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28 滅多に起こらないはずだが

 青き大輪の薔薇とは、ゼントラン王国の社交会では、シレーヌ・エゼルセフ公爵令嬢のことを指す。


 シレーヌはその濃い青い瞳の美しさは元より、賢く気高く真面目でしかも頑張り屋だ。

 彼女が今持っている強さは、もちろん生まれながらの恵まれた出自によるものでもあるが、同時に彼女がそれに奢らず、地道に努力を重ねた結果でもある。

 王太子妃候補の筆頭であるとの呼び声も高い。

 本人に自負もある。

 だから、相応しくなるようにと、諸外国の情勢なども特別に教師を頼んで学んでいる。


 シレーヌは公爵家の長女で二歳下の妹がいる。二人姉妹だ。

 シレーヌが王族に入った場合、妹が婿を取って公爵家を継ぐという段取りを公爵はしている。

 だからシレーヌは何も心配は要らない。

 多くの貴族令嬢が不思議がる王太子の婚約者が空席であることも、シレーヌのように世情を読んでいる者には分かることだ。


 ゼントランでも有数の大貴族であるエゼルセフ公爵は、慎重な性格だ。

 自分の娘が王太子妃になったあとでも、東の隣国から新たに妃が迎えられるようなことがあれば、シレーヌは側妃に落とされ、なんなら暗殺される危険性もあると考えている。

 だからシレーヌがいつでも王太子妃になれる準備には余念がないが、一方で安易に娘を差し出すようなこともしないのだ。

 これまで、王城から何度もあった打診の打診にも慎重に答えている。

 シレーヌも心得ている。


 だからシレーヌは、同世代の令嬢がどんどん婚約や婚姻をしていっても何も憂うことは無かった。

 皆が恋などと言うモノに浮かれているさまも冷めた目で見ていた。

 そもそも貴族の婚姻に恋愛小説のようなやり取りは必要ないと考えていた。

 王族に嫁ぐのなら尚更だ。

 現国王と王妃は愛情で深く結びついていると言われているが、シレーヌのように立場の有る人間にとって、そんなものは奇跡でしかないのだ。

 奇跡は滅多に起こらないから奇跡なのだ。


 誰かが言っていた、たった一人にだけ、心が揺さぶられる一人にだけ、自分の心をもらって欲しいなどと考えるなんてことも、自分の生涯には、やはり起こらないのだと、シレーヌはそう信じていた。



「ほぉ……」

「お嬢様、また、ため息を付いておられますよ」


 侍女に言われて、シレーヌは物想いから覚める。

 今は城下に降りて評判だと言うカフェに来ているのだ。

 最近塞ぐことが多いシレーヌのために侍女が提案した。


 この侍女はシレーヌが何に憂いているのかを知っている。

 シレーヌが彼に出会ったときに侍女も横にいたのだ。

 あの日シレーヌはあることで珍しく動揺して彼に抗議をしに行ったのだ。

 彼は予想に反して紳士的な人物でシレーヌは不思議と興味を持った。

 筋肉という未知の世界にも興味を持った。


 そのあと何かと理由を付けて彼の元を訪れた。

 忙しいだろうに、彼はシレーヌを鬱陶しがらず丁寧にシレーヌの疑問に答えてくれた。


 いつも美味しいお茶を綺麗な所作で入れてくれる彼に茶器も贈った。

 日頃の親切に感謝の意を込めてだ。

 侍女と一緒にどんな茶器がいいか悩んだが、侍女が「絶対にこれです」と選んだ茶器を彼に渡すときは、とても緊張した。

 期待した以上に大変喜ばれた。


 そしてシレーヌは基が勉強熱心な質なので、体術についての歴史と考察をまとめたものを彼に渡した。

 こちらも感激せんばかりに喜ばれた。

 初心者向けの教本に良いと写本を沢山作って、騎士団内で配っているそうだ。


 シレーヌは、……次第に、初めての恋に浮かれる自分に気付くようになった。

 多分最初に会ったあの日に、既に落ちていたのだろう。

 あの日シレーヌは彼に見惚れていたのだから。


「……その、どなたかに、ご相談……されてはどうですか?」

「……でも、ケ……あの方には……大切に想う方がいるのよ、わたくしの出る幕などそもそも存在しないの」


 シレーヌの想い人には想い人がいるようだ。

 シレーヌはあろうことか、想い人の想い人への非難を、想い人に告げに行ったのだ。

 喜劇のような自分のお粗末さに、恥ずかしさが沸き上がる。


(でもでも、この想いを秘めたままでいるなんてこと、辛すぎて、出来ない、わ……)


「ほおぉ……」


 シレーヌがまたため息を付いた。


 そのとき、カフェの入口に客がまとめて入ってきた。

 少しホールのようになっている場所で店の応対を待っている。

 カフェは個室もあるが、今日のように天気が良い日はガラス戸をあけ放ったテラス席が人気だ。

 シレーヌもそちらに掛けていた。

 テラス席は個室ではないので入り口側の様子も見える。


 どうやら今入ってきた客に対して、店側は大変恐縮して対応している。

 よっぽど高位の人物らしい。


 次の瞬間シレーヌは愕然とした。

 その集団の中心にいた人物の顔が見えたからだ。


 西の隣国から国賓としてやってきたタチアーナ王女だ。

 タチアーナの評判は知っている。

 直接挨拶をしたこともある。

 シレーヌでなくても彼女を知る者は多いだろう。

 彼女は有名人だ。悪い方のだ。


 性格が破綻していて、無教養で、しかも聞いている方が恥ずかしくなるような(ただ)れた男性関係の噂を宝飾品のように纏っているのだ。

 それなのに、「セオドアの妃になりたい」と、そこここで言い廻っているという恥知らずの見本のような王女だ。

 絶対最上級の劣悪王女なのだ。


 警護のような人間も周りにいるので勝手に出てきたわけでは無いと思う。

 しかし呑気に城下を散策していられる情勢でも無いはずだが。


 加えてタチアーナはそれは美しい少年のような若い男にべっとりと寄り掛かっている。

 王女は本当に下品だ……



 ふいにシレーヌが席を立ったので侍女は驚いた。

 しかもシレーヌはタチアーナの方へずいずい歩いて行く。


 シレーヌは気が付いたのだ。

 あの美少年の正体に。


 なんてことだ!


 ケビン隊長の、……シレーヌが焦がれるケビンの、想い人であるマリス騎士が、愚劣なタチアーナのおもちゃにされている? ではないか!

 シレーヌは震える拳を握り締めてタチアーナの正面に立った。

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