13 ポット……のはずだが
夕刻、騎士団本部に戻ったマリスは武術指南の報告書を持ってケビン隊長の執務室を訪れた。
ちゃんとノックしてちょっと待ってからドアを開けた。
ケビンはこういう礼儀とか所作とかにうるさい。
マリスの故郷に今も住むケビンの母がそうだからだ。
そしてマリスが将来困らないようにと、ケビンとケビンの母とで結構高いレベルでの礼儀作法の指導をマリスに施した。
マリスはまったく気が付いていないが淑女教育に準ずるレベルの所作を身に付けさせられている。
しかも意外なようだが武術の鍛錬と礼儀作法には通じるところもあった。
マリスの鍛えた体ならではの姿勢の良さも際立つ。
普段マリスは育った故郷の話し言葉を使うが、要求されれば令嬢の真似事ぐらいはできる。
なのでマリスは、所作の科目がある女騎士枠の試験を受けなかったが、例え受験していたとしても合格できただろうし、命じられれば、所作の素養を求められるような要人警護もこなせるのだ。
ケビンの母は王都のとある伯爵家の侍女頭だった。
そしてケビンの父はその伯爵なのだ。
ケビンは貴族の庶子で伯爵の家で生まれたが、伯爵夫人から冷遇されて母子で逃げるように片田舎に身を寄せた。
そこがマリスの故郷だったのだ。
ケビンは伯爵家の血筋だと言わずに騎士になっている。
元よりそんな許可を伯爵家に得に行くことすら憚られる。
若くして隊長になったのはひとえにケビンの実力と人柄なのだ。
マリスはケビンをとても尊敬している。
自慢の兄のような存在だ。
マリスはドアをそっと開けた。
隊長職のケビンに基本夜勤は無いが、それでも時折、執務室で合間に体を休ませなければならないほど業務が重なることもある。
ケビンはマリスの苦情処理係でもあり、そんなことでケビンが忙殺されていることにいつもマリスは申し訳なく思っている。
執務室のドアから廊下には光が漏れていたがノックにケビンは応答しなかった。
仮眠しているに違いない。
報告書を置いてそっと退室しよう。
音を立てないようにしてマリスは部屋に入った。
ケビンは……、別に休んでいなかった。
執務机の前に立ち、花模様が描かれた陶器のティーポットを両手で持ち、そして………なぜかそれに唇を寄せていた。
花の模様は濃い青色で描かれていて……薔薇だろうか、優美な絵柄だ。
「「…………」」
マリスが入ってきたことに気が付いたケビンとマリスの目が合う。
いや、合ったがマリスはすぐに目を逸らした。
見てはいけないものを見た気がする。
ケビンは喉が渇いていたのだろうか。
いいや、だからと言ってポットに口を付けるのはおかしいだろう。
そんなことは作法にうるさいケビンなら当然分かっているはずだ。
いやいや、マリスにすら分かっている。
そもそも、お茶を飲むためにケビンはポットに唇を寄せてはいない。。
あれは……そんな感じではなかった。
あれは……マリスの母がマリスの亡き父の皮手袋に時々やっていたのと同じだ。
母はその手袋に口付けして更にクンクン嗅いでいたけど。
マリスがこっそり真似して嗅いでみたら、手袋からカメムシの臭いがしたので母の奇行に戦慄したけど……
「お、起きてたんだ、ケビン。ノックしたんだけど、寝てるのかと思って、うっかり入っちゃった」
「お、起きてた。うんうん。起きてた。ノック? してたかもな。いやいや……
……み、み、見た?」
(えーえーえー、それ聞くの?
気付かなかった体で、報告書だけ渡してすぐに帰ってしまおうと思ったのにそれ聞くの?)
マリスは天を仰いだ。
いやマリスにその手の話は無理だろう。
でもその手の話だと言うことだけはマリスにも分かった。
だってケビンの顔が、夢見るような瞳が、赤く染められた頬が、ポットにそっと寄せられた唇の形が……マリスにだって分かってしまった。
マリスは誤魔化すのが苦手だ。
「み、ミテナイ…トカ?」
ケビンは、うっかり恥ずかしいところを見られたことで動揺し、一方で誰かに聞いて欲しかった想いとが重なって、この世で一番くらい向いてないだろうマリスに、少し前に出会ったケビンの愛しい人の話を語ってしまった。
筋肉と対話するとか言っちゃうマリスにだ。
次回「愛妻家のはずだが」を週明けに




