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45 この世の春のはずだが(二十年以上前のこと)

 今より二十年以上前のことだ。


 西の隣国の王女だったナターリエが、ゼントラン王国の王子ステファンに輿入れしてしばらく経った頃、ステファンがもうすぐ王になるための戴冠式を控えるという頃。

 ステファンはまさにこの世の春を謳歌していた。


 王になることは、別に望んでいたことではない。

 ただ、ナターリエにしてあげられることが増えると思えばやり甲斐も出て来る。

 良き王になるように努めよう。

 ナターリエのために努めよう。


 ナターリエはステファンの初恋の人だ。

 側妃や弟王子から虐げられていたステファンの心を救ってくれた救世主だ。


 ナターリエは、ステファンが初めて会った頃から、周囲に(おもね)らず、媚びず、自分の道を自ら切り開く強い人だった。

 とても眩しい女の子だった。


 そんなナターリエの姿を見て、ステファンは、自分が自分の不幸に酔っていたことを気付いた。

 嘆くばかりで日々を漫然と過ごしてきたのだと。


 自ら不遇の中にどっぷり浸かって、ただ悲しんでいるが、それでいいのか?

 何もしなくて、それでいいのか?


 ステファンはまず、ナターリエのことを知りたいと他国の情勢を学び、政治についての見識を広めた。

 ナターリエが武術の達人だと聞いて、自分も体を鍛えてみたりもした。

 体を鍛えること自体は上手くいかなかったが、健康になってより勉学に励むことができるようになった。


 弟王子に対してもステファンが卑屈だった態度を改めた途端に、あっちから離れて行った。

 弟王子はステファンが弱弱しく泣いている姿を楽しんでいたのだ。

 せっかく殴っても毅然と睨み返されてはおもしろくないと、弟王子は絡んでくることをやめた。


 西の隣国からの支援だとか、災害や不作が続いたゼントランの復興だとか、そういう大事なことを忘れてはいけないが、ステファンにとって、本当に一番最も何よりも、本当に本当に大事なことはナターリエその人なのだ。

 そのナターリエが、なんと、今は自分の妻として、すぐ横に居るのだ。

 こんな幸福があるだろうか!


 ステファンは、そのとき、愛する妃を驚かせようと、手に花束を持って、二人の寝室から妃の部屋へ続く扉をこっそり開けた。

 扉には鍵が掛けられていない。


 ナターリエが支度を終えた頃だろうと予想していたのだが、その通りだった。

 ナターリエは一人で部屋に居た。

 侍女も一緒のはずだが、侍女はちょうど部屋を出ているようだ。

 ナターリエは気配に敏い人だが、どうしたのだろう、今は、ステファンがやってきたことに気付かない。

 窓の外を思案気に眺めている。


 ステファンは声を掛けるタイミングを計ろうと、部屋を見渡した。

 ローテーブルの上には、何か箱のようなものがあって中が見えた。

 絵のようなもの? 誰かの顔のような……


「失礼します。ナターリエ殿下、お待たせ……」


 侍女が、急いだ様子で戻って来た。

 慌ててナターリエが箱に蓋をしに走る。

 ナターリエが言う。


「……み、見た?」

「……は、はい。あの、でも、ええと、ちゃんとは見ておりません。殿下」


 どうしたのだろう、後ろ姿のナターリエの耳がなんとも赤い。

 ステファンを不安な気持ちが襲う。


「あ、あの、秘密にして……欲しいの」


 ナターリエが狼狽えたのに対し、侍女はにっこり笑って言った。


「あの、ナターリエ様、わたくし、ちゃんと見えたわけではないのですよ。

 それに、そういうことは女子には大事なことです。

 わたくしも実はときどきやっております。

 わたくしの愛する人は夫ですけど、旅役者の絵姿を、その、こっそり大事にしております」


「いえ、あの、これは、違う、のだけど……でも……やっぱり、違わない、かもしれないわね。

 あの、これは、とても大切なもので、わたくしの……は、初恋の……」

「まあ! ナターリエ妃殿下、『初恋』も女子には大切なものですわ。

 初恋の頃を思い出してときめく心がお肌を輝かせるそうです。

 大事にいたしませんと」

「そ、そう、そうかしら」


 ステファンは、自分の心臓から汗が流れているのを感じた。

 ステファンの初恋はナターリエだが、ナターリエにもどこかに『初恋』が、在ったのだ。

 考えてみれば、ステファンは自分の予想外の大幸運に浮かれていたが、対してナターリエはどうなのだ?


 ステファンは……嫌がられては無いとは思う。

 ナターリエは二心の無い誠実な人だ。

 でも、でも、でも、でも。

 自分がナターリエの最愛だという確信は、どの棚を探せば置いてあるのだ!


 そのとき、侍女が言った。

「ナターリエ様、そのさっきのですが……ソードと読めたのですが……」

「うっ! 言わないで、もう言わないで!」


 ステファンの心臓から汗だけじゃなくて血まで流れ出て来た。

 ソードと言えば、ステファンも知っている。

 ナターリエが負けて泣いていた、あのときの対戦相手の名がソードという剣士だったはず。

 さっきの絵のようなもの、顔に見えた、あれはソードの絵姿なのか。

 ナターリエはソードの絵姿を眺めて、自分の初恋を想っていたのか。

 いや、ナターリエは今でもソードを想い続けているのか。


 ソードは、ナターリエを負かすほどの、大変優秀な剣士のはずだ。

 何度も剣術大会で優勝していると聞く。

 武芸の道を行くナターリエなら、強いソードが想い人だというのも納得だ。

 逆にソードぐらいでないと、ナターリエが恋い慕う相手になり得ない。

 貧弱で運動の苦手なステファンなどは………………比較にもならない。


 そのあとすぐに、ナターリエと侍女が部屋を出て行った。

 ステファンはしばらく動けず、花束を握り締め、ただ、心から流れ出る血を眺めていた。

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