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55 嫌がらせではない……はずだが

「ねえマリス」


 前を歩いていたセオドアが、だんだん歩みを遅くして最後に止まって振り返った。

 ここは回廊の中でも曲がり角が続いている場所で、人の気配が無い。


「はい」


 マリスは応えたが、セオドアは何故か表情を硬くしている。

 どうしたのだろう。

 セオドアは、ゆっくりとマリスに近付くように歩を進めた。


 回廊から見える王の城の横に太陽が見える。

 昼前でまだ低い位置にあるが、これからこの太陽は高く昇るのだ。

 今日は一日快晴だろう。


「王太子殿下、どうされましたか?」

「……」


「……」

「マリスは………

 ゴルド君に、フェリクスとジャスティン、それからなんだ……ターニャときて……なんで私だけ……『王太子殿下』なんだ?」


 なんか、久々な空気が漂う。

 そう言えば、すっかり忘れてたけど、あの、お花ペシャってやった件、ガー君の作戦だったとは言え、何かマリスにも粗相が無かったか、今更だけど、確認した方が良いのだろうか?


「マリス、頼みがあるんだが聞いてくれる?」

「はい、殿下」


 なんだか真剣な顔をしていたセオドアのこめかみがぴくぴくした。

 マリスにとって、ここは絶対に取りこぼしてはいけないところだ。

 マリスも神妙な顔でセオドアの「頼み」を聞く体制を取る。

 しかし……気付いていないが、マリスはまた「殿下」と言ってしまったのだ……


 タチアーナなんか愛称で呼ばれていた! のに。

 しかも抱き合ってた! のに。

 二回も! なのに。


「………マリス、とりあえず、百をゆっくり数える間、息だけして動かないで」


 セオドアはなぜか両方の掌を自分の肩の高さまで上げた。


(1、2……)

 マリスは、言われたとおり、口の中でゆっくり数えだした。

 セオドアが前に進んで、マリスの間合いに入る。


(5、6っ、7、8っ……)

 マリスはなんだか背中にひり付くような刺激を感じてしまう。

 でも、マリスは動かないで踏ん張った。


(11、12、13!! っ14……)

 すぐ目の前まで来たセオドアが、上げていた両方の手を更に上にやって…マリスの頭に……触れた。

 その瞬間、マリスがピクっと反応してしまった。

 動いてはいけないのだ。踏ん張れ。

 しかしだ。何の技が掛かるんだ?


(17、18……)

 なんだかセオドアの頬が赤い。

 どうしよう。マリスまで、マリスまで、顔が熱くなってきた気がする!


(21、22……)

 セオドアは、耳の上の方でマリスの頭を両手で包み、そして、ゆっくり、その手をおろしながらマリスの頭の形をなぞっている。

 本当にゆっくりとだ。


(26……27っ……28っ……なにこれっ!)

 セオドアの手の平がマリスの癖の無い黒髪を撫でる。

 優しくだ。

 でも、マリスの体になぜかビリビリしたものが走る。

 もぞもぞと動き出したいが、我慢だ!


(36、30、30、30……?)

 どうしよう。マリスはちゃんと数えられなくなってきた。

 セオドアは、マリスの髪をまとめていた革紐をゆっくり引っ張って解いた。

 マリスの髪がサラリと落ちる。


(43……えーと、34? えーと……あれ?)

 セオドアは再び腕を持ち上げて、今度は、マリスの髪に指を入れて梳かしだした。

 これもゆっくりだ。

 もしかして、もう技は掛けられているのか!


(えーと、40は過ぎてて、えーと40……50、あれあれ?)

 マリスの髪がセオドアの指の動きに合わせて緩やかに弾んで跳ねた。

 そして、セオドアは更にマリスに近付いた。

 顔が! 近い!

 セオドアは真剣な顔でマリスを見つめている。

 どうしよう。

 マリスの体の、全ての筋肉が、心臓になって鼓動を刻む。


 セオドアが口を開いた。


「マリス、私の……とても可愛い人。

 凛々しい人。

 花の香りのする人。

 強くて優しくて、輝いている私の太陽。

 私だけの太陽」


(タイヨウ? 太陽? 太陽なのは理想形王太子のことでは? じゃなくて!)


(いま、いったい、いくつなの!)


 セオドアは、マリスの髪を一掴みだけ離さないで持っていた。

 それをじっと眺めている。

 眺めているセオドアの顔がずっと赤いままだ。


 自分の手の中のマリスの髪を見つめていたセオドアが、性急過ぎたと気が付いて、手を離そうとしたときにマリスが言った。


「あ、あのー……まさかと思いますが……これは『嫌がらせ』では、ない、ですよね?」


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 セオドアの手が、マリスの髪を掴んだままで、小さく震え出した。

 そうだ。マリスだった。

 セオドアが知る他の女性たちとはまるで違うマリスなのだ。

 雰囲気でなんか、絶対に絶対に、ぜったいに、伝わらない。


 セオドアは、掴んでいたマリスの髪を再び見つめ、そして……


 そして、そこに、セオドアの、唇を落とした。


(!!!!!)


 マリスの声にならない悲鳴が上がった。

 でも動いてはいけないと言われたから動かなかった。

 もしかしたら動いて良いと言われても動けなかったかもしれない。


 長い口付けのあとに、セオドアがようやくマリスの髪を手から離してくれた。


(ぜったい、ひゃくなんか、とっくに、すぎてる!)


 マリスも、もうどうしようもないくらい真っ赤だ。

 そしてまだ動けないマリスに対してセオドアは言った。

 まさしく太陽の微笑みを湛えて凛々しく。

 でも、結構なことを言い放った。


「いいかいマリス、心して、聞くように。

 今のは、私からの、王太子からの、純然たる、『嫌がらせ』だ。

 そして、私はこれからも、これから先ずっと、ずーーーーっと、マリスに『嫌がらせ』をする。

 今後、私の君への『嫌がらせ』は、こんなもの、では済まないからね。

 覚悟して欲しい。

 私の決意は、君への想いは、こんな生半可なものじゃない。

 そして、忘れないで。君に『嫌がらせ』していいのは、未来永劫、わたし、だけだ。

 いいね?」


 ◇◇◇


 ごくごくたまに見る夢がある。


 誰かが呼んでいる。シャールかな?

 振り向いたときに顔に髪がかかる。

 短い黒髪。子供の頃だ。


 ここはどこなのだろう。

 そうだ、これから大会を見るのだ。剣術大会の応援だ。

 ずっと楽しみにしていたのだ。

 シャールは出ないけど、シャールの友達を応援するんだ。

 わくわくする。


 柱の陰から、誰かが急に飛び出して来てびっくりした。

 男の子?

 すごく細い子だな。

 暗い顔をしているけど、どうしたのかな? お腹痛いのかな?

 太陽みたいな金の髪をしているのに。


 男の子は言った。


「どうしてここにいるの?」


「剣術大会を見に来たのよ。すごい楽しみ!」

「楽しみ? 僕は言われて仕方なく来ただけ。剣術なんてつまらない。見たくない。

 君みたいに小さい子がここにいる意味が分からない」

「ん? 小さいとか関係ないから! 私、大きくなったら天下一の剣士になる予定だから」

「おっ、そうなんだ。すごいね」


 小さいと言われてちょっと怒っちゃったけど、すごいという言葉が嬉しくて、気を取り直して言った。


「剣術は楽しいよ。鍛錬は辛いこともあるけど。仲間と一緒だと頑張れるから。

 あなたは仲間がいないの?」

「仲間はいる。でも仲間も辛そうだ。鍛錬は本当に辛い。いつも逃げ出したくなる」

「そうかー。私も、もう走れんって思うときあるなあ。

 でもさ、目標があれば頑張れない? 強くなるとか、剣術大会で優勝するとか」

「……目標……考えたこともなかった。毎日鍛錬が辛くて、考えたこともなかった」

「……なんかすごい頑張ってるんだね。絶対強くなるよ!

 そしたらさ、やっぱり目標立てようよ! 目標立てるの応援するよ。

 応援、私得意だから」

「目標立てる応援? なんか変だな。でも面白そう」


 暗い顔をしていた少年の、優し気な薄茶色の瞳が少しだけ笑った気がした。


「そうだ! いいこと思いついた! 大きくなったら、私と対戦してよ!

 そしたらなんか、私ももっと頑張れそうな気がしてくる!」

「君、天下一になるんだろ? そうか。天下一の剣士って凄そうだね。

 そんな凄い人と試合するって……なるほど、ちょっと興味無くも無いな。

 なんか、すごい技とか出てきそうだもんな……」


「そうそう! 口からさ、青い火の玉吐いちゃったりとかさ!」

「おおお! 強そうだ! 相手のさ、時間を止めてその間に剣を奪うとかどう?」

「何それ! 凄そー! そんなのやってみたい!」


「セオ! こんなところにいたんですね」

「早く行くぞ。怒られて、懸垂させられるぞ」

「そうだな。済まない。急ごう」


 再び険しい顔に戻った少年は、同じ歳くらいの少年らに連れられて行ってしまった……




 そうだ。そんな、なんか変なことがあったの忘れてたな……

 あの、暗い顔してた男の子、元気にしてるかな?

 まだ鍛錬やってるかな?

 今度会ったら、対戦したいな!


                              「了」

短編で、番外編:『消したはずだが』投稿しました。


本編、続編の為に、「東の隣国、西の隣国」を「東の王国、西の王国」に修正して行きます。

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