表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/21

見えない気持ちと答え合わせの感情(ライアス視点)

【ライアス視点】


 問題のある人間は、切る。


 それがライアスの判断基準だった。


 置いておけば腐る。周囲に伝播する。対処にコストがかかる。

 なら切る。

 それだけだ。


 だからグラントからベルナード嬢の報告を聞いたとき、ライアスは迷わなかった。


「三人とも解雇でいいだろう。新しい人間を手配しろ」


 至極当然の判断だと思った。


 しかしベルナード嬢は、「少し待っていただけますか」と言った。


 そして。


「違います」


 一言だった。


 しかしその一言が、執務室の空気を変えた。


 ライアスは、言葉が一瞬、途切れた。


(……今、何と言った)


 否定された、という事実より先に、別の驚きが来た。


 正面から来た。


 遠回しでもなく、媚びるでもなく、言い訳を重ねるでもなく。

 真っ直ぐに、こちらの目を見て、「違います」と言った。


 周囲に、そういう人間がいなかった。


 部下は黙って従った。使用人たちは反論しなかった。令嬢たちは媚びるか距離を取るかのどちらかだった。

 グラントでさえ、遠回しに示唆することはあっても、正面からは来なかった。


 誰も、こういう形では来なかった。


(この娘は、何者なんだ)


 その問いが浮かんだとき、ベルナード嬢は続けていた。


「人は財産でございます。切って新しいものを入れれば解決、という単純な話ではありません」


 根拠があった。


 マーガについては二十三年の経験を失うコスト。ヘルガについては戦力の損失。ダンカンについては照合の結果を待つべき理由。

 全て、論理的だった。


(……続けろ)


 気づいたら、そう言っていた。


 理解できた、というよりも。

 理解できないのに、否定する気にもなれなかった。


 そのことの方が、ライアスには奇妙だった。


 報告を受けてから数日後、グラントが各部署の動きを伝えてきた。


 マーガが後進に仕入れを教え始めたこと。

 ヘルガの対処をベルナード嬢が引き受けたこと。

 ダンカンについては倉庫の照合を進めているということ。


「ベルナード嬢は、現場の使用人一人ひとりから話を聞いた上で、それぞれに対応を変えています」


「マーガについては、恐怖から技術を囲い込んでいたということが判明しました。問題の根が、私が把握していたものとは違っていました」


 グラントが、わずかに目を伏せた。


(グラントが、把握できていなかった)


 五十年この屋敷を管理してきた男が、見落としていたことがある。


 ベルナード嬢は、話を聞いたから見えた。

 ライアスが無意味だと思っていた、その時間が、情報を引き出した。


(自分は、何を見ていたんだ)


 その問いを、ライアスは胸の奥に置いた。


 まだ、答えは出せなかった。


 ヘルガへの紹介状の件を聞いたとき、ライアスは少し止まった。


(問題を起こした人間に、なぜそこまでする)


 理解できなかった。

 しかし否定する気にも、なれなかった。


 それがベルナード嬢らしい、と思った。

 なぜそう思うのかは、わからなかった。


「……構わない。グラントが作れ」


 判断は早かった。


 先日まで、問題のある人間には時間を使わないと思っていた。

 今、問題のあった人間の今後について、ほぼ迷いなく許可を出していた。


(変わったのか、私が)


 答えは出なかった。

 しかし問いが浮かぶこと自体、以前はなかった。


 ◆


 ダンカンの夜のことは、正確に書き残しておく必要がある。


 庭で剣の素振りをしていたとき、声が聞こえた。


「お前のせいだ!」


 踏み込んだ。


 ダンカンがベルナード嬢に掴みかかろうとしていた。

 ベルナード嬢は木の枝を拾い上げて構えていた。


 その光景を見た瞬間、ライアスの中で何かが着火した。


 怒りだった。


 騎士団の部下が傷つけられたときとは違った。

 領民が害を受けたと報告を受けたときとも違った。

 もっと直接的で、もっと速かった。


 理屈より先に体が動いていた。


(この娘に、手を出すな)


 ダンカンをねじ伏せることに、一秒もかからなかった。


 その怒りの速さが、ライアス自身にとって、少し奇妙だった。


 地面に転がったダンカンが、口を開いた。

 止まらなかった。


「長年尽くしてきたのに! 見てくれもしなかったくせに!」


「誰も見ていない、誰も気にしない! そのくらいの見返りがあって何が悪いんですか!」


 醜かった。


 その言葉の醜さに、ライアスは静かな嫌悪を覚えた。

 しかしある瞬間、別のものが来た。


(この言葉を、ベルナード嬢も聞いた)


 いや、これだけではない。


 ベルナード嬢は各部署を回った。

 一人ひとりに話を聞いた。


 怖いと言っていた使用人。

 仕事を教えてもらえなかった若者。

 誰も見てくれなかったと言う者。

 評価されなかったと言う者。


 そういう声を、一つひとつ、正面から受け取ってきた。


 今ダンカンがここで吐き出しているものを、あの娘は現場で直接聞いていた。


(……この娘は、何をしていたんだ)


 ライアスは執務室で書類を見ていた。

 グラントの報告で状況を把握していた。

 しかしベルナード嬢は、人の前に立って、その言葉を受け取り続けていた。

 痛みを伴うものも含めて。


(同じ屋敷の、同じ問題を。まるで別の場所から見ていた)


 その事実が、静かに、しかし確かに刺さった。


 守衛が駆けつけたとき、ライアスは静かに指示を出した。


「空き部屋に閉じ込めておけ。明朝、処遇を決める」


 ダンカンは最後まで罵声を上げ続けた。


 声が遠ざかってから、ライアスはベルナード嬢に向き直った。


「怪我は」


「……ありません」


 足元が、わずかに定まっていなかった。


 手を差し伸べた。引き上げた。

 立ち上がったとき、まだ揺れていた。


 手を放さなかった。腰を支えた。


「大丈夫か」


 至近距離で聞いた。


 ベルナード嬢が顔を上げた。

 その顔が、瞬時に何かに染まった。


 そして。


 ぶっ、と音がした。


 鼻血だった。


(……どういうことだ)


 思考が、完全に止まった。


 たった今まで、ダンカンに襲われていた人間が。

 鼻血を出していた。

 しかも笑っていた。


「大丈夫です! 走ってきたのでのぼせたみたいで、ご心配なく、失礼します!」


 一息で言い切って、走り去った。


 夜の庭に、ライアスが一人残された。


(……なぜ鼻血が出るんだ、あの娘は)


 今夜何度目かの疑問が、静かに落ちてきた。

 答えは、出なかった。


 ◆


 それから数日が経った。


 屋敷の空気が、変わった。


「マーガが若い料理人に仕入れを教えています。厨房の雰囲気が、以前より明るくなりました」


「縫製部門は、使用人たちが互いに補い合っています」


「倉庫は、誰でも動かせるようになりました」


 グラントの報告を聞きながら、ライアスは静かに思った。


(問題のある人間に時間をかけることは、無意味だと思っていた)


 無意味ではなかった。


 同じ時間に、全く違うものが入っていた。

 それだけが、ライアスの中に残った。


 グラントが退室した後、ライアスは一人で執務室にいた。


 書類に向かおうとして、手が止まった。


 ベルナード嬢のことを、考えていた。


 夜の庭で木の枝を構えた令嬢。

 鼻血を出しながら笑顔で走り去った令嬢。

 廊下で壁に張り付いて天を仰いでいる令嬢。


(奇妙な娘だ)


 そう思いながら、不快ではなかった。

 次は何をするのか、少し気になっていた。


(少し、楽しい)


 その感覚が、どこから来たのかわからなかった。


 楽しい、という感情を、ライアスはいつ最後に覚えたのか。

 覚えていない。

 しかし今、確かにそれがあった。


 ライアスは羽ペンを手に取った。


(……私は、今、楽しんでいるのか)


 その問いに、今夜は、答えが出た。

 出てしまった。


 文字は、いつもより少しだけ、軽かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ