10 抗議に来たはずだが
「本当に許し難く思いますわ! あの騎士、殿下の、王太子殿下と……、
とにかく! 女性の、あの騎士! 破廉恥な行いで、王太子殿下の品位に、品位に、なんてことを!」
本日のマリスに対する抗議は書簡の代わりに本体がやって来た。
本体は侍女を伴って現れたうら若き女性だ。
どこのご令嬢かと思ったら、ケビン隊長の執務室前にいたのは公爵令嬢のシレーヌ様だった。
自分の執務室に戻って来たケビンの青い顔が更に青くなる。
シレーヌ様のお父上は国政にも口が出せる立場にある高位貴族中の高位貴族だ。
公爵家の長女であらせられるシレーヌ嬢は十九歳。
一目で引き付けられる華やかな風貌と国際情勢にも通じる才媛で、特に宝石のような濃い青い瞳が世の男性を魅了せずにはいられないという社交界きっての青き大輪の薔薇君だ。
そして貴族なら婚約者がいて当然の年齢だが、王太子妃になるために全ての縁談を断ってきたという御方でもある。
本人の自負だけでなく周囲も納得の、王太子妃候補筆頭である。
「エゼルセフ公爵家のご令嬢でいらっしゃいますね?
私めは騎士団第四隊の隊長を務めております。
お話をお伺いいたします。どうぞこちらにおかけください」
ケビンは誠心誠意の笑顔を貼り付けて、王立騎士団第四隊の隊長に与えられた執務室のドアを開け、そしてドアを開け放したままシレーヌとその侍女を執務室の応接椅子に案内した。
隊長を名乗るにしては爽やか過ぎるケビンが恭しく応対したので、シレーヌはちょっと毒気を抜かれて「わ、分かりました」と案内に応じた。
もっと不満げ返されるか適当に誤魔化されると想定していたシレーヌは、ケビン自ら丁寧にお茶を入れて差し出したところで、しかし、抗議は忘れていなかった。
「わ、わたくし、昨日、自分の目で見ましたの!
あまりのことに昨晩は一睡もできませんでした!
噂話は信じておりませんでしたのよ。
あの、素晴らしい王太子殿下のことですもの。
指南役の件は何かの理由があるにしても、女騎士風情に現を抜かすようなことはあり得ないと……」
でもシレーヌは見てしまったのだ。
昨日はマリスが指導する武術鍛錬の日だった。
王宮の庭でセオドアとマリスが体術の鍛錬を行っていたのだ。
シレーヌに体術の知識はほぼ無い。
そもそもゼントラン王国の、特に貴族階級にとって武術と言えば剣術なのだ。
騎士団では異国に倣って騎士見習いや新人騎士の基礎訓練として体術を導入している。
とは言え、騎士団全体で見ると、やはり剣術の方が圧倒的に主流である。
一方、この国で体術を極めようとする者は特に体格に恵まれた熊のような御仁ばかりで誰でも安易に取り組めるものではない。
ともかく、一般的にはあまり広まっていない。
だからシレーヌは大変な衝撃を受けた。
セオドアとマリスが、男女の二人が、シレーヌからすると恐ろしく破廉恥極まりない行いを人前で晒していたのだ。
セオドアとマリスは両手を万歳するように掲げながら、お互いの手をそれは強く掴み合っていた。
そして、長時間に渡って見つめ合って(間合いを計って睨み合って)いたあと、一瞬体が離れた二人は、なんと再びきつく抱き合ったのだ!
抱き合う衝撃音まで聞こえた。
しかもマリスの来ていたシャツが破けて肩が露出するというアクシデントもあった。
あろうことか王太子は持ってきていた自分の上着をマリスに自ら着せたのだ。
そのとき……王太子の顔は赤かった!
運動のせいで上気していただけではない、とシレーヌは感じている。
最後の方はひとまず置いておくことにして、とにかく状況を把握したケビン。
こんなことは今日が初めてではない。
本当に今更なのだが、マリスは武術指南役を依頼されたとき剣術の指南だけに限定しておけばまだ良かったのだ。
剣だけ振るっていればきっと問題も少なかったに違いない。
しかしセオドアはマリスに体術の指南役も要求した。
マリスは応じた。進んでではないが応じた。ほんとは嫌々応じた。
とは言え本質的な問題についてマリスは分かっていなかった。
ケビンも残念ながら気付かなかった。
心労のせいで冷静な判断力が持てていなかったのかもしれない。
そのせいで更に心労を重ねる羽目になったのだが。
マリスは、幼少期から叔父のシャールに手取り足取り指導されたし体術の鍛錬で組手の相手は専らケビンだった。
騎士団に入ってからも同僚は男性ばかり。
一応マリスは隊服の下に厚手の布でできた胴衣を着用しているが、マリスの中ではそれで全ての懸念が取り払われている。
人それぞれ考えは違うのだが、繊細なことには注意が必要だという認識がマリスには薄かった。
ところでマリスは体術こそ、実は、武芸の誉れ高い叔父のシャールに匹敵するほどの腕前だ。
だからこそ一撃で武術に長けたセオドアを伸したのだ。
指導を受けたいという話は本来おかしくない。が。
しかしだ。
そもそも担架で運ばれると言う汚点をセオドアに付けたマリスに、人々が好感情を抱くわけがない。
そこへ来てマリスとセオドアが不用意なことに人前で体術の鍛錬を始めたのだ。
マリスには分かっていないがこれこそが、マリスの最大の失態だった。
マリスによる武術指南の話を聞いて、だいたい皆は剣術の稽古が始まるのだろうと思っていた。
そもそも剣術大会でセオドアはマリスに負けた。
だからマリスを師としてマリスに勝てる剣技を磨くのだと。
まあ走ったり体操のようなことはやるのかもしれない。
その認識だ。
ところが!
あろうことかマリスは鍛錬と称してセオドアと見つめ合いもつれ合い重なり合っているのだ!
抱き合ったままのそのままの姿勢で動かない(間合いを取っている)こともある。
加えてセオドアの組手の相手は必ずマリスなのだ。
これはちょっと見ていれば皆が気付く。
そして憤りが着火点を超える。
他にも二人、セオドアの側近であるフェリクスとジャスティンが常に同行していて一緒に鍛錬に参加しているのに、マリスが組むのは必ずセオドアなのだ。
そんなのを王城の庭園(屋外で植栽などを利用した鍛錬)や、回廊(柱などの構造物を利用した鍛錬)で、何度も見せつけられたら(見せては無いのだが)、体術に知識の無い者からすると抗議をせずにはいられないのだろう。
因みに、王太子本人側には言いにくいので、結果、全ての苦情・抗議・中傷・不幸の手紙はケビン隊長の元へとやって来るのだ。
「エゼルセフ公爵令嬢のおっしゃることはごもっともです。
ですが、エゼルセフ公爵令嬢、わたくしめに機会を頂けるようでしたら、このあと騎士団の訓練を見学しては頂けませんでしょうか?
エゼルセフ公爵令嬢がいらっしゃれば隊員の士気もあがることは間違いありませんし、エゼルセフ公爵令嬢がご覧になったという……その破廉恥極まりないという触れ合いが、武術の一環であることをご認識頂けると存じます。
御聡明と名高いエゼルセフ公爵令嬢のことで……」
「コホン」
「……」
「失礼しましたわ。あの、わたくしのことはシレーヌとお呼びください、隊長様」
シレーヌも「エゼルセフ公爵令嬢」が、ケビンの静かな熱弁の中ではちょっと長い気がしたのだろう。
「かしこまりました。それではシレーヌ様。
騎士隊員は王国の安全を守るために、日々訓練を行い武術の研鑽に努めております。
シレーヌ様がご覧になったであろう体術もその一つです。
マリスは我が隊のみならず王立騎士団の中でも体術の技量は指折りです。
シレーヌ様のお目汚しになるかとは存じますが、騎士隊員の務めと志に付いてはご理解頂きたいと思います」
ケビンは頭を下げた。
とても綺麗な姿勢だ。
洗練されている上になにより誠意が伝わるものだ。
シレーヌの周りに居る腹に一物有る人々には真似できない所作だ。
シレーヌはそれが新鮮で……ちょっと見惚れてしまった。
「シレーヌ様、マリスの衣服が破けたというのは予期せぬアクシデントかと存じます。
ただ、訓練中はよくあることでもあります。
ですがどうか、ご案内いたしますので騎士隊員たちの訓練をご見学頂けませんでしょうか?
そうすれば体術の重要性についてもご説明できると思います」
ケビンは重ねてシレーヌに提案した。
シレーヌはその提案に応じて案内を受けることにした。
これだけ言われて、正直、興味も湧かないでもない。
そのあと騎士隊員たちの組手による気迫溢れる訓練を隊長の解説付きで具に見たシレーヌは、侍女共々、筋肉の世界に目覚めてしまった。




