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第三話 崩壊するステージと露見

地域の音楽ホールは、開演前から異様な熱気に包まれていた。

年に一度開催されるこの「ユース・ミュージック・コンテスト」は、プロへの登竜門として知られ、多くの音楽関係者やスカウトが視察に訪れる。客席は満員で、立ち見が出るほどの盛況ぶりだ。


俺、相沢湊は、客席の後方、PA卓に近い薄暗い場所に立っていた。

黒いパーカーのフードを目深に被り、黒いマスクをしている。ステージ上の光が届かないこの場所は、かつて俺が裏方として最も落ち着く場所だった。だが今日、俺がここに立っている意味は以前とは違う。


「おい、今日のゲスト枠、シークレットらしいぜ」

「噂だと、あの『NoName』じゃないかって話だろ?」

「マジで!? 生で聴けるの? やべえ、超楽しみ!」


周囲の観客たちが興奮気味に話しているのが聞こえる。

俺の正体を知らない彼らの期待感が、心地よいプレッシャーとなって俺の背中を押す。

そう、俺は今日、ただの観客ではない。主催者側からオファーを受け、後半の休憩時間にパフォーマンスを行うシークレットゲストとして招かれていたのだ。


だが、その前に見届けなければならないものがある。

プログラムのトリを飾る、エントリーナンバー12番。

『高城結愛 with Renji』。

俺を捨て、俺の曲を捨て、「本物」を目指した二人のステージだ。


「……さあ、見せてもらおうか」


俺は腕を組み、冷ややかな視線をステージへと向けた。

照明が落ち、MCが二人の名前をコールする。

割れんばかりの歓声と拍手。地元の有名人である結愛と、他校の実力者である神崎のユニットに対する期待値は、異常なほど高まっていた。


「結愛ちゃーん! 待ってました!」

「神崎! そのギターで魅せてくれ!」


黄色い声援の中、二人がステージに現れる。

スポットライトが彼らを捉えた瞬間、会場がどよめいた。

神崎は黒のレザージャケットに身を包み、堂々とした立ち振る舞いで愛機のストラトキャスターを構える。さすがに場慣れしており、そのオーラはプロ顔負けだ。


対して、ボーカルの結愛。

彼女は露出度の高い真紅のドレスを着せられていた。確かに美しい。その美貌は客席を魅了するのに十分な武器だ。

だが、俺の目は誤魔化せない。

彼女の足は微かに震え、マイクを握る指は白くなるほど力が入りすぎている。顔色はメイクで隠しているが、首筋には脂汗が滲んでいるのが見えた。

その表情は、これから歌う喜びではなく、断頭台に上がる囚人のような悲壮感に満ちていた。


「……大丈夫かよ、あれ」


近くにいた観客の一人が、ぽつりと呟いた。素人の目にも、彼女の緊張が異常であることが伝わっているのだ。


以前の彼女なら、俺が舞台袖で「大丈夫、俺が音響を見てるから。結愛の声は世界一だよ」と声をかけ、背中をさすってやっていただろう。その儀式があって初めて、彼女はリラックスして歌うことができた。

だが今の彼女の隣にいるのは、腕組みをして冷たく見下ろす神崎だけだ。


神崎がアンプの前に立ち、結愛に目配せもせずドラマーにカウントを出した。

演奏が始まる。

曲は『Crimson Wing』。

神崎の超絶技巧を見せつけるような、高速かつ複雑なイントロのリフが炸裂する。音圧が凄まじい。テクニックは間違いなく一級品だ。会場の空気が一気に張り詰める。


しかし、ボーカルが入るタイミングで、その空気は一変した。


「――闇を、切り裂い、て……っ」


結愛の声が、演奏の音圧に完全に負けていた。

マイクのボリュームの問題ではない。声量そのものが足りていないのだ。さらに悪いことに、入り出しのリズムが半拍遅れている。

神崎のギターが刻む正確無比なリズムに対し、結愛の歌は重たく、もたついている。まるで精巧な歯車に砂利を放り込んだような違和感。


「……え?」


客席の誰かが声を漏らした。

一番のAメロが進むにつれ、その違和感は不快感へと変わっていく。

音程が定まらない。フラット気味に揺れる音程は、聴く者の平衡感覚を狂わせるような気持ち悪さを伴っていた。


俺は小さく息を吐いた。

予想通りだ。いや、予想以上に酷い。

結愛の声は中音域に独特の艶があるのが魅力だが、この曲のキーはその美味しい帯域を完全に殺している。低すぎて声が出ないか、高すぎて喉を絞めるか。そのどちらかしかないメロディラインだ。


そして訪れた、サビ前の転調。

この曲の最大の難所であり、神崎が「見せ場」として用意した超高音のロングトーンだ。


「――羽ばたけ、紅の……ぁっ、ぐ……!」


悲劇は起きた。

最高音に到達する直前、結愛の声が裏返り、まるで鶏が絞め殺されるような無様な音がスピーカーから大音量で響き渡ったのだ。

「キィッ」というハウリングにも似た不快な音が、観客の鼓膜を突き刺す。


演奏が止まったわけではない。神崎は表情一つ変えず、完璧なギターソロへと突入した。

だが、結愛は完全にパニックに陥っていた。

歌詞が飛んだのか、それとも声を出すのが怖くなったのか。彼女は口をパクパクとさせるだけで、マイクからは荒い呼吸音しか聞こえてこない。


会場は凍りついていた。

失笑すら起きない。あまりの惨状に、観客たちはどう反応していいか分からず、ただ呆然とステージ上の「事故」を見守るしかなかった。


「……おい、どうなってんだ?」

「高城結愛って、あんなに下手だったっけ?」

「動画で見た時は凄かったのに……あれは加工だったのか?」


ひそひそとした囁きが、さざ波のように広がり始める。

その声は当然、ステージ上の結愛の耳にも届いているだろう。彼女の顔は蒼白になり、目には涙が溜まっているのがモニター越しにも分かった。


曲はラストのサビへ。

ここで挽回できなければ、彼女のキャリアは終わる。

結愛は必死に声を張り上げた。だが、一度崩れたリズムとメンタルは、そう簡単に戻るものではない。

ピッチはさらにズレ、声はかすれ、歌詞は意味不明なハミングに変わる。

隣で弾く神崎のギターが上手ければ上手いほど、結愛の無能さが残酷なまでに際立っていた。


そして、ようやく曲が終わった。

ジャーン、という最後のアウトロが鳴り止む。

いつもならここで万雷の拍手が起きるはずだ。だが、今日会場を包んだのは、パラパラという気まずい拍手と、困惑に満ちた沈黙だった。


結愛は肩で息をしながら、逃げるように俯いていた。

その時だった。

まだ照明が落ちていないステージ上で、神崎がギターのシールドを引き抜きながら、マイクスタンドに近づいた。

彼は結愛をフォローするコメントを言うのか。誰もがそう思った。


しかし、スピーカーから聞こえてきたのは、冷酷な宣告だった。


「……おい、お前」


神崎の声が、静まり返ったホールによく通る。

結愛がびくりと顔を上げた。


「な、何……? 蓮司くん……」

「何やってんだよ。俺の演奏、台無しじゃねえか」


マイクを通して響くその言葉に、客席がざわめく。

神崎は意図的にマイクを使っているわけではないようだったが、スイッチが入ったままのハンドマイクを握っている結愛に詰め寄ったため、二人の会話がすべて拾われていたのだ。


「ご、ごめんなさい……緊張しちゃって……」

「緊張? ふざけんな。練習の時からずっとこうだっただろ。お前、本当に才能あるのか? 実は全部、まぐれだったんじゃねえの?」

「そ、そんなことない! 私は……!」


結愛が縋るように神崎の腕を掴もうとするが、彼はそれを汚いものでも触るかのように振り払った。


「触んな。下手くそが移る」

「っ……!」

「やっと分かったよ。お前の動画の再生数が凄かった理由がな」


神崎は冷笑を浮かべ、残酷な真実を口にした。


「あれ、前の彼氏……相沢とかいう奴のおかげだろ? お前の下手な歌に合わせて曲を作って、ピッチ補正まで丁寧にやってくれてたんだろうよ。お前自身には、何の才能もなかったってわけだ」


その言葉が、会場中に雷のように響き渡った。

観客たちが一斉に顔を見合わせる。


「相沢? 相沢って、あの軽音部の地味な?」

「元カレがゴーストライターだったってことか?」

「うわ、マジかよ。じゃあ今までの『天才歌姫』って全部ハリボテ?」


疑惑が確信へと変わる瞬間だった。

これまで積み上げてきた虚飾の塔が、音を立てて崩れ落ちていく。

結愛は顔面蒼白になり、首を激しく振った。


「ち、違う……違うの! 私は……!」

「違わねえだろ。現に今、お前は俺の曲を一つも歌いこなせなかった。それが全てだ」


神崎はギターをスタッフに乱暴に預けると、結愛を見下ろして言い放った。


「俺はプロを目指してるんだ。お前みたいな紛い物と遊んでる暇はねえ。今日で解散だ。二度と俺に関わるな」


「ま、待って! 蓮司くん! お願い、捨てないで!」


結愛が泣き叫びながら神崎の背中を追おうとするが、ドレスの裾を踏んでその場に派手に転倒した。

ドン、という鈍い音がマイクに拾われる。

あまりにも無様で、あまりにも惨めな姿。


神崎は一度も振り返ることなく、舞台袖へと消えていった。

残されたのは、スポットライトの下で泣きじゃくる、メッキの剥がれた少女だけ。

会場からは、もはや同情の声すらなく、冷ややかな失笑と軽蔑の眼差しだけが注がれていた。

その中には、スマホを取り出して今の様子を撮影し、SNSに拡散し始めている者も多数いた。

『高城結愛、公開処刑』『天才歌姫の正体はゴーストライター依存の音痴だった』。そんなワードが、瞬く間にトレンドに入っていくのが容易に想像できた。


俺はフードの下で、小さく笑った。

ざまぁみろ、なんて言葉では足りない。

これが因果応報だ。

俺の才能を搾取し、踏みにじり、自分こそが特別だと思い上がった報いだ。

彼女が一番恐れていた「凡人以下」の烙印を、衆人環視の中で押される。これ以上の復讐はないだろう。


スタッフが慌てて幕を下ろし、結愛を回収していく。

会場がざわつき、異様な雰囲気に包まれている中、場内アナウンスが流れた。


『えー、ただいまより機材転換のため、少々休憩をいただきます。なお、この後……スペシャルシークレットゲストの登場です!』


そのアナウンスと共に、会場の空気が一変した。

「ゲストって誰だ?」「まさか本当に……」


俺はゆっくりとPA席を離れ、関係者通路へと向かった。

すれ違うスタッフたちが、俺のパスを見て敬礼し、道を開ける。

舞台袖に到着すると、そこには今まさに泣き崩れている結愛と、それを無視して帰り支度をしている神崎の姿があった。


「あ……」


結愛が俺の姿に気づいた。

涙で汚れた顔を上げ、信じられないものを見るような目で俺を見つめる。


「み、湊……? どうしてここに……」


俺は彼女の前で立ち止まった。

怒りも、悲しみも、もはや湧いてこない。ただ、汚れた路傍の石を見るような、無機質な感情だけがあった。


「湊! 助けて……! 私、どうしたらいいか……」


結愛が俺の足元に縋り付こうと手を伸ばしてくる。

かつては、その手が愛おしかった。その涙を拭いてやりたいと思った。

だが今は、ただ不愉快なだけだ。


俺は一歩下がって、彼女の手を避けた。


「……触るな」


以前、彼女が俺に言った言葉を、そのまま返してやる。

結愛が息を呑む。


「湊……?」

「俺はこれから出番なんだ。お前の茶番に付き合ってる暇はない」

「で、出番? 何を言って……」


その時、会場の照明が落ち、重低音と共に俺の曲のイントロが流れ始めた。

『NoName』の代表曲、『道化の独白』だ。

地響きのような歓声が、壁を隔てた向こう側から聞こえてくる。

「NoNameだ!」「本物が来たぞ!」


結愛と神崎が、驚愕の表情で俺を見る。


「ま、まさか……お前が……NoName……?」


神崎が目を見開き、信じられないといった様子で俺を指差した。

俺はフードを脱ぎ、マスクを外した。

そして、ニヤリと笑って見せた。


「ああ、そうだよ。お前らが『古臭い』と切り捨てた音楽が、今、世界で一番バズってる『NoName』だ」


「そ、そんな……嘘……」


結愛が絶望に染まった顔で呟く。

自分が捨てたものが、実はとてつもない価値のあるダイヤモンドだったと気づいた時の顔。

それを特等席で見られただけで、俺の胸のすく思いがした。


「じゃあな。見てていいぞ、俺の背中を。お前らが二度と立てない高いステージから見える景色を、俺が代わりに見せてやるよ」


俺は呆然とする二人を置き去りにし、光の溢れるステージへと歩き出した。

歓声が爆発的に大きくなる。

「NoName! NoName!」


マイクスタンドの前に立ち、俺は満員の観客を見渡した。

そして、舞台袖でへたり込んでいる結愛に向けて、心の中で最後の別れを告げた。


(さようなら、俺の青春。そして、高城結愛という虚像)


俺はギターを掻き鳴らし、咆哮した。

それは復讐の完了であり、俺自身の本当の人生の始まりを告げる産声だった。


かつての恋人が作り出した偽りの輝きは消え、今、本物の才能だけがステージに残った。

その残酷なまでの対比に、俺は震えるほどの快感を覚えていた。

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