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ゆきのまちシリーズ

あらす

作者: 謎村ノン

 葬式が終わったばかりの夜、僕は山中の温泉街にある古びた旅館のロビーで、電気ストーブの前にソファを寄せて座っていた。

 暖炉の形をしたそのストーブは、作り物のオレンジの炎を揺らしていたが、炎の影はどこにも落ちず、ただガラスの奥で虚しく踊っているだけだった。雪の匂いが、外から細い隙間風に乗って忍び込んでくる。冷え切った空気の中で、その偽物の炎は、むしろ寒さを際立たせるように思えた。

 膝の上には、娘の依里(エリ)が座って、小さな声で「どんぐりころころ」を歌っていた。声は、か細く、ロビーの広さに吸い込まれていく。妻は仕事で来られなかった。僕と依里だけが、叔母の葬式に出るために、この山奥までやってきたのだ。叔母は、五十代半ばという若さで亡くなった。病名は、難病とだけ告げられたが、医師の説明はどこか曖昧で、僕の中には説明しきれない違和感が残っていた。ただ淡々と葬式が終わったという感じだった。

 ロビーの壁には、古びた護符が貼られていた。黄ばんだ和紙に、墨で描かれた子供の顔の護符だ。笑っているのか泣いているのか分からない表情で、目だけが異様に大きかった。その護符は、叔母が『守り神』だといっていたものだ。子供の頃、遊びにくるたびに見ていたが、今夜はなぜか、その顔がいきいきしているように見えた。紙の奥で、目がこちらを覗いているような気がして、僕は視線を逸らした。


 そろそろ部屋に戻ろうかと思ったとき、従業員用の扉が開いて、嵐さんが入ってきた。

 彼は、叔母の弟――つまり、僕の叔父だ。叔母と二人で、この旅館を、番頭として切り盛りしていた。嵐さんは、作業服の首にかけた手ぬぐいで手を拭きながら、少し枯れた声で言った。

「すいませんねえ。ぜんぜん、お構いできなくて」

 髭の切り口に白いものがぽつぽつ見える。以前、会ったときは、年齢不詳といっていいくらい若々しかったのに、今夜は一気に老け込んだように見えた。叔母の死が、それほどの衝撃だったのだろう。二人は、普通ではないくらい、仲が良かった。血の繋がり以上の何かがあったのかもしれない。

「姉も準備をしていたようでして、もう明日には、新しいオーナーがくる予定です。従業員で残っていた人達は、今日限りでしたからね」

 嵐さんは、旅館を手放すという。商売的には上々だったはずなのに、なぜだろうと思った。

 僕は、それを尋ねようとしたが、言葉が喉の奥で止まった。ロビーの隅に貼られた護符が、また視界に入ったからだ。墨の黒が、炎の揺らぎに合わせて、微かに動いたように見えた。


***


 嵐さんは、僕の隣に腰を下ろすと、しばらく黙っていた。

 電気ストーブの偽物の炎が、彼の頬に淡い光を投げている。光は、あまり温かさを持たず、ただ顔の皺を深く見せるだけのように思えた。

「姉さんは、強い人でしたよ」

 ぽつりと嵐さんが言った。声は低く、どこか遠くを見ているようだった。

「この旅館を、一代でここまでにした。誰も、真似できないこっです」

 僕は、頷いた。叔母は、確かに、気が強そうな人だった。

「でもね、強い人っていうのは、どこかで無理をしているんです。姉さんは……そういう人でした」

 嵐さんの目が、護符の貼られた壁に向いた。

「姉さんは、あの護符を信じていました。守り神だって。子供の頃から、ずっとね。あっしが、この家にやってきたときも、最初に教えられたのは、あの護符の前で手を合わせることでした」

 僕は、ふと息を呑んだ。

「この家に、きたとき……?」

 嵐さんは、ゆっくりと笑った。その笑みは、乾いていて、どこか痛々しかった。

「あっしは、姉さんの弟じゃないんです。本当は、ね。養子です。姉さんが、僕を拾ったんですよ。雪の日でした。あっしは、あの峠道で倒れていた。名前も、どこから来たのかも、覚えていなかった」

 僕は、言葉を失った。嵐さんの声の調子は淡々としていたが、様々な思いを抑えて話しているように感じた。

「姉さんは、言ったんですた。『あなたは嵐の日に来たから、嵐という名前にしましょう』って。僕は、その日から嵐になったんです」

 ロビーの空気が、急に冷たくなったように思えた。外の雪が、窓を叩いている。嵐さんは、護符を見つめたまま、さらに低い声で続けた。

「姉さんは、あっしに言ったんです。『この家には、子供の神様がいる。あなたは、その神様に守られている』って。あっしは、ずっと信じていました。姉さんが亡くなるまでは……」

 その言葉の語尾は、微かに震えていた。僕は、胸の奥に冷たいものが流れてゆくように思った。叔母の死は、ただの病ではなかったのか? 護符と嵐さん、その二つの影が、何かを隠しているのだと感じた。

 背中が冷えたのか、ぶるっと震えたとき、大人の話が分からなくて退屈したのだろう、依里がおねだりをする時の顔で僕の方を見た。

「ねー、なにか、お話、して?」

 もう寝かせた方がいいと思ったので、どうしようかなと迷っていると、嵐さんが話を語り始めていた。

「じゃあ、お話してあげよう」

 嵐さんは、依里の方に顔を向け、声を柔らかくした。

 ロビーの空気が、ふっと変わった。偽物の炎が揺れる音さえ、遠くなったように感じる。

 僕は、依里を膝に抱きながら、嵐さんの言葉に耳を澄ませた。

「これは、あなたの大叔母さんから聞いた話なんだけどね……」


***


「ヨシちゃん――大叔母さんの名前だよ――が子供だった頃は、隣の村――今は同じ町なんだけれど――との間には、街灯が一本もなかったんだ。日が暮れると、真っ暗になってしまって、とっても怖かったんだ」

 嵐さんの声は、穏やかな様子なのに、闇を呼び寄せるかのような響きを伴っていた。思わず、依里を抱く腕に力を込めそうになる。

「その日、ヨシちゃんは隣村の親戚の家へお使いに行ったんだ。一人でね。偉いでしょう? でも、帰るのが遅くなってしまったんだ。日が暮れるまでには帰るつもりだったのだけど、そのお家は、すごい商家でね、珍しいお菓子を食べたり、綺麗なお人形で遊んだりしているうちに遅くなってしまったんだって。帰ることになって外に出た時には、もうお日様が地面の下に、とっぷりと隠れてしまっていたんだね。月が出ていない夜で、ほんとに、道が真っ暗だったそうだ」

 僕は、護符の子供の顔を思い出した。あの目が、闇の中で光っているような気がした。

「ヨシちゃんは、預かった風呂敷を抱えて、雪道を急いだ。根雪を、かんじき――藁でできた、雪にめりこまないように靴につける道具だね――で踏みしめながらね。ぎしっ、ぎしっ……と」

 嵐さんは、わざと音を立てるように言った。その擬音は、僕の耳に生々しく響いた。

「ところがね、後ろから、同じ音が聞こえてきたんだって。ぎしっ……ぎしっ……ヨシちゃんは、おっかなくなって、一生懸命、早足で歩いた。すると、その音も、早くなる。ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ……」

 僕は、息を止めた。嵐さんの声で、ロビーの床が、まるで雪に変わったような感じがした。

「ヨシちゃんは、もう怖くてたまらなくて、全速で走った。走って、走って、家までたどり着いた。引き戸を開ける、その寸前まで、足音は聞こえていたそうだよ。ぎしっ、ぎし~っ……」

 嵐さんの声は、最後の音をゆっくりと引き延ばした。

 依里は、じっと聞き入っていた。僕は、背中に冷たい汗が一筋、流れているのを感じていた。

「……でも、ヨシちゃんは、風呂敷を落とさないで、ちゃんと運んだんだって。だから、お母さんに褒められたそうだよ。その風呂敷の中に何が入っていたかは、もう忘れたそうだけど」

 これでお話はおしまいと嵐さんが言うと、じっと聞き入っていた依里はパチパチと覚えたての拍手をした。

「ヨシちゃん、だいじょうぶ、だったの?」

「うん。でも、ヨシちゃんは夜道が怖くなってしまったんだね。だから、それからは、ヨシちゃんがお使いするときには、いつもあっしが一緒に行くようになったのさ……」

「ふーん」

 依里はケロッとしていたが、僕の方は、嵐さんの描写した足音が、まだ耳の奥で響いているように感じた。

 ……そういえば、叔父の話に出てきたこの町の親戚は、もう血筋が絶えたはずだ。その親戚は子供がいなかったから、叔母を歓待したということなのだろうか。


***


「ねえ、もっとお話、して?」

「そうだねえ、だったら……」

 嵐さんは、依里と話すのが本当に楽しそうに見えた。叔母と嵐さんの二人は、姉弟の立場を崩すことなかったのか双方とも独身で、当然子供もいなかった。だから依里が可愛いのだろうか、と思った。

 依里がねだる声が、ロビーの静けさに溶けた。嵐さんは、ゆっくりと顔を上げた。その瞬間、僕は、何かが変わったことに気づいた。

 彼の唇の端が、奇妙に曲がっていた。笑っているのか、歪んでいるのか分からない。目は大きく見開かれ、光を吸い込むように黒く沈んでいた。

「じゃあ、その後のヨシちゃんのお話をしましょうかぁ」

「うん、お願いーっ!」

 突然の嵐さんの表情の変化に、僕の心臓が、ひとつ大きく脈打った。背筋に、まるで、海鼠(なまこ)を押し当てられたような痺れが、首筋から腰へと流れ落ちていく。

 しかし、依里は嵐さんの変化に、まったく気づいていないようだった。

「じつはね、ヨシちゃんは、その親戚の家から、風呂敷より大事なものを、ちゃーんと運んできていたんだよ」

 嵐さんの顔が、変わり始めた。頬の肉が、ゆっくりと縮んでいく。

 皮膚が、内側に引き寄せられるように、たるみを失っていった。

 髭の白い切り口が、ひとつ、またひとつ、消えていった。そして、目はさらに大きくなり、黒い光を湛えたまま、子供の目に近づいていく。

 僕は、声を上げようとしたが、喉が凍りついていた。

 嵐さんの体は、みるみる小さくなっていった。肩幅が狭まり、腕が細くなる。作業服が、だぶだぶと余り始め、やがて床に落ちた。そこに立っていたのは、五歳くらいの男の子だった。旅館のはっぴを着ている。それが、妙に似合っていた。

「ああっ!」

 僕は、叫び声をあげていた。目の前の子供の顔は、護符に描かれた子供の神様と、寸分違わなかった。墨で描かれた笑みが、現実の肉に宿っていた。

「この家には、子供の神様がいる」

 その言葉が、脳の奥で反響した。叔母の声だったのか、嵐さんの声だったのか、もう分からない。

 依里は、ワケが分からない様子だったが、その子供を見て、きゃっきゃっと笑った。その笑い声が、僕の耳に突き刺さった。彼女は、友達ができたと思ったのだろう。僕は、立ち上がろうとしたが、足が動かなかった。膝が、氷のように固まっていた。

「叔父さん……?」

 僕は、かすれた声で呼んだ。子供は、にたりと笑った。その唇の端が、先程の嵐さんと同じように、奇妙に曲がっていた。


***


「叔父さん。おじさん、ここで寝たら、風邪ひくよう!」

 身体を揺すられて眼が覚めた。

 すると、五歳くらいの利発そうな子供が、眼前に立っていた。旅館のはっぴを着たその姿は、異様なほど自然だった。まるで、ここにいることが当然であるかのようだった。

 だが、僕の頭の中では、何かが崩れていた。叔母の葬式、嵐さんの声、護符の笑み――それらが、ひとつの円を描きながら、溶けていく。

「……ああ、古戸(こと)君?」

 僕は、かすれた声で呼んだ。名前が、どこから出てきたのか分からない。だが、子供は、にたりと笑った。その唇の端が、嵐さんと同じように、奇妙に曲がっていた。

 嵐さん? それは誰だったっけ?

「すまなかったね。それから、今日から僕のことは、お父さん、って呼んで」

 ……えーと。亡くなった叔母は、未婚の母で、この子を育てていたのだっけ? 可哀想な甥っ子をちゃんと育てねばと、寝起きでぼんやりした頭で、僕は、思った。叔母の遺言で、この旅館を売った遺産を貰うことになったわけだし。

「うん、お父さん」

 その瞬間、僕の中で何かが決定された。そうだ、僕は、この子の父親なのだ。そう思った。頭の中で、なにかおかしいと感じつつも、僕は、何故か、納得していた――叔母は、未婚の母だった。僕は、その子を引き取ることになった。そうだ、そうだったはずだ。旅館を売った遺産を受け取る代わりに、この子を育てる。それが、遺言だった。僕は、そう、信じた。

 僕は、壁にかかった護符を見た。視界の端で、護符が揺れている。紙の中の子供の顔が、笑っていた。いや、笑っているのは、目の前の子供だった。二つの像が重なり、ひとつになった。

 僕は、誰なのか。父親なのか、嵐なのか――。

 横を見ると、ソファで、依里が穏やかな寝息をたてていた。

「……お話、して?」

 彼女が、そんな寝言を呟いたように聞こえた。

 ロビーの偽物の炎が、静かに揺れていた。


(了)


こちらも、今はなき、ゆきのまち幻想文学賞に投稿したもののお蔵だしをAIで伸ばしたものです。私の代表作(?)の元ネタみたいな感じの話ですね。この年は、他にも何編か書きかけだったんですが、これだけ投稿されていた感じです。書きかけのものは、また完成させて投稿する予定です!(noteにも同時投稿しています)

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