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14 愛妻家のはずだが 1

 ごくたまに見る夢がある。


 誰かが呼んでいる。

 振り向いたときに顔に髪がかかる。

 短くて黒い髪?

 不思議な服も着ている。あの服は……


 ここはどこなのだろう。

 そうだ、これから大会を……見る……のだ。

 ずっと楽しみにしていたのだ。

 わくわくする。


 柱の陰から、誰かが急に飛び出して来てびっくりした。

 男の子?

 随分細い。悲しい顔。辛いと言う。

 何やら顔に黒い落書きがある。……眼鏡も汚れている。


 男の子は言った。


「どうしてここにいるの?」

「……」


 夢の中で自分はなんと答えたのだろう。思い出せない。




 名君の誉れ高いゼントラン王国の現王ステファンは、大変な愛妻家としても知られている。

 そしてもちろん、「誰よりも尊重されている」という自負が常にナターリエ王妃にも有る。

 だが同時にナターリエには分かっている。


 今でこそ、この王国を統べるステファンであるが、実は子供の頃から長く、幽霊のように存在しない者として父である当時のゼントラン王から扱われていた。

 そのステファンが王になれたのは、ひとえに西の隣国のおかげだ。

 ゼントランから王女の輿入れを要望された西の隣国は、「長子のステファンを王にするなら、我が王女ナターリエをその妃とさせても良い」と条件を付けたのだ。

 もし西の隣国が条件を付けなかったら、ステファンの弟が王になっていただろう。

 だが、西の隣国から妃を迎えたいと強く望んでいたゼントランは、条件を呑んでステファンを次代の王に据えることにした。

 だから、ステファンはナターリエを絶対に軽視できないのだ。


 分かっている。

 ステファンの誠意はすなわち愛だ、と言えなくもない。しかし。

 鉄拳王女と言われ、陰で周りから揶揄われていたナターリエなのだ。

 そんな残念なナターリエと、王になるために、そして国益のために、ステファンは婚姻を結んだのだ。

 実際、ゼントランの今の平和と繁栄は、ナターリエがゼントランの王妃になるならという条件の下で、西の隣国から多大な支援を受けたこととは切り離せない。


 だから、(ひるがえ)って見れば、ステファンがナターリエに誠意をくれたように、ナターリエはゼントラン王国に貢献できる王妃でなければならない。

 ナターリエはそんな意志をいつも胸に抱いていた。



 そして、ナターリエにはもう一つ思うところがあった。

 ナターリエは嫁いできてすぐにセオドア王子を儲けた以降、子を成すことができなかった。

 そのことで、どんどん自分を追い詰めてしまった時期がある。

 ステファンには、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 ステファンは「ナターリエ以外は、側妃も妃妾も絶対迎えない」ことをナターリエにも臣下にも明言しており、後継者を産むという責任はナターリエの肩にかかっていた。

 ステファンがナターリエを唯一の妃として敬ってくれることで、ナターリエは涙が出るような嬉しさを感じる一方、徐々に、ステファンに報いられない自分が情けないと思うようになった。


 子供ができやすい、という触れ込みに飛び付いて、十三人の子を成していた異国の奇術師夫婦に勧められ、怪しげな苦いお茶を飲んでいた時期もある。

 しかし次の御子の懐妊の兆しが得られない。



 そんな中、ちょうどセオドアが六歳になって、武術鍛錬を始めようかという頃とナターリエが精神的に追い詰められていた時期が重なった。

 ナターリエはセオドアの武術指南を自らが担うと言い出した。

 鍛錬の内容は……大変厳しいものになった。


 もしかしたら、ナターリエが産む子はこのままセオドア一人だけになるかもしれない。

 ステファンは絶対に側妃は召さないと言っている。

 セオドアに何かあったら……あの陰険なステファンの弟が、王の後継者として名乗り出てくるかもしれない。

 だからセオドアを誰よりも強くしなてくはいけないのだ。

 ナターリエはそんな考えに取り憑かれていた。


 一方でまだ幼いセオドアは、始まった母の鍛錬が大変厳しいことにショックを受けた。

 それでも当初は、これは王子として当然やるべきことなのだと信じて従っていた。

 というより、鍛錬の辛さに感情を失わせるような日々が続いていて、何も思わないようになってきていた。



 三年ほど経って、王妃の鍛錬が行き過ぎていることを教えてくれる者がいた。

 その者とは、ステファンの弟、つまりセオドアの叔父だった。


 確かに行き過ぎていたのだから、セオドアもその忠告が腑に落ちた。

 急にやる気が失せた。

 しかも、その忠告にはもう一つの話が付いて来た。


「セオドア王子、母君ナターリエ様には想い人がいるんですよ。

 それは王様ではありません。私は知っています。

 内緒ですよ。知られたら、王様が可哀想でしょう。

 ともかく、ナターリエ様は王様と王子を裏切っています。

 賢いセオドアはナターリエ様を信じてはなりませんよ」


 鍛錬が無かったなら……セオドアはこんな話を信じたりはしなかっただろう。

 しかし、セオドアはナターリエのしごきに鬼気迫るような空気を感じていた。

 だから、疑念が湧いて来てしまった。

 ナターリエにはもしかしたら本当にどこかに想い人がいて、それでセオドアを疎んでいるのではないか、と。

 そのために必要以上に厳し過ぎる鍛錬を課すのだ、と。

 そんな考えが浮かんでしまった。


 ちょうど、運悪くなのか、セオドアはフェリクスから「王妃の想い人」のような存在が実際に居るらしいと聞く。

 ナターリエはその人の絵姿を度々眺めているのだそうだ。

 愕然とした。


 しかもだ。セオドアは子供ながらに聞いていた。

 そのことは、やはり叔父から昔聞いたような気もする。

 そのこととは、セオドアの祖母君にあたるステファンの生母が、まだ子供だったステファンを捨てて国から逃亡したという話だ。

 当時、王の正妃だったこのステファンの母は、あろうことか愛人と駆け落ちをしたのだ。

 ステファンが王子時代に苦境に立たされていたのも、この事件のせいだ。


 これは信じられないような醜聞であったが、実際に起こったことだった。

 だったら、ナターリエは、……現王妃も、……母上も、そうするかもしれない?

 セオドアはナターリエに不信感を抱いた。



 鍛錬に身が入らない。

 仮病も使った。

 鍛錬の時間に隠れて出て来ないこともあった。

 そのことで余計にナターリエはセオドアに厳しさを増す。悪循環だ。

 鍛錬はとにかく辛いだけの時間だった。


 王族に武術の心得は必要なのだと父王からも説かれたので、セオドアも渋々従ったが、それでもやる気が無いのに力も出るはずがない。

 フェリクスやジャスティンが居なかったら、子供のセオドアは精神を病んでいたかもしれない。

 いや、実際病んでいたのかもしれない。

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