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37 疲れているはずだが

 ―― 襲撃事件、マリス騎士 ――


 マリスたちにカフェで偶然会ったシレーヌの外出は、公的な用件でもなくそもそも暗くなる前に邸へ戻る予定でのことだった。

 シレーヌは侍女一人と公爵家の護衛騎士を一人連れただけでカフェを訪れていた。



 その一人だけの護衛騎士は手練れの賊が急に襲ってきた際に、腕をざっくり切りつけられてしまう。

 公爵家の馬車を襲ってきた賊は二十人ほどもいて、しかも、訓練された者たちだ。


 だが、エゼルセフ公爵家の馬車には、精鋭の王太子の護衛騎士と、王立騎士団所属で王太子の武術指南役を務めるマリス騎士も護衛として帯同している。

 マリス騎士はまったくひるまない。

 そして、シレーヌを守るように馬車を背にし、賊を次々に倒していく。

 王太子の護衛騎士も、手練れの賊が襲ってくるのをよく食い止め、賊が連携できないようにしてマリスを助けている。

 公爵家の護衛騎士も、怪我を負いながら御者を守り、なんとか応戦する。



 しかし、賊の一人に馬車ごとシレーヌと侍女が攫われた。

 だが、マリスは落ち着いて賊に立ち向かい、ほとんど倒してから、王太子の護衛騎士に後を任せ、馬車が去る前にマリスが付けた目印を頼りにして、馬で馬車を追った。

 馬車が動き出したときにマリスが咄嗟に投げた革袋には、騎士団で使う特殊な塗料が入っていたのだ。

 夜道でも訓練したものが見れば見つけることができるその塗料が、道に雫となって残っているのをマリスは追って行ったのだ。



 襲撃現場から馬で馬車を追ったマリスだが、馬車は案外近くの運河沿いの窪地に乗り捨てられるみたいに置いてあった。

 シレーヌの侍女が中にいて気を失っていたが無事そうだ。

 侍女には悪いが急ぎシレーヌを追うことにした。

 騎士団の隊員が探しに来れば、この馬車は発見されてすぐに侍女も救出されるだろう。


 見渡すと、運河のだいぶ先の方で動くものがあった。

 あちらは運河を進むためにだろう、船上から行き先を照らす明かりをつけているが、人目を忍ぶような様子が伺える。

 船には何かが積まれているようだ。


 マリスは視力もいいのだ。

 叔父のシャールはもっとすごいのだがマリスもなかなかに目がいい。


(見つけた。あれだ)


 船に乗っていたのは、タチアーナの侍女であるニーナだ。

 さっきまで侍女其の二だったはずの、西の隣国からタチアーナの侍女としてやってきたニーナが、この時間に、この場所で、人目を忍ぶように黒いローブを頭からすっぽり被って船に乗っている。

 なぜか。

 あの船でシレーヌを運ぶためだ!

 運ぶ理由は分からないが、ニーナが偶然ここに居合わせたというのは、どう見てもおかしい。

 怪しさしかない。


 船は結構先まで進んでいる。

 マリスはとりあえず行けるところまで進もうと再び馬に乗った。

 この辺りは運河と、運河に平行に走る細い通路や橋が交差していて、船のスピードも出せないが、馬が通れるような道もなくなってしまう。

 とにかくシレーヌを無事に救出するために、マリスは船の手前で静かに馬から飛び降りてそこから先は走った。


 船は目立たぬように進んでいる。

 運河は王都内で様々な方向に張り巡らされているが、王都の外側を流れる川にも繋がっている。

 が、川に出るには関門がある。

 少人数で人目を忍ぶ様子からして護衛騎士が多数詰める関門は通らないだろう。

 そうすると、目的地は王都の中のはずだ。


 暗いからか、慣れないからか、船は比較的ゆっくり進んでいる。

 このくらいなら、王都外周ぐらいは軽く走れるマリスだ。

 とは言え、走っているだけではだめだ。

 携帯食を少し持っているが、競技会に出るような準備は無い。

 体力が削られる計算もして、シレーヌを救出する余力も残さないといけない。


 シレーヌはご令嬢だ。

 不安なことはこの上ないだろう。

 早く救出して差し上げたい。

 そのためには、とにかく行けるところまで付いて行こう。

 どこまで行くのかは分からないが、もしマリスの体力が尽きそうになったら、人のいるところへ駈け込んで助けを求めないといけない。

 マリスは王都の地図を頭に思い浮かべながら足を動かす。


 後から来るであろう捜索隊に何か目印を残したいと思ったが、今はシレーヌを見失わないように注意を逸らさないことの優先順位が高いと判断して目を凝らす。

 そしてマリスはひたすら走った。



 さてマリスは。

 元気だ。

 城下散策で疲れている気がしたが、そもそも急時には筋肉が反射的に反応するようにできているマリスだ。

 しかも今、救出しようとしているのは、あのシレーヌだ。

 ケビンの大切な大切な、『青き大輪の薔薇君』様だ!


 ケビンの大切だからじゃなくてマリスだってもうシレーヌが大好きだ。

 お綺麗だし。お綺麗だし。


 だけじゃなくて、カフェではマリスに、令嬢のガールズトークという流麗な戦法を見せて下さった。

 可愛いものを見つける技量が突き抜けている。

 クッションの極々小さな刺繍を見つけて「マリス様、ほら」って見せてくれた。

 知識をひけらかす感じもない。素晴らしい。

 ケビンだったら壁の絵の遠近感がどうのこうの言い出すところなのに、シレーヌは、「音楽が聞こえてきそうですね」とか、「落ち着く色ですね」とか、多分こちらに合わせて単語を選んでくれている。


(シレーヌ様の方が私より誕生日は半年ほど遅い『出典:ケビン情報』けど、それでも頼れるお姉様って感じがする)


(シレーヌ様には妹君もいらっしゃる『出典:ケビン情報』から、お姉様の雰囲気がぴったり合うのだわ)


(しかもシレーヌ様は、筋肉にご興味がおあり『出典:ケビン情報』だとか!)


 さすがに今日の散策での主賓はタチアーナだったので、筋肉談義は控えたマリスだ。


(シレーヌ様を無事に救出した暁には、シレーヌ様と筋肉の話で盛り上がりたい! ものすごく楽しみ!)


(……そう言えば、シレーヌ様はセオドア殿下の婚約者になられることが、ほぼほぼ決まっている『出典:ケビン情報』んだったわ……)


 色々楽しい想像をしていたマリスだが、ケビンが本当に辛そうに笑って言っていたことを思い出した。

 なんだかそのときだけ、マリスの胸もちくっと刺されたような気がした。

 それを言っていたケビンが痛々しいほど切ない顔をしていたのだ。

 きっとケビンの痛みがマリスにも伝わって来たのだろう。



 と、なんとか走ってニーナの船に付いて来たマリスは、馬車が襲撃を受けた現場からだいぶ離れたところにいる。

 王都の外れの方にある貴族が週末に過ごす別邸のようなところに来ているのだ。


 その邸には運河が直接引き込まれていて、邸の建物のすぐ近くまで船が入って行けた。

 柵もないので、マリスは植栽の陰に隠れながら様子を伺った。


 船から降りたニーナは、同じ船に乗っていた黒装束に指示して大きな袋を運ばせている。

 あれがシレーヌなのか?

 邸の中からも人が出てきて、到着したニーナと何やら話している。


(なんか、でかした、みたいなこと言ってる)


 しばらくして、ニーナと、出迎えたキノコみたいな髪型の男も邸に入って行った。

 さて、ここからどうする?


 マリスは慎重に邸に近付く。

 番犬などはいないようだ。

 助かった。


 近付いてみなくても分かったが邸は随分大きい。

 ここなら、相当の人数が滞在できるだろうから、賊の隠れ家には打って付けに見える。

 それにしてもシレーヌの無事を確かめたい。


 マリスは更に進んだ。

 建物が大きくて外側からは、どこに何があるか見当もつかないが、外に明かりが漏れている大きな窓がある部屋を見つけたので、気配を消して覗いてみた。


(いたーーー! よかったーーーーーー!)


 マリスはバルコニーのようなところから近付き過ぎないように注意して、応接間のような部屋の中を伺った。

 そして長椅子の横でシレーヌが床に転がされているのを見つけた。


 シレーヌはあんなところに転がされて痛くないだろうか。

 体が動いてはいるが意識がはっきりしないような様子も伺える。

 手も縄で縛られている。

 マリスは………許せない! と思った。

 マリスの大切な、『青い薔薇のポット君』様なのに!


 ……とにかく落ち着こう。シレーヌは見つけられた。

 マリスは、室内で言い合っている男二人の様子に注視した。

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