード嬢」

 グラントが少し、足を止めた。

「本日、エリナ・フォルセア様がいらっしゃいました」


 ノエルは一瞬、止まった。


(エリナ・フォルセア)


(きたーーーーーー!!)

(悪役令嬢キャラきたーーーーーー!!)

(フォルセア侯爵家! 近衛騎士団長の娘! ライアスルートの悪役令嬢!)

(ゲームで何度見たか! あのキャラが! 現実に! 来た!)


「……そうですか」

 ノエルは平静な声で言った。

「戦場での合流のために、先に来られたのですね」


「さようでございます。閣下と応接室でお話し中です」


「わかりました。ありがとうございます」


 グラントが歩いていった。

 ノエルは書類を抱えたまま、少し廊下に立っていた。


(落ち着け。これはゲームではなく現実だ)

(ゲームのエリナが現実にいる。それだけだ)

(ゲームでのエリナ・フォルセアの性格は把握している。表向きは完璧な騎士令嬢。裏では非常に傲慢で、欲しいものは手に入れるタイプ。邪魔者は精神的に追い詰めて排除する。超ハラスメント令嬢)

(ライアス様に惚れていて、正妻の座を狙っている)

(そして、ゲームのライアスルートでは、ヒロインを徹底的に追い詰めてくる)

(まあ、私はヒロインではないので関係ない話だが)


 ノエルは気を取り直して、書類整理に戻ろうとした。


 そのとき、廊下の向こうから足音が聞こえた。

 応接室の方向だった。


 ノエルはそのまま歩き続けようとした。

 しかし。


「少し、よろしいですか」


 声がした。


 ノエルは足を止めた。

 振り返った。


 廊下に、一人の女性が立っていた。


 背が高かった。

 騎士の訓練を積んだ体つきをしていながら、令嬢としての所作が完璧に備わっていた。


 深い赤みがかった茶色の髪が、きっちりと結い上げられていた。

 顔立ちは整っていた。

 凛とした、高潔な印象を与える顔だった。


(エリナ・フォルセアだ)


 ゲームで何度も見たキャラクターが、目の前に立っていた。


 現実のエリナは、ゲームのスチルよりも少し背が高かった。

 そして、ゲームのスチルよりも、目が笑っていなかった。


「貴方が、ノエルさんですか」


 エリナが言った。


 声のトーンは穏やかだった。

 上品な笑みだった。


「はい。ノエル・ベルナードと申します」


「やはり」

 エリナが少し、目を細めた。

「優秀な事務官がいると聞いておりましたので」


「恐れ入ります」


「ライアス様から、伺っておりました」


 ライアス様から、という部分を、エリナはさりげなく強調した。

 さりげなく、しかし確実に。


(来た)

(ゲームのエリナのやり口だ)

(ライアス様から、という言葉を使って、自分がライアスと近しい関係であることを示した)


 ノエルはそれを受け流しながら、にこやかに答えた。


「閣下にそのようにおっしゃっていただけているとは、光栄でございます」


「謙遜なさらなくても」

 エリナが続けた。

「公爵領の改革を推進されたと聞いています。女性でそれだけの実務をこなせる方は、なかなかいらっしゃらないと思いますわ」


「お褒めいただきありがとうございます」


「どちらのご出身ですか」


「ベルナード家でございます」


「ベルナード……」

 エリナが少し、考えるような顔をした。

「伯爵家でしたか」


「はい」


「なるほど」


 エリナはそれだけ言った。

 それだけだったが、その目が、一瞬だけ、何かを整理するように動いた。


(値踏みしている)

(伯爵家と聞いて、何かを判断した)

(ゲームのエリナは、立場と家格で相手を測るタイプだ)


 エリナが、また笑顔を向けた。


「公爵家の事務を支えてくださっているのですね。大切なお仕事ですわ」


「ありがとうございます」


「ライアス様もご信頼されているようで、嬉しく思います」


 また、ライアス様という言葉が出た。

 今度は、さらりと、しかし確実に。


(この人は、ライアス様との近さを言葉に滲ませている)

(ゲームのヒロインは、ここで動揺していた)

(しかし私は、ヒロインではない)

(動揺する理由が、特にない)

(……ない、はず、だ)


「フォルセア様も、戦場では大変なご活躍をされると伺っております」

 ノエルは言った。

「どうかご無事で」


「ありがとう」

 エリナが少し、笑みを深めた。

「ノエルさんも、お体に気をつけて。閣下のご不在の間、領地をよろしくお願いしますわね」


 それだけ言って、エリナは廊下を歩いていった。

 足音が遠ざかっていった。


 ノエルはしばらく、その場に立っていた。


(……)

(今の何だった)

(褒めているようで、測っていた)

(ライアス様から、という言葉を二度使った)

(伯爵家と聞いて、何かを判断した)

(最後は、閣下のご不在の間、よろしく、と)

(つまり、お前はここで留守番をしていろ、という意味でもある)

(全部、上品な言葉でやった)


 ノエルは書類を抱え直した。


(ゲームのエリナそのままだ)

(外面は完璧。内面は全然別物)

(まあ、私はヒロインではないので、本格的に排除対象にはならないはずだが)

(それにしても)


 ノエルは歩き出しながら、頭の中でエリナの言葉を反芻した。


 ライアス様から、伺っておりました。


(閣下が、エリナに私の話をした)

(仕事の話として、当然そういう流れになったのだろう)

(当然だ。おかしくない。何もおかしくない)


 そう思いながら。


 なぜか、胸の中に、小さな何かが引っかかっていた。

 それが何かを、ノエルはまだ言葉にできなかった。


 できないまま、廊下を歩いた。


 今夜の観察日誌は、エリナについての考察で終わりそうだった。


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