悪役令嬢だと気づいた私は悪に染まりきる
これは乙女ゲーム『聖女の願い』に登場する悪役令嬢の過去の話。
どこまでも不遇で、彼女を悪役たらしめるきっかけとなった話。
だけど、少し違う。
なぜなら彼女はいずれ思い出す事になるのだから。
―――前世の『自分』というものを。
そんな『誰からも愛されなかった悪役令嬢』の物語である。
※
「来ないですね」
「そうね⋯⋯⋯⋯」
王宮のテラスで紅茶と茶菓子を用意し、私ことアセロナ・ヴィルハートは専属メイドのルーナ・マゼンタと共にある人を待っていた。
かれこれ1時間以上経つが、彼は未だに姿を表さない。
「はぁ〜⋯⋯⋯愛想つかれましたか⋯⋯⋯」
ルーナは私の前で独り言のようにそう呟く。
それを聞いて私の胸はギュッと苦しくなる。
「⋯⋯⋯まだいたのか」
そんな私の背中を刺すように、冷たく吐かれたその言葉。
言葉の主は金色の髪に金色の双眼を持つ男だ。
彼はため息をつくと、面倒くさそうに私の所へ来て向かいの席に座った。
そう、彼こそが私の待っていた人。
私の婚約者であるユリクス・バルハルト王子だ。
見ての通り私とユリクス王子の関係は良くない。
「全く律儀なものだな。親同士が勝手に決めた政略結婚だというのに。今更こんな茶会に何の意味があるというのだ」
「⋯⋯⋯意味が無いとは思いません。⋯⋯⋯今の内に交流を深めておくのは大切ですから⋯⋯⋯」
私はそんな定型文を口にする。
今までも何度か彼と茶会を行ってきた。
ほとんど会話をしない、時間が過ぎるのを待つだけの茶会を。
こんな茶会で一体どうやって交流を深めるのか、疑問に思う。
ユリクス王子はそんな私の戸惑いに気づいたのか口を開く。
「フンッ、それはお前の意思で言っている言葉ではないだろ。また父親か?」
「っ⋯⋯⋯⋯」
私は図星をつかれ動揺してしまう。
その様子を見てユリクス王子は呆れた表情を浮かべて言った。
「やはりな。まさに道具そのものだなお前は。もう少し自分の意思で行動したらどうなんだ。心のない、操り人形のようなお前と過ごすこの時間は退屈で仕方ない。はっきり言って不快だ」
そう言うとユリクス王子は席から立ち上がる。
紅茶にも茶菓子にも一切手を付けず。
「一つ言っておこう。いくら親が決めた婚約だからといって、俺はそう易々と従うつもりはない」
「えっ⋯⋯⋯⋯ま、待ってください⋯⋯⋯⋯! それはどういう意味で⋯⋯⋯?」
「今のお前と結婚するつもりはないということだ。分からないのか? まあ安心しろ。2年後、俺たちが学園に通うまでは今のまま婚約者ごっこに付き合ってやる」
ユリクス王子はそう口にすると私の元から去って行った。
残された私は椅子に座りこんだまま動けなくなっていた。
もし婚約破棄なんてことになってしまえば、私の存在価値なんて完全消えて居場所なんてもうどこにもなくなってしまう⋯⋯⋯⋯。
そう思うと吐き気がした。
そんな私にルーナはどこか見下しているような視線を向けてくる。
ああ⋯⋯⋯ほんと私って⋯⋯⋯ダメダメだ⋯⋯⋯⋯。
※
ヴィルハート伯爵家。
私はこの家に二人目の子供として生まれた。
兄であるハイゼン・ヴィルハートはとても優秀だ。人当たりが良く、魔法も使いこなせる。次期当主として文句のつけようがない逸材だ。きっと来年学園に入学しても上手くやっていけるのだろう。
対して私はどちらも中途半端⋯⋯⋯いや、それ以下だ。婚約者に好かれることすらも出来ないのだから。
屋敷に戻った私は今日のことを報告するため、父の部屋に来ていた。
父は私が話している最中も、視線は私の方ではなく机に置いている資料の方を向いていた。
そして私が話を終えると、父は「そうか」と興味なさげに言った。
「最初からお前に期待などしていなかったが、ここまで上手く事を運べんとは無能も良いところだな」
そう言ってため息を着く父。
ユリクス王子は端から私と馴れ合うつもりなんてなかった。
親同士の意向で決められた婚約に従いたくなかったから。私は彼に会う前から嫌われていた。
最初からこの政略結婚が都合よく進むはずがなかったのだ。
それでも私は好かれようと努力をした。だけどユリクス王子は一度も私に振り向いてはくれなかった。
「ユリクス王子もまだ子供だ。すぐに気づくだろう。婚約破棄がそう簡単なものではないということくらい。お前はそれまで私の言った事だけやっていろ。勝手なことをしてこれ以上状況を悪化させるなよ」
「⋯⋯⋯はい⋯⋯⋯。申し訳ありませんでした⋯⋯⋯⋯」
私はそう言って父に頭を下げる。
「⋯⋯⋯まったく、母さんの命と引き換えに産まれてきたというのに役立たずも良いところだ。少しはハイゼンを見習ったらどうなんだ?」
「⋯⋯⋯申し訳ありません⋯⋯⋯」
父が私を嫌う理由なんてよくある話だ。
政略結婚を拒んで愛する人と結婚した父。
そんな父は妻の命と引き換えに産まれてきた私を許さなかった。
小さい頃は今よりも私に対する当たりが酷かった気がする。
「お父様⋯⋯!」と呼んでもほとんど無視され、聞こえていないのかと父の服を掴んだ際には手を振り払われ「気安く触れるな」と怒鳴られた。
⋯⋯⋯その態度は今も変わらないか。ただ父と関わる事が減っただけだ。
父は私を愛していない。
興味すらない。
ただの道具としか見ていないのだろう。
道具である私は使うまで放置され、使うとなれば乱暴に扱う。それが父のやり方だ。
父は政略結婚を拒んだ身なので分かるはずなのだ。親に結婚相手を強制される事がどれほど嫌なことなのか。好きでもない相手と生涯を共に過ごすことを強制され、どれだけ相手に嫌われていても離れることは許されない。
そんなことを敢えて私にさせるのは、母の命を奪った復讐なのだろう。
それでも私はこの政略結婚を拒めなかった。
こうして言うことを聞いていれば、いつか父に認められると信じているから。
「もう良い。顔も見るのもウンザリだ。さっさと出ていけ」
「ッ⋯⋯⋯⋯。はい、失礼します⋯⋯⋯⋯」
父は私に棘のある言葉しかかけてくれない。親にそんな言葉を吐かれて心が痛まない子供はいるのだろうか。
少なくとも私は傷つく。
こんな父でもたった一人の親なのだから。
そうして私は部屋を追い出された。
私はそこからしばらく動けずにいた。
「これでも私、頑張ってきたのに⋯⋯⋯⋯」
何も成し遂げられず、父に役立たず呼ばわりされたことが悲しくて。
そんな私の前に兄様が来た。
父譲りの赤髪に紅く鋭い双眼を持つ。
「⋯⋯⋯お兄様⋯⋯⋯」
兄様は私を睨みつけて言う。
「邪魔だ。どけ」
そして私の体を乱暴に押した。
体の力が抜けていた私は抵抗も出来ずバランスを崩す。
兄様はそんな私など無視して父の部屋をノックし中に入った。
「おお! ハイゼン来たのか⋯⋯!」
私の時とは違う。
穏やかで明るくどこか弾んだ口調で話す父の声だけが最後に聞こえてきた。
※
その夜、私は夢を見た。
「⋯⋯⋯さん。この仕事変わりにやっといてくれる?」
「⋯⋯⋯さん。ごめん、今日急用ができて。残りの仕事片付けておいてくれない?」
そうしてデスクに置かれる大量の仕事。
白くどこか無機質なオフィスで毎晩のように残業をして家に帰る。
いつも夢に出てくる光景。
そして目が覚めれば忘れてしまっている。
見慣れないはずなのに全て理解できるし、どこか懐かしいとさえ思う。
そしてこの夢はいつだって家でPCを開いたところで終わるのだ。
「お嬢様! 起きてください!」
ルーナのその声で私は目を開ける。
彼女は呆れ顔で私を見つめ口を開く。
「はぁ〜⋯⋯。毎日毎日、ほとんど何もせず屋敷で過ごしているのに、どうしてこんなにも目覚めが悪いのか⋯⋯⋯。ほんとみっともないですね」
「⋯⋯⋯ごめんなさい、ルーナ⋯⋯⋯」
ずっと前からだ。
色々考えて不安になるせいで夜はすぐに寝付けない。そのせいで寝覚めは悪く、疲れが全く取れていないのだ。
「こんなんだから殿下に愛想つかれるんですよ⋯⋯⋯⋯」
そう言ってルーナは部屋のカーテンを適当に開けると忙しそうに早足で部屋を出て行った。
少しして再びルーナが朝食を持って部屋に入ってきた。
「朝食、ここ置いておきますので食べてくださいね」
そう言ってルーナは朝食の乗ったおぼんを部屋にある机に乗せて、すぐに部屋を出て行った。
ルーナは最初から私にあんな態度を取っていた訳ではない。きっと嫌われたのだろう。
なぜこうも私は関わる人皆から嫌われてしまうのだろうか。朝から私は憂鬱な息を吐き、ベッドから立ち上がる。
そして朝食の置かれた机に向い、椅子に座る。
私は父や兄様とダイニングルームで食事することを許されていない。
だからこうしてルーナが私の部屋まで食事を持ってきてくれるのだ。
だがその食事も父が一言言っているのかあまり良いものではない。
「まるで残飯ね⋯⋯⋯⋯」
適当に千切られたパンに形の揃っていない野菜で作られたスープ。
湯気なんて出ておらず、料理は既に冷めきっている。
「味気ない⋯⋯⋯」
それでも食べるしかないのだ。
これしかないのだから。
朝食を終えしばらく経った時のことだ。
部屋をノックもせず、誰かがドアを開けた。
そこには兄様の従者が立っていた。
「アセロナ様、ハイゼン様がお呼びです。動きやすい服装で来いと」
「分かったわ」
兄様からこう呼び出される時、何をするのか嫌でも想像がつく。
私は言われた通り、動きやすい服装に着替えて庭の方に出た。
「遅いぞ。いつまで待たせるつもりだ」
「申し訳ありません⋯⋯⋯⋯」
「まあ良い。すぐに始めるぞ」
私は兄様の向かいに立つ。
すると、
「<烈火弾>」
合図もなしに兄様から放たれたのは、丸い炎の球。反応の遅れた私はそれをもろに食らった。炎の球は小さな爆発を起こし、その衝撃で私は後方に飛ばられ地面を転がる。
「何をぼさっとしている。さっさと構えろ」
兄様に呼び出される時は大体こうして魔法の特訓が始まる。
この世界には火、水、風、土、花の5つの魔法と光という特別な魔法がある。
兄様は父と同じく<火の魔法>の使い手だ。
そして私は亡くなった母と同じ植物を操る<花の魔法>の使い手。
私は起き上がると、兄様に向けて魔法を放つ。
「<蔦掌>」
すると兄様に向けて細い蔦が勢いよく伸びる。
「<烈火弾>」
だがその蔦は兄様に届く前に燃やしつくされ、塵となった。
「こんなものか⋯⋯⋯。まるで成長していないな⋯⋯⋯⋯」
兄様は私を睨みつけながらそう言う。
魔法には相性というものが存在する。
私の使う<花の魔法>は兄様の使う<火の魔法>に滅法弱い。
どう足掻いたって私の魔法が兄様に届くはずがないのだ。もっと上位の魔法を使えれば話は変わるのかもしれない。だが私はこんな初歩的な魔法しか知らない―――教えられていないのだ。魔法について書かれている本は全て兄様が持っており、私は読ませて貰えない。
つまり兄様は私が魔法を上達する事なんて望んでいないのだ。
「<烈火弾>」
「カハッ―――!」
私は兄様の魔法に吹き飛ばされる。
「<烈火爆裂>」
兄様がそう唱えると、私のいる地面が赤く光る。そして爆発が起きた。
私は空に打ち上げられ、地面に背中を強くぶつける。
痛みで立ち上がることが出来ない。
「立て」
そんな私に兄様は容赦なくそう言う。
私は必死に立ち上がろうとするが、痛みで再び地面に戻される。
それでも私は必死に立ち上がろうとする。
だが兄様はそんな私を見て深くため息をつき。
「や、やめて⋯⋯⋯⋯」
「<烈火爆裂>」
再び魔法を使った。
その衝撃で私は更に後方に飛ばされて地面を転がる。全身がズキズキと痛む。
同時に兄様への恐怖が増大した。
「もう立てないのか。やはり失敗作だなお前は」
私は知っている。
兄様は私と魔法の特訓がしたい訳じゃない。私を痛ぶり、貶して日頃のストレスを発散したいだけ。
「不出来な妹を持つ俺の気持ちがわかるか?」
「⋯⋯⋯申し訳ありません」
私がそう言うと兄様は私の腹を蹴り上げた。
「カハッ―――! ゲホッゲホッ!」
衝撃で一瞬息が出来なくなる。
涙で視界が歪む。
「またそれか。謝れば何でも済むと思っているだろ」
謝って許されない事なんてもう痛いほど分かっている。
だが謝らなければもっと酷いことをされる。
そもそもこんな理不尽、謝る以外の選択肢なんて最初からないのだ。
「魔法は一向に上達しない。毎度の如く父上をイラつかせる。俺が父上の機嫌を取るのにどれだけ手を焼いていると思ってるんだ。ただでさえ使えない役立たずなのに、不利益しか生まないなお前は」
「⋯⋯⋯申し訳ありません⋯⋯⋯!」
「それはもういい。早く立て。特訓はまだ終わってないぞ」
「⋯⋯は、はい⋯⋯」
私は手足に力を入れ体を起こす。
「遅い!」
そう言うと兄様は「<烈火爆裂>」と唱え私に向けて炎を放った。
爆発音が庭中に響く。
その音が落ち着いた頃。
パチパチと誰かが拍手をしながら私たちの元へと近づいてきた。
「さすがなハイゼン。⋯⋯⋯素晴らしい魔法だ」
「ありがとうございます。父上」
ご機嫌な様子で兄様に駆け寄る父。
兄様も父の前では良い顔をする。
そして父は私にゴミでも見るような視線を送って言う。
「それに比べてお前はなんて有様なんだ。母さんの魔法を略奪して産まれたというのに実力は並以下ではないか。本当にお前は何も出来ないんだな。まるで周りを不快にさせるために産まれてきた呪い子のようだ」
私は確かに魔法の扱いが下手だ。
それに亡くなった母と同じ魔法を持ってる。でも母から略奪したなんて事は有り得ない。親の持つ魔法を子も得るなんて珍しい話でもないのだから。
呪い子だなんて言わなくてもいいじゃない⋯⋯⋯⋯⋯。
反応のない私を見て父は舌打ちをした後、ハイゼンの方に視線を送る。
「ハイゼン、話がある。少し来てくれ」
「はい。父上」
すると兄様は痛みに耐える私を見て、ニタリと笑みを浮かべ。
「無様だな」
そう言って父上と共に私の元から去って行った。
私は一人涙を流す。
どうして私はこんなにも不器用で、何一つ上手く出来ないのだろう。
どうしてみんなして私を嫌うのだろう。
どうして私はそれでも兄様や父を諦められないのだろう。
私は痛みに耐え、立ち上がるとトボトボと屋敷の中へと戻っていく。
服は汚れ、体は傷だらけ。
メイドたちの私を見る目は冷たい。
屋敷を汚してごめんなさい⋯⋯⋯⋯。
みすぼらしくてごめんなさい⋯⋯⋯⋯。
部屋の前に着くと、窓拭きをしているルーナが見えた。
「ルーナ⋯⋯⋯水とタオルを貰えないかしら⋯⋯⋯⋯」
「えぇー⋯⋯⋯⋯⋯」
あからさまに嫌そうな顔をするルーナ。
「⋯⋯はぁ〜⋯⋯これでいいですよね?」
そう言うとルーナは窓拭きように汲んできた水とタオルを乱暴に渡してきた。
「⋯⋯⋯ほんと邪魔しないで欲しい」
そう独り言のように呟くとルーナはそそくさと私の前を去って行った。
「⋯⋯⋯ありがとう⋯⋯⋯⋯」
誰いない廊下で私はそう口にした。
窓拭きに使っていた水⋯⋯⋯⋯。でも汚れている訳でもない。
―――もう、どうでもいいや。
私は水とタオルを部屋に運ぶ。
タオルに水を染み込ませて汚れた体を拭く。
「冷たッ⋯⋯⋯!」
掃除用で汲んできただけに、バケツの水は息が詰まるほどに冷たい。
そして傷に染みる。
そうして体を拭き、服を着替えた私はベットに倒れる。
瞳から自然と涙が溢れた。
『はっきり言って不快だ』
『だから愛想つかれるんですよ』
『呪い子のようだ』
『無様だな』
脳裏に浮かぶのはこれまでに言われた言葉の数々。その全てが私の心を抉っていく。
もう限界だ。
ユリクス王子には嫌われ、ルーナには面倒くさがられ、父には邪魔者扱いを受け、兄には見下された。
誰も私を愛してくれない。
好いてくれない。
理不尽に怒られ、暴力を振られ、それでも私は何も言えず従い続ける。
自分の意思を持たない道具。
ユリクス王子の言う通りだ。
「自分が嫌い⋯⋯⋯」
親に見捨てられる勇気がない。
他人に口出す勇気がない。
状況を悪くしているのは自分自身だ。
私がただ弱いだけ⋯⋯⋯。
―――もう弱い自分には疲れた。
もっと強い人間になりたいな⋯⋯⋯⋯。
※
その夜、私はまた夢を見た。
いつもの夢だ。
でもいつもと少し違った。
鮮明で、細部まではっきりしていた。
そして理解した。
これが私の前世の記憶であることを―――。
「花崎さん。この仕事変わりにやっといてくれる?」
「花崎さん。ごめん、今日急用ができて。残りの仕事片付けておいてくれない?」
前世の私は花崎 香織という名前だった。
会社勤めのいわゆるOLだ。
そんな私は社内で嫌われないようにと周りに気を遣い、優しく振る舞うようにしていた。
その結果、私は社内で嫌われずに済んだ、のかもしれない。だがその代償として私の仕事量は急激に増えた。皆から仕事を押し付けられるようになったのだ。
そのせいで毎日家に帰った頃には日付が変わっており、私の精神は徐々にすり減っていた。
そんな私の心の癒しとなったのがゲームだった。家に帰ってpcを起動した時の幸福感は忘がたい。私はゲームの中でも特に物語形式で行うアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームが好きだった。
色々な種類のゲームをやった。
『聖女の願い』という乙女ゲームもその中の一つだ。
このゲームは<光の魔法>を受け継ぎ、次代の聖女として産まれてきた主人公エルナ・ミセェルがメインヒーローのユリクス・バルハルト王子を始めとする攻略対象たちと学園を過ごし、仲を深めていくというすごく王道な乙女ゲームだ。
そんな本作で一番印象的だったのは悪役令嬢として登場したアセロナ・ヴィルハートというキャラ。
彼女はゲームでこう呼ばれている『誰からも愛されなかった悪役令嬢』と。
言葉通り彼女は誰からも愛されてはいなかった。婚約者や家族にすら。
過去の彼女は親から理不尽に怒られ、突き放され、と愛情を貰えない辛い日常を過ごしていた。そんな日々の中で彼女は徐々に精神をすり減らしていき、ついには性格が歪んだ。
ゲームでは『誰からも愛され、チヤホヤされる主人公』に嫉妬し、アセロナは主人公に陰湿な嫌がらせを始める。
最終的にそれがユリクス王子にバレて断罪されるという流れだ。
彼女は最後まで家族に認めてもらいたい、という一心で、ユリクス王子を手放したくなかったというだけだった。
なのに家族は誰一人として彼女を見なかった。
彼女の弱さに漬け込んで、道具のように扱うのみ。
何だかあの頃の私と似ていて、アセロナには酷く感情移入をしてしまった。
「花崎さんてほんと扱いやすいよね」
「分かる〜。適当な理由つけて頼めば何でもやってくれるし、最近はそのおかげで残業しなくて済んでるしね」
「あんた最近押し付け過ぎよ。潰れたらどうするの」
「その時はその時でしょ」
社内で偶然聞いたそんな会話に私の胸は何だか苦しくなった。
人とは何かを求めるものだ。
嫌われたくないとか、認められたいとか。
だが求めれば求めるほどそれは自分から離れてしまう。時には手放す勇気も必要なのだ。
弱さを見せれば都合良く利用されるだけ。
前世の私は何一つ断れなかった。
この会話も聞かなかった振りをした。
誰からも嫌われたくない、という弱さが自分を傷つけた。
結果として限界が来た。
過労死だ。
ほんと笑える。
私の望みは何一つ叶わなかった。
今思えば、あんな人達に嫌われたくないとか思っていた自分がバカらしい。
気を遣い過ぎるのも、優しくし過ぎるのも良くない。それはただ自分の弱さを誤魔化しているだけ。
弱い自分にはもう、うんざりだ。
そこで夢は途切れ、私は目を覚ました。
※
「そうだ。私、悪役令嬢だったわね」
ベットから体を起こし、ベットの横に置いてある姿見を見て、そう確信した。
何色にも染められないといわんばかりに黒いロングヘアーに、血のような紅い双眼。
寄りにもよってアセロナ・ヴィルハートに転生していたなんて⋯⋯⋯⋯。
誰からも愛されない不遇な断罪確定のお嬢様。
言葉にすると絶望する。
「神様はいないのかしら⋯⋯⋯⋯」
あれだけ前世で嫌なことに耐えてきたのに、今世はもっと嫌なことに耐えなきゃいけないの?
これまでアセロナとして過ごしてきた私の記憶を思い返すと吐き気がする。
こんな家族に認められるために頑張って、その結果断罪されたなんて⋯⋯⋯少し可哀想ね原作アセロナは⋯⋯⋯。
まあ主人公に対する嫌がらせは正当化できないけど。
今の私はこんな家族に思うところなんて何も無い。逆にやりやすいわ。
家族すらも求めなければユリクス王子に執着する必要も無い。そうすれば断罪される未来も消えるかもしれない。
そんな事を思っていたところ、ノックもなしに誰かが部屋のドアを開けた。
「お嬢様! 起きてください!」
私の専属メイドであるルーナ・マゼンタ。
アセロナの弱さを知り、彼女を舐めことを選んだ失格メイドだ。
原作では性格の歪んだアセロナに後々分からされていたわね。
まあだからといってこのままにするつもりもないけど。だって腹立つもん。
「何だ起きてたんですか⋯⋯⋯⋯。珍しい事もあるんですね」
そう言ってルーナは部屋に入ってくると、カーテンを適当に開けながら。
「今日みたいに毎朝ちゃんと起きていてくださいよ。朝起こすのも一苦労なんですから」
口の減らない子。
慎みというものを知らないのかしら。
今までアセロナが優しかったからそれが通用したのよ。
何だかサッパリしたい気分ね。
「ちょっと、うるさいわよ。早く洗顔用の水とタオルを持ってきてくれないかしら」
私はギロリとルーナを睨みつけてそう言う。
ルーナはいつもと様子の違う私に気づき、目を見開いて驚く。
「え? 今私に言いましたか?」
「あなた以外誰がいるのよ? 早くしてちょうだい」
「えっ⋯⋯⋯か、かしこまりました⋯⋯⋯」
ルーナは戸惑いを隠せていない様子でそう言うと部屋を出て行った。
そして数分後、ルーナが水の入った桶とタオルを持って部屋に戻って来た。
「これでいいですか!」
そう言って私の前に桶を置く。
乱暴に桶を置いたせいで中の水が跳ねて私の足に掛かる。
冷たい⋯⋯⋯。
少なくとも顔を洗うのに使うような水の温度ではない。
私はギロリとルーナを睨んだ。
ルーナは何ですか? とでも言いたげな反抗的な表情を私に向けてくる。
私は桶を手に取る。
そしてルーナに向けて中の水を全てかけた。
全身びしょ濡れになったルーナは困惑の表情を浮かべる。
「お嬢様⋯⋯⋯⋯? 一体何を!」
「ルーナ、私は顔を洗うと言ったのよ。なのにこんな冷たい水を良く平気な顔して持って来れたわね。あなたは水の温度もまともに測れないのかしら?」
「っ⋯⋯⋯⋯⋯」
ルーナは不機嫌な顔をして黙り込む。
「何か言うことはない?」
「⋯⋯⋯申し訳ありません」
吐き捨てるようにそう言うルーナの表情には反省の色などなく、未だに反抗的な視線を私に向けてきている。
「よくそんな目を向けられるわね。あなた私の事を舐めすぎよ。いくらこの家で除け者にされているからと言って、メイド一人追い出せないほど弱くはないわ。あなたはそれで良いの? 不始末で追い出されたメイドなんてどこも雇ってくれないと思うけど」
「そ、それは⋯⋯⋯⋯」
ルーナの表情が歪む。
「だけどそれも私が穏便にあなたをクビにした場合の話よ。もう少し態度を改めたらどうかしら? 生きていけなくなる前にね」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
ルーナは顔を青くする。
そして理解したようだ。もう私を見下すことは出来ないと。
「分かったなら、さっさと新しい水を持ってきなさい」
すると。
「⋯⋯⋯も、申し訳ありませんでした。今すぐご用意致します」
そう言ってルーナは頭を下げた。
そうして水を取りに部屋を出て数分後。
ルーナはノックをしてから私の部屋に入ってきた。
そしてぬるま湯の入った桶を私の前に丁寧に置くと、私の横で姿勢良く立つ。
随分と反省したようね。
私は桶に手を入れる。
「暖かいわ。ありがとう」
そう言って私はぬるま湯で顔を洗う。
気持ちいい⋯⋯⋯。
眠気が消えてスッキリする。
濡れた顔をタオルで拭き取り、それをルーナに渡した。
「さてと⋯⋯⋯⋯」
私はベットから降り、部屋を出ようとドアに向かう。
「お嬢様、どこに行かれるのですか?」
慌てた様子で私に駆け寄ってくるルーナ。
「朝食を食べに行くのよ」
「朝食でしたら私がすぐに⋯⋯⋯⋯」
「あんな残飯要らないわよ」
私は部屋のドアを開ける。
「お、お待ちください⋯⋯⋯!」
私はルーナの静止を振り切り、部屋を出る。
向かった先はダイニングルームだ。
ドアを開けると、朝食の準備を整えるメイド達の姿があった。
彼らは私を見て驚いた表情を浮かべる。
それを無視して私は中に入った。
するとメイドの一人が私に駆け寄ってき。
「お嬢様、どのようなご用件で⋯⋯⋯」
「朝食を食べに来ただけよ」
「朝食でしたら後ほど⋯⋯⋯⋯」
「冷めた残飯を持ってくるつもり?」
「っ⋯⋯⋯⋯!」
私がそう言うとメイドは動揺し黙り込む。
テーブルには2組分の食事しか置いていない。
私の分は当然のように無しか。
まあ今更どうでもいいわ。
私は料理の置いている席に座る。
暖かいスープに焼きたてのパン。
それに朝から肉料理があるなんて贅沢ね。
いかにも貴族らしい。
私はテーブルに置かれているナイフとフォークを手に取る。
「お嬢様! それは旦那様のお食事です!」
「そう。悪いけど私の分にさせてもらうわ」
あんなジジイにお肉なんて勿体ないもの。
私はナイフで1口サイズにお肉を切り、口に運ぶ。
「美味しい⋯⋯⋯」
柔らかい。それに味付けも完璧だ。
何より暖かい。
それだけでも満足だ。
「―――美味しかったわ。ごちそうさま」
元々父の分だったらしい朝食を平らげた私は席を立つ。
「シェフに言っておいて貰える。今日みたいなちゃんとした料理を私のところにも持ってきてって。残飯なんて持ってきたら許さないともね」
私は怒りの籠った視線をメイド達に向けてそう言った。一瞬にしてダイニングルームの空気は冷める。
我ながら悪女そのものね。
そして私はダイニングルームを出ようとドアを開ける。
ちょうどクソジジイとクソ兄が朝食を食べに来たところだったため鉢合わせになった。
「アセロナ⋯⋯⋯?」
「チッ、何でお前がここにいる」
父親のくせに娘と顔を合わせただけで舌打ちとは⋯⋯⋯⋯毒親極まれりね。
「朝食を食べていただけですが」
「何だその口の利き方は! それに朝食だと? ここにお前の分が用意されているはずないだろ!」
「ええ、ですからお父様の分を食べさせていただきました。その歳で朝からお肉料理は応えると思いましたので」
私はバカにしたような笑みを浮かべてそう言う。
「お前⋯⋯⋯!」
父は顔を真っ赤にして怒る。
お前。娘を呼ぶのに名前を使わないなんてどれほど嫌っているのか。
大人げないわね。
「アセロナ、今の父上に対する態度は看過出来んぞ。ヴィルハートの人間としての規律くらいは守れ。父上に謝罪しろ!」
「謝罪ですか⋯⋯⋯。面白いことを言いますね。それなら先に今まで私に対して浴びせてきた暴言の数々を悔い、謝罪してください」
「何だと⋯⋯⋯」
「出来ないですよね。自覚もないんですから。もう良いですか? これ以上話すのはお互い気分を害するだけですし」
「⋯⋯⋯お前! その態度が自分の首を絞めるだけだと理解してやっているのか!」
父がそう喚いている横を私はさっと通り過ぎる。後方で「おい、待て!」と父が叫んできたが私は無視をして、すぐさま部屋に戻った。
お腹いっぱいね⋯⋯⋯⋯。
とても幸せな気分だわ。
さてと⋯⋯⋯。
そしたら復讐の準備でも始めましょうか。
どうせまた兄様が私をサンドバッグにするために来るでしょうし。
こっそり魔法の特訓ね。
原作知識はこの頭を入っている訳だし、<花の魔法>にどんな技があるのか私は全部知っている。もちろん兄様が教えてこなかった技もね。
確か魔法は声に出して詠唱をすれば使えるのよね。
「<蔦掌>」
そう唱えると蔦が現れた。
これは今までも使っていたわけだし、慣れたものね。
他には⋯⋯⋯。
と私は自分の部屋でこっそり魔法の特訓をしたり、と2日ほど好き勝手に過ごした。
そんなある時のことだ。
突如、部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。その耳障りな足音からは怒りの感情が読み取れる。
するとバンッ! と乱暴にドアを開けて兄様が入ってきた。
「お兄様、もう少し静かにドアを開けてくれませんか⋯⋯⋯⋯」
「黙れ。今すぐ庭に来い。魔法の特訓だ。ここ2日ほど大目に見てやったがさすがに規律を乱しすぎだ。ついでにその舐めた態度も直してやる」
ついでに、じゃなくてそっちが本当の目的でしょ。分かりやすい。
「⋯⋯⋯わかりました。服を着替えますので先に庭でお待ちください」
「今すぐに、と言っただろ?」
パジャマ姿で戦えというわけ⋯⋯⋯。
めちゃくちゃね。
⋯⋯⋯まあいいわ。
私は兄様について行き、屋敷の外に出る。
「構えろ。さっさと始めるぞ」
「はい⋯⋯⋯」
ここ2日で魔法も少しは形になった。
原作知識のある私にはアセロナの特徴もハイゼンの特徴もある程度なら覚えている。
全てを利用すれば勝てない試合では無いはずだ。
「<烈火弾>」
兄様はそう唱えるとバスケットボール程の大きさの炎の球を放ってきた。
私を殺すつもりなのかと思える攻撃だ。
<火の魔法>に対して<花の魔法>だけで対抗すればまず勝てない。
私は全力で走り、炎の球を避ける。
アセロナは兄様ほど魔法を上手く扱えないが、意外に運動神経はいい方なのだ。
体がすごく軽く感じる。
「<蔦掌>」
私はそう唱え、兄様に向けて蔦を放つ。
「<烈火弾>」
兄様は蔦を燃やそうと魔法を放つ。
それを見て私は直ぐに蔦を地面に落とし、炎を回避する。
蔦は土を削り、地下へと潜る。
「何だと⋯⋯⋯!?」
それを見て兄様は驚いた顔をする。
そして再び魔法を放つ準備をする兄様。
「無駄です」
魔法が放たれる前に私は地下深くに潜らせた蔦を一気に地上に上げ、兄様の足元から出現させた。
反応が遅れた兄様は蔦を燃やすことが出来ず、そのまま蔦に身体を拘束される。
「ほう。やるな⋯⋯⋯⋯。こっそり特訓でもしてたのか?」
「ええ、そろそろお兄様にも痛い目を見てほしいと思いまして」
そう言って私は兄様に巻き付く蔦に手を伸ばす。
「<薔薇棘>」
瞬間、蔦から小さな棘が生え薔薇が咲いた。
薔薇の棘が兄様を軽く刺し、痛みで兄様の顔が歪む。
それでも兄様には余裕があるように見える。
すると。
「 <烈火爆裂>」
そう唱えて兄様は自分自身を焼いた。
炎が落ち着くと蔦から開放された兄様が余裕そうな笑みを浮かべて現れる。
「チッ」
私は思わず舌打ちをする。
「応用的な魔法の使い方は評価してやろう。だがそれでは俺を倒すことなど出来んぞ」
<花の魔法>で<火の魔法>の使い手をそう簡単に完封できる訳ないでしょ。
不利属性何だし。
「それにしては少し焦っているようにも見えましたけど」
「フンッ、その舐めた態度もいつまで続くか見物だな。ここからは俺も少し本気を出させてもらう」
そう言って兄様は私に向けて手を伸ばす。
「烈火連砲」
兄様がそう唱えると無数の炎の球が私に向かって放たれてきた。
私は全力で走り、それを回避。回避しきれないものは<蔦掌>を盾にして防ぐ。
炎の勢いが強く、たちまち私の周囲は煙で包まれた。
それを見て兄様は魔法をやめたのか、徐々に煙は晴れていき視界が戻る。
そこにはニヤリと勝ちを確信したような笑みを浮かべる兄様の姿があった。私を確実に仕留めたとでも思っていたのだろう。
平然と立っている私を見て兄様はすぐに驚いた顔をする。
それが面白くて私はつい笑ってしまう。
「アハハハッ! お兄様、まさかこの程度で私を倒せると思っていたのですか? 考えが甘いのでは?」
「ほう。言うじゃないかアセロナ。あまり俺を舐めるなよ!」
兄様は顔を真っ赤にして怒りの籠った感情的な口調でそう言う。
煽られた事が相当効いているらしい。
無駄にプライドが高い人だし仕方ないわよね。
さてと⋯⋯⋯⋯。
私はゆっくりと兄様の方に歩みを寄せる。
「花の舞」
そう唱えると紅い薔薇の花びらが現れ、まるで花吹雪のように私の周囲を舞う。
その花弁の一つが兄様の頬を掠めたとき、そこから血が漏れ出てきた。花弁一つ一つがナイフのような切れ味を誇っているらしい。
「どうしましたか? お兄様。随分と驚いているようですが」
「アセロナ、その魔法をどこで覚えた⋯⋯⋯⋯!」
「さあ? 夢の中とでも言いましょうか」
これは<花の魔法>でもそこそこ上位の技だ。
不意打ちにはもってこいだと思い、この技の習得に全てを注いでやった。この瞬間の為だけに。
私を痛ぶりたいがために、兄様は私に初歩的な魔法しか教えなかった。さぞ驚きだろう。
私は徐々に兄様との距離を詰めていく、それに伴って兄様は私から距離を離す。
「どうして逃げるんですか? まさかこの程度の魔法にも勝てないとおっしゃるんじゃないでしょうね。有利属性のくせに」
「アセロナァァァ⋯⋯⋯!」
兄様は顔全体にシワが出来るほどに怒り、魔法を放つためか両手を私の方に向けた。
「烈火爆滅砲」
兄様の両手に炎が凝縮し、一気に膨張する。
それと同時に極太の炎の柱が放たれ、私の視界を炎で埋め尽くす。
これじゃあ兄様も私がやられたのか分からないわね。
私は企みの笑みを浮かべた。
炎が落ち着いても、周囲は濃い煙に覆われて先が見えない。さすがに兄様も疲れたようで少しぐったりしている様子だ。
だがその顔には勝ちを確信したような笑みが浮かんでいる。
実に滑稽だ。
兄様には学習能力というものはないのかしら。
私は煙が完全に晴れる前に地面を蹴って、兄様の方に一気に間合いを詰める。
兄様の視界に私が入った頃にはもう、ガードすら出来ない距離感だった。
「なっ!? ―――ガハッ!」
私の右拳が兄様の腹を抉る。
クリティカルヒットだったようで、兄様は息苦しいそうに、顔を青くしてその場に倒れ込む。
そんな兄様を私は蹴り飛ばし、仰向けにさせた。そして馬乗りになる。
「くそっ⋯⋯その動き⋯⋯⋯教えてもいない魔法で⋯⋯⋯! 俺を出し抜くためにわざと隠していたな!」
そう叫ぶ兄様の顔に拳を叩きつける。
「当たり前じゃないですかお兄様。これは今までの復讐なんですから。しっかり食らってくださいね」
そう言って私は次々に拳を兄様の顔を振り下ろす。兄様は抵抗するが私から逃れることは出来ない。
「ごめんなさい。運動神経は私の方が良いようですね」
「くっ⋯⋯⋯!」
そう言うと兄様は怒りの表情を浮かべる。
そして魔法を唱えるつもりか口を開けた。
「させませんよ。<蔦掌>」
蔦で兄様の口を完全に閉じる。
ついでに体も縛った。
これで詠唱はできない―――つまり兄様は魔法が使えない。
これで気が済むまで殴れる!
「アハハハハッ! アハハハハッ! なんていい気分なのかしら!」
私は日頃のストレスを全て拳に貯めて兄様にぶつける。
兄様は怒りでクシャクシャになった表情を私に向け、「んー! んー!」と閉じられた口から必死に声を上げる。
あまりの滑稽さに笑いが止まらない。
だが兄様のその表情は少しして消え去った。
兄様は顔を引き攣らせ、とてつもない恐怖を抱いている様子だ。私から逃げたいという気持ちが強いのか必死に抵抗を始める。
だが蔦で縛れている状態では逃げることなんて出来ない。
私は兄様に向けて言った。
「兄様も分かったようですね。痛みと恐怖が」
そして最後に全力の拳を兄様の顔にぶつけた。
私は立ち上がると兄様から離れる。
屋敷の方から誰かがこちらに向かってきているのが見えたからだ。メイドや⋯⋯父の姿も見える。兄様が変に強力魔法を使ったせいだ。さすがの騒ぎに見逃すことが出来なかったらしい。
まあ結構スッキリしたし、もういいわ。
兄様の顔はボコボコになっており、弱って立つことも出来ないようだ。
私は父やメイドが兄様に駆け寄るのを横目にこっそりと屋敷へ戻った。
「お嬢様! 着替えを用意しておきました!」
部屋に入ると、どこか怯えた様子のルーナがそう言って私の元に駆け寄ってきた。
「あら、気が利くじゃない」
私は魔法の特訓のせいで汚れた服を脱ぎ、用意された服に着替えた。
「紅茶を持って参りますね」
「ありがとう」
ルーナは逃げるように私の部屋から出て行った。
大方、私が兄様に負けるだろう、と踏んでルーナは窓から私たちの様子を伺っていたのだろう。そしたら私が兄様をボコりはじめたから怖くなったんじゃないだろうか。
窓からは兄様がメイドたちに肩を支えられながら屋敷に向かってくる様子が見える。
「フフッ」
面白くて自然と笑ってしまう。
そんなところにルーナが紅茶を注ぎにやってきた。実にタイミングが良い。
私はルーナの注いだ紅茶を一口飲む。
暖かい、そして気分がスッキリする。
「今日はとても良い日だわ」
「そ、そうですね⋯⋯⋯!」
ルーナは無理に笑顔を作ってそう言う。
わかりやすい子。扱いやすくて良いわ。
今日はもうやる事もないし、こうしてのんびり過ごそうかしら。
私はグッと伸びをする。
そうして数十分のんびりしていたところ、誰かが部屋のドアを開けた。
ノックを知らない礼儀知らずが多いわね⋯⋯⋯⋯。
そこには父の従者がいた。
「アセロナ様、旦那様がお呼びです」
ゆっくりしていたというのに、用があるなら呼び付けるんじゃなくて赴くのが筋じゃないかしら。
「こちらに来るよう伝えて」
「えっ⋯⋯⋯!? 本気ですか?」
「冗談で言うわけないでしょ。分かったなら早く呼んできて」
「は、はい。失礼致します」
そう言って父の従者は私の部屋を後にした。
「はわわわわ⋯⋯⋯! お嬢様! 旦那様がお怒りになったらどうするんですか!」
「うるさいわよ」
「ですがお嬢様⋯⋯⋯!」
「いい、ルーナ。怒るのってね体に毒なのよ。だからたまにはお父様を怒らせとかないと早死してくれないでしょ」
「お嬢様⋯⋯⋯なんて事を⋯⋯⋯」
顔を青くしてそう言うルーナ。
「冗談よ。怖がらせて悪かったわね」
そうして過ごしていると、廊下の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。
そしてバンッ! と勢いよく部屋のドアが開いたと思えば顔を真っ赤にした父と傷だからけの兄様が入ってきた。
「一体どういうつもりだ!? 今日は朝からやりたい放題しよって! 終いには呼びつけにすら来ないとは! さすがに度が過ぎるぞ!」
「用があるのなら、そちらから出向いてくるのは当然のことだと思いますが」
「お前⋯⋯⋯!!」
そう言って手を強く握り、プルプルと震えるほどに怒る父。
「ハイゼンのこの傷を見てもまだそんな事を言うつもりか! これでは外にも歩かせられんだろ!」
私は兄様を睨む。
兄様は私から視線を逸らし下を向く。
少し反省したのだろうか。
「良い顔になったではありませんか。心の汚れたお兄様にはお似合いだと思いますよ」
「なんだと⋯⋯⋯。どこまで性根が腐り切っているんだ! お前をそんなふうに育てた覚えはないぞ!」
顔全体にシワが出るほどに怒りながらそう言う父。
「確かにその通りですね」
「そうだろう? なのになぜそんな態度を⋯⋯⋯⋯」
「だって私、お父様に育てられた覚えがないんですから」
そう言って私は父を睨みつけた。
父は口を開け閉めして言葉を詰まらせる。
「お父様は小さい頃から私を遠ざけていましたよね? 私は何度もお父様を呼んだというのに、あなたは無視をした。こうして育つのも無理はないと思いますけど。恨むなら私ではなく、大人げない自分を恨んでください」
「⋯⋯⋯ああ言えばこう言う⋯⋯⋯。役立たずの分際で口だけは達者になりよって。もういい! 今からでも遅くない。しっかりと躾てやる」
そう言うと父は手のひらに炎を浮かべた。
暴力で解決する気満々ね。
「<蔦掌>」
私は先手で蔦を勢い良く伸ばす。
その蔦は父の頬を掠め、後方に伸び、壁を傷つけながら周り父をミイラのように拘束した。
父はバランスを崩して前方に倒れる。
とても魔法なんて打てる体制ではない。
兄様の暴力癖は父からの遺伝だったのね。
ほんと、要らないところばかり受け継いで、兄様の方がよっぽど失敗作じゃない。
「⋯⋯⋯な、何をする!」
「申し訳ありません。攻撃の意志を感じたので反射で魔法が出てしまいました」
「父親に向かってしていいことか!」
「今更、父親ヅラなんて図々しいですね。もう遅いんですよ何もかも。魔法が解けるまでの間、少しは自分の行いを悔いてみたらどうですか?」
私はざまぁみろと父に向けて笑みを浮かべてそう言った。
馬乗りで殴られなかっただけ感謝して欲しいところね。
「ルーナ、新しい部屋を用意してもらえる? もうこの部屋は使いたくないわ。4階の一番景色のいい部屋にして欲しいわね」
「す、すぐにご用意いたします!」
そう言ってルーナは逃げるように部屋を飛び出して行った。
もう父と話すこともないし、私も出て行こうかしら。
「馬鹿な真似を⋯⋯⋯! このような行為が許されると思うなよ! お前はこの家にとって道具でしかないんだ! 私に掛かればお前など簡単に捨てられるということを忘れるなよ!」
口の減らないクソジジイ。
私は蔦を操り、ぎゅっと締め上げる。
「痛たたたたたた!」
「お父様も自身の安全が私に握られているということをお忘れなく」
そんな私を不満げにじっと見つめてくる兄様。
私はギロリと冷たい視線を返す。
すると兄様は何も言わず視線を下にそらした。
先程の出来事が余程応えたらしい。
私は萎縮した兄様に言った。
「無様ね」
兄様はその言葉を聞いて心底悔しそうな表情を浮かべた。
すごくスッキリしたわ。
※
あれから数日が経過した。
私は王宮のテラスである人を待つ。
テーブルには紅茶も茶菓子も用意していない。
だって必要ないもの。
「はぁ〜⋯⋯⋯。女の誘いに平気で遅刻する男ってどう思うかしら?」
「さ、最低ですね!」
「よね。だからきっちり言ってあげないといけないわね」
私は企みの笑みを浮かべる。
「お嬢様⋯⋯⋯何をなさるおつもりで⋯⋯⋯?」
そうしていると私の背中にいつもの冷たい言葉が刺さる。
「また父親の言いなりか?」
「違いますよ。今回はあくまで自分の意思でお呼びしました」
「ほう。珍しいこともあるのだな」
そう言うとユリクス王子は私の向かいの席に来る。
テーブルに何も置いていないのを見て、ユリクス王子は不満げな顔をする。
「お茶すらも置いていないとは、どういう事だ? 呼び出しておいて、もてなしもしないとは失礼ではないか?」
「どうせ飲みもしないんですし良いでしょ? そもそも私、あなたをもてなす気なんて微塵もないですから」
いつもと様子の違う私に驚きつつも。
「⋯⋯⋯⋯まあいい」
そう言ってユリクス王子は椅子に座る。
「それで話とはなんだ?」
「この婚約についてです。単刀直入に言わせて頂きます。私もあなたと結婚するなんて死んでもごめんです。だって私、あなたのこと嫌いですから」
ユリクス王子は目を見開いて驚く。
「驚いたな。今まで交流を深めるのは大切などと口にしていたお前からそのような言葉を聞くことになるとはな。参考までに聞こう。俺のどこが気に入らなかった?」
どこか探るように、ユリクス王子は鋭い視線を私に向けてきた。
「誘いに平気で遅刻してくるところ。上から目線な態度。話し方。あとは根本的にタイプじゃありません。私は守ってあげたくなるような可愛らしい男性がタイプですから」
「耳の痛い話だな。それでなぜ今になってそんな事を言い出した?」
「どうせ婚約破棄されるのなら、私があなたを振る側でいたいと思いまして。振られるのは癪に障りますから」
未来がどう変わるのかは分からない。
だがこれだけは言える。
ユリクス王子は確実に主人公に恋をし、私との婚約破棄に動き出すと。
「言いたい放題だな。父親はいいのか?」
「お父様ならご心配要りませんよ。どんな手を使ってでも言うことを聞かせるつもりですから」
私がそう言うとユリクス王子は笑う。
「クハハハハッ⋯⋯⋯⋯⋯」
「私、何かおかしなことで言いましたか?」
「いいや。すごい変わりようだなと思ってな。どういう心境の変化だ?」
「⋯⋯⋯弱い自分にうんざりしただけですよ」
「そうか。まあ前までのお前よりは幾分かマシだな。今のお前となら少しくらい茶会に興じてやってもいいくらいだ」
「あら、それは嬉しい評価ですね。でも生憎
、私はあなたとの茶会なんて望んではいませんよ。1秒たりとも。だからこれで会うのも最後です」
「そうか。楽しかった⋯⋯⋯とは言えないな」
「ええ、ただただ苦痛でした。ですから清々します」
「その通りだ。⋯⋯⋯お互い学園で良い相手が見つかることを願っている。この婚約をなかったことにするためにもな」
「ええ、そうですね。だけど私はあなたの幸せなんて望みません」
「ハハッ、今のアセロナはそれくらい横柄な方が魅力的だ。せいぜい俺に泣きつかずに済むよう励むんだな」
「ええ、もちろんです」
私は確信していた。
ユリクス王子はこれくらいでは怒らない事を。
だって彼は主人公を救うヒーローなのだから。
善人でなければ成立しない。
本当の悪役は私だけで十分だ。
※
屋敷に戻った私は自分の部屋に戻り、窓の傍に置いている椅子に座ってくつろぐ。
外は既に暗く、月明かりが部屋の中を照らしている。
新しく移った4階の部屋は窓が大きく、外がよく見える。
やはり部屋を移動して正解だったわ。
そうしていると部屋のドアを誰かがノックし、開けた。
入ってきたのはルーナだ。
「お嬢様、紅茶をお持ちしま⋯⋯⋯⋯」
ルーナは月明かりをバックにくつろぐ私を見て固まる。まるで見とれているように。
「どうかした?」
「とても⋯⋯お美しい、です」
「あら、ありがとう」
どうやら私は昼間の太陽よりも夜の月明かりの方が合っているらしい。
素直に嬉しく思う。昼間の太陽は私には眩しすぎるし。主人公に譲るわ。
だって私は悪役令嬢―――アセロナ・ヴィルハートなんだから。
読んでくださりありがとうございます。




