愉快な問い(ライアス視点)
【ライアス視点】
ベルナード嬢が調査を始めたのは、翌日の朝からだった。
ライアスは執務室で書類を処理しながら、グラントからの逐一報告を待っていた。
しかし報告より先に、廊下を歩くベルナード嬢の姿を窓越しに見かけた。
いつもと違う。
走っていない。
謎のノートも持っていない。
廊下で壁に張り付いて天を仰ぐこともない。
奇妙な独り言もない。
ただ、静かに、真っ直ぐ歩いていた。
仕事の顔だった。
(あの顔の使い分けは……いや、今はそれどころではない)
ライアスは書類に向き直った。
最初の報告が来たのは、昼過ぎだった。
「閣下、少々よろしいですか」
グラントだった。
「ベルナード嬢が、騎士団の記録庫へ向かいました」
「記録庫へ」
「三重給与の文官、ルーベン・オドレイが実際に物資調達に関与した記録があるかどうか、直接確認するとのことです」
「一人でか」
「はい。私が同行を申し出ましたが、一人の方が動きやすいと」
ライアスは少し、止まった。
(記録庫は騎士団の管轄だ。フェルトン侯爵家の縁故採用だとわかっている人間が、その騎士団の記録庫を調べに行く)
「騎士団への根回しは」
「ベルナード嬢は昨夜のうちに、記録庫の管理担当者に閲覧の申請を出しておりました。正規の手順を踏んでいます」
「……昨夜のうちに」
「はい。写しを作りながら、同時に申請の書状も書いていたようです」
ライアスは黙って聞いていた。
(昨夜、写しを作りながら、申請書まで書いていた)
あの夜、ライアスは「無理はするな」と言った。
ベルナード嬢は頷いて退室した。
そして帰室後すぐ、写しと申請書を同時に仕上げていた。
(……無理はしない上で、それをするのか、あの娘は)
ライアスは書類に視線を戻した。
二時間後、グラントが再び来た。
「報告が入りました」
「どうだった」
「記録庫に、ルーベン・オドレイが物資調達に関与した記録は、ほぼ見当たりませんでした」
「ほぼ、か」
「一件だけ、四年前に署名が入った書状がありました。ただ」
グラントは続けた。
「その書状の内容は、すでに他の文官が決定した案件に、後から署名を加えたものだと、当時の担当者が証言しています」
「つまり名義だけ使われた」
「はい。実務の痕跡は、ほぼゼロです」
ライアスは静かに考えた。
(七年間、実務なし。しかし給与は三役職分。フェルトン侯爵家の縁故。一件だけある署名は後付けの可能性が高い)
「ベルナード嬢は今どこにいる」
「記録庫から戻った後、物資調達の実務を実際に担っている者たちへの聞き取りを行っています」
「聞き取りを」
「オドレイが不在の間、誰が実際の調達業務を回していたかを確認しているようです」
ライアスは少し間を置いた。
(不在の間に誰が動いていたか。それを確認すれば、オドレイが実際に何もしていなかった証拠がより固まる)
「……なるほど」
思わず声に出た。
グラントが、静かにこちらを見た。
「閣下」
「なんだ」
「ベルナード嬢は、記録庫に向かう前にもう一つ確認をしていました」
「何を」
「フェルトン侯爵家の縁故採用について、先代公爵の判断を示す文書が残っているかどうかを、私に確認してきました」
「あったのか」
「ありました。先代公爵の署名入りで、侯爵家からの要請に応じた旨が記されています」
「……それは、侯爵家への対応を考える上での証拠になる」
「はい」
グラントは続けた。
「ベルナード嬢は、これを残しておくようにと。侯爵家との交渉になった際、先代の判断として受け入れた経緯があることを示すためだと」
ライアスは黙った。
(侯爵家との直接対決を見越して、交渉の材料を事前に確保している)
事務処理能力が高いとは思っていた。
帳簿の異常を発見する目が鋭いとも思っていた。
しかし、その先を同時に考えながら動いているとは。
(あの娘は、どこまで見ているんだ)
夕刻、ベルナード嬢が執務室に来た。
今日一日の調査報告だった。
グラントも同席した。
「記録庫の確認では、オドレイ氏の実務への関与はほぼ確認できませんでした」
ライアスは黙って聞いた。
「物資調達の実務担当者への聞き取りでは、複数の者が『オドレイ氏とは会ったことがない、あるいはほぼ接触がない』と証言しています。実際の調達業務は、下の担当者たちが回していました」
「証言は複数取れているか」
「四名から取りました。記録として残してあります」
「後から覆される可能性は」
「低いと思います。皆、特に縁故や上位との関係がない担当者です。ただ……」
ベルナード嬢が少し間を置いた。
「今日の夕方、聞き取りを終えた後、担当者の一人から個別に声をかけられました」
「何を言われた」
「『あなた、大丈夫ですか』と」
ライアスが、わずかに眉を動かした。
「大丈夫か、とは」
「フェルトン侯爵家の名前が絡んでいることを、その担当者は知っていました。調査が進めば、侯爵家から何らかの圧力がかかるかもしれない、と心配してくれたようです」
部屋が静かになった。
「その担当者に何と答えた」
「大丈夫だと答えました」
ベルナード嬢は静かに言った。
「閣下が判断されます、と」
ライアスはしばらく黙っていた。
(閣下が判断される、と答えた)
その言葉が、静かに、しかし確かに胸に落ちた。
自分への信頼だとわかった。
それがいつもと少し違う重さで届いたのは、今日一日の動きを見ていたからかもしれなかった。
「わかった」
ライアスは言った。
「引き続き宿坊指導役の調査を進めろ。ただし」
「はい」
「侯爵家の動きにも注意しろ。記録庫への動きは既に向こうに伝わっている可能性がある」
ベルナード嬢が頷いた。
「記録の写しは複数箇所に保管しています。一箇所が押さえられても、他で残ります」
(昨夜のうちに、それも済ませていた)
「……ご苦労だった」
「かしこまりました」
ベルナード嬢が退室した。
扉が閉まった。
グラントが書類を置いた後、少しだけ立ち止まった。
「閣下」
「なんだ」
「ベルナード嬢は本日、記録庫の担当者、物資調達の担当者四名、書状の管理担当者、計六名に接触しました。全て正規の手順で、誰に対しても丁寧に接しています。こちらを調べているという悟られ方は、最小限に抑えてあります」
ライアスは何も言わなかった。
「……よく動きます」
グラントは静かに言った。
「私には、思いつかない動き方です」
「そうだな」
グラントが退室した。
執務室に一人になって、ライアスは窓の外を見た。
もう日が暮れていた。
(昨夜のうちに写しを作り、申請書を書き、今日は六名に接触し、証言を記録し、保管場所を分散した)
それを、「無理はするな」と言った翌日にやっていた。
無理ではないのだろう、あの娘にとっては。
むしろあれが、ベルナード嬢の通常の速度なのかもしれなかった。
(奇妙な娘だ)
そう思いながら、しかし今日は不快感が一切なかった。
窓の外の暗い庭を見ながら、ライアスはふと思った。
(廊下で壁に張り付いて天を仰いでいるあの娘と、今日六名を動かしたあの娘が、同一人物なのか)
答えは出なかった。
しかし今夜は、その問いが、少し愉快だった。




