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31 マリスのはずだが

 マリスと言う人は、黒髪の凛々しい女性で、武術の達人で、セオドアよりも強くて、でも奢らず素直で飾らない人で、春の日差しみたいに温かく、実は少し甘い花の香りが微かに匂う、そして誰より輝く、………可愛いい人だ。


 しかし今、セオドアの目の前にいるのは、胸元の開いた燃えるような赤いドレスを纏ったマリスだ。

 その胸元には緑色の大きな宝石も光っている。

 妖艶ですらある。でも恐ろしいほどの品格に満ちている。

 彼女の内面から滲む正しさと姿勢の美しさが堕落した空気を作らないでいるのだ。

 うっかり邪心を持ったら、見ているこちらの方が焼き尽くされてしまいそうだ。

 そうだ。神のようだ。戦いの女神だ。

 子供の頃にセオドアが図鑑で見たどこかの国の軍神が、今、目の前にいるのだ。


 セオドアにはまだ、マリス以外の人間は、目に入らない。

 いや、セオドア以外も、その場にいる者たちはマリスに魅入られていた。


「すごいでしょ! マリスってとっても綺麗なのよね!」


 多分、タチアーナがしゃべっている。


「このドレスは、あるときに閃いて作成したものです。恐縮ですが、着こなして下さる方がこれまでおられなくて、眠っていたものなのですよ。でも、こんなにお似合いになる方がこの世に存在したなんて、……本当に感激です!」


 芸術家肌の仕立て屋の女主人は、啓示を受けたがごとく一心不乱に作ったドレスが、着こなせる人を待ったまま眠っていることに大変残念な想いをしていた。

 可憐な令嬢にも、かと言って退廃的な色香漂うマダムにも似合わないドレスなのだ。

 しかし、倉庫に眠っていたそのドレスが、今日で日の目をみたことに大満足している。


 タチアーナと仕立て屋の主人が、口々にマリスを褒め称えているようだが、セオドアにはほとんど聞こえない。

 もう、マリスが麗し過ぎて…………


 誰だ。どこかの王太子のことを生きとし生けるものの理想形などと言ったのは。

 吟遊詩人だったような気がするが、そんな理想形、このマリスの前では塵も同じだ。

 ……違うな。マリスは神で天上界の住人なのだ。

 少なくとも地上の生き物であるセオドアと同列に語ってはいけなかった。


「あ、あのー……もうお終い?……でいいんですよね?」


 マリスが仕方なさそうに手を挙げて言ったので、セオドアも皆も、マリスがやっぱりマリスだったと思い直した。


 もちろん、マリスは警護の職務に当たっている最中で、ドレスを仕立てになどやってきたわけではない。

 そしてその場全員の予想通り、タチアーナの我儘でドレスを着せられている。

 サーラも了承した。

 ただでさえ予定が押しているのだ。

 タチアーナの機嫌を損ねないようにして、城下散策を無事に終えねばならない。

 マリスは先程まで男装させられていたのだ。まあその続きだ。

 と警護要員たちはマリスを生贄にしてその場をやり過すことにした。

 しかし、男装もすごかったが、令嬢……女神の装いも、出来形が凄すぎる。


 やれやれとマリスは着替えをするために下がっていった。


「セオドア、ね? ね? マリスはすごいでしょ!」


 なんだかタチアーナは、自分の自慢をするみたいにマリスを褒め称えている。

 マリスがタチアーナの所有物になったみたいだ。

 セオドアはそれが(しゃく)に障って、タチアーナに冷たい視線を投げかけた。


「タチアーナ王女殿下、本日は楽しんで頂けたようで何よりです。

 明日の殿下のご予定にも障ります。

 私がお送りしますのですぐに王城へ戻りましょう」


 それでも、王太子としてセオドアは、国賓タチアーナ王女の機嫌を取ることは忘れなかった。


「あら、嫌よ。わたし、マリスと城に帰るから。

 セオドアは先に行ってよ。

 ……ん? そういえば、なんでここにいるの?」


 セオドアはタチアーナが誘ったときに忙しいと断っている。

 なのに、ここに来た。




 セオドアはフェリクスの連絡を受けてすぐ、慌てて出先から駆け付けたのだ。

 出先の用件もジャスティンに押し付けて馬を走らせた。

 なんのため、と言うことは考える余裕が無かった。

 ただマリスが何かに巻き込まれていて、おかしなことになっていると言うではないか。

 それだけで気が狂いそうな想いだった。


 もう分かった。

 さすがに分かった。

 なんでが分かった。


 自分が理想の王太子として在るために作り上げたものが壊れそうで、あれこれ理由を付けて誤魔化していた本当の心が見えた。


 セオドアの本当の心は、


 フェリクスにもジャスティンにも、タチアーナにだって、

 誰にも誰にだって、とにかく、もうとにかく、


 マリスを渡したくない。渡せないのだ。


 なんて自分勝手な感情だ!

 王太子が持ってはいけない感情だ。

 王太子じゃない自分は、封じ込めたつもりだったのに、そうじゃなかった。

 でも、王太子じゃない感情が、セオドアの感情が、ちゃんと残っていたのだ。

 気付いてしまったら仕方ない。

 もう、この気持ちは止められないし、止めたくもない!




 タチアーナはマリスの着替えを見に行った。

 セオドアは思わず歯ぎしりしながらタチアーナを睨んでしまった。



 その横で、ずっと見ていたシレーヌは、今度こそ間違えないで理解した。

 王太子の懸念がなんであったか。

 シレーヌはマリスのように鈍いタイプではない。


 しかし、シレーヌはどうしたらいいのだろう。

 マリスは、シレーヌの愛しい愛しいケビンの想い人、のはずだが……

 二人はお互いに想い合っているのだとシレーヌは考えていたが、それを確かめたわけではないことに、今更気が付いた。

 ケビンがマリスのことを大事そうに話すのを、シレーヌは胸をジクジク痛めながら度々聞いている。

 でもマリスの気持ちは、そう言えば知らない。

 とりあえずセオドアの気持ちは確定だが、こちらの件もやはりマリスについては分からない。


 でも、しかし、でも。

 もし、セオドアとマリスが愛し合うようなことがあれば、ケビンは諦めて、他の誰かを好きに……なるのだろうか。



 シレーヌは、思いっきり自己嫌悪した。

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