32 もうすぐで邸に着くはずだが
―― 散策を終えて ――
結局、仕立て屋のサロンから王城へ帰る馬車に、マリスは乗らないことになった。
タチアーナはもちろんマリスと一緒に馬車に乗りたいと言い張った。
だがセオドアは、タチアーナがマリスにベッタリくっ付くのが気に入らない。
来るときは馬車に乗ってきたマリスに対し、セオドアは、「騎士は馬に乗るものだ」と、今更な理由でやはり言い張り、マリスは馬で戻ることになった。
タチアーナも疲れていたので、いつにないセオドアに面倒になって渋々従った。
マリスはいつでも着替えられるようにと馬車に乗せていた騎士の隊服に戻っていた。
因みに、泥玉問題は店の中なので問題無いと判断している。
外では帽子も被るし、そもそも、かなり日が傾いてきている。
そしてマリスは、セオドアとタチアーナのやりとりを眺めていて、武術鍛錬でマリスが受けた『嫌がらせ』を思い出した。
なんだがちょっと可笑しくなった。
『嫌がらせ』なのに、そんなに前でもないのに……結構懐かしい。
そういえば、マリスとセオドアには解かねばならない問いがあったような気がするが、とりあえず今は職務の方に専念しようとマリスは思った。
(なによ! セオドアが馬に乗ればいいのに! 来たときと一緒がいいのに)
「なによ! セオドアが馬に乗ればいいのに!」
思ったことは我慢しないタチアーナが怒鳴っている。
一方シレーヌは……元気がない。
マリスはシレーヌが心配だった。
だってケビンの大切な、青い薔薇『のポット』君様……なのだ。
すみません。ついつい、マリスはシレーヌの美貌のかんばせに、注ぎ口と持ち手を付けた妄想をしてしまう。
シレーヌの両耳の上辺りに付けると髪飾りみたいで可愛いのだ。
だってだって、ケビンがいつも呪文のようにシレーヌの話をするのだ。
ポットを大事そうに両手で抱きしめながらだ。
シレーヌ、シレーヌ、シレーヌと。
……妄想はいけない。今は気を引き締めねば。
マリスとしては楽しい一日だったがやっぱり疲れたようだ。
シレーヌもそんな感じだろうか。
シレーヌが分かりやすく落ち込んでいるのにセオドアも気が付いた。
考える。
「マリス騎士、エゼルセフ公爵令嬢を公爵邸までお送りするのだ。
予定外の職務で悪いが、そうして欲しい」
確かにそれが良さそうだ。
日没まで間がない。シレーヌの護衛は多い方がいいだろう。
セオドアは、マリスと、セオドアの護衛騎士も一人、エゼルセフ公爵家の馬車に馬で付き添わせることにした。
さすが完全体王太子!
王太子も来たのだからマリスがタチアーナの警護を抜けても良いだろう。
王太子は仕立て屋まで一人で馬に乗って来たらしいが、後から王太子の護衛も追い付いて到着している。
警護の人数は足りているはずだ。
それにもうすぐ薄暗くなるから、マリスの泥玉問題の心配も少ないだろう。
さすが殿下!
王太子が言うなら、誰も、文句は言うまい!
今度はタチアーナが歯ぎしりしてセオドアを睨んだ。
その後ろで、タチアーナが完全に存在を忘れるくらいに、ただ付いて来ただけの侍女其の二の、ニーナが、込み上げる笑いを抑えるのに必死になっていた。
―― 何これ? あちらから現れてくれたなんて、すごくない?
予定よりだいぶ時間も遅くなって、暗くなって、都合良すぎ!
もう、一遍に仕事が済むってこと? 最高じゃない?
舞踏会なんて待つ必要ないじゃない。国に帰れるわ! ――
馬車と馬で、セオドアとタチアーナ一行が出立した。
エゼルセフ公爵邸は王城のすぐ近くに在る。
高位貴族ほど王城のすぐ近くに邸を構えているのだ。
その地位を示すように、エゼルセフ公爵邸は王城のすぐ目の前だ。
なので、王城へ戻る一団と公爵邸に向かう馬車は、結局同じ方向へ向かうのだが、公爵家の方は御者が手間取っており、あとから出発することになった。
車輪の軸に小さな傷が有るらしく、問題なさそうだが一応確認するそうだ。
しばらくして公爵家の馬車もゆっくり進みだした。
マリス、王太子の護衛、元からいた公爵家の護衛の合計三人の騎士が、それぞれ馬で付き従う。
辺りはだいぶ薄暗くなってしまった。
シレーヌの当初の予定から、邸へ戻る時刻はかなり遅くなっている。
王都の中心部の道は舗装もされていて馬車もスムーズに進むが、公爵家の馬車は先を行く国賓の馬車を間違っても追い抜かさないようにとの配慮もあって、速度を落として進んでいる。
シレーヌは暗くなっていく外を眺めながら、涙が出そうになるのを堪えていた。
カフェで、最初にタチアーナとマリスを見かけたとき、シレーヌはマリスを助けたいと思ってタチアーナに近付いたはずだ。
そのときはケビンの幸せを考えることができていたのだと思う。
でも、セオドアの登場で、シレーヌはケビンの幸せより自分の幸せを優先する考えを持ってしまった。
恋に没頭して自分勝手な感情に振り回されている人たちをシレーヌは軽蔑して見ていたと思う。
己を律する力がない愚かな人たちだと。
なんのことは無い、自分もそちら側の人間だったのだ。
そして、不甲斐ない自分を知ったことよりも、周囲を見下していた自分の傲慢さに改めて気が付いて、シレーヌは愕然とする。
馬車は貴族のタウンハウスが集まる辺りを少し超えて、大きな公園に差し掛かった。
エゼルセフ公爵邸は、まだこの先だ。
シレーヌはぼんやりと外を眺め続ける。
外はもう暗い。
瞬間、薄闇の中からチカチカ光るものがシレーヌの目に入った。
(何かしら?)
シレーヌがそう思った瞬間、もともとゆっくり進んでいた馬車だがそれでも急にガクンと停まった。
外がなぜか騒がしい。どうしたのだろう。
「シレーヌ様! 絶対に馬車から出ないで下さい。
侍女の方! 内側から鍵を掛けて!」
声を掛けてきたのはマリス騎士だ。
何か……良くないことが起きているようだ。
恐怖心がもの凄い速さでシレーヌの背中を競り上がってくる。
「お嬢様! 伏せましょう!」
馬車の内鍵を掛けた侍女がシレーヌに声を掛けた。
侍女も震えている。
外から金属と金属がぶつかり合うゾッとするような音が続く。
シレーヌは息をするのがやっとだ。
「ぐっ!!」
しばらくして、誰かが呻く声とドシンッという大きなものがすぐ近くで落ちる音がした。
恐ろしさが更に増す。
ガタタンッッ
そして、シレーヌを乗せたまま馬車が急に動き出した!
おかしい。
シレーヌを守ろうとする者が動かしているなら、シレーヌに声を掛けるはずだ。
嫌な汗が出て、眩暈もする。
侍女も顔面蒼白だ。
馬車はかなりのスピードを出して、どこかに向かっていく。
馬車の揺れと恐怖で立ち上がれない。
シレーヌは侍女と抱き合うようにして、蹲るしかなかった。
馬車は、暗い道をどこかへ向かって進んでいった。




