呼び方(ノエル視点)
【ノエル視点】
呼び出された。
グラントさんから「閣下がお呼びです」と伝えられた瞬間、ノエルの脳内で盛大なファンファーレが鳴り響いた。
ファンファーレではない。警報だ。
(皆さーん!)
心の中で絶叫した。
(あの高台で! 夕焼けの中で! 「ありがとう、ノエル」と! 私の名前を! 呼んだ! あのライアスが!)
(その後ベルナード嬢呼びに戻って涼しい顔してやがりますよー!)
(こっちはまだ引きずってるんですけど!)
(というか今も引きずってるんですけど!)
(あれは何だったんですか閣下! どういう気持ちで呼んだんですか! こっちは今でも再生するたびに体温が二度上がるんですけど!)
(そのまま呼び出しますか! 平然と!)
扉の前で、ノエルは深呼吸を三回した。
前世の事務員魂よ、今こそ出番だ。
扉をノックした。
「失礼いたします」
執務室に入ると、ライアスが執務机の前に立っていた。
グラントも同席していた。
「来たか、ベルナード嬢。座れ」
「かしこまりました」
(ベルナード嬢だ。ベルナード嬢呼びに戻ってる。あの夜は夢だったのか。いや夢じゃない。確かに聞いた。絶対に聞いた。聞き間違いじゃない)
ノエルは椅子に座った。
完璧な事務員の顔をしていた。
脳内は完璧に崩壊していたが、顔には出なかった。
前世の事務員魂よ、永遠なれ。
「本題に入る」
ライアスが言った。
「隣国からの宣戦布告が、正式に届いた。戦争が始まる」
ノエルは少し、止まった。
グラントも、静かに目を閉じた。
「閣下は、出陣されるのですか」
ノエルは言った。
「そうだ。二週間以内に動く」
「……わかりました」
ノエルは声を平静に保った。
しかし脳内では、別の声が走っていた。
(ゲームと同じ流れだ。戦争が始まる。ライアスが出陣する)
「私の役割は、王太子殿下の護衛がメインになる」
ライアスは続けた。
「殿下が指揮官として動かれる。私はその隊を率いる隊長として動く。前線には出ない」
(え)
ノエルは少し、止まった。
(前線には出ない?)
(ゲームでは、ライアスは前線で戦っていた。指揮官として動きながら、最も危険な場所に自ら踏み込んでいた。それがゲームのライアスだった)
(でも今、前線には出ないと言った)
(ゲームと、違う)
ノエルは平静な顔のまま、脳内で素早く計算した。
(ゲームの開始時期は、この戦争が終わった後だ。つまりライアスもアルベルトも、この戦争では生き残る。それは確かだ)
(でも、ゲームと展開が変わっている)
(変わっているなら、何が起きるかわからない)
表向きは安心した。
内心では、微妙な不安が小さく灯った。
しかしそれを顔に出さなかった。
「グラント」
ライアスが続けた。
「私が不在の間、領地の管理を頼む。領主代行として動いてくれ」
「かしこまりました」
グラントが静かに言った。
「五十年、この日のためにここにいたようなものでございます」
ライアスが少し、グラントを見た。
「……頼りにしている」
「は」
グラントが一礼した。
「閣下こそ、ご無事で」
ライアスがノエルを見た。
「ベルナード嬢」
「はい」
「グラントの補佐を頼む。これまで通り、領地の実務を回してくれ」
「かしこまりました」
ノエルは答えた。
「グラントさんと二人で、閣下がお戻りになるまで守ります」
ライアスが少し、頷いた。
「二人がいれば、領地は問題ない」
その一言が、静かに部屋に落ちた。
グラントが、目を細めた。
ノエルは、少し前を向いた。
(閣下が、そう言ってくれた)
(二人がいれば、問題ない、と)
(それが、すごく嬉しかった)
(推しに認められた、という喜びとは、少し違う種類の嬉しさだった)
(……今は考えない。後で考える。別紙に書く)
「戦力について、一つ確認させてください」
ノエルは言った。
「なんだ」
「王国と隣国の戦力差は、どの程度ですか」
ライアスが少し、ノエルを見た。
「王国の方が上だ。今回の宣戦布告は、正直なところ言い掛かりに近い。隣国が今この時期に動いてきた理由が掴めていないが、戦力差から見て王国が負ける可能性は低い」
「……戦力差については、私も同様に見ておりました」
グラントが静かに言った。
「だからこそ、腑に落ちない部分がございます。この時期に、なぜ隣国が動いたのか」
「私も同じ疑問を持っている」
ライアスは言った。
「今は答えが出ていないが、注意は要る」
「かしこまりました。引き続き情報を集めます」
ノエルは二人のやり取りを聞きながら、静かに思った。
(ゲームでは、この戦争の裏に何かあった気がする)
(魔人の誰かが、戦争を仕掛けていた、というセリフがあった気がする)
(でも、詳しくは覚えていない)
(覚えていないが、グラントさんの「腑に落ちない」という言葉が、妙に引っかかった)
ノエルはそれを、今は口にしなかった。
根拠のない話を持ち出す場面ではない。
ただ、頭の隅に留めておいた。
話し合いが終わって、グラントが退室した。
ノエルも立ち上がりかけた。
「ノエル」
ライアスが言った。
「はい」
ノエルは少し、止まった。
(また呼んだ!)
(ノエルって呼んだ!)
(グラントさんがいなくなった瞬間に!)
(というかこれ、グラントさんがいる時はベルナード嬢で、いない時はノエルなの!?)
(何なのその呼び分けは!)
(無意識なの!? それとも意識してるの!? どっちなの!?)
(ライアスーーーーーーー!)
「……一つ聞いていいか」
「は、はい」
ノエルは一秒で平静心を装った。
ただし今回は、装いきれていなかった可能性が高い。
「高台の後、何か気になることはあったか」
(え)
(え???)
(なぜ高台の話を)
(もしかして)
(もしかしてあの時のノエル呼びに、閣下は気づいている?)
「いいえ」
ノエルは答えた。
「特には」
「そうか」
ライアスが少し、前を向いた。
「……ならいい」
それだけ言った。
(気づいてないのか!)
(気づいてないから聞いてるのか!)
(ということはやっぱり無意識だったのか!)
(無意識に私の名前を呼んで、今もそれに気づいてないのか!)
(そして今もノエルって呼んでる! これも無意識!)
(どういうことですか閣下!)
「では、失礼いたします」
ノエルは完璧な一礼をした。
完璧な足取りで扉を開けた。
完璧に退室した。
廊下に出た瞬間、ノエルは天井を見上げた。
(あの名前呼びはなんやったんや!!!!!!!)
声には、出なかった。
廊下を歩きながら、ノエルは自室への道を急いだ。
今夜の観察日誌は、別紙が何枚になるかわからなかった。




